適格者番号:130106003
 氏名:ムサシ リー ストラスバーグ
 筋力 −S
 持久力−S
 知力 −D
 判断力−D
 分析力−D
 体力 −S
 協調性−B
 総合評価 −A
 最大シンクロ率 27.333%
 ハーモニクス値 40.01
 パルスパターン All Green
 シンクログラフ 正常

 補足
 射撃訓練−A
 格闘訓練−S
 特記:中国人と日本人のハーフ。香港三家の一つ、ストラスバーグ家当主の次男。












第佰伍話



「私は、ここにいます」












 四月二十六日(日)。

 いよいよ起動実験が始まる。全世界が注目する初号機起動実験。成功と失敗を繰り返してきた起動実験だが、本部で二度目の失敗を出すわけにはいかない。技術部はこの一週間、不眠不休に近い状態で働き続けてきた。もちろん、各国を回っている赤木リツコもだ。
 それも今日で一段落と思うと、やはりたまっている疲れが表に出てくる。
(これが終われば、最後の休みね)
 起動実験があらかた終われば、あとは使徒戦まで駆け抜けるだけだ。残り時間は短い。
「準備完了しました」
「後はパイロットの到着を待つだけです」
「いいわ。そうしたら、実験開始スタンバイまで時間があるから、三十分休憩を取って」
 現在九時四八分。スタンバイが十一時。実験開始が十二時のスケジュールだ。
「すみません、少し寝ますー」
 休憩になった途端、ぱたぱたと倒れこんでいく職員たち。これまで仮眠しか取れない日々が続いていた。この起動実験が終わり、全てのデータを拾い上げれば、少しの休息を取ることができる。それまであと少しだ。
「センパイ。このデータ、見てもらえますか」
「いいけど、マヤ。あなたも少し休んでおきなさい」
「でも、センパイの方が休みなく働いているのに、私ばかり休めません」
「私も休みは入れているわよ。上が休まないと下が休めないでしょう?」
「移動時間とかですよね。そんなの勤務と変わらないじゃないですか」
 確かに移動時間は格好の休み時間だ。MAGIに作業だけさせておいて、自分はひたすら睡眠をとる。その唯一の時間。
「赤木博士」
 だが、そのわずかな休息時間を見計らったかのように連絡が入る。
「クローゼ・リンツ女史より連絡が入っています。六番です」
「分かったわ」
 リツコは受話器を上げて内線を取る。
「赤木です」
『クローゼ・リンツです。準備は終わりましたか』
「ええ、なんとか。今まで各国で学んできたことをそのまま生かせますから、問題は起こらないと思います」
『アメリカの事件は、非常に残念でした』
 クローゼは電話口で少し間を置く。
『ヨウ・ムトー軍曹から連絡です。アメリカの動きは今のところなし』
「それはありがたいわね」
『いえ、逆に、既に手が打たれている可能性がある、と軍曹の考えでした』
「既に?」
『はい。私も同じ考えです。アメリカがこの実験を黙ってみているとは思えません』
「実験に手出しできるような隙は与えていませんが」
『では、実験外になるかもしれませんね。明日は休暇、自由行動と聞きました』
 なるほど、実験終了後を狙ってくるということか。
「分かりました。警護を充分に行います」
『そうしてください。シンジくんをよろしくお願いします』
 そして通信が切れた。
 クローゼは現在、誰にも会わないようにネルフの深部にこもって待機している。だが、ネルフの誇るスーパーコンピュータ、MAGIの利用権限を手に入れて、世界各国の情報を集めているらしい。
「世界を守ろうとしているだけなのに、どうしてお互い足を引っ張らなきゃならないのかしらね」
 まったくアメリカにも困ったものだ。同じ国の適格者にも、同じ国の有識者にも背かれている。それほど世界のリーダーであることが大事なのか。世界が滅びてでも。
 もっとも一番やっかいなのは、アメリカ大統領ベネットが、火力兵器で使徒に勝てると思っていることだ。そんなことは全くもって無駄だというのに。
(スケジュールが早まったからあと一ヶ月。その間に──)
 そう。適格者はこんな起動実験などで足踏みしている場合ではないのだ。これから本番なのだから。
(A.T.フィールドを使いこなせなければ、使徒戦では盾にすらなれないわ)






 そして起動実験が始まる。
 正午十二時から開始される実験は、初号機から順に、参号機、四号機と一機ずつ行っていく。そのため、いきなり最初がシンジの番なのだ。
 十一時五十六分。既にシンジはエントリープラグの中にいる。今は最終調整段階。これからLCLが注入される。何度やってもこの血の匂いだけは、慣れない。
『はーい、シンジくん。調子はどう?』
「問題ありません。落ち着いています」
『そうみたいね。てっきり緊張してるのかと思ったら、すごく落ち着いて、いい感じよ。何を考えているの?』
「分かりません。ただ、いろんなことを」
『たとえば?』
「カナメのこととか、マリーのこととか。それにみんなのことを。僕が今こうしているのは、いろんな人のおかげなんだなっていうことを考えていました。そうしたら失敗なんてできないと、覚悟が決まった感じです」
『そっか』
 ミサトは安心したように頷いた。
『だったらちゃっちゃといい数値出して、おねーさんたちを安心させてね』
「努力します。といっても、僕は何もしなくていいんですよね?」
『ええ。まだ起動させるだけだから。今日の段階ではまだ歩いたりすることはないわ』
 とにかく初号機がきちんと動くかどうかなのだ。それさえ分かれば何も問題はない。
 発令所には全員が集結している。パイロット。ガード。外国適格者たち。全てがシンジの動かす初号機に注目している。
『十一時五十八分です』
『LCL注入します』
 液体が注入される。頭まですっぽりとかぶさったところで息を吸い込む。一瞬の異物感の後、呼吸せずとも酸素を取り込むことができるようになる。
『準備はいいわね?』
 ミサトの指示にオペレーターたちと、そしてシンジが頷く。
『シンクロ、スタート!』
 そして一気にグラフが点滅する。次々にグリーンへと変化していき、ボーダーラインを突破。
『シンクロ率、六七.二二一%! きました、記録更新です!』
『ハーモニクスも九〇オーバーです!』
 文句のない数値が出ていることにシンジはひとまず安堵する。これで後は五分間の耐久テストを行うだけ。だが、シンクロ自体を苦にしないシンジにとってはただ暇な時間というだけだった。
『どう、シンジくん。調子は?』
「いつも通りです」
『その答を聞いて、みんな動揺してるわよ。この数値がいつも通りっていうんだから』
「でも、本当にそうですから」
『分かるわ。シンジくんの精神はいま、とても安定している。何も特別なことをしていないんだっていうのはね。それじゃあ、あと五分、耐えるのは難しくないわね?』
「はい」
『じゃあ、その間にMAGIがデータ取りつくしちゃうから、もう少し待っててね』
「分かりました」
 そうして通信が切れる。画像にはミサトをはじめとする発令所の動きが見える。どうやら初号機がうまくいったので、次の指示が入ったようだ。そのままいけば次はトウジのはず。
(シンクロ率ってなんなのかな)
 シンジは目を閉じた。
 シンクロ率。エヴァンゲリオンを動かすことができるための数値。シンクロ率が百%だとしたら、それはエヴァを自らの手足と同じように使えるということ。いや、人間は自分の手足すら百%使えていない。だとしたらシンクロ率百%というのは、自分以上にエヴァを動かせるということ。
 右腕を動かすのと同じように、エヴァの右腕が動く。
 左足を出すのと同じように、エヴァの左足が出る。
 たったそれだけのこと。それだけのことが、難しい。
(実際に、自分で動かしてみないと分からないことなのかな)
 おそらくそうなのだろう。だが、その前に起動ができなければ意味がない。もしかしたら以前の零号機のように暴走する可能性だってあるのだから。
(どうして暴走なんて起こるんだろう)
 そもそもエヴァンゲリオンとは何なのか。クローゼから聞いた話では(当然、自分とエンしか知らないことだが)、使徒の体細胞研究から作られたのがエヴァだということだった。ならばエヴァンゲリオンが暴走するのは使徒の影響なのか。
 そしてクローゼといえば。
(完全にエヴァと適合したのが、僕と──)
 そう。
 この、目を閉じたら聞こえてくる、心臓の鼓動。
 それはエヴァの鼓動か。それとも。
(──君なのかい?)
 知らない人なのに、知っている。
 見たこともない相手なのに、分かっている。
(美坂、シオリ、さん?)
 問いかけると、自分の意識が真っ白になった。






「こんにちわ」
 にこにこと微笑む少女がそこにいた。
 面立ちはカオリに似ている。確かに姉妹だ。ただ、カオリよりも若すぎる。確かなくなったとき、まだ小学五年生になる前だったはず。
「亡くなってませんよ。私は、ここにいます」
 こちらの考えが筒抜けなのか、シオリが先手を打って言う。
「僕の考えていることが分かるの?」
「はい。ここは精神の世界ですから。シンジさんも私の考えていることが分かるはずです」
 どうすればいいんだろう、と思って相手に意識を凝らす。
 すると、少しずつその形に色がつき始めた。見えていたと思っていたのは、本当にそう思いこんでいただけだったらしい。そのショートの黒髪も、小さな手も、肩に羽織ったストールも、何も見えていなかった。
「そのストール」
「はい。お姉ちゃんが私にくれるはずだったものです。お姉ちゃんがくれるのは知っていたので、それからずっと形だけもらっていました」
「形だけって」
「ここは精神の世界。どんな姿でも望んだままに現せます。シンジさんも今はプラグスーツですけど、ネルフの制服だって何だってお望みのままですよ? それこそ顔形だって変えられます」
「それは遠慮しておくよ」
「はい。私も今のシンジさんの姿が好きですよ」
 シオリはそう言って笑った。
「聞きたいことが色々あるんだ」
「はい。でも、私も知っていることは少ないですよ。私はただここに乗せられて、使徒に食べられました。私がシンジさんのために生贄にされたと聞いたのはそれからです」
 生贄、という言葉がシンジに重くのしかかる。だがそれは以前から聞いていたことだった。本人を目の前にして今さら逃げるわけにもいかない。
「僕を恨んでいるの?」
「死にたくはなかったですけど、シンジさんを恨むのとは違うと思います」
 右手の人差し指を顎にあてて考えるふりをする。
「正直、よく分からなかったんです。シンジさんのせいだって考えたことは本当に、ないですよ? それに私はずっとずっとシンジさんを待っていたんです」
「待ってた?」
「はい。だって、こうなってしまった以上、シンジさんがこの初号機に乗ってくれなかったら、話相手がいないじゃないですか」
「僕のこと?」
「はい。だって私、もう初号機の中から出られませんから。初号機にシンクロできる人じゃないと、話ができないんです」
「だから僕なんだ」
「はい。ずっと待ってました」
「ごめん」
 シンジは頭を下げる。
「何がですか?」
「待たせてしまって。本当は他に謝ることがあると思うけど、でも、今はそのことで謝らないといけないと思ったから」
「その謝罪ならありがたく受け入れます」
 シオリは嬉しそうだった。
「今日はあまり時間がないみたいなので、ゆっくり話せないのが残念ですけど、これから先、何度でも会えると思います。シンジさんが私に──初号機にシンクロしてくださる限り」
「また会えるの?」
「当然です。話相手がいなくて暇なんです。もっとかまってください」
 出会ってみると、美坂シオリという少女は随分と人懐こい子だった。精神が育っているせいか、小学四年生には見えない。おそらくは中学一年生──つまり、シンジの一つ下の学年まで、同じように外見を育てているのだろう。
「ごめん。どうしたらいいのか分からない」
「そんなこと言う人、嫌いです」
 するとシオリは近づいてきて、シンジの手を取った。実体がないはずなのに、温かい。
「簡単です。触れ合えばいいんですよ」
 そうして、シオリはその唇をシンジの頬に当てた──






『シンジくん!!!!』
 大きな声で目を覚ます。
 気づけばエヴァンゲリオンの中。まだ実験は終わっていない。
『シンジくん。気を失っていたみたいだけど、大丈夫なの!?』
「はい。すみません」
『寝ていたわけではなさそうだったけど』
「よく分かりません」
 実際、よく分からなかった。自分に何が起こったのか。そして、美坂シオリという少女がいったい何を考えていたのか。
(シオリさん。君は今もここにいるの?)
 答はない。だが、精神世界の住人であるシオリには聞こえているはずだ。
(君に会いに、また来るよ。しばらく寂しくさせるかもしれないけど、元気で)
 そして、五分の稼動時間が終わり、電源が落とされた。真っ暗になったプラグの中に『お待ちしています』と丁寧な言葉が聞こえた気がした。






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