使徒の出現が近づくにつれて、世界はあわただしく動き始めることとなった。
 無風だった一月から、二、三月と徐々に問題が起こり始め、四月にはネルフ内部での暗殺事件までが生じた。
 では、五月はどうなのか。このまま何事もなく済むのか。四月に死者を出した以上、五月にはもう出ないのか。
 そんなことは、ありえない。いや、むしろその流れは加速していく。

 それが、今の世界の情勢なのだ。












第佰参拾参話



風、氷、ふるえる未来












 五月九日(土)。

「アイズ・ラザフォードくん。あなたを正式にフォースチルドレンとして任命いたします」
 一通りミーティングを終えた後で、葛城ミサトが重大な話があると前置きしてから伝えられた内容は、そこにいた適格者たちを驚かせた。何人かは知っていたのか動揺を見せることはなかった。
 当のアイズは、一瞬で裏に何があったのかをだいたい読み取ったようで、ため息を一つついただけだった。
「近く、アメリカネルフ第一支部からエヴァンゲリオン拾号機、拾壱号機も届きます。アイズくんは正式に拾号機パイロットとして、マリィさんは拾壱号機パイロットとして、ネルフ本部で活動を続けてください」
「了解」
「分かりました」
「ただ、以前から問題になっていた亡命についてはアメリカ側が受け入れませんでしたので、あなたたちの国籍はあくまでもアメリカです」
「問題ない。向こうにいてFBIに捕まるのだけはごめんだ」
「CIAに狙われるかもしれないけどね」
「それを言うならこの世界中、どこも安全な場所はない。アメリカ政府に対抗するにはネルフ本部が一番安全だろう。だからここに置いてくれたことを感謝する」
「感謝するなら私じゃなくて、クローゼさんや御剣首相にすることね。あなたたちを引き取ろうと尽力してくれたのはアメリカ政府に直接かけあった人なんだから」
「もちろんだ。だが、あなた方の尽力があったことも充分承知しているし、ここにいる日本の適格者たちの思いがあったことも分かっている。俺とマリィがここにいられるのは全て、そうした回りの人間の優しさだということを俺たちは理解しているし、感謝している」
「よい心がけね。あなたたちがいい子だっていうのが分かっているから私たちもがんばれるし、みんなも二人を仲間だと認めてくれるんじゃないかしら」
 ミサトの言葉に、一様にうんうんと頷く。この数日間でアイズとマリィは日本メンバーと完全に打ち解けていた。
「ありがとう」
 アイズが改めて感謝を述べる。
「それからもう一つ、オーストラリアの錐生ゼロくんも、正式にフィフスチルドレンに任命されることになりました」
 へえ、とあちこちで声が上がる。もともとチルドレン認定が最も早いだろうと思われていた人物が、結局はシンジやアイズにぬかされたという形になる。
「二人にぬかされて、どんな気持ちなんだろうな」
 カスミがにやにや笑いながら言う。
「カスミくん。意地が悪いよ」
 タクヤからお叱りを受けて「へーい」と応えた。






 その錐生ゼロは、別にチルドレン認定など何とも思っていなかった。今より給料が上がるのはありがたかったが、それ以上は別に何の感慨もなかった。
 自分の目的はそんなところにあるのではない。いつか家族の下に帰ることだけだ。もっとも、家族はこんな自分を受け入れてくれるとは思えない。今となってはもう帰る場所があるのかどうかも分からない。
 フィフスチルドレンに認定されたとはいえ、世界にはまだ上にセカンドチルドレン・惣流アスカ、サードチルドレン碇シンジの二人がいる。自分が絶対的な存在とはまだ言いがたい。
「ゼロさん!」
 コーヒーを飲んでいた自分に後ろから抱き着いてきたのはいつものローラ・ニューフィールドだ。彼女もなかなかランクBから上がれずにいる。シンクロ率もハーモニクスももう少しなのだが。
「相棒は一緒じゃないのか」
「あ、うん。真鶴ちゃんは今日は何か調子が悪いみたいなんだ」
「調子が? あのお転婆娘の調子が悪いところなんて、考えられないな」
「そうだよね。その点、私なんか病弱で困っちゃう」
「お前はもう少し体を鍛えた方がいい」
「ネルフの訓練だけで充分だよ〜」
 あはは、とローラが笑う。が、真鶴が体調を悪くするなど滅多にないことだ。いったいどうしたというのか。
「そうそう、フィフスチルドレンに決まったんだね。おめでとう、ゼロさん」
「ああ。まあ、今さらという感じだがな。裏でどんな策略が働いたのか知らないが」
「えー、ゼロさんの成績ならチルドレン認定なんて当然の結果じゃない」
「どうかな」
 ゼロ自身はそうは思っていない。ずっと高いシンクロ率を出してきて、今になって『高いシンクロ率だから』という理由でチルドレン認定されるとは思えない。裏で何かがあったのだ。
 おそらくはフォース認定されたアイズ・ラザフォード。彼の目くらましか何かだろう。自分はおまけで、アイズをフォース認定しなければならない理由があった。だが、シンクロ率の低い彼を認定するなら、少なくとも比較して自分だけはチルドレン認定しておかなければならなかった、というところか。
 だからこのフィフス認定は『誰かのおまけ』であって、別に自分の力で勝ち取ったものではない。そんなチルドレンに価値などない。
「真鶴はどこにいる?」
「んー、真鶴ちゃんなら今は休憩室にいると思うけど」
「行くぞ」
「はーい」
 ゼロにとって、自分になついてくるこの二人の妹分だけが、このネルフでの心の拠所だ。もし彼女たちがいなければ、自分はもっとやさぐれていたに違いない。
(他人と接触したくないのか、それとも他人が恋しいのか)
 自分でもよく分からない。人間はきっと自分のことが分からないようにできているのだろう。理屈ではないことはよく分からないものなのだ。
「真鶴?」
 休憩室に入ると、ベッドに横になっている真鶴の姿があった。
「あれ、ゼロ?」
 真鶴はゼロが来てくれたことに喜びを見せて起き上がる。
「具合が悪いなら寝ていた方がいい」
「ううん、ちょっと悪い感じがしただけだから」
「悪い感じ?」
「うん……でも、悪い感じ、だけだったら何がどうなのかよく分からないよね。だからもうちょっと自分でも分かろうと思って」
「何を」
「何が起きるのか。多分、起きるとしたら今日。それも──」
 ふっ、と真鶴の目から色が失われる。起きているのに意識がない、そんな抜け殻のような目。
「ゼロ、が」
 そして、片言のように呟く。
「ゼロが、あぶない」
「俺が?」
「逃げて、ゼロ、はやく、ここから──」
 そして、真鶴の目に色が戻ってくる。だが、その顔は蒼白だった。
「真鶴」
「大丈夫……ちょっと疲れただけ」
「今のは?」
「私の家系、代々シャーマンだったらしくて。詳しいことは分からないけど、ときどきこんな風に未来のことを感じ取ることができるの」
 たった数秒のことだったのに、彼女の肌はびっしょりと汗をかいていて、長い金色の髪がそこに張り付いていた。
「今、真鶴が言ったこと以上のことは分からないんだな?」
「うん。ごめん」
「いや。ここが危険だということが分かっているのなら、ここから出ていけばいいだけのことだ。幸い今日はオフだからな。町にでも行ってやり過ごすとしよう」
 そうしてゼロは真鶴とローラを連れ、何人かの護衛を伴う。そしてネルフから出ようとしたまさにそのときだった。
「危ない!」
 背後から、すなわちネルフの中から何人かが襲い掛かってきた。だが、既に危険を察知していたSPたちが遅れを取るはずもなく、すぐに暴徒は取り押さえられた。
「これが危険の正体か?」
 真鶴は首をかしげて「分からない」と答える。
「何者か確認しろ」
 ゼロがSPに言って持ち物を探ったり、直接尋ねたりする。そうしているうちにたくさんのSPやら警備やらがやってくる。
「確認取れました。使徒教の連中です」
「使徒教か。この一年、おとなしくしていたと思っていたが、いよいよ使徒の出現に合わせて動き始めたということか」
 馬鹿な連中だと思う。使徒に救われようとしているのに、先に自分から殺されに来てどうするというのか。何を信じるのかは勝手だが、じっと閉じこもっていればいいものを。
「まだ」
 真鶴が、両手で自分の体を抱く。
「何か、くる」
 その体ががくがくと震えだした。
 直後──地面が、大きく揺れた。
「きゃっ」
 ローラが倒れてくるのをゼロが抱きとめる。
「地震か?」
 あまりに大きな揺れに立っていられない。地面に叩きつけられそうになった真鶴も引き寄せて、その場に伏せる。これでは身動きが取れない。
(強い地震は、人間の冷静な思考を奪うというが)
 確かにこれでは冷静でいろという方が難しいだろう。自分ですら軽くパニックになりかけている。ましてや二人の妹分は──
(真鶴?)
 ローラが暴れそうになっているのはしっかりと抱きしめて押さえ込んでいるが、真鶴は全く動かない。普段の元気はどこへ行ったのか。
(さっきの、シャーマンの力の影響か)
 普段の元気がないのは心配だが、今はおとなしくしていてくれた方がありがたい。何とか二人を押さえ込んでおける。
 やがて、少しずつ揺れは小さくなってきた。さすがのネルフは耐震構造もしっかりしているらしく、建物に大きな損傷は見当たらない。が、
(町はひどいことになったな)
 地震の少ないオーストラリアではそこまで地震に対する備えというものをしていない。火事も起こるだろうし、食糧も不足するだろう。
「ローラ、真鶴。無事か」
「わ、私は大丈夫」
 ローラは汗をかいていた。地面に押さえ込まれたせいで、ピンクのワンピースが汚れてしまっている。
「大丈夫。何とか」
 真鶴もようやく元に戻ったのか、いつも通りの顔色だ。
「今のが真鶴が感じた方か?」
「多分」
「確かに建物の中だったら危険だったな。何が倒れてくるか分からないし、照明などの設備に問題も出るだろう」
 とりあえず避難しておくのがいいのだろうが、怪我をしていない人間は復興の手伝いをするものだろう。
(まったく、エヴァンゲリオンの歩行訓練はいつになるのやら)
 フィフスチルドレンになったと同時にこれだ。いったい何の嫌がらせか。
「ゼロ」
 真鶴がその手を握ってくる。
「どうした?」
「ごめんなさい。私がもっときちんと分かったなら」
「何を言っている。お前のおかげで俺たちは誰も傷つかなかった。充分だろ。それに、地震が来るということが分かっていたら止められたのか?」
「ううん」
「じゃあ、お前はお前にできることをした。お前は俺の自慢の妹だよ」
 空いた手で真鶴の頭を撫でる。真鶴は泣き顔でゼロに抱きついた。
「大好き、ゼロ」
「あー、真鶴ちゃん、ずるい!」
 ローラも反対側から抱きついてくる。
「お前たち、とりあえず行くぞ。俺たちにできることはいくらでもあるはずだ」
 二人の妹たちが頷いたのを見て、ゼロは発令所へと向かう。
 あちこちに怪我人がいた。緊急に手当てが必要な者でなければ、携帯で場所と人数を連絡し、三人は発令所へ急ぐことにした。
 発令所も大混乱だった。
「ああ、ゼロ。それにローラに真鶴も。よく無事だったわね、あなたたち」
「無事?」
「ええ。耐震構造がとられていなかった居住区の方では大きな被害が出たから。適格者にも何人か死者が出ているわ」
「適格者に死者!?」
「倒壊した建築資材の下敷きになった子が何人かいるのよ。もちろん怪我で済んだ子もいるし、無傷の子もいる。でも」
「五体満足の人間は、俺たちを含めてそれほど多くないということか」
「ええ。他にもまだ見つかってない子もいる。まずは確認が最優先」
「震源は確認できたのか?」
「震源?」
「海で発生したなら津波が起こるはずだ。ここは随分内陸だから問題ないかもしれないが、海に近い町は大きな被害が出るぞ」
 するとMAGI主任は素早くコンソールを叩いた。
 震源地はニュージーランド近海。マグニチュードは──
「……九.一?」
「オーストラリアでは考えられない規模だな。しかも浅い。震央は震度七か」
 津波が起こらないはずがない。もともとオセアニア地区はオーストラリアとニュージーランド以外のほとんどの国がセカンドインパクトによって滅びていたが、これではニュージーランドはひとたまりもない。
「津波は、ここまで来るわね」
「ネルフはどうなる」
「一応防水シャッターを閉めるけど、どこかが壊れているとも限らないわ」
 浸水したら、ここにいる人間は全て溺れ死ぬしかない。
「ゼロ、ローラ、真鶴。三人は今すぐプラグスーツに着替えて、エヴァ弐拾弐号機に乗り込んで!」
「三人でか?」
「ええ。万が一浸水したときのことを考えてね。エントリープラグの中をLCLで満たしておけば、溺れることは百%ないわ。急いで!」
 まったく、忙しい一日だ。フィフスチルドレンになった歓迎パーティでもしているのだろうか。
「行くぞ、二人とも」
「うん」
「分かった」
 そして三人はケイジへ急いだ。






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