御剣レイジ内閣総理大臣。一九六二年生まれ。一九八二年、二〇歳にして司法試験に合格し、検事となる。以後、十二年間検事職を務め、一九九六年の衆議院総選挙で立候補し初当選。その後、法務大臣、外務大臣を経て当選六回目で内閣総理大臣となる。
 内閣支持率は六〇%を切ったことはなく、二〇一二年の組閣から逆風をあびながらも日本を導いてきたセカンドインパクト後最も指導力のある総理大臣である。
 検事時代に決断力を身につけ、常に有言実行で事にあたる姿勢は批判よりも擁護する声の方が大きくなってもやむをえない。
 その彼が一躍脚光を浴びた事件。それが、国際連合本部の日本招致であった。












第佰弐拾陸話



「君が望むなら」












 運命の日といえるのだろうか、少なくともコウキにとっては人生を変える一日の始まりだった。
 表敬訪問は午後二時。とはいえ、自分が暗殺する方法など最初から決めている。毒殺は殺しやすそうに見えるが、実際には解毒治療が早くすめば殺害するのは難しい。かといってナイフや銃を使おうとしてもSPに止められる可能性が高い。
 だとすると、一番確実な方法は自爆。
 爆薬を体に準備しておき、外務大臣が近づいたところで爆発する。自分の命もなくなるが、確実に倒すことができる手段だ。
 孤児院の院長は何も疑うことなく自分を受け入れてくれた。第二東京にいる親戚を訪ねたが見つからず、長野市の孤児院に移ったという友人を訪ねてきたというと、とても優しくしてくれた。
 無論、自分もヒロミもその立場を利用しているだけだ。院長に迷惑がかかろうとかまわない。自分たちはただ任務を遂行するだけ。
 子供たちは「いいときに来たな」とコウキに話しかけてくる。何でも明日、外務大臣の表敬訪問があるというのだ。当然知っていて来たわけだが。
 外務大臣は午後二時より早くに到着した。
 歓迎の花束を持って出迎える孤児。そしてみんなで拍手。自分も拍手。もちろん不審がられないように笑顔を浮かべながら。
 それから孤児院を見て回るレイジ。
(おそろしく隙のない男だな)
 周りにいるSPも屈強だが、レイジ自身が常に周囲に気を払っている。近づくのは難しいだろう。
(ヒロミはどうするつもりかな)
 先ほどから姿が見えなくなったのは、おそらく何かをするつもりなのだろうが、別に自分には関係ない。
 問題はタイミングがあうかあわないか。それだけだ。
 そのとき、ぐらり、と大地が揺れた。
「地震か?」
 建物が、そして回りのものが揺れ始める。これは自然に起こった、本当に偶然の出来事だった。揺れはかなり大きい。たてつけの悪かった棚が、倒れてくる──
「危ない!」
 レイジはその下敷きになりかけていた孤児を守るために体をはって、その棚を防ぐ。
「SP! 何をしている!」
 次第に揺れは収まって、SPがその棚を戻し、泣きじゃくる子供を別の部屋へ連れていく。
「なかなか大きい揺れだったな。すぐに被害がないかどうか調べろ」
「はっ」
 その一部始終を見ていたコウキだったが、ちょうど御剣外務大臣がこちらを見て目があった。
「どうかしたかな?」
「いえ。まさか、身を挺して助けてくれるなんて」
「大人が子供を守るのは当然のことだ。もちろん、君が危ないと思っても同じようにするだろうね。名前を聞いてもかまわないかな?」
「野坂コウキといいます」
「コウキくんか。君は随分と悲しい目をしているな」
 レイジが近づいてくる。そして、レイジの大きな手が自分の頭を優しく撫でた。
「ここの子たちはみな、悲しいことがあったにも関わらず、前を向いて強く生きている目をしている。君の目だけは、少しみんなと違うようだ」
「俺は何が違いますか」
「そうだな。自分というものを大切にしていないように見える。だから悲しいと言ったのだ」
「そうですか」
 自分を大切にする。
 そんなごく当たり前のことを当たり前に言う外務大臣。
「矛盾していませんか」
「何がだい?」
「あなたは自分の体が危険だったにも関わらず、俺たちを助けようとした」
「矛盾ではないよ。こういうのは理屈ではないのだ。危ないと思う、いや思うより早く体が飛び出していた。あの子たちが下敷きになるかわりに自分が──とか、そんなことを一瞬で判断したわけじゃない。倒れかけた棚の下に子供がいた。それを判断するより早く体が動いただけのことだよ」
「あなたはすごい人です。外務大臣」
 今、自分の体には爆薬がセットされている。これを起動するだけで、すぐに外務大臣を暗殺することができるだろう。
「でもあなたは、自分が狙われているのに対して、とても無頓着だ」
「そうかな。これでもSPをつけているし、襲われる理由もないと思うが」
「いえ。あなたの命は危険です。そこに──」
 落ちていた何かをひろって、扉の陰に隠れていたヒロミの近くにぶつける。
「SP! そこの子供はアメリカの手先だ。捕まえろ!」
 コウキの声にSPは驚くが、一人が素早く動いてヒロミを確保する。
「これは?」
「ここに来たときから、あなたはずっと狙われていたんです。そこのヒロミという女の子と、それから──」
 コウキは服を脱ぐ。そこにセットされた爆薬が取り付けられていた。
「俺にも」
「それは爆薬か?」
「ええ。自爆してあなたを殺すつもりでした」
「でした?」
「なんだか、殺す理由がなくなった」
 コウキは首をかしげた。
「あなたが子供を身を挺して守ったときに、あなたを殺そうという気持ちがなくなってしまいました。だから自分の暗殺業はここまでです」
「そうか。思わずも、私は自分の身を守っていたということか」
 とはいえ、爆発物を体に取り付けた少年といつまでも一緒にいるわけにはいかない。すぐにコウキは別の場所に連れていかれて爆発物を全て取り除かれる。
 助けたとはいえ、コウキもまた暗殺未遂事件の主犯だ。手荒く扱われなかったとはいえ、待遇が良いわけでもない。彼はただちに鑑別所へと移送された。当然の手続きなので何も文句はない。
「すまない。随分と待たせたな」
 日が変わる直前に御剣レイジ外務大臣がやってきた。
「少年鑑別は外務大臣の仕事じゃないのでは? それに規則で時間とかも決まってるはずですが」
「当事者だからね。無理を言わせてもらったよ。それに君はすぐにここを出ることができる。何しろ君は何も罪を犯したわけじゃないし、私の命を助けてくれたのだから」
「でも暗殺未遂の主犯です。ヒロミもそう言ったと思いますが」
「彼女はつい先ほど自殺した」
「そうですか。徹底してますね」
「君たちがどうして私を狙ったのかが分からない。できれば教えてくれるとありがたい」
「出所の条件ってことですか?」
「そこまでしなくても出してあげるつもりだが。何しろ少年院の院長に聞いても、彼女は一ヶ月前、君は昨日来たばかりということだ。そのときには今日孤児院を表敬訪問することは決まっていた。明らかに私を狙って外部から入ってきたとしか思えない」
「まあそういうことですね。俺も詳しいことは説明できませんが、それでもかまいませんか?」
「もちろん」
 そうしてコウキは話し始めた。アメリカのAOCという組織について、そして世界各国にアメリカの手先として暗殺を請け負う子供たちが百人弱いることについて。
「日本には三人のAOC構成員がいます。俺とヒロミ、あともう一人は知りませんが、その人間も数日前にヒロミから命令がいって、外務大臣を暗殺するために動いているはずです」
「一緒に行動しているわけではないのかい?」
「俺とヒロミがたまたま同じ場所にいたことの方が普通ありえないことです。AOCは常に単独で動く。だから他の構成員の情報が手に入ることなんか今までなかった。俺は少年院で実行しようと思ったら、ヒロミが先に来ていたというだけのことです」
「だが、君ともう一人に命令を下したヒロミさんは、どうして君たちのことを知っているんだ?」
「ヒロミが言うには、日本側の責任者みたいなことをしていたようです。で、本国からヒロミに三人分命令が届いて、それを改めて命令書を出したってことでした」
「なるほど。では構成員といっても情報を持っている者とそうでない者がいるということか。そして情報を持つヒロミさんは、こうして捕まったら自殺もできるほどに洗脳しているというわけだな」
 レイジは顔をゆがめる。
「君はどうして私を助けてくれたんだい?」
「さっきも言いました。殺す理由がなくなったと」
「では、AOCはそれほど構成員を掌握しているわけではないということか」
「さあ。ただ、あなたがさっきの地震で何もしていなければ、俺は間違いなくあなたを殺していました。それも理由がはっきりしているわけじゃなくて、ただ何となくです」
「何となく、か。だが、そういうのが一番信じられるものなのかもしれないな」
 レイジが合図を送ると、すぐに人が入ってきてコウキをその場所から連れ出す。
 そのまま部屋に連れていかれるのではなく、鑑別所の待合室だった。そこにレイジが待っていた。
「さあ、行こうか」
「どこへ」
「とりあえず私の家でどうかな。家政婦しかいない家だから楽に過ごせると思うよ」
「俺を連れていってどうするつもりですか」
「身寄りはいるのかい?」
「いえ」
「なら泊まる場所が必要だろう」
「俺を引き取る気ですか?」
「君が望むなら」
「俺を引き取っても何もいいことはないと思いますが」
「なんというのかな、君は放っておけないのだよ」
「俺があなたに信頼を得て、油断させたところで殺すとかお考えにならないのですか」
「さっき爆弾を起動させれば暗殺は成功していただろう。今さら考えることではないよ」
「あなたは本当に大物だな」
 コウキは首をかしげた。
「まあ、俺としてもここにいるよりは寝やすい場所の方がありがたい」
「なら決まりだな」
 そうしてコウキは鑑別所を出て、豪華な車に乗せられてレイジの自宅へと向かった。
「本当に変わった人だ」
 車の中でコウキが口にする。
「そうかな。私はずっとこうしてきた。自分で動き、納得のいかないことは自分が確認してきた。君を引き取るのは私にとって必要な行為だよ」
「俺を引き取って、どうするつもりですか」
「そうだな。とりあえず、学校でも行ってみるかい?」
「学校?」
「今まではどうしていたんだ? 親は? 住んでいた場所は?」
「育ててくれた人はいましたが、今はもういません。学校は行ってませんでした。読み書きや算術、サバイバルなどは育ての親が全部教えてくれました」
「サバイバル、か。普通親はそういうものは教えないものだ」
「ですが、覚えておいて悪くない知識です。どこでも、どんな場所でも」
「そうだな。君がそうして、常に窓の外に注意を払っているのも、サバイバルの成果かな」
「分かりましたか」
「分かるとも。もしかして、残り一人の暗殺者を警戒しているのかな」
「それもありますが、それだけではありません」
「というと?」
「『敵意』を」
「敵意?」
「誰かを狙う人間は、必ず敵意を持っていますから。それがたとえ、何の理由もない俺みたいな奴でも。俺たちはそれを嗅ぎ取ることができます」
「なるほど。便利な能力だな」
「鍛えれば誰でもこれくらいはできるようになりますよ。ただ、そうした感情と無縁のところにいればその能力もにぶります。やはり学校とかは行かない方がよさそうですね」
「ふむ」
 するとレイジは腕を組み、組んだ右手の人差し指をとんとんと動かす。
「君はそこそこ背もありそうだな」
「は?」
「サングラスをかければ、年齢もごまかせるかもしれん」
「何を」
「なに、たいしたことではない。どうせ暇なら、私の傍にいればいいだろう。少なくともSPと同じ程度には神経を張り巡らせることができるぞ」
「俺にSPをやれというのですか」
「そうだ。君は何歳だ?」
「今日で十歳になりました」
「今日で? 誕生日か」
「はい」
「それはめでたい」
 レイジは我がことのように笑顔を見せる。
「君が私のところに来てくれたのは、思いもかけぬ誕生日プレゼントということだな」
「誕生日なのは俺の方ですが」
「君にとってもプレゼントとなる。私のところに来ればな」
 たいした自信だった。なかなか言える台詞ではない。
 だが、今まで誰かに頼るということを一度もしたことのないコウキにとっては、それがどれほど暖かく、強い言葉であったか。
「俺は、守るより攻める方が得意なタイプだと思っていました」
「ほう?」
「ただ、今は攻める相手もいない。あなたを守ることが俺の使命のようです」
「そんなに肩肘を張る必要はない。私の傍にいればそれでいい」
 そうして、この二人の奇妙な関係は始まった。






「それが、俺と総理の関係だ」
 コウキはずっと総理大臣御剣レイジのためだけに戦ってきた。それが彼の誇りであり、生きる意味でもあったのだ。
「それが突然、お前みたいな頼りない奴のガードをしろときたもんだ。俺が不満に思っても仕方ないと諦めてほしいところだな」
「ごめん」
「別に謝る必要はねえよ。決めたのはお前の父親と、御剣総理だからな。俺の血液検査は徹底的に行われてたから、エヴァに対する適合性が高いことはかなり早くから分かっていた。それこそ綾波レイの次に適格者登録されてもおかしくなかった。ただ、そのときは御剣総理の強烈な反対で流れたんだがな」
「じゃあ、僕のときはどうして」
「状況が変わったのさ。単純な話、二〇一二年の十二月に、その三人目を捕まえることができた。長かったぜ、何しろ二年がかりだったからな」
 日本にいるAOCの最後の一人が捕まった。ということは、AOCはもはやこの日本には一人もいないということになる。
「俺としては今さらネルフなんか行くつもりはなかったんだが、お前の父親と冬月副司令からぜひにと頼まれたら総理もお手上げだったらしい。ガードができて、確実にランクA適格者になれる人間なんか、そうそういないからな」
「そうだったんだ」
「ああ。というわけで、俺の話はこれで終いだ。思ってたほどたいした話じゃなかっただろ?」
「いや、充分だよ」
 これで、全員の話を聞き終えたことになる。
「コウキは、僕のことが嫌いなの?」
「まあ、好きではないな」
「やっぱり」
「でもな、俺はSPとして訓練も受けてきた、プロとしての矜持ってもんがあるのさ。だから、お前のことはきっちり守るぜ。それは安心していい」
「うん」
「俺はな、あの人に認められればそれでいいんだ」
 コウキはそれがたった一つの真実であるかのように語る。
「だから、俺は俺のために、お前を守る。お前と友人にはなれないが、お前の盾にはなれる。お前もそのつもりでいてくれ」
「僕は、誰にも盾になんかなってほしくない。もちろんコウキにも」
「だろうな。お前はそういう奴だ」
「でも、意外だった。コウキにそんなに思っている人がいるなんて」
「俺が感情のない人間だとでも思ってたのかよ」
「割と」
「てめえ」
 コウキは笑顔で首に腕を回して締めてきた。






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