アメリカ合衆国大統領、ニコラス・J・ベネットは日本、中国、欧州を回ってようやく本国に戻ってきた。近くやってくる使徒の迎撃態勢。大枠ではアメリカの思惑通りに進んでいる。
いずれにしてもやっかいなのはネルフだ。ネルフ頼みの日本は当然としても、欧州のほとんどがネルフより、もっと言ってしまえば日本よりになっているのが問題だった。ドイツはセカンドチルドレンの存在もあってもともとネルフ側だが、ネルフ支部のあるイギリス、ギリシャも日本を支援する姿勢を見せてきた。フランスは微妙なところだがどちらかといえば日本より。つまり、欧州は全体としてネルフに仕切られている観だ。
「やはり、やらざるをえまい」
欧州を回る中でベネットは既に決断を終えていた。準備はできている。GOサインを自分が出せば全てが進む。
「アメリカが先頭にたって使徒に臨むためには、犠牲も必要になる」
ベネットは帰国即日に指示を出した。日本へ送ったエヴァンゲリオン拾号機と拾壱号機、例の計画を実行に移すように、と。
第佰肆拾伍話
金、銀、鈍く輝く
五月二十一日(木)。
アメリカから松本の実験場に拾号機と拾壱号機が届いた。アイズ、マリィの二人はアメリカで一度起動実験したが、機体映像を見るのはそれ以来になる。
アメリカ、マサチューセッツ第一支部の機体は、黄金・白銀・青銅と五輪メダルの色にあわせたカラーリングとなっているが、形はすべて同じで、パーツの交換や補充が可能になるようにできている。細身で長身、中世の騎士をイメージしたような全身鎧を着た形である。
その黄金色の拾号機と、白銀色の拾壱号機の映像がネルフ本部に届いていた。適格者たちは訓練後のミーティングルームでその映像を見ることとなった。
「改めてみると、派手なカラーリングだな」
別に気に入らないわけではない。ただ、日本の機体に比べて明らかにカラーリングが目立っている。おくゆかしいという日本の文化に多少毒されただろうか。
「歩行実験はいつ?」
シンジが尋ねる。
「日曜日だ。土曜日に現地入りすることになっている」
いよいよ二人の機体がやってきた。これで二人も他のランクA適格者たちと同じように実験を行うことができるのだ。
「現地にはリツコをリーダーに、技術部から数人、アイズくんとマリィさんのガードはトゥエルフスナイトが担当することになるわ」
少年少女からなるトゥエルフスナイトならば、ランクBのガード適格者と同じように、始終傍にいて守ることができる。
「みんな見学に行きたいのはやまやまでしょうけど、その日はおとなしく本部で待機していてね」
ただでさえ実験があって技術部も大変なのだから、余計な面倒まではみていられないということなのだろう。
「アイズと一緒に行きたかったな」
シンジが言うと、アイズが微笑む。ここまで日本のランクA適格者たちはみんながみんなの歩行訓練を見てきた。アイズとマリィのだけが見られないというのが残念だった。
「ま、私がしっかりアイズよりいい結果を出してくるから、安心しててよ」
「へえー」
「カスミ、何その気のない言い方!」
マリィがカスミにかみついていく。いつの間にかそんなところでも関係が生まれている。そういえばこの間はカスミがマリィをナンパしたとか言っていたが、それだけでもないような感じだった。
「本部に戻ってくるのは月曜日。機体を本部に搬送するのは来週の水曜日ね」
そこまでくればアイズとマリィも一緒に訓練ができるようになる。
「追いつくのは大変だが、少しでも早くシンジと同じラインに立たなければな」
「アイズならすぐだよ」
いつも自信に満ち溢れているアイズのことだ、歩行も走行も格闘も、すぐにできるようになる。
「そうね。少なくとも松本にいる間に二人には走行まで完璧にできるようになっていてくれるとありがたいわね。事情が事情とはいえ、他の適格者に比べて遅れてるわけだし、アイズくんはフォースチルドレンなんだから」
「了解している」
そうしてその日のミーティングが終了になった。三々五々、適格者たちが出ていく。
が、一人だけ椅子からなかなか立ち上がろうとしなかった。
「どうしたの?」
その女の子に尋ねたのは神楽ヤヨイ。
尋ねられたのは谷山マイであった。
「ヤヨイさん」
マイの顔が蒼白になっている。
「どうしたの」
「あのときと、同じです」
「あのとき?」
「ドイツの」
その言葉だけでヤヨイはマイの言いたいことを察した。
「誰?」
「分かりません。でも、何か、すごく、不安な気持ちであふれて」
「そう」
何が起こるかというのは分からない。だが、突発的な事件を回避することはできるかもしれない。
「葛城さんと赤木さんに相談しましょう。あと、シザーリオにも」
シザーリオ=霧島マナ。トゥエルフスナイトの隊長だ。
「はい」
アメリカから譲られた機体。ただで譲られるようなことはないと思っていた。ベネットがここを訪れたときもいろいろと仕掛けられたが、それは何とかキャシー一人の犠牲ですむことができた。
(今度は、誰も死なせない)
マリーが亡くなったときのように、シンジが悲しむところを見るのは嫌だった。
五月二十二日(金)。
この日、赤木リツコと伊吹マヤ、高橋シズカの三名を筆頭に、技術部が松本に入る。
昨日、ヤヨイとマイから忠告を受けていたこともあり、保安部を総動員させて松本周辺、実験場内部に厳重な監視体制を敷いた。その担当は無論、剣崎キョウヤであった。
「何か変わったところはある?」
「今のところは何も。職員の身元も全てチェックをかけました。不審な点は見当たりません」
「剣崎くん。私だけのときに敬語を使う必要はないのよ」
リツコは少し優しい口調で言う。だがキョウヤは「これが仕事ですから」と口調を崩さない。
もともとキョウヤは加持リョウジと同期で、大学時代はミサトやリツコと四人でよくつるんでいた。その四人がそろいもそろってネルフに務めているというのは面白い話だが、キョウヤにとってはそのことが相手を信頼する数少ない材料となっている。
「アメリカが外部から仕掛けてきたというわけではないのかしら」
「分かりません。機体の方はどうですか?」
アメリカはエヴァに頼らない使徒対策を進めている。もしかしたら起動した瞬間に自爆するような装置が取り付けられているかもしれない。
「MAGIと人間とで機体は全てチェックをかけたわ。でも、何も見つからない」
「こちら側ではなく本部の方に何かを仕掛けてくるということは?」
「ありえないわけじゃないけど、谷山さんの言い分では松本で何かが起こるような感じだったわ」
危険が近づいているのを感知することはできる。だが、感知できても回避できなければ意味がない。
「延期にした方がいいのでは」
「理由がないわ。『嫌な予感がする』だけではどうすることもできないもの」
マイにどれだけ実績があったとしても、証拠のないことで組織が動くわけにはいかない。エヴァンゲリオンの開発はそれこそ人類の未来がかかっているのだから。
「実験前日、および当日は実験場につながるすべての道路、および交通機関は封鎖されます」
「現状でスパイが紛れ込んでいない以上、外部から何かしかけてくるということはないわけね」
「N2爆弾を松本に落としたりしなければ」
「怖いことを言うわね」
剣崎が真剣な表情で言うので、それすらありえないことではないのをリツコも自覚する。
「実験が終わってみないと分からないわね。もちろん油断をするつもりはないけれど」
「エヴァンゲリオンが暴走する可能性はどうですか」
「ないわけじゃないけど、でもアイズくんもマリィさんも一度起動に成功しているわ」
「綾波レイは二回目で暴走しましたね」
剣崎の不安はいちいちもっともだ。確かに精神的に不安定になってしまうと暴走のおそれもあるが、あの二人に限ってそれが生じるだろうか。
いずれにしても、やれるだけのことはやっている。アメリカが何を仕掛けてきているにせよ、十分に対処できる体制だけは整えておかなければ。
五月二十三日(土)。
こうしてアイズとマリィは現地に入った。実験は明日だ。既に現地入りしているリツコ、マヤらから説明を受け、その日はゆっくりと休むことになった。
五月二十四日(日)、午後十二時三十分。
黄金と白銀のエヴァンゲリオンは地上に搬送され、近隣の自衛隊軍事演習施設へと動かされた。歩行訓練に走行訓練まで一度に行ってしまう考えだ。
「二人とも、準備はいいかしら」
リツコが尋ねると二人は「イエス・マム」と返答する。
それぞれプラグスーツは紫を基調としている。アイズは青紫、マリィは赤紫だ。足元の方が色が濃く、上になるにつれて淡くなっていく。なかなかおしゃれな感じだった。
「いい返事ね。それでは最終確認を行います。まず先にマリィさんから」
「はい」
「拾壱号機による歩行訓練、三極プラグ取替の実験を行います。終了後、二時間の休憩を挟んで走行訓練を実施」
「はい」
「その間にアイズくんに拾号機による歩行訓練をしてもらいます」
「了解した」
「同じように歩行訓練後、拾壱号機が走行訓練を行っている間に休憩。拾壱号機の訓練終了後、走行訓練を行ってもらいます」
「分かった」
「アイズ、勝負よ。どっちの方が速いタイムで歩行訓練を終わらせることができるか」
マリィは自分が姉ほどではなくても、それなりに優秀な方だと思っている。そうでなければ飛び級などできるはずがない。だが、その自分よりもすべてにおいてアイズの方が優秀なのだ。自然とライバル意識が強くなる。
「まあ、がんばれ」
「余裕の応援ありがと。見てなさいよ!」
自分と同じレベルで競える相手がいて、初めてマリィは年相応の自分を出すことができる。マリィが一番自然に話すことができるのは間違いなくアイズだった。
そうしてまずマリィが白銀の機体に乗り込む。エントリープラグが挿入され、通信機能が接続される。
「どう、状態は」
『No problem』
「それじゃあ、そのまま待機していてね」
そうした会話を交わしている間にもオペレーターたちは動く。あっという間に準備が整い、いつでも実験が開始できる状態になった。
「準備はいい?」
『いつでも』
「それでは、シンクロ、スタート!」
リツコの声で一気にシンクロ率が高まる。数値──三〇.八四一%。
「二.五一%、記録更新。三〇%台突入です!」
どよめきはそれほど大きくなかった。マリィが日本で起動するのがはじめてだということもある。さらにはこの時期になると既に三〇%というのがそれほど不思議な数字ではなくなっているということもあった。日本だけでもシンジ、レイだけではなく、カズマにサナエも三〇%台を出しているのだ。
『見た、アイズ?』
もっともそのアイズはアメリカで既に三四%を出しているのだから、まだ四%もの開きがあるのだが。
「調子がいいみたいだな」
『見てなさいよ。歩行訓練だって負けないんだから』
そうして準備につく。八歩進み、プラグ交換、そしてさらに八歩進んで終了。それが訓練第一段階だ。
『マリィ・ビンセンス、いきます!』
そして、一歩ずつ進んでいく。今までに日本の適格者たちの歩行はすべて見てきた。最初はバランスをとるのがとても難しいとみんな口々に言っていた。一度やると慣れるものらしいが、これは、確かに。
『ouch!』
ぐらつき、倒れそうになるのを何とかこらえる。すぐに立ち上がって、呼吸を整える。思った以上に疲労が激しい。
『負けないんだから!』
さらに一歩、もう一歩と進み、勢いに任せて三極プラグをはずす。右手を伸ばしてプラグを握り、背中に再装着。ここで一度休憩を入れる。
『最後!』
一歩、一歩とさらに進んでいって、ようやくゴール。
『時間は?』
「五分三一秒。カズマくんやサナエさんよりはずっと速いわね。他の世界の適格者たちに比べても充分に上位の数値よ」
『見た、アイズ!?』
マリィの満面の笑みが画面に映る。アイズも顔をほころばせた。
「おめでとう」
『うわ、余裕のコメント』
「疲れただろう。シンクロをカットしてまずは休め」
『ありがと。それじゃ、次はアイズの番。私が成功しているのにアイズが失敗したら指さして笑ってやるんだから』
「そうならないように気をつけよう」
そうしてシンクロが切れる。
「安心したみたいね」
リツコがアイズに尋ねた。
「ええ。唯一の同郷ですから、無事に終わったら嬉しいですよ」
「でも、負けられないんじゃないのかしら?」
「俺は簡単に負けてやるつもりはないですよ」
そうしてアイズが続けて黄金の機体に乗り込む。
『いつでもどうぞ』
「ええ。少し待っていてね、準備を終わらせるから」
黄金の機体のセッティングをしている間に、仮設本部にマリィが戻ってきた。
「お疲れ様。どうだった?」
「疲れました。明日は筋肉痛かもしれません」
アイズ以外にはこうしてマリィも丁寧な言葉遣いを心がけている。
「この後、今度は走行訓練もあるのよ」
「覚悟してます」
笑顔で答えたのは、今回の訓練がうまくいったことが自信につながったからだろう。
「準備できました」
オペレーターの高橋シズカが告げる。
「それじゃあ、アイズくん、いいかしら」
『OK』
「それじゃあ、シンクロスタート!」
マリィの時同様にシンクロ率が上がる。その数値、三七.九六九%。
「三.七%の更新!」
今度はどよめきが起こった。マリィが二.五%の上昇。比較すればアイズの方がすごいということが当然分かる。
「なんでよ!」
『悪いな、マリィ』
アイズが苦笑しながら答えた。
『歩行訓練、開始してもいいか』
「ええ、いつでもいいわよ」
『では、開始する』
淡々とした言葉で訓練が開始された。うまくバランスをとってすぐに八歩進み、手馴れた動作で三極プラグを交換する。
「何でそんなに速いの?」
マリィが信じられないという様子で見る。まだ時間は二分しか経っていない。
『充分遅いと思っているけどな』
実際、アイズは予想以上に時間がかかっていた。どれくらいの負荷がかかり、どれくらいの時間がかかるかを考えながら模擬訓練を行っていた。うまくいっているのはそのおかげだと思っている。
こうして最後に歩いて時間を計測したところ、合計タイムが二分三九秒。シンジで一分五八秒、ドイツのセカンドチルドレンが一分五六秒だということだ。それに告ぐ世界三番目のタイムということになった。
『こんなところだ』
「悔しい」
うう、とマリィがうなる。どうしてもアイズにはかなわないらしい。
『一度シンクロをカットしていいのか?』
「ええ、お疲れ様。まだまだ余裕みたいだけど」
『そうだな。走行訓練をこのまま続けることもできるが』
「こちら側の準備がまだだから、一度止めてもらわないといけないわね」
『了解した。シンクロカットする』
そうして通信が切れる。充分以上の数値が得られた。シンクロ率も、それに時間もだ。アイズ・ラザフォードはシンジやカズマと一緒に肩を並べて戦える戦力であることが判明したのだ。
「先輩」
そこにマヤが声をかけてきた。
「シンクロ、カットされません」
シンクロをカットするには本部から強制的にカットするか、あとは普通にエヴァ内部からシンクロを切断すればそれでいい。
「アイズくん?」
尋ねてみる。
『感度良好』
「どうしたの? シンクロが切断されないけど」
『シンクロがカットされない』
アイズが困ったように言う。
『シンクロをカットしようと思っても、切断されない。こちらからではシンクロ切断の操作ができなくなっている』
「どういうことかしら」
リツコが首をひねる。
「強制的に停止するわ。衝撃に備えて」
『了解』
「マヤ、シンクロ強制カット」
「はい。切断します」
強制停止信号を拾号機に向けて放つ。
「どう?」
「駄目です。シンクロカットできません」
「どうして──」
と、そこまで考えて身震いした。
(もしかして)
目の前で起こっている想定外の事態。これこそが、まさか。
(アメリカが仕掛けた罠)
リツコの顔が、瞬時に青ざめた。
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