その事件はMAGIを通して日本にも伝えられた──もちろん、知るのは上層部のごく一部と、そのMAGIにハッキングできる能力を持った人物である真道カスミのみに限られてはいた。
 だが、内容が内容だ。ランクA適格者、それも紀瀬木アルトといえばシンジやエンと仲良くしていた少女だ。そして何より──
(ハイヴの実験体、だったな)
 そのハイヴはライプリヒ製薬に買収された。そして、記録によると──五月四日、月曜日。
(まずいな。いずれにしても、シンジとエンに知らせないわけにはいかねえか)
 明日からはランクA適格者の歩行訓練が随時行われる。寝不足になるかもしれないが、今日は徹夜でこの事件に取り組まなければならないようだった。












第佰参拾伍話



足跡、捜索、別れのことば












 さすがに国外となるとどうしたらいいものか、難しくなる。それにいきなり行動半径が広がった。いくら隣国といってもフランスは遠い。現地に行くとしたらそれだけで時間がかかる。
「いずれにしても、君たちが行動する必要はない。クライン家とネルフ、それにフランス支部にも協力を要請しよう」
「協力要請って言ったって、ルクセンブルクから先どこへ行くか、突き止めることなんて難しいわよ」
「そうだな。公都ルクセンブルクから北に向かえばベルギー、南へ折れればフランスだが、そこが最終目的地と限ったわけでもないだろう」
 ミュラーに言われて、全員がはっとなる。
「そこが通過点だとしたら、行き先はスペインかイギリスか? スペインに行くならフランス方面、イギリスに向かうならベルギー方面だな」
「発見されるのを覚悟で、あえてオーストリアやイタリア、スイスに行くのをカムフラージュするために一度西へ抜けたのかもしれない」
「それに、とにかくドイツから急いで出ようとしたのなら西へ抜けるのが一番早いわ。ドイツを出ればとりあえずネルフからの追手はひとまず撒けるわけだし」
「カムフラージュという意味なら、再びドイツに戻ってくる可能性もありますよ。もちろんハンブルクではなく別のところに、ですが。捜査包囲網をドイツの外側に広げておいて、自分たちはこっそりドイツ国内に戻ってくる。僕がもしそうするなら、ルクセンブルクから南へ抜けてフランスに出る。朝になる前にドイツに戻っていた方が安全でしょうから、フランスのストラスブールからドイツのオッフェンブルクに入る。スイスまで行くと足がつきますから、手前でドイツに入るでしょうね。とすると、アルトの顔が映っていたというのは偶然なのか、それとも映させたものなのか」
 クラインの言葉は全員に発想の転換をさせることに成功した。つまり、アルトがどこにいるのかというのを簡単に決めてしまうようではいけない、もっと深く考える必要があるということだ。
「さすがミステリオタク。やるわね」
「僕が考えているのは、いかに早くこの事件を解決できるかということだけですよ。万が一、アルトに何かあったとしたら、絶対に許すつもりはありません」
 クラインにしては意外な台詞だったので三人が驚く。
「なに、アンタ、アルトのことが心配なの?」
「僕が心配したらおかしいですか、フロイライン」
「いや、そんなことはあるけど」
 あるのか、とヴィリーとメッツァが苦笑する。
「僕は確かにアルトとはあまり合わないですが、それでも世界中の女性の味方のつもりなんです」
「キザ」
「これはキザではありません。フェミニストです」
「もうネタの話はいいわよ」
 アスカがため息をつく。
「どういう形にしても、君たちが闇雲に動いても意味がない。まずはこちらの調査を信頼してくれ」
「もちろん信頼しているわ。でも、アタシはアタシのやり方でやる。それも分かってるわよね」
「無論だ。お前を縛ることができるのはお前だけだ。セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレー」
 にやり、とアスカが笑う。
「いいわ、まずは腹ごしらえよ。三人とも、ついてきなさい!」






 だが、捜査は遅々として進まなかった。結局彼らにできたことはアルトの身を案じることでしかなかった。
 時間は既に、夕方になりかけていた。
「遅い!」
 何時間も待ったアスカの精神力は見上げたものである。もちろん、その間ずっとクラインやメッツァ、ヴィリーらがなだめたりしながらであったが。
「これだけ時間があってどうして見つからないのよ!」
「ヨーロッパは広いんです。そう簡単に見つかるというものでもないでしょう」
 クラインがどうぞと紅茶を進める。
「そんなことは分かってるわよ。でも、それにしたって!」
「では、フロイラインには何かいいお考えが?」
 あるはずがない。人海戦術は既に実行されている。
「既にミュラー長官が秘密警察まで使って動いているというのに見つからないというのは、よほど巧妙に隠れたのだろうな」
 ヴィリーがサッカーボールをもてあましながら言う。
「でも」
 そうして話が堂々巡りになっていったときだった。アスカの携帯にミュラー長官から連絡が入った。
「もしもしっ!」
『アスカか。至急、自分の部屋に戻ってくれ』
「何よ、突然」
『君にテレビ電話で直接話がしたいという人間がいる。会ってくれるか」
「今それどころじゃ!」
『今回の件に関係があるとしてもか?』
「それを先に言ってよね!」
 同時に駆け出す。三人もアスカの後を追いかけた。
 通話を切ったアスカは風を切るように走り、自分の部屋にかけこんで電話をつなげる。
「もしもしっ!」
『感度良好。はじめまして。ドイツのセカンドチルドレン。うちのサードチルドレンが世話になったな』
 その画面に現れたのは、自分と同じくらいの歳の少年だった。
「誰よ、アンタ」
『失礼。俺は真道カスミ。日本のランクB適格者だ。お会いできて光栄だぜ』
「綺麗なドイツ語ね。本当に日本人?」
『俺にとっては語学は必須のスキルでね。それより、急ぎだろ。状況はこちらでも把握している』
「把握って」
『ランクA適格者、紀瀬木アルトが行方不明になった。あんたたちが血眼になって探しているのが俺の情報網に引っかかってね』
「日本で何が分かるっていうのよ」
『時に当事者よりも、一歩引いてみた観客の方が分かることがある。紀瀬木アルトの失踪、心当たりがある』
 突然見知らぬ男からの連絡だったが、アスカは相手が信頼のおける相手であると瞬時に読み取った。おそらく彼は日本から、何の作為もなく単なる善意で連絡をくれたに違いない。
「誰よ」
『ライプリヒ製薬。先日、あんたたちに接触があったらしいな』
「ライプリヒ?」
 ドイツの有名な製薬会社。確かに最近、そこの重役と会ったばかりではあるが。
「なんであんな奴らが」
『重要な存在だったからさ。ライプリヒの連中、あんたと紀瀬木アルトの二人で会ったっていう話だよな』
「ええ」
『あんたはきっと、ライプリヒはセカンドチルドレンに会いに来たんだろうと思っているんだろうが、そうじゃない。あんたに会えば紀瀬木アルトに会えるとふんできたんだ。そして事実そうなった』
「ライプリヒがアルトに何の用事があるっていうのよ!」
『大有りだ。今は時間がないから後でゆっくり説明してやるが、ライプリヒの連中、アルトを実験体にするつもりだ。急がないとまずい。ドイツのライプリヒ関連施設を今メールで送った。その場所に急行してくれ。おそらくそこにアルトがいる』
「なんでそこまで分かってるのよ」
『俺もライプリヒとは因縁があるからさ。シンジとエンからメッセージだ。アルトを頼む、と。そして俺から──真希波マリっていういけすかない眼鏡の女に会ったら伝えてくれ。真道カスミは絶対にお前を捕まえてみせる、ってな』
「それを伝えるために、私に連絡を取ったの?」
『そういうこと。つーわけで、後はよろしく頼むぜ』
「変な男」
『ははっ、よく言われるよ』
 そして通信が途切れた。ふう、とアスカは大きく息をつく。
「ミュラー長官」
 すぐに連絡を入れる。そして、
「行くわよ、三人とも」
 自ら立ち上がる。当然だ。仲間を助けるのは自分の役目だ。他の誰にも渡してなるものか。






 ハンブルクからアウトバーンをまっすぐ南へ駆け抜ける。
 ライプリヒ製薬の本社は名前の通り、旧東ドイツの中心都市の一つライプツィヒにある。ただ、本社はあくまでも見せかけ。ライプリヒで一番非合法の実験を行う施設は全く別の場所だ。南へひたすらくだり、石碑のあるミュンヘンに一番近い町、アウグスブルク。ここに表向きは一般病院だが、裏では非合法の実験を行う大規模な施設がある。
「わざわざ一度ドイツを出るっていうのはクラインの考えた通りね。まっすぐ目指せば絶対にどこかで関門に当たるけど、一度国外に出てしまえば国内の捜査は弱くなる」
「お褒めいただき光栄のいたり」
「というか、お前たちがなんで全員で来てるんだ、まったく」
 ミュラーはため息をつく。よりによってランクA適格者が全員、身の危険も顧みずにアウグスブルクのライプリヒ施設までやってきているのだ。
「ここまで来て仲間はずれにしないでしょうね、長官」
「前にも言ったが、お前の行動を縛れるのはお前だけだ、アスカ。だが、残りの三人まで同行を許可した覚えはないぞ!」
「僕はフロイラインの行くところならどこへでも行きますよ。それにこう見えても格闘ランクSです。充分役に立つと思いますが」
「アルトは友人だ。放っておけない」
「ヴィリーに同じ」
 弁の立つクラインに対し、余計なことを言わないサッカー選手二人。やれやれ、とミュラーはもうため息しか出ない。
「いずれにしても、乗り込むのはネルフ保安部だ。君たちが入る必要はない」
「別にいいわよ。アタシはここにアルトがいるなら、アタシ自身で取り返しに来たかっただけだもの」
 防護服に身を包んだアスカが答える。まったくミュラーの言うことなど聞くつもりはなさそうだった。
「まったく、ドナウより南に来るだけでも気分が滅入るというのにお前たちときたら」
 ドナウより南。それがドイツにおける『危険地帯』の認識だった。もっとも、ドナウ川より南にも町はいくらでもある。ドナウ川に沿って作られた町レーゲンスブルク。ミュンヘンよりさらに南にはローゼンハイムもある。ミュンヘンの周囲だけが危険地帯なのであって、別にドナウより南が危険だというわけではない。
 だが、好きこのんでわざわざミュンヘンの傍に住む必要もない。自然と人々はドナウより北に移住するようになった。アウグスブルクは結局復興の兆しも無いまま、どんどん寂れていく。
 だからだろうか。ライプリヒ製薬がこの地に施設を建設したのは。
「行くわよ」
 ネルフ保安部が先に突入した後で、ランクA適格者が入っていく。
「ただの研究所というわけではなさそうだな」
 メッツァが辺りを見て言う。
「ただの?」
「ああ。非合法というのは言葉の綾ではないらしい」
 すると、通路の奥から現れたのは屈強なボディーガード。それも三人。
「拳銃なんかは持っていないようだな」
 ヴィリーが相手を確認する。
「じゃあ私たちで充分何とでもなるわね。ネルフのランクA適格者をナメんじゃないわよ」
「いえ、ここは僕の出番ですよ、フロイライン」
 クラインがその三人の前に出ていく。
「ちょっと、何してんのよ!」
「こういうときのために僕がいるんですよ。少し離れていてください」
 するとボディガードたちが近づいてくるのに合わせてクラインが動く。相手も警備を任されている以上それなりの実力者のはずだったが、クラインの方がはるかに上だった。体格に劣るクラインは素早く動いて掌を相手の腹部に当てる。それだけで相手がうずくまって動かなくなった。
「ちょっと、何したのよ」
「衝撃を加えるだけで、人間はそれ以上動けなくなるんですよ」
 続けざまに二人目、三人目と護衛を沈める。これがドイツの誇る格闘ランクSの実力だった。
「アンタ、冗談抜きに強かったのね」
「日本人と戦ったときはこちらにも油断がありました。次にやったときは同じようにはいきませんよ」
「その意気よ。本部の連中にナメられてたまるもんですか。アタシはサードなんかに負けないし、アンタは本部の連中に力で負けないようにしなさい!」
「おおせのままに」
「ヴィリー、メッツァ! アンタたちもよ! ドイツチームは五人いないと始まらないんだからね!」
「ヤー」
 そして四人が通路の奥へ進んでいく。その先にあったのが実験施設であった。
 薄暗い部屋の中、いくつもの手術台が並んでいる。いったいここでどのような実験が行われているのか。
「あらあら。随分早かったわね」
 その部屋の奥から声がした。ヴィリーとメッツァが素早く銃を構える。現れたのは長身の眼鏡の女性だった。
(眼鏡の女)
 若い。自分と同じくらいだ。まさかとは思うが、真道カスミの言っていたのはこの女性か。
「マリ・マキナミ?」
 尋ねると、女性は眼鏡の奥で目を丸くした。
「あれぇ? どうして私の名前、知ってるの?」
「真道カスミから伝言よ。あなたを捕まえるのは俺だ、ですって」
「なるほど、カスミね」
 マリが嬉しそうに笑顔を見せた。
「ま、別にアンタのことなんてどうでもいいわ。アルトを返しなさい。アレは私のものよ」
 きっぱりと言い切る。だがマリは、ふふっ、と笑う。
「噂通りの人ね、セカンドチルドレンは」
「どういう噂よ」
「尊大で自己中心的。それでいて自分の仲間を大切にする人物」
「褒めてるの? けなしてるの?」
「両方」
 マリは苦笑する。
「でも、残念でした。あなたたちがここに来るって分かったから、もうアルトは別のところに移したわよ。ここをどれだけ調べても無駄。あなたもよく知ってる、リョウゴ・カブラギが彼女を連れていってしまったわ」
 一足遅かったか、と心の中で舌打ちする。だが表情には出さない。
「アンタたちはいったい、アルトを誘拐してどうしようっていうのよ」
「実験に協力してもらうだけよ。大丈夫、実験が終わったらすぐに返すわ」
「返すの返さないのって、アルトは物じゃないのよ!」
「さっき、自分で『私のもの』って言ったくせに」
「揚げ足とってんじゃないわよ!」
「怒鳴らなくても聞こえるわ。まったく、短気ね、セカンドチルドレンは」
 やれやれ、とマリは両手を上げた。
「詳しいことはリョウゴに直接聞いて。私はただの協力者なんだから」
 にっこり笑ったマリは、手に持っていた球を床に投げた。
「アウフ・ヴィーダーゼーエン」
 直後、強烈な光と、同時にガラスか何かが砕ける音が実験室を襲う。
「くっ」
「フロイライン、伏せて!」
 クラインがアスカに覆いかぶさる。ヴィリーとメッツァも手術台を盾に隠れる。
 そして光が消え去ったときには、既にマリの姿はなかった。
「な、何者よ、アイツ!」
「分かりません。出入口は僕たちが入ってきたところ以外には見当たりません。どこか抜け道があるんでしょうけど」
「ヴィリー! 長官に連絡して。マリ・マキナミを指名手配。秘密警察を使ってでも見つけ出してって」
「ヤー」
 アルトも見つからず、首謀者も逃した。
 天才少女アスカにとって、これは屈辱的な出来事であった。






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