「大統領。AOCから連絡が入りました」
大統領補佐官からの報告にベネット大統領が頷く。
「エヴァンゲリオンのランクA適格者二名、アイズ・ラザフォード、マリィ・ビンセンス。いずれも亡命を画策中」
「そんなことを許すとでも思っているのか」
「既に手は打っておりますが」
「ああ。政治的な駆け引きになるなら私の名前を出してかまわない。レイジには少し圧力をかけないといけないな」
「イエス。日本にエヴァンゲリオンが集まる事態は回避しなければなりません」
「たとえ亡命がかなったとしても、これ以上エヴァンゲリオンの日本集中などさせんよ。まあ」
大統領は笑う。
「使徒を倒すのは、我らがアメリカ軍だがな」
「イエス」
第佰漆話
「私に仲間はいない」
キャシィ・ハミルトン。
いつもは朗らかな笑みしか見せたことのない彼女が、今はまったくその笑顔を消している。
「答えろ、キャシィ」
アイズもまた真剣な表情だ。この状況では、もはや冗談と言い逃れることはできない。
「お前は、シンジを狙った。それは間違いない。だが、何故だ」
「何故も何も、アメリカの刺客、ってことだろ」
コウキが後を続ける。完全に包囲されたキャシィは開き直ったのか、両腕を組んでその場で仁王立ちした。
「覚悟は決まってるようだな。なら、お縄についてもらお──」
「待ってくれ」
コウキが動こうとしたところでアイズがそれを止める。
「まだ、俺の問に答えてもらっていない」
「そんなもん、捕まえてからでもいいだろ」
「いや、よくはない。俺にとってこいつは仲間だ。捕まえてからでは、対等には話せない」
アイズの言葉にコウキが逡巡する。が、やがて息をついた。いったん任せるということなのだろう。
「俺はお前が、お前たちが信頼できると思った。だが、それは俺の勝手な思い込みだったのか。それだけを教えてくれないか」
「私に仲間はいない」
冷えた声だった。そして、酷薄に笑う。
「最後まで騙しきりたかったけどね。まあ、こんなモノが来たら仕方ないわ」
キャシィは懐から一枚の紙を取り出して、二本の指で放る。拾ったのはアイズ。それ以外のメンバーはキャシィの動きを注視している。
「これは?」
「Assassin Of Children。AOCの指令書よ」
「AOC!」
全員が動揺する。
AOC。かつてドイツでシンジの命を狙い、マリーの命を奪ったアメリカの組織。
それが、ランクAの適格者──
「危ない!」
その、全員が動揺した瞬間を狙ってキャシィが動く。狙いはただ一人、一番奥に守られているサードチルドレン、碇シンジ。
「そう簡単にシンジくんには近づけさせません」
格闘ランクSのエンは油断していなかった。後三歩のところでキャシィの腕を取り、そのまま床に組み伏せた。
「二度と、僕の前で誰も傷つけさせません」
「さすがエン。危なくシンジがやられるところだったぜ」
カスミが冷や汗をかいている。他のメンバーもこの奇襲には身動きが取れていなかった。
「悪いがラザフォード、話は後だ。コモモ、シンジを外に連れていってやってくれ。シンジがいたら危なっかしくて話が続かねえ」
「分かった」
コウキが言うとコモモが動き始める。が、その様子を見たキャシィが喉の奥で笑った。
「何がおかしい?」
「笑わずにはいられないわ。あなたのことは聞いているわよ、野坂コウキ──AOC構成員ナンバー、J01!」
今度こそ、全員が驚愕した。上で組み伏せているエンですら、その言葉には驚愕を覚えている。無論、手を緩めたりはしないが。
「コウキがAOCって、それは何の冗談だ?」
ジンが動揺を隠して尋ねる。
「悪いけど冗談じゃないぜ」
カスミが冷静な声で言う。
「野坂コウキ。アメリカのCIA直轄部隊、AOCの日本構成員。だった男だ」
「だった?」
「ああ。昔の話だ。だから今のコウキがアメリカの手先とか、そういうんじゃない」
「喋りすぎだ、カスミ」
「何言ってんだよ。万が一のことがあるとヤバイってんで、お前が俺にだけ教えておいたんだろ?」
シンジは目の前で何が起こっているのかがよく分からない。コウキがAOCの一員だとか、カスミがそのことを知っているだとか、そのくせ他の誰も何も知らないとか、いったい何が起こっているのかよく分からない。
「あなたは幸せな人間ね、サードチルドレン」
キャシィは静かに笑う。
「あなたは自分の周りにいるこの人間たちが、どうしてこの場にいるのかすら知らないのね」
「コモモ。何をしている、さっさとシンジを連れていけ」
「聞かせたくないのね、野坂コウキ。そうよね。今までずっと、サードチルドレンにだけは気づかれないようにしていたのだから。本部の二〇一三年九月組の本当の意味なんて知らせないように、みんなで隠してきたのだから」
「エン。そいつの口を封じろ」
「待ってよ、コウキ」
シンジは足元が震えているのを感じた。
「どういうこと。キャシィさんは何を言っているの」
「お前には関係ない話だ、シンジ」
「嘘だ。今、みんなが僕に隠してるって──」
コウキの冷たい目。そして、周りを見るといっせいに逸れていく視線。
「教えてあげるわ、サードチルドレン。あなたは、仲間なんかじゃないっていうことを」
「仲間じゃない、って」
「碇シンジ。あなたはずっとこの人たちから仲間だと思いこまされてきた。偶然集った八人が、偶然仲間になれると、あなたは本当に思っていたのかしら?」
「それじゃあ」
「ええ。偶然なんかじゃない。そもそも、毎月十人以上が登録される本部の適格者が、二〇一三年九月組だけが十人に満たないのか。簡単なこと。最初から、ここの七人は、あなたを守るためだけに選ばれた人間だったからなのよ」
「なんだよ、それ」
「いずれサードチルドレンとなる子供。命の危険から守るため、そしてその心を守るため、碇ゲンドウはあなたに仲間を与えることにした。そうして選ばれたのがこの七人。さっきサラが言っていたでしょう、そこの女は」
キャシィが顎でヨシノを示す。
「適格者の資格なんかなかった。それなのにどうやってシンクロ率を高めているのかは知らないけれど、要するにそうやって集められたのがここのメンバーよ。まあ、野坂コウキのようにたまたま適格者の資質が高い者もいたようだけど、それは単なる偶然。他のメンバーもどこまで資格を備えているのか、分かったものではないわ」
「嘘だ」
「嘘ではないわよ。ほら、他のみんなの顔色見れば分かるでしょ?」
シンジがそっと回りの顔を見ると、やはり誰も視線を合わせない。
そして、何より、一番信頼しているエンも。
「……エンくん」
何も、答えない。
「どうして、何も言ってくれないの」
「……僕は、シンジくんのことを本当の友達だと思ってる。でも、その人が言ったことは本当だ」
「本当に?」
「僕らは最初からシンジくんを守るために集められたメンバー。最初は、それだけの関係だったんだ」
「嘘だ」
「コモモさんが毎月同期会をしてくれたのも、僕がシンジくんのガードになれたのも、資格のないヨシノさんが適格者でいられるのも、全部、全部」
「嘘だっ!」
だが。
そこにいる七人の顔が、真実だということを示していて。
シンジは駆け出した。
その場から逃げ出した。
自分は何を信じていたのだろう。
二〇一三年、九月。
そう、初めてみんなに会った日のこと。
全員が、一斉に、自分を見た、あの時。
「へえ、お前が碇シンジか」
最初に声をかけたのはカスミだ。
「碇司令の息子さんだよな。はじめまして、私は桜井コモモ!」
最初から元気だったコモモ。
「ふうん。なんだか頼りなさそうねえ」
ヨシノはこのメンバーの中だけは最初からこんな調子で。
「なに、ここで鍛えられたらすぐに頼りになるさ」
ジンは期待をこめた眼差しで。
「……体は丈夫そうだが、筋肉がつくような体質ではなさそうだ」
ダイチは最初から仏頂面で。
「お互いがんばりましょう」
エンは優しそうな面持ちで。
「ま、ここにいるのが同期のメンバーってことだ」
コウキが最後に話をまとめた。
全員が優しそうだった。
いや、優しさを演じていたのか。
それからも優しくしてくれた。
ランクが上がったら褒めてくれた。
最初にシンクロ率が出たときは全員からメールをもらった。
セラのときはみんなが助けてくれた。
カオリのときも助けにきてくれた。
マリーが死んだときも、カナメが死んだときも。
みんなが傍で支えてくれたから自分はどんなことでも耐えられた。
みんなの期待に応えようとも思った。
自分を信じてくれる人のために、自分も信じた。
信じて、くれた?
本当に信じてくれていたのか。
みんなが自分と一緒にいてくれたのは、自分のことを好きだったからではない。
ただの義務。
指示されただけのこと。
サードチルドレンを守るための兵隊。
そこに心はない。
ただの。
「シンジくん?」
声が聞こえた。
どこをどう走ってきたのか分からなかった。気づけば一度も来たこともない場所にいた。
「アルト」
「どうしたの、すごい、汗──」
アルトがそっと右手を差し出してシンジの額にそっと触れようとするが、シンジはそれに飛びのくように反応する。
怖れている。
それを敏感に感じ取ったアルトが、そっと自分の両腕を下に伸ばした。
「シンジくん。私を見てください」
「アル、ト?」
「シンジくんに今、何があったのかは分かりませんけど、私は何があってもシンジくんの味方です」
「アルト」
「だから、私のことを怖がらないでください」
「……」
すると、ゆっくりと力がぬけていく。
だが。
「アルトは、味方なの?」
「はい」
「本当に?」
そこまで言われて、はじめて近くにエンがいないことにアルトも気づく。
「……エンと、何かありましたか?」
シンジは答に詰まる。今起こったことをどう言えばいいのか分からない。
ずっと黙っていると、アルトも何も言えなくなっていた。うつむき、視線を合わせずにいると、やがてアルトの口から声がもれた。
「やれやれ、困っているようだな、少年」
その口調は、アルトとは全く違っていた。
「こういうときは、知り合いより客観的に物事を見られる者の方が相談相手にふさわしいだろう?」
これは、アルトではない。
「混乱させてすまないな。私のことはエンから聞いているか」
「す、少しだけ」
アルトの中には、もう一人の人格が存在する。
「話すのは初めてだな。私がノアだ」
「アルト、じゃないんだよね」
「そうだ。いつもアルトを通してお前のことは見ている。アルトは随分、お前のことを気に入っているようだな」
「僕は」
「考えても無駄だ。お主がこれほど悩んでいるのはアルトには分からんだろうが、私には心当たりがある。当ててみせようか。同期の人間が、実はネルフが恣意的に集めていたことではないかな」
ノアの言葉にシンジの心が冷える。
「ノア、も知っていたんだ」
「アルトは知らんぞ。といっても、私も実際には知っていたわけではない。ネルフについて自分なりに考え、導きだした結論だ。貴様の代には不可思議なことが多すぎた。おそらくはネルフの意思が働いているだろうと考えた。あたりだろう?」
「うん」
「随分しょぼくれた顔をするものだ。貴様、自分で何に衝撃を受けているのかも分かっていないのだろう」
「え」
「よいか。他の者は知らぬが、エンという男はこの私が今まで見てきて唯一信頼のおける男だ。アルトのことを真剣に愛している。そのエンが、アルトよりも貴様を選び、貴様を守ることを優先しているのだ。出会ったきっかけは仕組まれていたかもしれんが、今は本当に信頼しあっているのではないか?」
「今、は」
「そうだ。素直に考えてみるがいい。あらゆる情報を遮断しろ。そして、エンのことを考えてみるがいい。どうだ、エンは信頼に足る男か、そうでないか」
シンジはノアの言う通りに、目を閉じてゆっくり考えてみる。
古城エン、という存在。
一緒に楽器を弾いて、いつも守ってくれて、いろんなことを話して。
「……迷惑ばかり、かけていた気がする」
「そうであろうな。エンはそれを、嫌がっていたか?」
「そうじゃない、と思う」
「で、あろうな。あの男は嫌がるようなことを進んで行う男ではない。最初は単にガードとして雇われただけだろうが、今は完全にお前のために行おうとしている」
ノアが、意地の悪い笑い方をする。
「信じてみることだな、仲間を」
「仲間を」
「そうとも。アルトもドイツで仲間を得て強くなった。貴様は一人で強くあることができるのか?」
そんなことは無理に決まっている。二人の死を克服できたのも、仲間がいてくれたからだ。
「もっとも、他の連中は知らんぞ。まずは一番、信頼できるものから尋ねてみるのがよかろう」
「分かった」
「どうやら落ち着いたようだな。さて、あとはアルトに任せよう」
そして力を抜く。だが、その前にシンジが声をかけた。
「ありがとう、ノア」
言われたノアは、最後にふっと笑った。
「シンジくん」
そして、アルトの意識が戻る。
「私は味方です。そして、エンもきっとシンジくんの味方です。ドイツで私はエンと話しました。シンジくんを守りたいって言っていました。だから」
「うん、分かってる」
シンジは頷いて答えた。
「ありがとう、アルト」
「ううん。良かったら、一緒に行ってあげようか」
「そうだね、もしよければ」
まだ、怖い。
もしエンや他のみんなが自分を騙していたりしたら。
「もし、エンがシンジくんをいじめるんだったら、私が逆にエンをしかってやりますから」
アルトがシンジの手を握る。
「大丈夫です。シンジくんはみんなに好かれてるんですから」
その暖かさが、シンジに勇気をくれた。
「うん」
そしてシンジは自分の部屋へと、再び戻っていった。
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