光の巨人。かつて、セカンドインパクト時に存在が確認された未確認生命体。存在が確認されているだけで、何を為すものかは不明。
 ただ、後にエネルギーを計測したところ、実に原子爆弾を百個分以上のエネルギーを体内に含蓄しているとのことだった。それ以上はエネルギーの測定ができなかったが、まさに人間の目からすれば無限のエネルギーといっても良い。
 南極に出現した際はすぐに消滅したため、その正体を調査することはかなわなくなった。
 だが、二〇〇八年、この東京に光の巨人が再び現れた。これは公式の記録には残されていないものの、複数の目撃証言が存在しているのは確かだ。












第佰拾話



「うん。忘れてないよ」












「光の巨人」
 エンが呟くと、その声にかき消されるかのように、光の巨人は徐々に薄まり、やがて消えていった。三人は目の前で見たものが信じられなかったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「逃げましょう」
 エンが言うと、二人とも我に返って走り始めた。軍隊の行動スピードは速い。逃げ続けなければすぐに追いつかれてしまう。
 第一東京にも戦略自衛隊の基地はある。だが、先制攻撃を受けて翻弄している現状ではそれほどの効果は期待できない。
「待って」
 ノアが二人の行動を制する。そして天を指さす。
 ミサイルの雨──第二次艦砲射撃。
 そして、着弾と同時に炎と悲鳴が巻き上がる。どうやら徹底的に砲撃でいたぶるつもりのようだ。
「シェルターを探しましょう」
「こちらです」
 地下鉄などは標的になりやすい。公的に造られたシェルター、特に学校などに作られたものは相手にも情報が出回っているおそれがある。逆に私的なもので、なおかつ強度の高いシェルターが望ましい。となると個人宅内に作られた防空壕が一番望ましいということになる。
 第一東京は戦前の防空壕がいくつも残っている土地でもある。その中の一部は二〇〇八年現在でも使用可能である。大型のシェルターは使徒戦に備えて強度を高めていたし、個人宅内の防空壕も、個人資産で改良されているものが多い。むしろ、裕福な家では個人宅内の防空壕を強化して、使徒戦の間はそれで切り抜けようとしている者もいるくらいだ。
 エンはそうした個人防空壕の所在をほぼすべてインプットしている。爆撃に耐えられそうな防空壕を兼ね備えている家。この場所から走れば五分の距離だ。
 たどりついた家は、既に爆撃によって家の半分が吹き飛ばされていた。だが、そのおかげかシェルター入口が影になって隠れたところにあった。瓦礫の一部を避けてその中にもぐりこみ、シェルターの扉を開けて、二人を中に入れる。
「ノア。食糧と電源の確認をお願いします」
「両方あるわ。自家発電可能。食糧は一ヶ月分以上はある」
「じゃあ遠慮なく使わせてもらいましょう。もうここに来る人はいないでしょうし」
 最後にエンが中に入って、しっかりと扉を閉める。機密性の高い扉なので、毒ガスや放射能が撒かれても大丈夫だろう。しかも扉が閉まると自動的に扉の上に芝生が現れるようになっている。カムフラージュ機能もついている。随分高価な機能をつけている。ここの家の人間はよほど裕福だったに違いない。
「なんとかなったわね」
 電気をつけていても明かりは鈍く、回りの様子が何とか分かる程度だ。
 少しして、また地面が揺れた。
「しばらくの間はここに釘付けですね。もっとも、崩れた建物が影になってくれているおかげで、上陸戦になっても見つかる心配はほとんどないでしょうけど」
「でも、あまり安心していられるわけではないわよね」
「はい。外の様子が分かる通信設備がおそらくあるはずです。探してみましょう」
 シェルターは三人どころか、十人は軽く暮らしていけるだけのスペースと食糧があった。トイレまであるのだからありがたい限りだ。
「これかな」
「ラジオね。せめてテレビなら良かったのに」
「まあ、贅沢は言わないでおきましょう」
 チャンネルを合わせようとするが、どこのチャンネルもうまく合わず、機械音が流れるばかり。
「電波が乱れてるから受信できないのよ。せめてこの爆撃だけでも終わらないとつながらないわね」
 爆撃だけなら半日、長くても二日というところか。本当にしばらくはこの防空壕に釘付けのようだった。
「さっきの、何だったのかな」
 三人が見た、謎の物体。光の巨人。
「以前、聞いたことがあるわ。南極で、アレが目撃されたっていうのは」
「自分もあります。セカンドインパクトの直前に現れたとか」
「じゃあ、ここでサードインパクトが起こるの!?」
 アルトが立ち上がる。が、エンは首を振った。
「いいえ。アレが何故現れたかは分かりませんが、少なくとも使徒襲来までは七年あります。当分先の話です」
「そう、よかった」
「でも、気になるわね。何故アレがここに現れたのか。まあ、こんな場所で縮こまっていなければいけない現状では調べようがないけれど」
 ふう、とノアがため息をついた。
「私が二人いればいいのに」
 ぞくり、と背筋が震えた。
 ノアは実際二人いる。今、もう一人のノアは、アルトの中で眠っている。
「そうだね。私みたいな役立たずより、お姉ちゃんがもう一人いてくれたらよかったのに」
「何を言っているの。あなたは大切な、私の妹よ」
「分かってる。でも、こういう非常時だと、私は足を引っ張るだけだし」
「自分の任務は、お二人を守ること。そして、お二人の命令に従うことです。アルトが無事でなければ、自分に生きている意味などありません」
 断言するように言う。アルトはまた顔を赤らめて「あ、ありがと」と答えた。
「何、エンってば、私の妹のことが好きなの?」
「その言葉は以前、アルトから軽々しく使うなと釘を刺されました」
「あら、そうなの」
「はい。ですから感情のない自分には使うことができないと思います」
「でも、一番気になる存在ではあるんじゃないの?」
「はい。自分にとって、アルトとノアは自分の命より重い存在ですから」
「ほんと、六歳の子供の台詞じゃないわね」
「もうすぐ、七歳になります」
「そうなの」
「はい。今月、二十二日で誕生日になります。あくまで記録上ですが」
「おめでとう、エン」
 アルトが笑顔で言う。ありがとうございます、と答えた。
「でも、残念ね」
 と、ノアの言葉と同時にシェルターが揺れた。
「しばらくはここから出られないわ。最悪の誕生日になりそう」
「いいえ」
 エンは首を振る。
「自分にとって、お二人がいらっしゃる誕生日ほど、喜ばしいものはありません」
 自分が仕えるべき相手。命を守る相手。
 その相手がいてくれるのだから、これほどありがたいことはない。






 結局、二十二日が来てもラジオの電波は届かず、相変わらず継続的に揺れは続いていた。
「地上の様子が分かるといいんだけど」
 毒ガスや放射性反応は地上にない。そのため空気の入れ替えは可能なのだが、砲弾によると思われる揺れは一日数回の割合で起きる。
「これだけ長い時間、日本は何をやっているのよ」
「分かりません。一度、外に出て確かめてみた方がいいでしょうか」
「やめておきなさい。それで敵に見つかったらアウトよ。一日、二日で状況が変わることもないでしょうけど、でも半年もここに閉じ込められるようなこともないでしょう。食料と水はある。空気の心配もなければ、黙っているのが一番よ」
 ノアはそう言うし、アルトも同じような考えだ。だが、エンとしては全く同じ考えではいられない。
 もしも、この第一東京を敵が占領したら、もはや逃れる機会がなくなる。
 敵にもよるが、日本がこのまま第一東京を放棄するようなことになれば、自分たちは孤立する。だからこそ上がどうなっているのか、情報が欲しいところだ。
 やはり一度、上に出てみるしかないだろうか。自分ひとりなら、いくらでも切り抜けることができるはずだ。
「お姉ちゃん、エン!」
 アルトが突然叫ぶ。
「ラジオが、何か言ってる!」
 待ちに待った情報。
 二人が飛びつくようにラジオに耳を傾ける。
『……六カ国……軍は……国連決議を受け……一両日中に……』
 その後はまた、電波障害がひどくなって、何も聞こえなくなった。
「どう思いますか、ノア」
「普通に考えれば、敵が引き上げるという内容に取れるわね」
「ええ。ただ、それが事実なのかどうか。実は引き上げることなく残っていて、そこに自分たちが出ていったら」
「確実に捕まるか、殺されるわね」
「では、やるべきことは決まりましたね。安全をとって三日後、本当に敵軍がいなくなったのか、自分が表に出て確かめてみます」
「明後日じゃないの?」
「ラジオの言い方からすると、今日、明日にも引き上げるということでした。ですが、その次の日にまだ敵が残っていたら危険です。万が一を考えて、三日後にします」
「こういうときは専門家に任せた方がいいものよ、アルト」
 ノアが言うと、アルトも不承不承頷いた。






 そして、いよいよエンが外に出る。朝になる前、曙の時間を狙う。この時間だと仮に敵がいても油断する時間帯であること、そして自分の目がこの薄暗い空間に慣れてしまっていて、昼間に出ると目がついていかないだろうということ、その二つの理由からだった。
 入口の上にはカムフラージュの芝生。そしてさらにその上には崩れ落ちた瓦礫。それだけあれば入口を仮にあけたとしても、近くに敵がいることはまず考えられない。
 そっと入口を開けて、そこから外を見る。案の定、誰もいない。
 この三日間は大地が揺れることもなかった。
 そこは、廃墟と化していた。
 復興が進んでいた第一東京の面影はどこにもない。いたるところに瓦礫。おそらく、あちこちに死体。
 敵の様子はない。だが、それだけに、逆にまずい。
「ノア、アルト。今すぐ準備を。ここから脱出する」
「脱出?」
「おそらく政府は生き残った人たちを救出するために軍を出してくる。もしも僕らが捕まったら、またハイヴに逆戻りだ」
 それだけは嫌だ、と二人の顔が強張る。
「すぐに準備を」
 二人は頷いて、入口から出てくる。
 軍に保護されるわけにはいかない。かといって第一東京から出ていくルートなど、おそらく全て封鎖されているに違いない。
 それから、ハイヴから脱出したとはいえ、これからどうするべきなのか。頼るツテがエンにあるはずもない。
「二人は、どこか自分をかくまってくれるような場所を知っている?」
「ドイツになら」
 ノアが間髪入れずに答えた。
「困ったことがあったら頼れと伯母が言っていたわ。まあ、あのときもずっと困っていたのだけれど。でも、これだけ破壊されていたのだとしたら、ハイヴも完全に壊れてるんじゃないの?」
「いや。ハイヴっていうのはあくまでも上の組織、人工進化研究所っていうところの一部門にすぎない。そこの研究資料が逃げ出したとなれば、絶対に追いかけてくる」
「見つかるわけにはいかないということね」
「ああ。自分は見つかっても処分されるだけだろうが、あなたたちは違う。見つかれば確実に連れて行かれる」
「脱出する術はあるの?」
 この第一東京が既に封鎖されていることはノアにも分かっているのだろう。
「ルートはある。西は環八、東は荒川。だが、唯一抜けられるルートがあるんだ」
「どこ?」
「荒川と隅田川が並ぶ、扇大橋。自衛隊のコンテナ車両が動くのがここだ。ここで空のコンテナに忍び込む」
「そんなことができるの?」
「実地で訓練しているから大丈夫。成功確率は九十%。十回やって一回だけ失敗した」
「その一回にならないことを願うわ」
 そうして三人は扇大橋まで近づく。その間、アルトが笑った。
「どうした?」
「いいえ。エン、ようやく普通に話してくれるようになったなと思って」
 言われてみればそうだ。おそらくは緊急時ということで、ノアとアルトを守るため無意識に言葉づかいも変わったのだろう。
「すみません。気をつけます」
「いいの。そうやって話してくれる方が、嬉しいよ」
 そうアルトが言うので少し考えてから「分かった」と答える。
「日が昇る前に忍び込めれば一番なんだが」
「ちょっと距離的に無理ね。どこかに隠れて時間を潰さないと」
「そうだな。もう日が昇る」
 とはいえ、隠れる場所があるわけでもない。救助はすぐにこの町に入ってくるだろう。
「とりあえず瓦礫の影に隠れよう。こちらから救助を求めなければ、そんなに簡単に見つかることはないはずだ。これだけ──」
 と、一面の瓦礫を見つめる。
「隠れる場所が豊富ならね」
「車なんか通れる隙間ないものね」
「だったら、コンテナ車両ももしかしたらこっちまでこれないとか」
 その可能性までは考えていなかった。橋が崩れ落ちていては脱出もできない。
「アルトの言う通りだな。二人はいったん隠れて。状況を確認してくる」
「気をつけて」
 崩れ落ちた建物の一階。四方の壁があって回りからは見えない。天井は落ちているので落下物の心配はない。そのかわり昼間は直射日光を受けてしまうので体力的に苦しいかもしれない。
「少しでも睡眠をとって、夜に動けるようにしておいて」
「分かった」
「はい」
 そして二人を置いて、エンはその建物を出る。
 日は昇り始めていた。そして、まわりに人影がないことを確認して素早く動く。
 今は情報が必要だった。この近辺がどうなっているのか。日本は、そして敵はどう動いているのか。
 瓦礫の上によじのぼり、川の方を見つめる。
(そうきたか)
 荒川に橋はかかっている。緊急車両も来ているようだ。
 だが、その先、手前側の隅田川の橋は完全に崩れ落ちている。
(大きく迂回しないといけないか。いや、それより夜のうちに隅田川を越えるか)
 迂回するのは危険が大きい。ならば川を越えるしかないだろう。
 方針を定めて、エンはすぐに戻る。そして建物に戻ってきたところだった。
「いやぁっ!」
 アルトの声。エンはすぐに建物に飛び込んだ。中に、男が三人。救助隊じゃない。単なるゴロツキ。崩壊した町で好き勝手にするチンピラだ。
「離れろ!」
 声を上げて、一度自分に意識を向けさせる。それでノアとアルトへの意識が逸れた。ノアがアルトの手を取って男たちから離れる。
「ちっ、このガキ──」
 だが、たかがチンピラに大人を相手に勝つことができるエンが負けるはずがない。男たちの懐に入り込むと、みぞおちに次々と拳を入れて意識を奪う。三人の意識など、あっという間になくなっていた。
「すごい」
 アルトがぽうっとした顔でエンを見る。そして何かに気づいたかのように表情を変える。
「怪我してる。大丈夫?」
 アルトが近づいて、ハンカチで傷口を押さえる。別に今の戦いで傷ついたわけではない。おそらくは瓦礫によじのぼったときにでも傷ついたのだろう。
「そういえば、前にも大丈夫って言ってくれたね」
 エンが言うと、もちろんアルトは覚えていた。
「うん。忘れてないよ」
 アルトが言う。そう、自分に声をかけてくれたアルト。こっちの体のアルト。もう一人のアルトが知らない思い出。
「ありがとう」
「え?」
「自分にとって、それはかけがえの無い思い出なんだ。だから、ずっと忘れないでいてくれると嬉しい」
 ──その、瞬間だった。
「……何を言っているのかと思えば、そんなことだったか」
 そのアルトの声質が変わった。全く同じ声で、全く違う意図が込められていた。
 エンがノアを振り返る。そこには確かにノア。だが、こちらも。
「古城エン。ノアが二人いては、おかしいか?」
 ここに、二人のノアが存在していた。






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