五月十七日(日)。

 自衛隊の特殊メンバー『トゥエルフスナイト』を率いるリーダー『シザーリオ』こと霧島マナはそれこそシンジの身の安全のために全力を注いでいた。
 ネルフに外部からやってくる人間たちのチェックに始まり、現在の適格者たちの中で使徒教に通じているものがいないかどうかの調査、さらには影ながら行っているボディーガード。シンジたちは知らないことだが、三日前、富士山麓で行った歩行訓練のときも、自衛隊の敷地内に部外者が入ってこないかどうか見張りに動いたのもトゥエルフスナイトだった。
「まったく、忙しいったらありゃしない」
 リーダーのマナが愚痴る。とはいえ、大好きなシンジのために動けるのだ。悪い気のするはずがない。
 問題はなかなかシンジに会えないということ。それさえ改善されればこの任務は何も言うことはないのだが。
 と、彼女の携帯端末に連絡があった。メールだ。それを見た彼女の顔がほころぶ。そこには彼女の友人の名前が久しぶりに映し出されていた。
『ムサシ・リー・ストラスバーグ』
 中国のランクA適格者の名前だった。
『元気にしているか、マナ。俺は元気だ。歩行訓練も行った。日本のサードチルドレンのようにはいかないが、それでもまあまあだったと思っている。
 この間のお前からの連絡はさすがに驚いた。今はサードチルドレンの警護をしているんだってな。お前の初恋がかなうように祈っている。』
 余計なお世話だ。
 自分こそ、早く好きな相手に告白すればいいのに、と思う。
『本題だ。今日、ベネット大統領がそっちへ行くと思う。今頃はその警備や何やらでてんてこまいだろうな。
 そのお前をさらに混乱させるようで申し訳ないが、今、俺たちに情報を提供してくれているやつがいるんだが、ベネット大統領が何故この時期にネルフに行こうとしているのかを教えてくれた。ベネットの裏をかいて、何とか阻止してくれ』
 難しいことを言う。そんなことを言われてもどうすればいいのやら。
『ベネットのねらいは、サードでもフォースでもない』
 サード=碇シンジ、フォース=アイズ・ラザフォード。その二人でないとしたなら、いったい。

『アメリカから来ている女のランクA適格者だということだ』












第佰肆拾話



客、対峙、正しさの意味












 ベネット大統領を乗せた車は、前後を護衛車両に挟まれてネルフの中へと入ってきた。さすがの使徒教もここで大統領を襲うとかいうことは考えなかったのか、道中は何も問題がなかった。
 大統領を出迎えたのは冬月副司令だった。当然のように『碇のやつめ、面倒なことばかり押し付けおって』という愚痴が来る前に漏れていたのだが。
「ようこそいらっしゃいませ、ミスタープレジデント」
「あなたは?」
「私はここの副司令をしている冬月といいます」
「ミスター冬月か。大学教授をされていたとも聞いている」
「ご存知いただいて光栄です」
「総司令のミスター碇はどうしているのかな?」
「すみません、碇は現在日本にはおりませんので」
 これは本当のことだった。とはいえ、その所在地と目的までを話すことはできなかったが。
「なるほど。総司令は忙しいとみえる」
「前もってネルフに来られると知っていたなら、スケジュールを調整したのですが」
「分かっている。今日私がここに来ることに決めたのは昨日のことだからな。逆に、無理につきあってくれたことを感謝しよう」
「おそれいります」
 そうして冬月が前に立って案内を開始する。
 ベネット大統領を護衛するのは当然、アメリカが連れてきたSPだ。すぐ隣には補佐官の姿もある。日本からは内閣情報調査室副室長の三嶋ナルミが同行しているが、ベネットからは離れた後方にいた。
 アメリカからはベネットも含めて全部で十五人。大所帯というほどでもないが、少ないという人数でもない。
「ところでミスター冬月。確認だけしておきたかったのだが」
「なんでしょう」
「ここにはもしかして、クローゼ・リンツ女史がかくまわれていないかね?」
「おりません」
 即答で平然と答えた。おそらくベネットはここにクローゼがいるということを確信している。ならば隠しても仕方ない。だが、立場上はかくまっていないという素振りを見せなければならない。
「そうか。ではもしも見つかったら教えてくれたまえ。私の政策を批判した彼女とは、一度ゆっくり話し合ってみたいと思っていたのでね」
「分かりました」
 それ以上は答えない。何かを言ってぼろが出るよりは、何も言わずに流した方が良い。
 それにしてもベネット大統領という人物は揺さぶりをかけてくるのが上手だ。だからこそアメリカ合衆国の大統領が務まるのだろうが。
「エヴァンゲリオンの歩行実験はもう始まったのかね?」
「ええ。今週、長距離の歩行を行ったところだと聞いています」
「そうか。使徒戦は近い。エヴァンゲリオンもいつでも起動できるようになったのなら、早く使いこなせるようにならなければいけないな」
「おっしゃるとおりです」
 いったい何を探ってきているのか。今のが単なる世間話であるはずがない。
 だが、ベネットはそれから施設のあれこれを尋ねるばかりで、核心に触れるようなことは何も言わなかった。
(何を企んでいるのやら)
 冬月が内心うんざりしながらようやく目的地に到着する。
 ベネット大統領が連れてこられたのは発令所だった。そこに葛城ミサト作戦部長、赤木リツコ技術部長以下、ランクA適格者たちが全員そろっていた。
「Welcome to NERV, Mr.President」
 ミサトが英語で話しかける。
 シンジたちのほとんどは英語が分からない。海外留学経験のあるレミはそれなりに話せるし、トレジャーハンターの仕事柄カスミとヨシノも話すことができる。だが、それ以外はエンが片言で話せるくらいで、後は皆無だ。
「はじめまして、ミス葛城。それに、電話では一度話したことがありましたね、ミス赤木」
「はじめまして、ミスタープレジデント。その節はご迷惑をおかけしました」
「何、君たちが起こした事件ではないことは判明している。そして、独断専行をした者たちは大勢の犠牲者とともにいなくなった。それ以上を掘り返すつもりはない」
 もちろん、掘り返すとそれがホワイトハウスにまで飛び火する可能性がある。だからこそ目を瞑っているということだ。
「感謝します」
「ところで、早速だが噂のサードチルドレンに会わせてもらえるのかな」
「はい。シンジくん、こちらへ」
 日本語で突然呼ばれて、シンジが「はい」と答えて前に進み出た。
「よろしく」
 ベネットが右手を出してくる。だが、その右手を取るわけにはいかなかった。
 何故なら。
(この人が、マリーの仇)
 AOCを操り、マリー・ゲインズブールを殺した親玉が目の前の人物だと考えると、気軽に握手などできなかった。
「ちょっと、シンジくん」
「いや、かまわないよ、ミス葛城。どうも私はサードチルドレンに嫌われたらしい」
 ベネットは肩をすくめた。
「プリーズ、ティーチミー、オンリーワン」
 一つだけ教えてください、とシンジは英語で尋ねる。
「What is it?」
 ベネットが聞き返して、それに対してシンジはたった一言、
「Why?」
 と、尋ねた。それを聞いたベネットは一瞬目を丸くして、それからゆっくりと苦笑する。
「なるほど、賢い少年だ。それに、正義感が強い」
 英語で言われてもシンジには分からない。だが、適格者たちの視線がシンジの質問を後押ししていた。
 何故。
 何故、暗殺などしようとするのか。
 同じ人間なのに。
 使徒と戦う仲間だというのに。
「いいだろう、ならば答えよう」
 ベネットはそう前置きして言った。
「Because I am the President of the U.S.(なぜなら、私はアメリカ合衆国大統領だからだ)」
「That's not the answer(そんなの、答じゃない)」
「You are young(君は若いな)」
 そしてベネットは右手をシンジの左肩に置く。
「But you are going to ruin yourself by its youth(だが、その若さが君自身を滅ぼすだろう)」
 さすがに文が長くなるとシンジには意味が分からない。
 だが、掴まれた左肩の痛みが、明らかに攻撃的であることからだいたいの内容は読み取れる。
「それ以上はこの場では話せないだろう。だが、私の答は間違ってもいないし、言葉が足りなくもない。私の行動は私が決めているのではない。アメリカ合衆国大統領という立場から全て決まっていることなのだ」
 何を言われているのか分からない。だが、たった一つだけ言いたいことがあった。
「You are wrong」
「What?(何?)」
「You are wrong!(お前は間違ってる!)」
 SPたちが一触即発の様子を見せる。だが、ベネットはそれを手で制した。
「まだ十五歳にもならない少年だということだが、若さというのは恐れを感じないのかもしれないな」
「すみません。サードチルドレンが失礼なことを」
「なに、君たちも同意見なのだろう。気にはしていない。むしろ、これではっきりと分かった」
 ベネットは身を翻す。
「私が、何を為すべきかということがな」
 アメリカ合衆国大統領、ニコラス・J・ベネット。
 この時点で、彼とネルフは決定的に『敵』という立場となった。そして立ち去ろうとする大統領に向かって、
「Hey, President」
 英語で声をかけたのはカスミだった。
「あんたは、使徒を倒すのが目的ではないのか?」
「違うな」
 ベネットははっきりと答えた。
「アメリカが使徒を倒すことが大事なのだ」
 ただ倒せばいいというものではない。
 アメリカの国益を考え、アメリカが二一世紀もリーダーシップを取り続けるために。
 アメリカが使徒を倒した──この事実を必要としているのだ。
「それで人間全部が滅びたら世話ないだろ」
「君も随分、生意気な口をきく」
 ベネットは振り返ってカスミを見る。
「名前は?」
「俺かい? 真道カスミさ」
「真道──あのトレジャーハンターの子か」
「母親と一緒にすんなよ。母親は母親、俺は俺さ。なあ、ミスター・プレジデント。取引しないか」
 カスミがぶしつけに言う。
「取引?」
「ああ。使徒戦が終わるまで、ネルフに手出しはするな。人間同士の戦いなんて、人間が生き残ってからやればいい。違うか?」
「かわりに、何を交換条件にするつもりだ?」
「守ってくれれば、二〇〇八年の事件については何も言わない」
 ベネットは表情を変えなかった。だが、その言葉がベネットにとっては重要なことであるのは、その沈黙が証明していた。
「君が本当に知っているというのか?」
「口封じでもするかい? やめた方がいいぜ、俺が死んだときは俺の母親がそれを全世界に公表する。それがいったいどういう結末になるか、考えた方がいい」
「母は母、ではなかったのか?」
「それとこれとは話が別だろ。ま、うちの母親は俺なんかより百倍は金に目がないからな。一億ドルも積めばなかったことにしてくれるかもしれないけどな」
 おどけてカスミが言うと、ベネットも苦笑した。
「その口を塞ぐためにアメリカが動くとは思わなかったのか?」
「別に命狙われるのが初めてってわけでもねえよ」
「どのような事実、真実であってもアメリカはそれを隠すことができるだろう」
「アメリカにとって悪い取引をしているつもりはないんだけどなあ」
 カスミの言葉にベネットはまた小さく笑った。
「まあいいだろう。君の命のある限り、契約は有効だ。長生きをしてくれたまえ」
「サンキュー。ま、憎まれっ子は世にはばかるんで、大丈夫だと思うぜ」
 そうして今度こそベネットが立ち去っていく。ふうー、と全員が息をついた。
「というわけで、なんとか契約成立ってとこかな」
「お前、いったい何を知ってやがるんだ」
 コウキがそのカスミに向かって尋ねる。
「いろいろとな。ま、これで妨害工作が防げるんならいいけど、そう簡単にはいかねえだろうな」
 カスミは肩をすくめる。契約である以上、ベネットの秘密は仲間にすら伝えるつもりはないらしい。
「本当に何もないかどうかは、これから分かる」
 その状況を影から見ていたアイズとマリィが出てきた。ベネットに会わないようにするために、別の場所にいたのだ。
「何もないと思うか?」
「ベネットに限って、ありえないだろう。既に何らかの工作をしているとみた方がいい」
 油断はできないということだ。適格者たちは頷いてからそれぞれ自分の部屋へと戻っていった。






 その夜。
 三人の男たちがマリィ・ビンセンスの部屋に音もなく忍び込んだ。そして標的を見つけるなり、ただちに動く。
 だが、男たちがベッドに近づいたとき、彼らの間に動揺が起こった。
「いない?」
 瞬間、部屋の中に明かりがつく。
「そこまでよ」
 部屋の中に十人の兵士たち。霧島マナが率いる特殊部隊『トゥエルフスナイト』だ。
「アメリカの暗殺者さん、残念だけどマリィならここにはいないわよ。別の場所にかくまってるから」
 この日、マリィはアイズとともにドグマの奥深く、普段クローゼがかくまわれている部屋に退避していた。その場所なら軍隊で攻め込んでこない限り、まずたどりつくのは不可能。
「さ、というわけでおとなしくお縄についてもらいましょうか」
 だが。
 男たちはそのマナの様子を見て、にやりと笑う。
「よく、われわれの動きをつかめたものだ」
「優秀な情報提供者がいたのよ」
「なるほど。さすがはトゥエルフスナイト筆頭、シザーリオ」
 マナが肩をすくめた。よく知っているものだと感心したのだ。
「だが、二流だな」
「捕まっておいてその台詞? 負け惜しみならもう少し上手くやることね」
「負け惜しみでなどあるものか。トゥエルフスナイトが全員ここにいる。その事実がわれわれの目的が達成されていることの証」
 マナは戸惑う。いったいこの男が何を言いたいのかが分からない。
「第二の目的は達成しそこなったが」
 と同時に、残りの二人がその場に倒れていく。
「第一の目的は達せられた。それで十分だ」
 そして、話していた最後の男も倒れる。
「毒か」
 マナが慎重に近づき、相手が事切れているのを確かめる。
「第一の目的」
 男の言葉を反芻する。
 マリィを捕まえる、ないしは殺害するのが第二の目的。
 ならば、第一は?
 マナがすばやく頭の中で考え始める。
『アメリカから来ている女のランクA適格者だということだ』
 そう。マリィ・ビンセンスが狙われていた。だが、それは第二の目的。
『アメリカから来ている』
『女のランクA適格者』
 マナの頭に電流が走る。
「しまった!」
 身を翻す。現場を何人かに任せ、とりあえず五人ほど一緒についてこさせる。
 マナが向かったのは牢屋。
 そこにいた見張りが、すでに事切れていた。
「なんていうこと」
 マナが中に入る。ここには何人かの収容者がいる。一人ずつ隔離され、お互いに話ができないようになっている。
 その中のひとつの扉が開いている。
 顔をしかめたマナが中を見た。
「……やられた」
 そしてマナは左手で頭をおさえた。

 そこに、キャシィ・ハミルトンの死体があった。






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