こうして、碇シンジは全ての人間から話を聞き終えた。
 だが、それが全ての終了を意味するものではない。
 全ての情報を聞き終えた碇シンジが次に何を考えるのか。
 それをもって、この章は幕を下ろす。
 そして、












第佰弐拾漆話



「僕が、仲間を守るんだ」












 五月三日(日)。

 改めて、シンジはカナメの慰霊所へやってきた。
 カナメという存在はこのネルフの中でもっともシンジに影響を与えた人物になる。この短い時間の中で、愛し、失った。
 だが、その一時の感情は全て自分の中で整理をつけていることに気づく。後悔もしているし、自分に何かができたはずだという気持ちもある。
 さて、そのカナメはどういう気持ちだっただろう。彼女は洗脳されていたと聞く。洗脳の結果として自分を好きになったのなら、その気持ちは本物なのか、それとも偽物なのか。
(難しいよね)
 ドイツで買ってきた彼女へのお土産。それを彼女の骨壷の前に置く。
 小さな指輪。きっと、彼女に似合うと思って買った。
「君に、これをあげられなくて、ごめんね」
 これを渡すことができたら、彼女はまた太陽のような笑顔を見せてくれただろうか。
 何が原因で、こんなことになってしまったのか分からない。だが、一つだけ分かったことがある。
(僕がいなかったら、カナメは死ななかったんだ)
 自分を殺すために洗脳された少女。
 愛する者を殺せと洗脳された少女。
(でも僕は、カナメのことを振り返らないことにしたよ)
 ならば、自分に他の選択肢はあったのか。
 父親に呼ばれ、適格者となり、ランクAまで上げられた。それは自分が決めた人生ではない。
 だからこそ。
(これから先の人生は、僕が僕自身で決める)
 そうカナメに誓った。
(エンくんやコモモたちだって、自分で自分の生き方を決めている。僕だってそうだ。僕の人生は僕が決める。そして、僕が選ぶのは)
 戦うという未来。
 使徒を倒し、その先の未来で、仲間たちと共に生きる。
(僕は仲間に守られている。だからこそ──)
 そう。だからこそ。
「僕が、仲間を守るんだ」
 それが、彼の、新たな誓い。






 その日、特別監査部には来客があった。その来客を、総勢三名の部員が全員で出迎えることになった。
 武藤ヨウ、南雲エリ、門倉コウ。
 そして、その三人の前に立ったのは、アネゴ肌の女性であった。
「内閣情報調査室所属、三嶋ナルミです。よろしくお願いします」
 綺麗に敬礼したナルミに、三人もまた敬礼で応える。
「噂はかねがね聞いてますよ。内調ご自慢の『サイクロペディア症候群』の三嶋副室長」
「ありがとう。あなたは武藤ヨウですね。そちらは南雲エリ、門倉コウ」
「さすがにあなたにかかっては知らない人間などいないということですか」
「まー、ちょっとばかし厄介な病気だからね、こいつは」
 とんとん、と彼女は自分の頭を叩く。
 サイクロペディア症候群。一度見たことを決して忘れることがないという奇病。どんなことでも覚えていられるので、便利といえば便利だが、あまりにも情報量が多すぎるために処理しきれない方が問題となる。おかげで、ときどき彼女は丸一日情報を整理するために完全に外部との接触を遮断するときが来るらしい。
「で、内調で確認した場所と、こっちが確認した場所に相違は」
「ないわ。さすがにMAGIの調査力はたいしたものね。こちらが押さえている情報以上の量があるとは思わなかったわ」
「本来、MAGIは第三新東京市の内部に限定したコンピュータだからな。日本全国に羽根を広げたのはちょいとばかし骨だったぜ」
 内調と特別監査部が顔を合わせた理由。それは、使徒教の本部に関する情報交換だった。
 倉田ジンが知りうる限りの情報をMAGIにインプットし、危険と思われる場所を数箇所確認、その上で情報を手に入れているという内閣情報調査室に報告し、裏づけ調査を行わせる。その結果が今日、届いたのだ。副室長、三嶋ナルミ自ら足を運ぶことによって。
「とはいえ、何の理由もなく治安警察っぽくやるわけにはいかないわよ。逮捕するにはそれなりの理由が必要だもの」
「あるだろ、明確に」
「明確?」
「ランクA適格者、美綴カナメ殺害。その犯人が使徒教だ。国際法上、首謀者は死刑だ」
「構成員は残らず捕らえ、幹部は死刑にするのが妥当な処置だと思われます」
 ヨウとナルミの話に、エリが加わってくる。
「お前はなー」
 がしっ、とヨウがその頭を掴む。
「痛い、痛いです軍曹!」
「トップ同士が話し合ってるときに余計な口挟むんじゃねーよ。そんなこた俺もナルミも充分承知の上で確認しあってんだ」
 涙目のエリと、苦笑するコウ。やれやれ、とナルミは手を上げる。
「戦略自衛隊は動かせるのか?」
「大丈夫ね。そのかわり、戦略自衛隊からネルフに何人か人を入れさせてもらうわよ。協力体制を深めるのは必要なことだもの」
「こういうときに総理大臣が味方だってのはありがたいね。こっちからはこの、門倉コウを出す。銃撃戦のエキスパートだ。どこに出しても役に立つぜ」
「役立つどころか、一中隊くらいは任せたい実績の持ち主ね」
「そりゃお前、こいつには役不足だ」
 中隊では役不足。
「それなら?」
「コウなら最低でも一個師団からでないと、価値が分かってないぜ」






 冬月副司令は、ネルフにおける情報を碇総司令とまったく同じだけ把握している。ネルフで総司令の代理をその意味でも務めることができるのは冬月だけである。おかげで総司令が動かなければならないような雑務はすべて冬月が引き受けることになる。面倒なことだった。そしてたいてい、第二東京へ行く用事はほとんどが冬月任せとなっている。
 だが、今回の要件は重い。もともとネルフが発端となった案件である。それを解決してくれた内閣総理大臣にはいくら感謝しても足りないくらいなのだ。
「冬月副司令か。遠いところをご苦労だった」
 首相官邸にやってきた冬月を、総理大臣御剣レイジがねぎらう。ありがとうございます、と冬月は頭を下げた。
「コウキはどうかな。元気にしているといいのだが」
「野坂も含め、サードチルドレンの同期メンバーが作為的であったことが本人に知らされました」
 するとレイジが顔をしかめる。
「最後まで明かさない予定ではなかったのか?」
「事情が変わりまして。例のキャシィ・ハミルトン。彼女が余計なことをサードチルドレンに吹き込んだため、明かさざるを得なくなったのです」
「なるほどな。アメリカはつくづくこちらの足を引いてくれる」
 レイジが苦笑する。
「コウキのことだ。やれやれとつまらなさそうにため息をついているのだろうな」
「さて、そこまでは。ただ、サードチルドレンはこの一週間でしっかりと立ち直ったと報告を受けているので、大きな問題にはならなかったものと思います」
「そうか。まあ、その件についてはあなたたちに任せよう。さて、本題だが」
 レイジが一呼吸置いてから話す。
「アイズ・ラザフォード、マリィ・ビンセンス。二名の本部移籍は基本的に認められる」
「アメリカが受け入れたのですか」
「ああ。条件つきだがね」
 ネルフから御剣レイジに対して依頼していたのは、ランクA適格者二名の日本亡命をアメリカ政府に認めさせることだった。だが、それが簡単に通るとは思っていない。だからこそAOCやその他の情報について駆け引きの材料としてもらったのだが。
「条件とは?」
「亡命ではなく、あくまでも移籍だ。つまりアメリカとしてはいつ暴発するとも分からないエヴァンゲリオンをアメリカ本土から遠ざけることによって民心を安心させることを一つの目的とし、同時に世界的には『戦力を集中させる』という名目でエヴァンゲリオンを本部に委譲するとのことだ」
「まさか、エヴァンゲリオンまでつけるというのですか」
「ああ。そして条件とは、アイズ・ラザフォード、マリィ・ビンセンスの二名をフォース・フィフスチルドレンとして登録すること。これが条件だということだ」
「チルドレン登録ですか」
 それは冬月の権限ではどうにもならないことだ。最低でも碇総司令の許可と、その『上』の組織の許可がいる。
「ああ。それについてはすぐには返答しかねると応えた。だが、それを認めるなら二人の日本移籍とエヴァンゲリオンの委譲を認めるというのだ。実際、チルドレン登録した場合に何か問題が発生するか?」
「碇の奴がどう考えているかは分かりませんが、ネルフとしては問題はありません。ただ、チルドレン登録には理由が必要ですからな。口実が欲しいところですが」
「うむ。二名同時の登録というのも難しいだろう。その辺りはもう一度碇と相談して決めてくれ」
「はい」
「チルドレン登録するならば、エヴァンゲリオンをすぐにでも移動させるとのことだ。それこそ明日にでも動き始めて、中旬には送られてくるのではないか」
 そこまで具体的に話が進んでいるのを聞いて、冬月は少し気を楽にした。ネルフにとって一番の懸念事項はアメリカ政府の出方だったからだ。
「アメリカは少しネルフに対して譲歩してくれたのですかな」
「何を言っている、冬月副司令。こんなのは見せかけだ。アメリカが何も考えずにこんなことをするはずがない」
 だがレイジはあっさりと冬月の考えを否定する。
「といいますと」
「おそらくはサードチルドレンを抹殺し、その上でアメリカのフォースチルドレンを旗印にさせるつもりなのだろう。亡命ではなく本部移籍にしろというのはそういうことだ」
 つまり、アイズ・ラザフォードをチルドレンとして、本部のトップに立たせようということか。
「まさか」
「そのまさかだ。日本にはAOCはいない。ということは暗殺を本職にするような奴が日本に派遣される可能性だってある。奴らはランクA適格者にAOCを飼っていたくらいだからな」
 キャシィ・ハミルトンの失敗。それはアメリカ政府にとっても大きな痛手だったのだろう。もし日本にAOC出身の野坂コウキがいなければ、キャシィがAOCのメンバーだったことは分からなかっただろう。コウキは彼女の素性を雰囲気だけで読み取ったのだ。
「我々にできることは」
「今でも充分なガードがいるんだ。碇シンジくんの身辺は大丈夫だろう。それに、自衛隊も動かす。戦略自衛隊にはネルフ本部のガードを強化させるように命令した。少年兵の中でも優秀なメンバーをそろえている。身辺警護はそれで充分だろう」
「ありがとうございます」
「内調からいろいろと報告が上がっていてな。碇シンジくんを狙っているのはアメリカ政府だけではない。かわいそうなことだがな」
 無論、それが使徒教のことをさしているのは冬月にも分かっている。シンジを暗殺するために送り込まれた『美綴カナメ』という少女。実行に移される前に分かったからよかったようなものの、放置しておけば間違いなく彼女は使徒戦の開始直後にシンジを暗殺していただろう。
「内閣情報調査室の調べで、一つ危険な情報を入手した」
「といいますと」
「欧州の暗殺者がアジア方面に向かったというものだ。それも、使徒教の構成員らしい」
「アジアというと、やはり日本ですか」
「おそらくはない。日本にもし上陸しているとなれば、厄介な相手だぞ、彼女は」
「彼女?」
「ああ。コードネームは『死徒』。得物は二挺拳銃とくれば、お前でも聞いたことがあるだろう」
「フィー・ベルドリンテ!」
 冬月は震えた。彼女の名前をネルフの上層部にいる碇ゲンドウや冬月が知らないはずがない。
 使徒教が抱える暗殺者として、使徒に敵対する組織の長を狙って動く暗殺者。基本的には経済界でネルフをバックアップしている企業のトップや、使徒に対して攻撃的な国家元首が狙われる。実際、ネルフに資金を提供しているいくつかの企業は彼女をおそれて手を引いたところもある。そもそも──
「それはクローゼ嬢も黙ってはいまい」
 冬月は頭を振った。
 リンツ・カンパニーの社長と、次期社長の息子夫妻。そして、その長男と長女。その一家が実際に狙われた。そして、社長の孫にあたる人物、クローゼにとっては兄にあたる人物、シュタイナー・リンツはフィーによって暗殺されたのだ。
 そのとき、クローゼも暗殺されかかったのだが、それを助けたのが武藤ヨウというつながりがあるのだが。
「情報、感謝します。充分に警戒させていただきます」
「そうしてくれ。彼女が本気になったとしたら、たとえネルフの中枢部でも入り込んでくるぞ。彼女の『武勲』は尋常ではないからな」
「心得ました」
 そうして会談は終わる。
 アメリカ政府、それに使徒教。二つの組織から狙われているのは、世界の命運を背負う少年。
(つくづく、数奇な星の下に生まれたな。シンジくんは)
 いや、生まれの問題ではない。彼のシンクロ率が高いのには理由があるのだから。
(ユイ君。君は自分の息子がこういう運命をたどることを、理解していたのだろうか。していたのだろうな。彼女がこのくらいのこと、予知できぬはずがない)
 冬月の足取りは、来たときよりもずっと重く、遅くなっていた。






 その夜、シンジは仲間たちを自分の部屋に呼んだ。
 特に理由はない。ただ、自分の考えを伝えたかった。
 自分を守ってくれる七人の仲間。今では、命を守るだけではなく、信頼し、同じ目的のために進んでいける仲間。
 シンジは七人のために夕食を作った。心をこめて。
「みんな」
 食事が終わってから、シンジはしっかりと自分の考えを伝えた。
「僕は今まで、ずっと流されてばかりだった。カナメやマリーのことがあって、少しは自分で考えることが増えてきたと思ったけど、みんなに比べたら全然、たいしたことはなかった」
 七人は何も言わず、ただシンジの言葉を聞く。
「僕がこうしていられるのは、みんながいてくれたからで、その気持ちは前から変わっていない。いや、もっと強くなった。みんな僕に負担をかけないように、ずっと影から守ってくれていた。そのことを僕はみんなに感謝している。ありがとう」
 軽口は誰も叩かない。
「そして、僕は、僕にしかできないことをする。僕はサードチルドレンとして、みんなの先頭に立って、使徒と戦う。それが僕にしかできないことだし、」
 一度、区切る。そして、力強く言う。
「みんなが僕を守ってくれていたように、僕もみんなを守りたいから」






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