四月二十九日(水)。

 この日は祝日。いわゆる『昭和の日』で、適格者たちは一時間目から三時間目までの授業は全てカット、戦略シミュレーションの四時間目も今日に限ってなくなった。そうすると水曜日は午後からは完全オフなので、本部適格者たちには丸一日の休みが与えられたことになる。
 さすがにこういう日は本部の中に閉じこもっている者は少なく、仲間同士で街中へ遊びに行った。本部の中に残っている適格者は半数にも満たず、静まり返っていた。
 技術部としてもこういう時間は必要で、日曜日の起動実験の成果をこの日までにまとめあげなければ今後の運用に関わってくる。もっとも、今週の日曜日はヨーロッパと中国での同時起動実験となり、さすがの赤木リツコ女史もこれ以上海外へ行くことはしなかった。
 ドイツ弐号機を皮切りに、アメリカ、オーストラリア、そして日本と毎週の起動実験も、先週のデータをまとめればそれで終了。後は対使徒を想定したA.T.フィールドの実験に移るだけだった。
(明日はコモモの誕生日か)
 カレンダーを見てヨシノは思う。
 プレゼントはこの間あげたばかりだが、誕生日当日もそれはそれで何か祝ってあげたいものだ。
 自分にとってたった二人だけの、かなわないと思える相手だからこそ。
(そういえば)
 それで、余計なことを思い出してしまった。
(あいつも確か、四月が誕生日だったっけ)
 何日かは覚えていない。だが、確かに四月だった。そう考えると、この間やってきたとき、やけにはしゃいでいたのはそれも原因があったのだろうか。自分がすっかりと誕生日のことなど忘れていたから。
 と、そこへ連絡が入る。通話ボタンを押すと、相手は赤井サナエだった。
『あ、ヨシノさんですか?』
「ええ。どうされましたか?」
『はい。今日は一日オフなので、もしよければ一緒にショッピングでもどうかな、と思いまして』












第佰拾漆話



「はい、あなたの負け」












 この一日オフにランクAの適格者たちは何をしていたかといえば、本当にさまざまであった。ヤヨイは昼まで寝て、おきてからはずっとお茶。カズマは朝からトレーニングを個人で行っており、タクヤも一緒に行っていた。トウジはケンスケと一緒に街へ出ていった。おそらくはゲーセンにでも行ったのだろう。レミは女の子何人かと占い。コウキはカスミと共に部屋にこもっている。
 そして赤井サナエはヨシノを誘って一緒にショッピングへ出かけていた。アイスクリームを食べ、ウィンドウショッピングをし、カラオケで歌いと、サナエの方がヨシノを引っ張りまわして終わる一日となった。
「たまにはこういう一日も悪くないですわね」
 とにかくサナエに引っ張りまわされる形になったヨシノであったが、充分に気晴らしにはなった。
「はい。このところ、ヨシノさんがちょっと元気なさそうでしたから」
「あら、気遣っていただけたのですか?」
「もちろんです。ヨシノさんにはいつも元気でいてほしいですから」
「ありがとう。でも大丈夫よ」
 そしてヨシノは再び笑みを消した。
「多分、私のところは今日だと思うから」
 無論、それは一日一人ずつ行われている、シンジとの面談である。






「私が四番目か。一日一人なんてしないで、全員まとめてやった方がよかったかもね」
「それだと驚くことが多すぎて、僕の方が処理しきれないよ」
 既に三日連続で驚き疲れているシンジであった。多分この後の四日間も驚き続けるのだろう。それはそれで気が重い。
 今回は珍しく場所を変えた。ヨシノの部屋に到着した後で、部屋で話すのは嫌だとヨシノが断り、トレーニングルームに移動した。夜のトレーニングルームは誰も使っていなかった。広いルームにたった二人だけ。
「状況が状況じゃなきゃ、ちょっとロマンチックよね」
「……ヨシノと?」
「なにその『勘弁してください』的な表情は」
 言わなくても分かるものではないだろうか、とシンジは思う。今までのからかわれてきた経験を思えば、おそらくシンジの彼女として一番遠いところにいるのがヨシノだろう。
 だが、シンジはヨシノに対して信頼の気持ちは強い。苦手ではあるが、頼りになる相手。それが染井ヨシノの立ち位置だ。
「正直、私は最後にされるかとも思っていたんだけどね」
「ヨシノと話をするのはちょっと怖かったよ」
「カナメのことがあったからね」
「うん」
「私、まだ、カナメのことは忘れられない」
「僕もだよ」
「でも、ま、今日はそのことを話すわけじゃなかったわね」
 ヨシノは気持ちを切り替える。今日の話題はヨシノ自身。今までずっと隠していた自分の秘密をさらけ出すときだった。
「シンちゃんにとって、鈴原くんや相田くんは幼馴染っていうのかな」
「そうだと思う。小学校がずっと一緒だったし」
「私にも幼馴染に近い存在はいるんだ」
「サラ?」
 それくらいは想像がつく。あのサラとのやり取りを見ていれば。
「そう。あの子と私は、同じ場所で育った幼馴染。まあ、ちょっと特殊な場所だったけれどね」
「SIS?」
「違うわ。私はSISに所属したことなんてないもの」
 SIS=Secret Intelligence Service、いわゆるイギリス情報局秘密情報部。諜報活動を主な任務とするイギリスの情報機関の一つ。現在サラが所属しているのはこの組織である。
「じゃあ?」
「SSって言って分かる?」
「ううん」
「Security Service、略号SS。イギリス情報局保安部。国内の治安維持を目的として動く情報機関で、私はここの年少部に所属してたわ」
「えっと、いつごろ?」
「SSはエリート教育を受けるところでもあるから、私は小学校の年齢になるころにはここに所属してたわ。よくは覚えてないけれど」
「いつまで?」
「十歳まではいたわね。その後は私もカスミと同じで、リトル・トレジャーハンターとして活動してたから」
「リトル・トレジャーハンター?」
「十五歳に満たない子供のトレジャーハンターのことをそう言うのよ。ちなみに世界で一番優秀なハンターは真道カスミ。その世界で知らない人間はいないわ」
 そういえば昨日、ダイチとの会話の中でもヨシノがカスミのことを見ただけで判断していたと言っていたが。
「でも、ヨシノも有名なんだよね。強欲トレジャーハンターだって」
「どこの誰がそんなことを言ったのよ」
「みんなが最初に会ったときに真道くんが言ってたって」
「そういや言ってたわねアイツ。ったく、余計なことばかり言うんだから」
「それで──」
「シンちゃんが気にしてるのは、要するにお母さんのことよね」
 サラとのいざこざで出てきた、母親に関する話。機密を盗んだとか、北アイルランドがどうとか。
「詳しく、教えてくれる?」
「イヤ」
 きっぱりとヨシノが答える。
「って言いたいところだけど、みんなと約束しちゃったからね。シンちゃんにだけは秘密を全部教えるって」
「特別扱いされてるのかな」
「そうよ。それだけみんながシンちゃんのことを気に入っていて、そしてシンちゃんに嫌われたくないと思ってる。ま、コウキの奴は分からないけど、コウキ以外の六人はみんなシンちゃんのことが好きなんだから気にする必要はないわよ」
 まただ。コウキだけは違う、とみんなが言う。だが、ガード制度が始まる前まで一番にシンジを助けてくれたのは、間違いなくコウキだった。
「コウキのことは、また今度本人から聞くよ」
「そうね。今は私の番か」
 少し遠い目をした。壁に背を預けたヨシノが、少し遠くを見るようにして言う。
「お母さんはイギリス情報局に所属していて、私がSSの年少部にいた。そこで私はサラに出会った──」
 そこから話すのがいいだろう、とヨシノは割り切った。






「なんでアジア人がこんなところにいるの?」
 第一声がそれだった。たくさん集まった年少部の中でも一際かわいらしい子供だった。かわいらしいだけに憎たらしかった。何故突然、こんなことを言われなければいけないのか分からなかった。
「ここはあなたみたいな人がいていいところではないのよ。早くお帰りなさい」
「分かりました」
 別に自分はこんなところに来たくて来たわけではない。母親が是非にと言うから仕方なく来ただけなのだ。それで拒否されるのなら願ったり叶ったりだ。
 というわけで少女はその日、すぐに自宅に戻った。その夜、母親が戻ってくると『明日から、またちゃんと行ってね』と笑顔で言った。事情は全て分かっていると言っていた。行きたくはないが、母親の頼みなら仕方ない。
「でもお母さん。あそこにいた人は、私を歓迎してくれなかったみたいだよ」
「うん。その話が後で分かって、みんなもう上へ下への大騒ぎ。そもそもサクラちゃんがSSに行くことになったのは、おえらいさんがみんなサクラちゃんを是非通わせてほしいって言うものだから、お母さんも仕方なく了承しただけなのにね。現場の女の子が追い返したっていうから、その子、多分一晩中叱られてるんじゃないかしら」
「サクラ、もしかしてその子に悪いことしたかな」
「ううん。サクラは立派だわ。サクラは自分の思ったようにしただけ。それでいいのよ。あなたはイヤなことがあったらイヤだとはっきり言えばいい。あなたにはそれだけの資格があるのだから」
「うん、分かった」
 次の日、同じようにSS年少部へ行くと、昨日の女の子がまた近づいてきて、自分をにらみつけた。
「あなた、いったい何なのよ!?」
「そういうあなたはいったい何なのですか?」
 怒っている少女に対して、自分は冷静に対応する。
「私はサラ・セイクリッドハート。この年少部で一番の成績を取った人間よ。それなのに、あなたを追い返しただけで叱られなきゃいけないって、どういうこと!?」
「さあ。私は何も知りません。知りたければどうぞ、ご自由に訴えてください。それともまた私を追い返しますか?」
「追い返さないわよ! あなた、名前は?」
「サクラといいます」
「いいわ。サクラ、勝負よ!」
「は?」
「勝負と言ったのよ! 負けた方は勝った方の言うことをきく。これでどう?」
「お断りします」
 あっさりと少女は答えた。「なんでよ!」とサラが怒る。
「私と勝負するのが怖いの!?」
「はい。負ける勝負をする必要がありません」
「あら、勝負する前から負けると分かっているの?」
「あなたは試験で一番の成績を取ったのでしょう。私の力はそんなに高いわけじゃありません。どうぞご自由に振舞われてください。私とは関係のないところで」
 自分も相手の邪魔をしないから、相手も自分の邪魔をしないでほしい。明確に距離をおきたいと宣言する。
「イヤよ。ここまで言われて引き下がれないわ。ルールはあなたの好きなようにしていいから、それで勝負しましょう!」
 やれやれ、と冷めた少女は内心でため息。自分につっかかってくる理由が分からないが、いずれにしても自分と遠いところにいてくれればそれだけでいいのだが。
「分かりました。ではルールを決めます」
「やるのね?」
「はい。ルールは簡単。相手との距離を置く勝負です。先に相手に話しかけた方が負け。これでいいですわね?」
「いいわよ。何があっても話しかけたりなんかしないんだから」
「はい。ではこの瞬間からスタートです」
 サラはすぐにその場を飛びのく。そして少女はそんなサラにかまわず読書を始めた。
 これでサラは二度と自分に話しかけてこないだろう。
 ようやくこの場で平穏な場所が手に入った瞬間だった。
 が、その日が終わるより早く、あっけなく勝敗は決する。
「なによなによなによーっ! あなた、全然私に話しかける気なんかないんでしょーっ!」
「はい、あなたの負け」
 一日くらい何も言わずにいられないのか。この口やかましい子と一緒にいるのは気分が悪い。
「もっと何かないの、こう、お互いの力を競い合う勝負は!」
「いずれにしてもあなたの負けです。負けた方は勝った方の言うことを何でも聞くという条件でしたね」
「ううううううー!」
 サラはうなるが、約束を反故にするつもりもなかったらしい。変なところで律儀な少女だ。
「いいわよ、じゃあ命令は何!?」
「金輪際、二度と私に勝負をしないでください」
「い、い、イヤよ!」
「ルールを破るの?」
「だ、だって、サラはあなたともっと話したいもの!」
 言っている意味が分からない。つまり、なんだ。
「あなた、友達作るの下手でしょう」
「何で分かるのよ!」
 これが分からずにいられるか。
「友達を作りたいのでしたら、その憎まれ口をきくのはやめた方がいいです」
「で、でも」
「しばらくの間は、私が面倒を見てさしあげますから、友達ができたらそれまでですわよ」
 見た目にサラの顔が輝く。まったく、優しくしてほしいなら自分から優しくすればいいのに。
 それから二人の腐れ縁が始まった。サラは確かに優秀で、少女はまったくお話にならなかった。とはいえほとんどの場合、少女はサラについで二番目の位置を常にキープしていた。SS年少部の優秀コンビ。サラは嬉しそうだったし、自分も別にイヤではなかった。
 時折、サラを紹介することもあったが、残念なことに初対面の相手にはとことん居丈高になるサラはやはり友達ができなかった。他の同僚からは「よくサラとつきあっていられるね」と言われるが、別につきあってみればサラは悪い相手ではなかった。問題はつきあうまで、慣れるまでが難関なのだ。実際、彼女もそうだったのだから。
「私、サクラには感謝してる」
「そうですか」
「サクラがいなかったら、私、多分早くにSSをやめてたと思う」
「でしょうね」
「何よそれ」
「思ったことを言っただけです」
「はあ。だからサクラにはかなわないのよね。私のことを何でも知ってるっていう感じで」
「ええ、あなたのことはよく分かります」
 優秀で、人懐こくて、それでいて誰より油断ならない相手。
「私はそれほど長くここにいられるわけではありません」
「そうなの?」
「お母さんは今、イギリスに雇われています。だから私もここにいます。でも、お母さんが日本に戻るとなれば、当然私も戻らなければいけません」
「情報局の中枢にいる人が、素直に国に帰れるとは思わないけど」
「ええ。このままイギリスに残っていられるといいけど」
 そんな会話をしたのは、二人が十歳になって少し後のことだった。
 二人の別れは、もう目前に迫っているということを、少女はまだ知らなかった。






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