適格者番号:130900008
 氏名:桜井 コモモ
 筋力 −C
 持久力−S
 知力 −B
 判断力−B
 分析力−C
 体力 −D
 協調性−A
 総合評価 −B
 最大シンクロ率 15.338%
 ハーモニクス値 32.54
 パルスパターン All Green
 シンクログラフ 正常

 補足
 射撃訓練−B
 格闘訓練−C
 特記:法律上の保護者は剣崎キョウヤ。












第佰拾肆話



「でも、終わったことだ」












 そういう理由もあり、コモモは剣崎キョウヤに引き取られて過ごすことになった。新年度を迎える前に傷は完治した。建設ラッシュ中の第三新東京へ引越した。ちょうど四月から小学一年生。コモモはこれから『普通』の子供として学校に通うことになった。
「髪と目を染めて、普通の子供になってもかまわないか」
 キョウヤが言うと、さすがにそれは抵抗があった。母親は自分の髪と目を嫌わないでくれた。それを隠したくはなかった。
「もし、君の髪と目が人と違うことが分かれば、またこの前の村と同じことになる。自分はコモモに傷ついてほしくない」
 キョウヤの頼みを断るわけにはいかない。ただでさえ大量の迷惑をかけているのだ。少しくらいは言うことをきかなければいけないだろう。最後にはコモモも了承した。髪はネルフ特製の染付けで黒く染め上げられた。目はカラーコンタクトを入れる。一日くらいならずっとつけていても大丈夫な、目に負担のかからないネルフの特製品だ。
「名前は変えないのか?」
 この頃にはコモモも当初のですます調ではなく、普通にキョウヤと話せるようになっていた。
「名前?」
「私の名前。剣崎コモモって」
「何を言っているんだ、コモモ」
 それについてはキョウヤの方が大反対した。
「君はお母さんの子供だろう。君の苗字は『桜井』以外にはない。お母さんとのつながりを簡単になくしたりするものじゃない」
「ごめんなさい」
「いや、君が私のことを考えて言ってくれているのはわかるし、謝ることじゃない。でも、君は君で譲らなくていいところまで譲る必要はないんだ」
 と、万事このような調子でコモモはキョウヤと暮らすことになった。
 四月になって、いよいよ入学式。キョウヤは仕事で来られなかったが、そんなことでコモモが文句を言うはずもない。一人で学校に行き、一人で席について、一人で式を受けた。
 違和感があった。
 自分と同い年の子供というのは、こんなに幼いのだろうか。どうしてこんなにも考えずに生きていられるのだろうか。
 帰ってからキョウヤのために食事を作る。このところすっかりコモモは食事当番になっていた。一度深夜まで帰ってこなかったキョウヤが悪く思ったのか、食事が必要かどうかを留守番電話に残してくれるようになった。緊急に帰れなくなるとすぐに連絡が来るようになった。
 入学式の日はキョウヤも遅くなることなく、午後八時には帰宅した。それでも成長まっさかりのコモモには眠たい時間だ。
 コモモが尋ねるとキョウヤは頷いて答えた。
「コモモが、一足飛びに成長してしまったんだな」
「私が?」
「去年一年間で、君は普通の子供にはありえないほどの体験をした。それが君の精神を鍛えてしまったのだろう。成長するのは悪いことではない。ただ、普通の子供のようにはもう過ごせないかもしれないな」
「普通の子供が、あんなに幼いのなら、私、子供じゃなくてもいい」
「それでもいい。コモモが思う通りに過ごせばいい」
「うん。私、キョウヤさんのお嫁さんになりたい」
「そうか。じゃあ、コモモが成長するまで待たなければいけないな。コモモが結婚できる年齢になるまであと十年もある。私はもう三十歳を軽く超えているぞ」
「いい。私、キョウヤさんが好き」
「ありがとう、コモモ」
 そうして一年、また一年と時間が過ぎていく。
 コモモはそれなりにクラスメートと仲良くしていたが、やはり同年齢の子とは話がかみ合わなかった。掃除、洗濯、買い物、料理と一通りのことをこなしているコモモにとって、毎日をただ面白おかしく過ごしている子供たちと話があうはずもなかった。
 一度クラスメートと一緒に『おままごと』をしたことがあるが、何が楽しいのか分からない。料理など毎日作っている。人形の服を着せ替えることの何が楽しいのか分からない。それより食べ物を粗末にすることの方がずっと許せなかった。給食を残すことが許せなかった。あの村ではこんなにたくさんのものを食べたことがない。それを平気で残すクラスメートたち。
「食事を残すなんて、絶対に許せない」
 それは貧しかった去年までを思えば当然のことだ。米一粒を手に入れることがどれほど大変だったか、あの貧しさを知っているからこそ、コモモは絶対に無駄なことをしない。ものに対してありがたみを感じて使う。
「コモモの考えは当然のことだ。それを言うことはかまわない。だが、その考えは他人に押し付けない方がいい」
「言ってもいいけど、押し付けない?」
「そうだ。人間はみんな自分が一番だと考えている。コモモの考えは客観的に正しいが、それを認められない人間もいる。そうした人間とコモモの意見がぶつかった場合、おそらくコモモは負けてしまう」
「どうしてだ?」
「人間は楽をしたがる生き物だからだ。食べたくないものを食べない、いやなことはしたくない、質素倹約なんて真っ平だ。そんなことを考える人間はコモモが考えている以上にずっと多い。コモモは圧倒的少数派で、きっと負けてしまう」
「正しいことが常に強いとは限らないということか」
「そうだ。だからコモモはまず味方を探すことから始めるといい。自分と同じ考えの人間は誰なのか。自分の考えを受け入れてくれる人は誰なのか。そうした見極めをすることは大切なことだ」
「分かった。キョウヤさんが間違ったことを言うとは思えないから、そうする」
 コモモはそうして回りの言動を気にするようになっていった。と同時に、どう立ち回れば周囲の人間を喜ばせることができるようになるかが分かっていった。自然とみんなのリーダーとして好かれるようになっていった。
 だが、幸せは長くは続かなかった。
 小学三年の夏。体育のドッジボールで、ボールがぶつかった際にコンタクトが落ちた。左右の瞳の色が違うことに気づいたクラスメートたちが騒ぎ立てた。
 コモモはこうして再び『異端』となった。
 赤い目。気持ち悪い。何あの子。ずっとごまかしてたんだ。普通の振りをしていたんだ。
 コモモはこうした現状を素直にキョウヤに相談した。キョウヤはすぐに転校の手続きを取った。ためらうことはなかった。
「すみません、キョウヤさん」
「何がだ?」
「私の不注意で、こんなことになってしまって」
「いや、自分こそ最初から隠そうとしていなければ」
「ううん。最初から隠していなかったら、こんなに長くはいられなかったと思う。だからキョウヤさんには感謝している。本当に」
「そうか」
「うん。だから本当にごめんなさい。私の不注意だった。体育のときとかは気をつけるようにする」
 プールの授業では髪の色が落ちたりコンタクトが外れたりするかもしれない。他にもドッジボールのようにぶつかってしまうものも危険だ。
 転校した先で、コモモはまた人気者となった。三年生なのに周りへの気遣い、優しさはずば抜けていた。最初のうちはやっかみを持つ者もいたが、コモモは分け隔てなく誰にでも優しいので、次第にクラスの中にコモモを嫌うものはいなくなった。
 小学校五年生になったとき、世界で適格者の選抜が行われるようになった。選抜するのはネルフ。当然、コモモはキョウヤが所属する組織だということは知っていた。
「適格者というのはどうやったらなれるんだ?」
「血液検査をするだけだ。それで資質を確認する。資質があるなら適格者になれる。確率は二、三%程度らしい」
「私がそれを受けることはできないか?」
「保護者の承諾があればできる」
「それなら私、適格者になる。承諾してくれるか」
「駄目だ」
 だが、きっぱりとキョウヤは反対した。
「どうしてだ?」
「コモモは幸せになるのだろう? それなら適格者などなる必要はない。そんなことは別の人間に任せておいて、コモモは幸せになることだけ考えろ」
「これも私が幸せになるために選ぶ道なんだ」
 小学校五年生になって、随分とコモモは大人びたものの言い方をするようになっていた。
「キョウヤさんはきっとそうした適格者を選んだり、守ったりする役目なんだろう?」
「そうだな」
「だったら、私が適格者になれたら、キョウヤさんとしてもありがたいんじゃないのか?」
「既に世界中で何百人という数の適格者が登録されている。そこにコモモが入る必要などないだろう」
「キョウヤさんの役に立ちたいんだ」
 コモモが真剣な眼差しで訴える。
「分かった。だが、もう少し待ってくれ」
「もう少し?」
「これから、ネルフでは大掛かりなプロジェクトが行われる。コモモにはそれに参加してもらいたい」
「キョウヤさんの役に立てるのか?」
「かなり。それに、資質さえあれば適格者にもなれる。適格者として訓練を受けるだけでお金を稼ぐこともできる」
「本当か!?」
 コモモの食いつきの良さは今までにないほどだった。早く一人前になって自分でお金を稼ぎたいと言っていたコモモにとっては、お金も稼げてキョウヤの役に立てる仕事は天職といってもいい。
「早く、早くやらせてくれ!」
「慌てるな。まだ一年も先のプロジェクトだ。計画もまだ始まったばかりだ」
「私には教えてくれるのか?」
「資質があればな。なければそれまでだ。自分はコモモが適格者になることは、本心では反対なのだから」
「分かった。いずれにしても私次第ということだな」
 それからコモモはネルフのことについて勉強を始めた。エヴァンゲリオンのことや、世界各国の情勢も。キョウヤにとって必要な知識を少しでも吸収しようとした。
 そして、二〇一三年の七月を迎えた。コモモは六年生になっていた。
「来月、適格者試験を受けてくれ」
「ついにか」
 コモモは満面の笑みだった。
「それに合格して、二〇一三年九月生になってほしい」
「もちろんキョウヤさんの言う通りにするけれど、何か理由があるのか?」
「守ってほしい人間がいるんだ」
「名前は?」
「碇シンジ。いずれ、エヴァンゲリオンを操縦してこの世界を救う少年だ」
「碇、シンジ」
 その名前をインプットする。
「世界を救う少年か。じゃあ、その少年を守ることで私は世界を守ることに協力できるんだな」
「そうだ。責任は重大だ」
「任せてくれ。私の力のすべてを使って必ず守ってみせる」
「頼む。それから、守るというのはただ肉体的にという意味だけではない」
 その言い方では何を期待されているのかが分からない。「どういうことだ」と聞き返す。
「碇シンジは心の弱い少年だ。他人との触れ合いを極端に怖がっている。だから」
「仲良くしてほしい、っていうことか?」
「そうだ」
「分かった。私に嫌いな人なんていないからだ。お安い御用だ」
「嫌いな人はいない、か」
 キョウヤがサングラスの奥から、じっとコモモを見つめる。
「こういうことを聞くのはなんだが」
「キョウヤさんなら何を聞かれてもかまわない」
「あの村の人間たちも、お前は嫌っていないのか?」
「もちろんわだかまりはある」
 コモモは強く頷く。
「でも、終わったことだ。憎んでいてはそこから先に進めない。お母さんを亡くしたのは悲しいし、残念だ。でも、そのおかげで私はキョウヤさんに会えた。私はキョウヤさんに感謝しているし、キョウヤさんにめぐり合わせてくれた全てのものに感謝している。あの村のこともそう考えれば、嫌うことなんかない」
「そうか。コモモは強いな」
「私を強くしてくれたのはお母さんやキョウヤさんのおかげだ。立派な大人を見て育ったから私も立派になった。立派だよな?」
「ああ。コモモは立派だ。自慢の娘だ」
「嬉しい」
 コモモはにっこりと笑った。






「そうして私は、適格者になった。もともと私はキョウヤさんの役に立ちたくて適格者になったし、シンジと仲良くなったのもそのせいなんだ」
 やはり出会い方を聞くと苦しい。だが、問題はその先だ。
「今はどうなの?」
「もちろんシンジが好きだぞ」
 小さな胸を張って答える。堂々としたものだった。
「私に嫌いな人はいないけど、でも好きには順番がある。私にとって一番はキョウヤさん。シンジとレイさんが二番目だな」
「綾波も?」
「うん。レイさん、可愛いし、それにほら、私と同じ目の色をしているから、なんとなく」
 そういう理由で気に入るのは相手に失礼だと分かっていながらも、それを否定しない。それがコモモの潔さであり、強さなのだろう。
「私はレイさんがうらやましいんだ」
「うらやましい?」
「だって、レイさんは自分の髪も目も隠さずに生きてきたんだろう? それはシンジのおかげじゃないのか」
「確かに綾波のことは守ってきたつもりだけど、でも喧嘩で一番活躍したのはトウジだよ」
「それでもレイさんはシンジに守られてたんだ。体だけじゃなくて、心も。私には分かる。ただ肉体を守るだけではその人を守ることはできないっていうことが。相手のことを気遣って、心配して、悩んでくれないと、その人の心は守れない。キョウヤさんは仕事の都合で私とはすれ違うことが多かったけど、いつも心配してくれていた。それが分かっているから、私はキョウヤさんのことは無条件に信じられる。私がこうしていられるのはキョウヤさんのおかげだ」
「コモモは、キョウヤさんのことが好きなの」
「ああ。恋かどうかは自分でもよく分からない。ほら、少女マンガとかでよくあるだろ。離れていても相手のことを考えるとか、胸がどきどきして張り裂けそうとか。でも私にはそんな気持ちは少しもない。ただキョウヤさんがいてくれればいいと思ってる。私にとって安心できる場所、帰る場所なんだ。だから多分、私はキョウヤさんを本当の父親のように思っているんだと思う」
「そうなんだ」
「ああ。それに、今は気になっている人が他にいるからな」
「え!?」
 その言葉にシンジが驚く。それを見てニヤニヤとコモモは笑った。
「知りたいか?」
「え、あ、う、うん」
「それなら先に私の質問に答えてくれ。シンジはレイさんと初めて会ったとき、どう思った?」
「初めて?」
「青い髪、赤い目。そうした人間を見て、どう思ったのかって」
「えっと……」
 シンジは顔を赤らめた。
「き、綺麗だな、って」
「綺麗?」
「う、うん。だって、綾波、子供の頃からすごい綺麗だったから」
「そっか」
 コモモは腕を組む。そしてうーんと唸った。
「やっぱりレイさんがうらやましい。ずっとシンジに傍にいてもらえたんだもんな」
「そんなことないよ」
「あるよ。もしあの村で私の隣にシンジがいたら、私はまたきっと違う人生があったと思う」
 そしてコモモはその場でコンタクトを外した。
 ゆっくりと目を開いて、赤い瞳がシンジを射抜く。
「どう、かな」
「えっと」
 赤い目のコモモ。いつも見慣れているはずのコモモ。
「ちょっと違和感があるけど、でも、うん。綺麗だよ、コモモ」
「なんだかとってつけたような言い方だな」
「そんなことないよ、本当に──」
「分かってる。シンジに嘘なんてつけないもんな」
 コモモは笑うと、シンジの傍にするりと近づいて、その唇を頬にあてた。
「お前だよ」
「え?」
「今、一番気になってるのは、お前さ、シンジ。ああ、勘違いするなよ。気になるっていうだけで、好きかどうかなんてまだ全然分かってないんだから」
「う、う、うん」
「ただ、そうだな。さっきの少女マンガみたいに、気づけばお前のことを考えてるっていうのは当たってるかな。シンジのことが、任務とか何も関係なしに気になってきている」
「え、で、でも、僕は」
「だから勘違いするなって言ってるだろ? シンジがカナメさんのこととかいろいろあるのは当然分かってるし、私もカナメさんほどシンジのことが好きなつもりもないからな。どうこうしようなんて思ってないよ」
 コモモが笑顔で言うと、話はこれでおしまい、と締めくくった。
「だから安心していいぞ、シンジ。たとえシンジとどうやって出会ったとしても、私はお前のトモダチになっている自信がある。だから出会い方なんかでくよくよ悩んでるよりも、こうしてシンジとめぐり合わせてくれたキョウヤさんやすべてのことに感謝したい。シンジはどうだ?」
「う、うん」
「だからこれからもよろしく頼むな、シンジ!」
 コモモが差し出してきた手を、そっとシンジが握る。
 女の子の手だった。柔らかく、そして、優しい手をしていた。






次へ

もどる