四月三十日(木)。

 祝日があければ通常のカリキュラムが戻ってくる。朝から授業を受けて、訓練、テスト。そうして一日は普通に過ぎていく。
 この段階でまだシンジと話をしていないのはジンとカスミ、それからコウキだ。シンジとしては誰から話を聞けばいいのかが分からない。無難なところではジン、何かと世話を焼くのがカスミ、そして一番正体が知れず誰からも不安視されているコウキ。
「なあ、シンジ」
 そんなシンジに話しかけてきたのはカスミだった。ぐい、と肩を抱いて小声で話しかける。
「今日は、俺のところに来いよ」
「え?」
「今日の方が俺にとっちゃありがたいんだよ。明日は彼女が部屋に来るからさあ」
 どっと疲れる。そういう理由ならわざと明日にしてやろうか、とか意地の悪いことも考える。
「……本気で話す気があるの?」
「大有りさ。明日、彼女がいる前じゃ本気の話はできないだろ?」
 そういう問題だろうか、とシンジは頭を悩ます。だが、せっかくの誘いだ。その場で決めた方が自分もいちいち悩まなくていい。
「分かった。行けばいいんだよね」
「そう言ってくれると思ってたぜ。というかな、俺にしてみれば、残りの二人はどっちも難物だぜ」
「コウキと、ジンくん?」
「ああ。ジンの奴はまだ背負ってるのが重過ぎるだけなんだけどな。コウキの奴は何を考えてるのか俺でも分からねえ」
「真道くんは、みんなの事情を知ってるの?」
「割と、な。全員の秘密は多分俺が一番詳しい。つっても、表面的なもんだけだけどな。詳しいことはそれぞれに聞かないとわかんねえぜ」
 確かに、ダイチくらいなら調べれば分かることなのかもしれないが、コモモやヨシノなんかは調べても情報が追いきれないだろう。エンもだ。それだけ、この二〇一三年九月組は普通じゃない人間ばかりがそろっている。
「みんな過去にいろいろあるのは偶然じゃないんだよね」
「そういうことだ。優秀っていうだけじゃお前のガードは務まらないんだよ。命をかける覚悟があるやつじゃないとな」
「僕は、そんなこと」
「分かってる。でもな、覚えとけ。お前が死んだら世界は滅びるんだ。俺たちは別に死んでも代わりがいる。それを忘れるな。お前の義務は生き残ること。俺たちの義務はお前を生き残らせることだ」
「真道くん」
「ま、くわしくは後で話をしようぜ。俺の話も、他の連中とタメはるくらい面白いはずだからな」
 ニヤリと笑ったカスミは、相変わらず自信満々だった。












第佰弐拾話



「俺に仲間なんていねえよ」












 訓練が終了してから、シンジが部屋にやってくるまでには少しの時間がある。カスミはその前に一つ、課題を片付けておくことにした。
 彼が向かったのはトレーニングルーム。火曜日の動きから、おそらくは今日もここに来ているだろうと見当をつけていた。
 そしてやはりそこに彼女はいた。
 マリィ・ビンセンスと呼ばれている、アメリカのランクA適格者。
「よう、一人でトレーニングとは、精が出るねえ」
「……真道、カスミ」
 トレーニングをしていた彼女の隣に腰を下ろしたカスミを見て顔をしかめた。
「この二年近く、お前の名前をトレジャーハンターの間で聞かなくなっていたからどうしていたのかと思っていたが、まさかネルフに入っていたとは盲点だった」
「ようやくゆっくりと話せるな。ま、元気みたいで何よりだ」
「三年も放置しておいて今さらか? だいたいお前もお前だ。全く連絡も寄越さないと思っていたら、ネルフ本部にお前の顔があったんだからな。正直、驚いた。しかもお前ときたら完全に初対面の挨拶をするものだから、どうしていいかわからなかったじゃないか」
「いや、ありがたかったぜ。あんたの演技は最高だった」
「今はもういいのか? こうして話していても」
「三年前のことを誰にも勘繰られなければどうでもいいさ。あんたとはもう顔なじみだ。いつものように、お調子者の真道カスミがアメリカのランクA適格者を口説いている。それで通る」
「相変わらずだな、お前は。だいたいどうして、お前はネルフに入ったんだ?」
 彼女の厳しい視線に飄々とした様子で、
「ケリをつけたい相手がいるんでね」
 笑いながら、カスミは答えた。
「宝でも何でもないのか? お前がネルフに入ったのはもう二年近くも前のことだろう。それだけの時間をかけてお前は何を狙っている?」
「ま、エヴァに乗るとかっていうつもりはねえよ。俺のシンクロ率なんて本当は嘘っぱちだからな。誰がどうやってるのかは知らないが、俺は適格者としての資格なんか持ってない」
「シンクロ率を出せないのに適格者だというのか?」
「俺らの代はいろいろあってな。位置づけが特殊なんだよ。単なる適格者集団ってわけじゃない」
「というより適格者ではない、ということか」
「そういうこと」
 彼女は腕を組んでカスミを睨みつける。
「では一つ教えてもらおうか。お前にとって、碇シンジというのは仲間か? それとも単なる──」
「俺に仲間なんていねえよ」
 カスミは手を上げて答えた。
「ただまあ、シンジもそうだが、今の連中とつるんでるのは悪くねえと思ってるよ」
「そうか」
 彼女は頷く。
「お前にも人並みに感情があったのだな」
「殴るぞてめえ」
「お前がフェミニストだということも知っている。女を殴れない程度にはな」
「時と場合によるぜ」
「今はその時なのか?」
 どうやら形勢が逆転したらしい。やれやれ、とカスミが愚痴る。
「あんたの姉さんだけじゃなく、俺はあんたにもかなわないらしい」
 彼女は苦笑した。
「お前は自分が思っているほど、感情を殺せるタイプではない。だからこそ私はお前のことを気に入っていた。放っておけない男だった、と言った方がいいかな」
「勘弁してくれ。俺は誰かを特別な相手にするつもりなんかねえんだ」
「お前の女性遍歴も知っている。安心しろ。私も男としてのお前に興味はないし、お前が好きなのは私の姉だったのだろう」
「誤解だぜ」
「皮肉の一つくらい言わせろ。残念だったな、助けられたのが私で」
 カスミは肩をすくめた。
「まあいい。お前が何を企んでいようともかまわないが、私やアイズ、それに碇シンジと敵対するようなことはないのだろう?」
「ああ。それは約束できるぜ。そういう契約だったしな」
「なら、お前はお前の思う通りにやるがいい。せっかく助かった命だ。重宝するのだな」
「ご忠告、どうも」
 そうしてカスミが立ち去り、彼女は再びトレーニングを始めた。
(食えない男だな、真道カスミ)
 三年前、自分の前に現れたときの少年を思い返す。
(お前に憧れていたあのときの自分は、本当に少女だったな)
 自分を笑う。今となっては、そんな気持ちになったこと自体が嘘のようだった。






 シンジがカスミの部屋を訪ねると、カスミはコンピューターに向かって作業中だった。少し待ってくれ、とカスミが言うので椅子に座っておとなしく待つ。
 ほんの二、三分でカスミがコンピューターを閉じてやってくる。悪い悪い、と悪くなさそうな表情で言う。
「何してたの?」
「情報収集。この間のキャシィ・ハミルトンみたいなAOCの調査をしてたんだが、ガードが固いのなんのって。さっすがCIAだよなあ」
 CIA。Central Intelligence agency──中央情報局。アメリカの対外諜報組織だ。
「キャシィみたいなのが何人もいるの?」
「まあな。だいたい、お前だって一人知ってるだろ」
 野坂コウキ。キャシィがAOC構成員だと決めつけた人物。そしてコウキもカスミもそれを否定しなかった。
「コウキは今はAOCじゃないんだよね」
「ああ、それは間違いない。ま、あいつの事情はあいつから聞けよ。お前のことをどう思っているかはともかくとして、味方なのは間違いないから」
 まただ。何故かみんなコウキのことを悪く言う。よほど人から見るとそうなのだろうか。
「今日は俺の話だ」
「うん」
「まあ、俺もさすがに他の連中より修羅場くぐってる回数多いから、何から話していいのか分からないんだけどな。うちの母親がトレジャーハンターで、まあ世界で他に並ぶものがいないってくらい、とんでもない奴なんだが、その影響で俺も八歳の頃からスコップ片手に世界中を飛び回ってたわけだ」
 全然想像がつかない。八歳というと小学校三年生か。シンジはその頃、綾波をイジメから守るのに奔走していたところだ。トウジやケンスケが数少ない友達だった。
「最初の捕り物から命がけだったんだが、まあ運よく助かってお宝もゲットできて、おかげで大人に混じってトレジャーハンター三昧だったぜ」
「学校は?」
「俺、日本国籍ないから」
 さらっと言った。
「じゃあ」
「ネルフは国籍要件ないからな。ま、裏でキョウヤサンがいろいろと手を回してくれたんだろうけど」
「やっぱり、剣崎さんとは知り合いなの?」
「というか、碇シンジプリンセスナイツの事実上の創設者だぜ」
 まあ、予想はしていたことだったが、改めて言われると堪える。
「プリンセスナイツの人選はコウキを除いて全部キョウヤサンが決めたんだ」
「コウキだけ違うの?」
「らしいぜ。あれは本部筋。冬月副司令から送られた人材らしい。詳しくは俺も知らないぜ」
 話を戻して、とカスミが物を持ってくる動作をする。
「日本国籍ないのに合わせて一緒に教えておくけどな、俺、本当は適格者ですらない。これはまあ、他の連中もだいたいは同じだと思うけどな」
「うん。他のみんなにも資質のない人がいるのは知っているけど、誰がそうなのかはまだ知らない」
「俺の知ってる限りなら、コウキとコモモ以外は全員適格者じゃない、単なるガードだ。まあ、そのことを知らされていない奴もいるかもしれないけどな」
 なるほど、そうしたらエンやダイチが『適格者ではない』ということを告白しなかった理由が分かる。
「ヨシノは知ってた」
「そうらしいな。俺もヨシノのことはキョウヤサンから聞いてるけど、最後に仲間にしたのが一番大変だったって言ってたぜ」
 それはそうだろう。単身イギリスまで行って寝ずに調整するくらいなのだから。
「だいたいキョウヤサンのお眼鏡にかなったとしても、適格者の可能性なんかせいぜい二%かそこらしかないんだ。キョウヤサンに七人が選ばれたとしたら、適格者なんか確率的に一人もいないって考える方が普通だろ」
 そうかもしれない。別にエヴァを動かすのではなく、シンジを守るためだけならば、別に適格者である必要はないのだ。だとしたら適格者ではないのが一人だろうが全員だろうが違いはない。シンジより先にランクBになっておいて、いざというときに守れればいいのだから。
「マキオくんのとき、どうしてみんなが助けに来てくれたのか、ようやく分かったよ」
 シンジはため息をつく。今年の二月、桐島マキオや佐々ユキオの件で、ついにプリンセスナイツは活動の場を得たのだ。一年以上もじっと待たされて、ようやく活躍できるようになったのだ。張り切らない方がどうかしている。
「ただな、シンジ。考え違いをしているかもしれないけど、俺たちはみんなシンジが仲間でよかったって思ってるんだぜ。これがもしいけすかない奴だったり嫌いな奴だったりしたら、やっぱりやる気しないもんな。お前だからみんなが自分から守ろうとしてくれてるんだ。それを忘れるなよ」
「うん」
「それでいい。さて、それじゃそろそろ本題といくか」
 いよいよだ。カスミがこれまで隠していたこと。それを教えてくれるときが来た。
 一三年九月組の情報を一手に引き受けて、自分たちの行動を常に管理してきたこの男は、いったいこの十五年をどう生きてきたのか。
「四年前だ。俺にとっちゃ、最悪の年だ。俺がネルフに入る原因みたいな事件が起こった」
「原因?」
「ああ。俺がネルフに入ったのはもちろんお前を守るってのが名目だが、ネルフに入らないとできないことがあった。俺がやりたいことが生まれた原因だ。ま、そのおかげでお前や他の連中に会えたってのは幸福だったんだろうけどな」
 四年前。まだ自分がエヴァやネルフなどという組織とは全く無縁だった時期。
「俺がいくつかの宝を手に入れていい気になっていたとき、ある人間に出し抜かれた。それがきっかけさ」






 まだ十一歳にしかならない真道カスミであったが、そのトレジャーハンターとしての実力は既に全世界に広まっていた。
 その真道カスミの元へ届いた一通の依頼状。それは、ある島に隠されたという財宝の在り処を探し出して欲しいというものだった。
 カスミはそれほど興味はなかった。自分で探し当てた情報以外は屑だ。たいていはアテにならない。古い文献や確実な資料をベースに自分で宝を探し、自分で掘り当てる。それ以外のやり方をカスミは知らない。それは彼を育てた母親がそう教えたからに他ならない。
 確かに効率は悪い。だが、カスミの探す財宝はほんの何千万というようなチャチな金額ではない。まさに一生遊んで暮らせるほどの宝をいくつも手に入れていた。
 そのうちのいくつかは売り払い、新しい財宝を探すための経費にしたりしたが、いくつかの宝は今も自分の隠し場所に保管している。
 ただ、トレジャーハンターの一番楽しいところは、金を手に入れることではない。他の誰よりも先に財宝を手にするという名誉。自己満足。そのためだけにトレジャーハンターをしているといってもいい。
 そのカスミの考えからすると、自分で探し当てた資料ではなく、誰かから譲られた資料など価値はない。そのうちの九割九分はガセネタであるし、たとえ一%の真実があったとしても、他人から譲られた情報から探し始めるのはプライドに関わる。そんな宝なら自分はいらない。
 だが、カスミは今回の依頼を引き受けることにした。それは、理由としてはたいしたことではない。あまりにも挑発的な依頼状が自分を駆り立てたのだ。

『この島に使徒に関する秘宝あり。最初に発見したものに秘宝を譲らん』

「使徒ねえ」
 このときのカスミには全く興味のないことだった。あと数年で使徒がこの世界を滅ぼしにかかるらしいが、国連や各国だってのほほんと滅びを待つばかりではないだろうし、滅びたときは滅びたときなのだから、考えても仕方のないことだ。
 だが、使徒に関するものとなればS級の秘宝だ。それを手に入れればまた自分の名声が上がる。欲しいのは他の誰よりも先に秘宝を手に入れたという名誉。それだけだ。
 そしてこの島に招待されるのは自分の他、同じようなトレジャーハンターが四名。
「まあ手に入れるのは俺だけどな」
 やるからには絶対に自分が手に入れる。カスミは口端を上げた。






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