エヴァンゲリオンのスピードやパワーは、全てシンクロ率が最大値を左右することになる。
普段の格闘訓練や射撃訓練の成績が、エヴァに乗ったまま同じ水準になるということはありえない。そこには必ずシンクロ率による修正を受ける。
シンクロ率が高ければ高いほどいつもと同じ力が出せるが、シンクロ率が低くなるほど普段よりもパワーがセーブされてしまう。
だからこそ、シンクロ率の修正を受けたならば、この本部でエヴァでの格闘をやらせれば一番強いのは誰か。それは火を見るより明らかというものであった。
第佰肆拾肆話
紅、紫、二つの力
戦略自衛隊演習場で対峙する二体のエヴァ。
一方は紫色で、もう一方は暗い紅。
「これから、格闘訓練を始めます」
葛城ミサトの声が二体のエヴァに流れる。
「分かってると思うけど、今回はあくまでも訓練。だから、武器とかは一切ナシ。ここから演習場までは十分離れてるから大丈夫だと思うけど、指定範囲から外に出るのも禁止ね」
『ああ』
『わかりました』
乗り込むカズマとシンジが答える。
そのシンジの目には、正面の機体しか見えていない。
いつも訓練で鍛えてくれている相手。それが今こうしてエヴァを通じて対峙しているのだから不思議なものだ。
『碇』
相手から通信が入る。
『手加減はなしだ』
『分かってる』
手加減をしていて勝てる相手ではない。シンジはそう思って力強くうなずく。カズマはきっと自分のために本気でやってくれるのだろう。手加減をしないように自分を戒めているに違いない。
だが一方で、カズマはそんなことをつゆほども思っていなかった。
(手加減をしていて勝てる相手じゃない)
なにしろシンジはシンクロ率が自分の倍もあるのだ。それがどれほどの差となって現れるか、今の段階ではまだ予想がつかないが、普段の格闘訓練のようにいかないのは間違いのないことだった。
先手をとったのは漆号機だった。
紅の機体が疾走し、紫の期待につかみかかる。だが、紫の機体もただやられるはずがない。その動きを回避して距離をとる。
(ずいぶん、使いなれてきましたね)
シンジの心に直接誰かの意識が流れ込んでくる。
(シオリさん?)
間を取ったところでその意識を探す。
(集中は切らさないでくださいね)
(うん)
(私がサポートします。カズマさんをやっつけちゃいましょう)
やる気に満ち溢れた声だった。
(朱童くんに何かうらみでもあるの)
(ユキオさんをこてんぱんにしたのはカズマさんですから)
佐々ユキオ。それをいうなら佐々にこてんぱんにされたのは自分なのだが。
(でも、私がサポートするまでもないかもしれません)
(どうして?)
(シンジさんの方が圧倒的にシンクロ率が高いからです。しばらく動いていれば分かります。シンジさんの方が、速くて強い)
確かにいつもと違って相手の動きがはっきりと見えている。
(朱童くんの動きがにぶい?)
(低いシンクロ率のせいですね。でも、気をつけてください。シンクロ率が高いということは、その分痛みにも敏感ですから)
(わかった)
(じゃあ、やっちゃいましょう。とにかく速い動きで相手を霍乱して、ついてこられなくなったところで取り押さえてしまえば勝ちです)
そう簡単にいくかなあ、と思っている間に漆号機が動く。
漆号機は少しずつ間合いをつめて、最後の距離を一気に飛び込んでくる。
初号機はそれより速く動いて相手の後ろに回りこむ。漆号機も負けじと初号機に後ろを取られないように回転する。
だが、遅い。
振り向こうとしたときには、既に初号機の手は漆号機の腕をつかんでいた。
カズマが、まずい、と思う間もなく漆号機は遠くに投げ飛ばされる。
「ぐっ!」
横から地面に倒れる。やはり初号機は速い。速いし、強い。このシンクロ率では、まるでついていくことができない。
(力比べで勝てるか?)
カズマは自問する。おそらく無理だと判断する。
(だが、力の差を確認することもテストのうちだ)
両足に溜めを作って初号機の接近を待つ。
「今度は後ろを取らせない!」
カズマが迫る紫の機体の動きに合わせて両手を出す。初号機と漆号機の手が組み合わさった。力比べだ。
(やりましたね、シンジさん)
シオリがうれしそうに語りかけてくる。
(力比べならシンクロ率の高いシンジさんに分があります。一気に押し倒しちゃいましょう)
「了解!」
ぐっ、と初号機から力が入ってくる。カズマは過去にない圧力を感じて、すぐに膝をつきそうになった。
(十分に溜めを作ったはずなのにな)
これがシンクロ率六九パーセントと三三パーセントの差。
(少しは手加減してくれ、と言いたいが)
これはあくまでもシンジのためのテストだ。現状で綾波レイを除けば自分以上に訓練相手が務まるものなどいない。
「だから、本気でいくぞ、碇シンジ!」
たとえシンクロ率で負けていても自分は格闘のプロだ。動きを制限されたところで負けない自信はある。
溜めた足を繰り出す。その右足が初号機の左腹に入った。
「がっ!」
肺に満たされていたLCLを吐き出したような感覚。あまりの痛みに一瞬目が見えなくなった。
その隙に力比べを脱した漆号機の右手が初号機の顔面を打ち抜く。
「ごふっ!」
初号機は仰向けに転がった。
(だ、大丈夫ですか、シンジさん!)
(な、なんとか)
シオリの声にぎりぎり応える。
(すみません、あの体勢から蹴ってくるなんて思ってもいませんでした)
(うん。さすが朱童くんだ。もっといろんなことを教えてもらわないと)
素直に相手のことを褒めるのはシンジの長所だ。
(同じ手にひっかからないようにしましょう)
(うん)
シンジは頷いて初号機を立ち上がらせた。
カズマはその初号機を見ながら自分を冷静に分析する。
(思ったほどダメージが少ないな)
エヴァそのものがどうかというのはともかく、あれほど押し込まれたのに自分の体がさほど痛みを感じていない。痛覚が鈍くなっている感じがした。
(シンクロ率が高い方が、動きもいい分、ダメージも大きい。今の二発は碇には効いただろう)
だが自分は何度なぐられてもそれほど痛みを感じない。この差は大きい。
(肉を切らせて骨を断つ、というところか。カウンターで攻撃した方が効果が大きそうだな)
自分から攻め込んでも相手にうまく回りこまれてしまう。相手のスピードを生かすような攻撃は無意味だ。
(来い、碇)
漆号機は両手を下げた。ボクシングでいうノーガードの構え。
(よくないですね)
それを見たシオリの言葉に動揺が出ている。
(どうして?)
(誘われています。こちらのダメージが大きいとみて、攻撃させておいてカウンターを狙っているんだと思います)
(どうすればいい?)
(そうですね。私はボクシングには詳しくないですが、蝶のように舞い、蜂のように刺す、ではどうですか?)
いわゆる、ヒット&アウェイだ。近づいて攻撃し、一撃を与えたらすぐに下がる。その繰り返し。そうして相手にじわじわとダメージを与える。
(わかった、やってみる)
(がんばってください!)
シオリの声援を受け、シンジは少しずつ間合いをつめる。そして、一気に距離を縮めて一撃。
(速い!)
カズマは回避も逆撃もできずに顔に一撃を受ける。気づいたときには既に初号機は遠く離れていた。
(これがシンクロ率の差か)
ノーガード戦法ではまずいか。いや。
(まだだ。俺にダメージはほとんどない。今のやり方を続ければ体力的に続かないのは向こうの方だ。そして、こちらはタイミングを合わせて一撃を与えるだけでいい)
消極的な戦法だが、確実にダメージを与えるにはこれが一番だ。とにかく相手に隙を作らず、常に正面から当たらせる。後ろにさえ回りこませなければいい。
(来い、碇)
漆号機が一歩前に出る。
(まだ続ける気ですね)
(今のままでも大丈夫かな)
(今度は向こうもタイミングを合わせてくると思います。だから、次の手が必要になると思います。カズマさんの動きの裏をつきましょう)
相手に合わせて行動する。難しいが、このシンクロ率の差があれば大丈夫だ。
(いくぞ!)
シンジは気合を入れて接近する。漆号機がゆっくりとその動きに合わせていく。
それより早く、初号機の右手がうなり、漆号機をとらえようとする。が、漆号機は予想外の動きをした。
「えっ?」
身を丸めて、体当たりをしかけてきたのだ。スピードの速い初号機だからこそ、余計にダメージは大きい。
「ぐうっ」
初号機がはじきとばされ、それを漆号機が追撃する。足をかけて地面に倒し、そのまま馬乗りになろうとしてくる。
「させるかぁっ!」
横に転がってなんとか漆号機の追撃をかわす。が、そのとき三極プラグが外れた。初号機のプラグ内に残り時間が点灯する。
「くっ」
その表示に一瞬動揺するシンジ。だが、その隙を見逃すような甘い相手ではない。再び体当たりで初号機にダメージを与えてくる。
「このおっ!」
だが、その体当たりを今度は初号機が受け止めた。このまま力比べに持ち込んで、今度は逃がさないようにする。それで勝ちだ。
一方で漆号機もこれ以上ないくらいに力を振り絞っていた。体勢は漆号機の方が有利。シンクロ率と相殺してようやく五分。両者の力比べがこれで成立したことになる。
お互いに全力を振り絞る。だが、
(シンジさん、このままでは駄目です)
(どうして)
(三極プラグが外れています。活動限界まであと一二〇秒)
それが長いのか短いのか分からない。
(でもここで力比べをやめたら朱童くんにやられる)
(はい。ですからうまく逃れて、相手の後ろを取るしかありません)
(どうやって?)
(体勢を崩すんです。それしか方法はありません)
だが、全力を振り絞っているのに相手の体制を崩すことなどできない。
(いいえ)
シオリは否定する。何を。だが、なるほど、考えてみればその通りだ。
(やるしかないのか!)
シンジはそれまで全力をこめていたのに、ふっといきなり力をぬく。突然の力がぬけたことで初号機が漆号機に押されて後ろに倒れる。だが、バランスが崩れたのは漆号機も同じ。
「いまだ!」
初号機が漆号機を空中へ放り投げる。
カズマは、しまった、と油断していた自分を後悔する。空中で何とか体勢を立て直すも、すぐに初号機が迫る。
初号機の蹴りがまともに正面に入る。骨がきしむような痛み。今のはシンクロ率が高かったら意識を失うレベルだっただろう。
はじきとばされ、漆号機ががくりと膝をつく。そこに初号機が迫る。が──
「うわっ!」
突然、初号機の中が暗くなった。タイムアップ。活動限界を超えてしまった。
(シオリさん?)
呼びかけるが、シオリの意識は既にない。シンクロが途絶えてしまったからだ。
(ごめん、シオリさん)
いいところまで追い詰めたのに、結局勝てなかった。
(でも、次は勝つ)
シンジは暗いプラグの中で誓った。
「はい、二人ともお疲れさん」
仮設司令部へ戻ってきた二人をミサトがねぎらう。もちろん他の適格者たちもだ。
「たいしたものね、二人とも完全にエヴァを乗りこなしてるじゃない」
「いや、さすがに碇はたいしたものだ。とてもついていけない」
カズマは首を振りながら言う。
「でも、朱童くんにはやっぱりかなわなかった」
「三極プラグが外れてなければ負けていたのは俺の方だろう」
二人はお互いに自分が勝ったとは思っていない。どちらも表情に満足はなかった。
「でもこれで、いつ使徒が現れたとしても、戦う目処はついたってことね」
エヴァンゲリオンの操縦については現状では何も問題がないレベルに二人がいるのは証明した。後はシンクロ率を今以上に高めることだ。
「ボクたちにもあんな動き、できるようになるのかなあ」
レミが首をひねる。さすがに今のパフォーマンスを、歩行が終わったばかりのランクA適格者にできるはずがない。
「すぐに追いつくようにしないとね」
タクヤが微笑んでそれに応える。そしてみんなが思い思いの言葉をかけあったりする中で、技術部の赤木リツコがカズマに声をかけた。
「お疲れ様」
「何か用か」
「邪険にしないでよ。はい、これ」
リツコが渡した紙。そこに今回の訓練結果が出ていた。
朱童カズマ、シンクロ率四〇.〇一五%。
「俺が四〇パーセント?」
「ええ。ほんの一瞬だけどね。この戦闘の中でみるみるシンクロ率が上がるから、こっちとしては驚いてばかりだったわ。誰のおかげかしらね」
ここ一ヶ月で急激なシンクロ率の上昇を見せている朱童カズマ。もちろんその原因などとっくに分かっていた。
「守る相手の方が強いんじゃ、格好がつかないからな」
そう。自分は守ることが使命。いざというときはシンジの盾となって戦う。それがシンクロ率の高い自分の使命なのだ。
「一つ聞きたい」
「何かしら」
「初号機と対峙していると、何か不思議な感じを受けた」
「そんなあいまいな表現では何も言えないわね」
「あそこに乗っているのがシンジではないというか、シンジの他にもう一人いて、二人でエヴァンゲリオンを動かしているようなそんな感覚だ」
それはリツコも気になっていた。プラグ内の様子はモニタされているのだが、何かにうなずくようにしている姿が何度も見られたのだ。
「あんたにはその理由が分かるか?」
「推測以外には何もできないわね」
推測だけならいくらでもできる。だが、立証できない推測に意味がないことをこの科学者はよく分かっている。
「それと、このくらいの訓練で根をあげないようにね。来週はもっと辛いトレーニングになるんだから心しておくように。もし、今使徒が来たら、今のあなたたちじゃ相手にならないわ。それを来週は何とかするから」
「了解」
ここまではエヴァンゲリオンを動かせるようにするための訓練。
そして次からはいよいよ、使徒と戦うための訓練だ。
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