私にはトモダチがいなかった。

 家は貧しかった。母親はいつも私のことを可愛がってくれて、私も母親が好きで、二人で世界は完結していた。していたのに、私たちの世界を壊そうとする人たちがいた。
 金色の髪。
 赤色の目。
 そんな私の外見を見た村の人たちは、私のことを『悪魔の子』と呼んだ。
 セカンドインパクト直後の世界。
 気候が変わり、収穫もあまり良くなかった時代。
 人々の不満の捌け口が『悪魔の子』に向かうのは仕方のないことだった。












第佰拾参話



「幸せになるのよ」












「悪魔の子は出ていけ!」
「出ていけ!」
「お前らのせいで村はまた飢饉だ!」
「どうしてくれる!」
「お前らさえいなければ!」
 二〇〇七年。六歳になったばかりの桜井コモモにとって、人生でもっとも苦しい一年だった。
 家の中に入ってくることはない。それをしたらさすがに警察も見て見ぬ振りはできなくなる。不法侵入だ。
 だが、二人の家の周りで『出ていけ!』のコールをすることまでを止めることはできなかったらしい。迷惑行為には違いないが、そこまで面倒をみてくれるわけではなかった。
「大丈夫よ、コモモ」
 母親もすっかりとやつれていた。秋になると、一気に村人からの攻撃が強まった。その母親も完全に力をなくしていた。
「お母さんが守ってあげるからね」
「ごめんなさい、お母さん」
 コモモは涙をこらえながら母親に謝る。
「私がこんな髪じゃなかったら。こんな目をしていなかったら」
「あら、何を言っているの。綺麗な髪、綺麗な目」
 母親はそれでも笑顔で、優しくコモモの髪を撫でる。
「私はコモモのことが大好きよ。だから、そんなことを言わないでちょうだい」
「でも、私のせいで」
「大丈夫よ」
 母親はコモモを優しく抱きしめる。回りの騒音から守るように。
「私が必ず守ってあげるから」
 そうして、しばらくは眠れない日々が続いた。
 やがて十日もすればその騒ぎは沈静化する。まったく反応しない自分たちにいつまでもかまっているわけにはいかない。村の人たちも現実的に食糧を手に入れる方法を考えなければならなくなったということだろう。
 そして村で一番、食糧を手に入れる術がなかったのはコモモの母親であった。村の中を出歩こうものならすぐに石を投げられ、食糧を買うことも分けてもらうこともできない。自然、密漁ということになる。汚染されていない湖にこっそりと近づき、魚や貝を獲る。食べられるものなら何でも良かった。それを家に持ち帰り、わずかな穀物を少しずつ切り詰めるように食べる。
 それでも次の収穫まであと一年を生きるのは不可能だった。まだ秋口だから魚や貝も取れるが、冬になってそんなことをしていればやがて体を壊す。
 村を出ることを真剣に考えなければならないときだった。
「お母さん」
 ある日、コモモは尋ねた。
「私のお父さんって、どんな人だったの?」
「お父さんはね、とても優しくて、強い人」
 コモモを撫でながら母親は嬉しそうに言う。
「私はお父さんが大好きよ。お父さんと愛し合って、その間にあなたが生まれた。だからあなたと一緒にこうしていられるのが一番嬉しいのよ」
 コモモは泣きながら母親に抱きつく。何もできない自分の力のなさがうらめしかった。
 母親の手伝いをしたかった。自分の食事くらい自分で見つけたかった。
 そうして出ていく母親の後をついていくように自分も家を出た。
 少しもいかないうちに騒ぎになった。『悪魔の子』が外を出歩いている。
「てめえ、何してやがる!」
 一人の男が騒いだ。そうして村中に騒ぎが伝播する。あっという間にコモモは捕まり、引っ張っていかれる。自分は何もしていないのに、どうしてこんな目にあうのかが分からない。
「やめてください!」
 騒ぎに気づいた母親がその中に飛び込んでくる。
「コモモを、コモモをどうするつもりですか!」
「このガキがいるからこの村はいつまでも呪われてんじゃねえか!」
「そうだ、このガキを殺せばこの村はまた豊作になるんだ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
 大人も、子供も、男も、女も、みんながコモモの敵だった。世界は全てコモモの敵で、コモモは何もできなくて、無力感と絶望感がコモモを満たした。
 自分が死ねばいいのだ。
 そう思った瞬間、母親はコモモを抱きしめた。
「この子は、私にとって宝です」
 コモモはその、優しい言葉に涙を流す。
「あなた方がたとえどれだけこの子を傷つけたとしても、私だけはこの子の味方です。絶対にこの子を傷つけさせはしません!」
 母親が身を張ったため、その場はそれ以上の騒ぎにはならなかった。そのまま母親は泣きじゃくるコモモを家に連れ帰り、優しい笑顔で言った。
「駄目よ、コモモ。お外に出たら。お外はこわーい人がたくさんいるんだから」
「ごめんなさい、ごめんなさいお母さん」
「いいのよ。コモモが泣いてたら、どんなことがあってもお母さん、かけつけるんだから」
 今回のことでコモモはよく分かった。自分が何かをしようとすれば、母親の迷惑になるのだということが。
 自分が絶対的に守られる立場であり、自分が何かをしようとするとその相手に迷惑をかけてしまうのだということが。
 やはり、自分はいない方がいい。自分がいなければ母親は自由でいられるのだ。
「私はコモモがいるから幸せなの」
 体調を崩した母親の看病をしていると、母親はやはり微笑みながら言った。
「コモモが立派になって、素敵な恋をして、花嫁姿を見ることができたらお母さん、もうそれより嬉しいことなんてないわ」
「うん。私、がんばる。立派になって、きちんとお嫁さんになる」
「ありがとう。約束よ、コモモ」
 母親は体調がすぐれないまま、食事を探しに家を出ていった。
 帰ってくるとわずかばかりの食糧が手に入っていたが、それで母親とコモモのおなかが満たされることはなかった。
 母親の体調は徐々に悪化し、もう外に出ることすらできなくなった。
 日に日に母親はやつれていく。病気を回復しようにも、そのエネルギーを手に入れることができない。
 母親はそれでも笑った。コモモのために歌を歌い、あれこれと話をした。
 だが。
「コモモ」
 げっそりとした母親が、それでも笑顔で言った。
「幸せになるのよ」
 それが最後の言葉だった。この母親は、最後の最後までコモモを愛し、コモモの心を絶望で閉ざすことがないままに亡くなった。コモモを生んだことがこの母親の人生を狂わせたのは間違いない。だが、それでも母親はたった一人の自分の子を愛したまま亡くなった。それはどれほど幸せな人生だっただろうか。
 だが、残された方はそうもいかない。この狂った社会の中に取り残された六歳の、迫害されている少女が一人。
 役人がやってきて、母親の死体は連れていかれた。
 その日、コモモの家は放火にあった。犯人は分からないが、コモモは一日にして母親と、住む家とを失った。
 行き場所もなく、あてもなく、たださまよい歩いた。雪が降っていた。それがコモモの体力をさらに奪っていった。
 やがて、コモモは倒れた。倒れたコモモを見つけた村人がまた騒ぎ立てた。
「『悪魔の子』を殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
 大人も、子供も、男も、女も、この与えられた生贄に狂喜した。もはや彼女を守る母親はいない。役人などこの状況で止められるはずもない。もはやこの子をどうしようとも、村人たちの自由なのだ。
「村に災いを呼んだ子に死刑を!」
「死刑を!」
「死刑を!」
 セカンドインパクト後、こうした暴動は少ないわけではない。毎年何件も発生している。この村はそれがとりわけ発生しやすい状況にあった。
 セカンドインパクト後に生まれた少女の髪と目の色の違い。そして毎年続く不作。土壌は完全に出来上がっていた。
 小さなコモモが縛り上げられた。村人たちは生きたままコモモを火にかけようとした。
(ごめんなさい、お母さん)
 コモモは自分が助からないことをもうわかっていた。
 暴行を受け、あちこち骨も折れている。だがもう涙は出なかった。母親が死んだときに出し尽くしたのだろうか。
(幸せになるという約束は守れません。でも)
 今にも火をつけられそうになったコモモは、笑った。
(幸せになりたいです。希望だけはずっと持っています)
 目を閉じた。もはやこれ以上、考えることは何もなかった。
「そこまでだ!」
 男の声が響いた。
 ぼんやりとした頭で状況を把握しようとする。村人たちが次々に捕まっていく。たくさんの黒い服の人たちが、村人を捕まえていく。
 そして、サングラスをかけた男たちの一人が、自分のところまで近づいてきて、自分の縄を解く。
「君が桜井コモモか。間に合ってよかった」
 サングラスの男が笑顔もなく、だが優しくコモモを抱き上げる。
「まずは怪我の治療と、栄養の補給だな。申し訳ないが、君の意思はこの際無視する。君の命が優先だ」
「わたしの、いのち……」
「そうだ。まずは元気になってからゆっくりと話そう」
 コモモを抱き上げた男は自分一台の高級車に乗り込む。
「ネルフ管轄の救急病院へ」
 車は大きな振動を出すこともなく出発する。
「体が痛むだろうが、もう少しだけ我慢してくれ」
「おじさん、だれ?」
「私の名前は剣崎キョウヤ。昔、君のお母さんにお世話になったものだ」
「お母さんに?」
「君のお母さんはセカンドインパクト前に教師をしていてね。私は彼女の生徒だった。生徒のことを第一に考える、優しい先生だった。生徒たちはみんな、君のお母さんに憧れたものだった」
「おじさんも?」
「おじさんもだ。先生には感謝している。とてもまともな職とはいえないが、それでも人の役に立つ仕事をしているのは先生のおかげだと思っている。先生の訃報を聞いて、そして君のことを聞いて、すぐに駆けつけた。もし君や先生のことを知っていたなら、もっと早くに保護ができたのだが、すまない」
「おじさん、お母さんのこと、好きだったの?」
「そうだな。憧れてはいた。昔の話だが」
「おじさんが、私のお父さんなら良かったのに」
 するとキョウヤははじめて苦笑した。
「そんなことを言われたのは初めてだ」
「キョウヤさん。助けてくれてありがとうございます」
「礼儀正しいな。お母さんの教育かな」
「お母さん、親切にしてくれる人には礼儀正しくしなさい、って」
「そうか。お母さんらしいな。生きている間にもう一度会いたかった」
 そして車が都市のネルフ管轄病院に到着する。すぐにコモモは運ばれて、緊急処置がとられた。折られた骨よりも栄養不足の方が重症だった。食事で回復できるレベルではなかった。もし暴動が起こっていなかったとしても、あと数日で倒れるレベルだったのだ。
 三日間の集中治療室の処置のあと、個室に移された。一人で寂しかったが、ここには自分を傷つけるものは何もなかった。
 やがて剣崎キョウヤが姿を現した。
「キョウヤさん」
「大丈夫か、コモモ」
「大丈夫」
 体の痛みはほとんどなくなっている。骨もヒビ程度で、二ヶ月から三ヶ月で完全に治癒するとのことだった。
「君がよければ、これからのことを話したいと思う」
「これから?」
「そうだ。君はお母さんのほかに、身寄りがないのだろう?」
「身寄り?」
「親戚とか、知り合いとかだ」
「いません」
「もしよければ、おじさんのところに来ないかい」
「キョウヤさんのところ?」
「そうだ。私も仕事で世界中を動き回っている。コモモを一人にしてしまうことが多いかもしれない。それでも、自分の権限でコモモのことは守ってあげることができる」
「お願いします」
 コモモはしっかりと頭を下げた。
「私、お母さんと約束しました」
「約束?」
「はい。幸せになるって」
 コモモはもう泣かなかった。
 母親と過ごしてきたこの一年で、全ての涙を出し尽くしたように。
「好きな人をつくって、その人のお嫁さんになるんです」
「それはいい夢だね」
「はい。お母さんは死ぬ最後まで、私に幸せにって言ってくれました。だから、私は絶対に幸せになります。それがお母さんのためになると思います」






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