日本政府が現状つかんでいる使徒教に関するデータ。

 教徒  :日本に三千人程度。全世界では五万人規模。
 指導者 :【導師】と呼ばれる五人の人物。
 信仰対象:第一使徒、および第二使徒。
 活動履歴:二〇〇九年アメリカ副大統領暗殺。
      二〇一一年リンツ・カンパニー役員暗殺。
      二〇一三年ロシア大統領暗殺。
 特記  :コードネーム【死徒】と呼ばれる凄腕が暗殺を担当。












第佰弐拾肆話



「本当に嬉しかったんだ」












 逃亡生活が始まった。
 年が明けて二〇一一年。少年はひたすら逃げていた。既に捕まりそうになったこと三回。どこへ行っても必ず手が伸びている。おそらくは警察の力を借りているのだろうが、それにしてもよく自分を見つけられるものだ。
 見つけ方が不規則なので、発信機などはおそらく身につけていないのだろう。念のために衣服は一通り変えておいた。髪型は変えたが、それ以上のことはしなかった。少年というだけで自分はマークされるだろう。だとしたら、誰にも会わないように動くのが一番だ。
 どこをどう逃げてきたのか分からないが、おそらくは第二東京からそれほど離れていないだろう。少年は監視カメラのついていそうなところは全て回避していた。コンビニなどはもってのほかだ。
 マスコミに保護を依頼するのはどうだろうか、とも考えた。気骨あるマスコミなら自分のことを保護してくれるだろう。だが、事なかれでいくつもりなら自分を使徒教に引き渡すかもしれないし、自分を保護してくれたら逆に迷惑をかけることにもなる。
(まだお金はある)
 個人商店などで携帯できる食糧や水を買い込み、徒歩で移動を続けた。
 とりあえず北上を続けていたが、これからどうするか。日本海側か、太平洋側か。
 日本海側に出ることにした。理由はない。ただ斜面が下りだったから楽に歩けそうだというそれだけの理由だ。
 細い道を歩いて降りて、やがて大きな町に出た。ここがどこなのかはもう分かっていない。住所を見ればいいのだろうが、知らない地名しかないので何県に来たのかも分からない。富山か、新潟か、山形か。
 どこでもいい。とにかくまずは今日もゆっくりと眠れるところが必要だ。
 使徒教は今、どのあたりを捜索しているのだろう。自分がいるところに誰もいなければいいが、と考えながら今夜の宿を探す。住宅よりもマンションが多いエリアだ。マンションだと敷地に入るときにカメラに映るのがよくない。それよりもマンションの駐車場に潜むのがいい。車の陰に隠れて寝てしまえば、普通朝まで誰も気づかない。警備が来たところで、人がいるなどと思っていないから警備も手薄になる。
 車が何台か並んでいるところの後ろに座る。もし誰かがここの車を使うようなら、気づかれないようにそっと場所を移動すればいい。それくらいの余裕のある場所を見つけて、隠れる。
 そして朝。人が動き始める前に駐車場を出る。あとは昼間、どこか休憩できるところがほしい。都市の中、子供が一人でゆっくりできる場所はあまり多くない。
(サバイバルができるっていったって、限度があるな)
 自分がどうすればいいのか、まだ分からない。考えても答は見えない。
 いつかは捕まってしまうのだろうか。それだけは嫌だ。だが、どうしようもない。
 そしてついに、そのときが来た。
「見つけましたぞ、若様」
 油断だった。食糧が尽きて、仕方なく近くのコンビニに入った。時間はそれほどかかっていなかったが、それからたったの五時間後、自分の前に現れたのは使徒教の人間だった。
 逃げ出した。だが今度は彼らも万全の態勢だった。逃げ出す先にも使徒教。前にも後ろにも。もはや逃げ出す隙間がなかった。
「今度はもう、逃げられません」
「お前たちはおかしいと思わないのか」
 少年は男を睨んで言う。
「使徒はお前たちを救わない。ただ滅ぼすためだけにやってくる。そんな使徒を迎え入れてどうするつもりだ」
「若様の言葉とも思えぬ! 乱心したか!」
 一斉に襲い掛かられる。相手の人数は八人はいたか。これではもう逃げられない。
 それでも少年は抵抗した。抵抗して、逃げ出そうとしたが、ついに捕らえられた。手を後ろで縛られ、車に乗せられそうになる。そのときだ。
 発砲音と同時に、自分を捕らえていた男がうずくまる。続けて発砲する音。そして一斉に現れる黒い影。
「大丈夫か」
 サングラスの男が少年を抱きしめる。
「俺は大丈夫」
「そうか。この者たちを捕らえるまで、このまま少し待っていてくれ」
 男の手が、しっかりと自分を抱きしめている。
 少なくとも使徒教ではない。そして、使徒教から自分を守りに来てくれた人物であるのは疑いない。
 安心感と脱力感。
 そのまま、少年は事が終わるまで男の腕の中で気を失ってしまった。






 目が覚めると、どこかのベッドの上だった。
 病院だろうか。壁が白い。それに自分の腕につながれている管。よく分からないが栄養剤か何かではないだろうか。
 そして自分が気づくとほぼ同時に入ってきたサングラスの男。
「あなたは」
 起き上がろうとすると、男は手を上げて制した。
「いや、そのままでいい。栄養失調と疲労。君は冗談抜きに倒れてもおかしくないほどの重圧に耐え続けてきた。ここには君を傷つける者はいない」
 まずは安心させるための言葉ということだろうか。ほっとして体を横たえる。
「あなたは?」
「その前に確認をさせてもらおう。君は使徒教の導師の息子、違うかな」
「その通りです。どうして?」
「テロ組織、使徒教の導師が政府に接触したと分かったのはつい数日前のことだ。早く気づけていたら君をあの場で保護することもできたのだが、申し訳ない」
「いえ。じゃあ、あなたはあの場の状況を?」
「君のことは後で聞いた。そのときの目撃証言を全部確認し、監視カメラに映っていた男の顔から使徒教の幹部であることを確認した。そしておそらくは君が叫んだことに間違いはないのだろう、と」
「何でもっと早く」
「君がいなくなってから調べたのだ。その場では無理というものだろう」
 あっさりと男は言う。確かに自分が文句を言う筋合いのものではないが、それにしたところで。
「よければ聞かせてほしい。どうして君は使徒教、それも自分の父親から逃げているのか。そして何をしようとしているのか」
「それより、俺の質問にも答えてほしい」
「何だ?」
「あなたは誰で、そしてここはどこなのか」
「私はネルフ保安部の剣崎キョウヤ。ここはネルフが運営している病院の一つだ。
「ネルフ!?」
「知っているのか」
「知っているも何も、対使徒決戦兵器を作っている、人類の希望の場所」
「希望かどうかは知らないが、その通りだ」
「父親が言っていた。使徒に対抗できるのはネルフだろうって。アメリカ政府や日本政府などより使徒にとっての障害はネルフになるだろうと」
「光栄だな」
「そのネルフの人間が、どうして使徒教の俺を」
「簡単なことだ。君が使徒教の人間なら、君から使徒教のアジトや構成などが分かる。その情報が手に入るのなら、自分から動くのは当然のこと。特に君は首相官邸の事件のおかげで、既に政府筋は信用してくれないと考えていると思ったからね」
 全くその通りだ。だが、自分の行動を見てくれる人は確かにいたわけだ。
「これはあなたの独断ですか、それとも」
「私は組織の中にいるが、自由行動を認められている。つまり、君を助けるも助けないも、私次第だったということだ」
 それを聞いてから、改めて少年は体を起こした。そして頭を下げる。
「ありがとうございます」
「礼には及ばない。私が君を保護するのは、君から情報を得るためだ。いわばこれは、ギブアンドテイクというものだ」
「分かりました。俺に答えられることなら答えます」
 そうして使徒教の幹部やアジトなどを伝える。とはいえ、支部の全てを知っているわけではない。外国の方は導師がアメリカ、中国、ロシア、ドイツにいるという程度しか知らない。そして日本支部については自分の知っているアジトは三箇所だ。
「ありがとう。すぐに戻る」
 キョウヤは一度席を外し、それからまた戻ってくる。
「人を向かわせたんですか?」
「ああ。君をネルフで保護したということはもう伝わっているだろうから、既にもぬけの空かもしれないけどね」
「すみません。俺の意識がはっきりしていれば」
「気にすることはない。一つの手掛かりからまた一つの手掛かりを見つける。捜査の基本だ」
「俺に何かできることはありますか。使徒を倒すためなら何でもします」
「君は」
 一度キョウヤは言葉を切った。
「どうしてそこまで、使徒と戦おうとする?」
「俺は父親からずっと、使徒というものがどういう存在かを聞いてきました。そして話を聞くたびに、使徒が自分たちを守ってくれる存在だなどとは思えなくなりました。使徒は人間を滅ぼすための存在で、自分たちが何をしようとも使徒から守ってもらえるとは思いません」
「だが、君が使徒と戦う必要はないだろう。せっかく助かった命だ、有意義に使うといい」
「使徒教の導師は俺の父親です。だからというわけではないんですけど、何ていえばいいのか、運命的なものを感じるんです」
「因縁があるということか」
「因縁──そうですね、そう言うと思います」
「だが、国連の組織であるネルフが少年を雇うわけにはいかない」
「はい」
「そして君が大人になるよりも前に使徒はやってくる。自分たちが明日の少年たちを守り、君たちはその中で生きていく。君がしなければならないのは生きることだと私は思う」
「生きること」
「そう。君がそれを実現してくれたなら、私たちも命をかけて動いている甲斐があるというものだ」
 キョウヤの言葉に、彼はしばらく考える。そして答えた。
「俺はどうすればいいと思いますか」
「君は今まで導師の息子として、特に使徒の力を持つ者としての扱いを受けてきた。まずはそこで身についてしまった考えを洗い流さないといけない。いろいろなことを体験して『普通』を学び、その上で学校に通えばいい」
「そうですね。確かに今の自分には常識に欠けるところが多いだろうというのは分かります」
「それはやむをえないことだ。君は情報を遮断されて暮らしてきたのだから」
「はい。ありがとうございました」
「おいおい、まさか自分ひとりでそれをやろうと思っていないだろうな」
 キョウヤが苦笑した。
「君はネルフが保護したのだから、ネルフで責任を持って君を教育するのが筋というものだ」
「ですが、ご迷惑では」
「このまま君を帰してしまうと、きっと君はまた使徒教から狙われる。今度は君を守りきれないかもしれない。そうしたら君を守ったことが無駄になる。君はここにいるべきだ」
 確かに自分の命を考えるなら、ネルフの中にかくまわれた方が安全だというのは分かる。だが、
「これも情報料の一部だと思ってくれればそれでいい」
「分かりました。俺の命、剣崎さんに預けます」
「それでいい。ところで、君の名前は?」
「ファヌエル、と呼ばれていました」
「ファヌエル──聖書外典にある、ウリエルの別名か。その名をあらわすのは確か、希望」
「よくご存知ですね」
「職業柄ね。まあ、そんな名前で自己紹介されるのも困るからな。いずれにしても前の名前は捨ててもらわなければ、いずれは使徒教に発見される。新しい戸籍は準備してある」
 そう言って剣崎が手渡してきたカードは、ネルフの個人登録証だった。カードには彼の名前とリーダー、そして新しい名前が書かれている。
『倉田ジン』
「くらたじん……」
 それを上からそっとなぞってみる。別に何も不思議なことはない。ただの名前にすぎない。だが、それがこれから自分の新しい名前になる。
「気に入らないかもしれないが」
「いえ。ただの子供をここまで手厚くしてくれて、感謝しています」
 ジンは深く頭を下げた。
「もし、自分にできることがあったら何でも言ってください。剣崎さんのためなら命もかけます」






 それが、倉田ジンのネルフに来た理由だった。
 それからシンジのサポートが必要になったとき、剣崎が最初に話を持ちかけたのがジンだった。幼年期から彼はリーダーとして育てられたために、同年代では誰よりもリーダーシップを発揮できるはずだったし、彼の期待通りにジンはクセのあるメンバーをまとめあげた。
 ただ、セカンドインパクト前に生まれたという事実は消さなければならなかったので、適格者登録を行うにあたって再度戸籍を書き換え、誕生日をずらしたという作業は必要だったが、それもMAGIの力があればたいしたことではない。
「すまない、シンジ」
 ジンは再び頭を下げた。
「俺はあの組織から完全に手を切っていたし、考えないようにしていた。あいつらの考えからすれば、シンジに目を向けないはずはなかったんだ。それを考えなかったのは俺の落ち度だし、カナメをあんな風に死なせてしまったのも最終的には俺の責任だ」
「そんなことないよ。ジンくんはやれることを全部やってくれた。カナメのときはみんなが最善を尽くしてくれたって僕は知ってる。あのことで一番何かしなければいけなかったのは僕だったのに」
「それは違う。たとえお前が何をしたところで、結局この場にいなかったシンジには何も罪はないんだ。カナメは、あいつは、使徒教の人間だった。それを見抜けなかっただけでも俺の罪は深いし、あの組織を今まで生かしておいたことが何よりも重い罪だ。罪滅ぼしにもならないが、今、俺は剣崎さんと協力して組織の摘発の準備を進めている。MAGIの情報のおかげで新しい使徒教のアジトも分かっている。これから一斉に摘発を始める。だが、カナメはもう戻ってこない。だから本当にすまない、シンジ。俺は」
「大丈夫。誰もジンくんを責めたりしないし、カナメの件は結局、みんなの責任なんだから」
「ああ。それでも、俺は、お前とカナメが幸せにしているのを見て、本当に嬉しかったんだ」
 ジンはまっすぐシンジを見て言う。
「もう知っているかもしれないが、俺は適格者なんかじゃない。セカンドインパクト前に生まれた子供にそんな資格はない。ただ剣崎さんに言われてこのメンバーをまとめあげ、シンジの命を守ることが俺の使命だった。シンジがネルフで苦しんでいたのも知っている。そんなお前を少しでも守ってやりたいと本当に思っていた。そしてカナメと一緒にいるお前を見て、本当に嬉しかった。俺は、お前を自分の弟みたいに思っていたんだよ」
「ジンくん」
「だからシンジ。俺たちを疑っているのは分かるが、みんなお前のことが大好きなんだ。確かに俺たちは使徒を倒すため、その倒す力を持ったお前を守るために集められたメンバーだ。だが、みんなお前のことが好きで、お前のために何かしてやりたいと思うからこそ、みんなが全力を出している。それを忘れないでくれ」
「もちろん。この一週間、その話ばかり聞かされてきて、もう疑ってなんかいないよ」
「ありがとう」
 ジンはまた頭を下げた。ただ、問題が残る。
「でも、最後のコウキはどうなんだろう」
 シンジが尋ねるとジンも顔を曇らせた。
「あいつの本心は、誰も分からない」
 ジンもまた、コウキは信じていないという様子だった。
「あいつは俺たちを仲間だと思っていない。俺は何とかあいつを仲間に引き入れようとしていたんだがな。あいつのガードは固すぎる」
 そういわれると、ますますコウキと話すのがためらわれるシンジだった。
 だが、これで七人中六人と話した。あと話していないのはコウキだけ。
「明日、ゆっくりと話してみるよ」
 これは自分が選んだこと。逃げるつもりはないのだ。






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