エヴァンゲリオン初号機と漆号機が、パイロットを乗せたまま到着する。
技術部はすぐにエヴァンゲリオンに回路を接続させて抗体のインストールに入る。それが終わるまでものの五分もかからない。
だが、既にエヴァからの浸食が始まっている拾号機にとってその五分は絶望ともいえる五分。
ここまで、リツコの指示には何も問題はなかった。初号機、漆号機を呼ぶタイミングは最速だったし、どこにもタイムラグは生じなかった。
それでもアイズの心は完全に壊れてしまった。つまり、どうあがいても赤木リツコにはアイズを救う手段はなかったということだった。
第佰肆拾漆話
涙、暴走、迷いの果てに
「アイズ」
マリィは目の前で吐血しながら叫ぶアイズの姿を見続けていた。
彼の心は完全に壊れてしまった。間に合わなかった。シンジたちが到着する前に、すべては終わってしまった。
「ごめんね、アイズ」
マリィはただ泣いていた。何もできない自分が悔しくて、そして。
「アイズのことが好きだって言ってれば、こんなことにならなかったのに」
そう。好きなのだ。恋愛感情なんかどうでもいい。ただアイズと一緒にいられることが幸せだったのだ。適切な言葉は見つからないが、あえて言うのだとしたら。
「家族みたいに、好きだったんだよ」
遅かった。その言葉を、壊れる前に伝えられていたならば。
「ごめん、アイズ、ごめん」
それでも、マリィは通信機能を切ることはしなかった。
これは自分の罪。アイズが壊れたのは自分のせいなのだ。
自分が何も隠し事をしなければアイズは無事だったのかもしれない。
自分がアイズに好きだと言っていればアイズは助かったのかもしれない。
「アイズ」
画面の向こうで、アイズはただ叫ぶ。マリィの名を叫ぶ。そう。この言葉を自分は受け止めなければならない。
『俺を裏切ったのか、マリィ！』
信じられなくしたのは自分だ。
「ごめんなさい、アイズ」
涙が止まらない。すべては自分のせい。自分が弱かったせい。自分がアイズを信じきれずに何も話すことができなかったせい。
『俺を苦しめるのか、俺を殺すつもりかマリィ。答えろマリィ！』
「そうだね」
この苦しみを自分は受け止めなければならない。
「アイズを苦しめたのが私だっていうのなら、アイズは私を殺していい」
『まあああああああありいいいいいいいいいいいいいっ！！！！』
プラグの中が、アイズの血で染まる。
『俺は、俺は、俺は俺は俺は俺はおれはおれはおれはオレハオレハオレハオレハオレハ』
「アイズ！」
『俺は！ もう何も信じない！』
拾号機の目が光る。
『お前を殺す、マリィ！』
「エヴァンゲリオン拾号機、生命維持モード停止！ 通常モードに切り替わります！」
「なんですって？」
シズカからの声でリツコは画面を見つめる。拾号機が動く。せっかく初号機と漆号機が到着して、抗体のインストールも終わるというのに。
『赤木博士！』
プラグに搭乗しているシンジからの通信が入る。
『これはどういうことなんですか！ アイズはどうなっているんですか！』
「分からないわ。通信は切断しているから」
『でも！』
「いずれにしても説明した通りよ。シンジくん、カズマくん。あなたたちは拾号機からエントリープラグを引き抜き、アイズくんを救出してもらう。できるわね？」
簡単なことではない。だが、二人は既にエヴァンゲリオンでの格闘訓練も終えている。エヴァをかなり使いこなせるようになっているのだ。
「アイズくんを助けるには、それしかないのよ」
『わかりました』
シンジが歯を食いしばる。
「初号機、準備完了！」
「漆号機もいけます！」
オペレーターから連絡が入る。
「二人とも、いけるわ！」
『初号機、いきます！』
『漆号機、起動する！』
シンジとカズマがエヴァンゲリオンを起動させる。その直後、空を飛ぶ白銀の機体、拾壱号機の姿が目に映った。
『マリィさん！』
シンクロすればすぐに強制シンクロ状態になってしまう拾壱号機を動かすわけにはいかない。現状ではシンクロが切断されているので、痛みをそのまま感じるわけではないが、衝撃だけはそのまま感じることになる。プラグがある程度ショックを吸収するとはいっても、高さ十メートル近くのところから落ちた衝撃を受けているのだ。骨の一本や二本は折れても仕方がないだろう。
『だい、じょうぶ』
マリィの弱弱しい声がかえってくる。
『シンジ、カズマ。お願い、アイズを助けて』
『もちろん！』
『まかせろ』
二人が答える。だが、既に黄金の拾号機は戦闘体勢に入っていて、いつでも自分たちに襲い掛かってくる構えだ。
『アイズ！ 目をさまして、アイズ！』
『無駄だ、碇。あれは既に──』
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ！
拾号機が吼えた。それは嘆きか。
『暴走している。止めるぞ、碇』
『どうやって』
『プラグを力任せに引き抜くしかない。俺よりお前の方がシンクロ率が高い。お前が力で抑え込め。俺が後ろからプラグを引き抜く』
『でも！』
『プラグを引き抜かれるのがどれだけ痛むか、想像がつくな？ お前はいざとなったら躊躇する。だからお前にその役はさせられない』
もっとも、カズマには他の考えもあった。最悪の場合はアイズごと拾号機を破壊しなければならなくなる。どんなことがあってもシンジにそれはできないだろう。
『朱童くん』
『頼むぞ、碇。お前が足止めできなければ、使徒のかわりに暴走したエヴァンゲリオンのせいで地球が滅びるかもしれないぞ』
そんなことをさせるわけにはいかない。シンジは歯を食いしばる。
『ちくしょう……』
だが、そのつぶやきは一瞬だった。すぐに初号機が動いて拾号機に襲いかかる。
『アイズ！』
返事はない。そのかわりに拾号機が足で蹴りつけてくる。それを両腕でガードする。
『うおおおおおおおおおおおっ！』
そのまま初号機は拾号機を押し倒した。両腕で拾号機を羽交い絞めにする。
『朱童くん！』
『上出来だ、碇！』
既に漆号機はむきだしの首筋のところまで来ていた。
が、その瞬間、初号機に通信が入る。
『……シンジ』
アイズの声だった。
『アイズ！』
『お前も、か』
小さく、弱い声。
『アイズ、聞こえる、アイズ！』
『助けてくれ、シンジ……苦しい、おとなしくしているから、この手を、よけてくれ……』
『聞くな、碇。罠だ！』
漆号機の手は既にエントリープラグにかかっている。
『助けてくれ、シンジ。助けて──』
『アイズ！』
その一瞬、初号機の拘束が弱まる。直後、拾号機が体を反転させて、漆号機を強烈に蹴りつけた。
『がはっ！』
カズマの視界が暗転する。衝撃で目が一瞬だけ見えなくなったらしい。だが、すぐに頭を振って視界を取り戻すと、目の前に黄金の機体。
（まずい！）
ガードしようとするが、遅い。上から叩きつけられた手が、防ごうとした左腕に落ちる。
「左腕、損傷！！」
折れた。漆号機の左腕が折れた。折れたのと同じ痛みが自分の腕に響く。
実際には自分の腕は折れていない。だが、折れているのと同じ痛み。何だこの不快感は。
『こ、の……っ！』
左足でこらえながら拾号機を蹴りつける。だが、拾号機は簡単に回避すると、体当たりをしてきた。
『がっ！』
その衝撃で、今度こそカズマは意識をなくした。
「漆号機、活動停止！」
「くっ」
今のはカズマには何も問題がなかった。問題があるとしたら──
『僕のせいで』
シンジが歯を食いしばる。
あの瞬間、アイズの声に負けて拘束を緩めたから、こういう結果になった。
「シンジくん、聞こえる？」
初号機のプラグにリツコの声が響く。
『はい』
「失敗は取り返してね」
『……はい』
「私は作戦部じゃないから詳しいことは省くわ。拾号機を止めて」
『どうすれば』
「エントリープラグを引き抜くのよ。相手を活動停止になるまで追い込まなければいけないわ」
『そんな』
拾号機は暴走しているせいか、シンクロ率が高くなくても初号機と同じくらいに機敏に動いている。
「やるしかないのよ」
『わかりました』
だが、それも自分の責任だとするならば、他に選択肢はない。
『アイズ』
拾号機は初号機に近づいてくる。
『おおおおおおおおおおおおおおおおっ！』
紫と黄金の機体が、軍事演習場で力比べとなった。
（シンジさん、もっと力を振り絞って！）
シオリからの激励が飛ぶ。最大限に力を振り絞っているつもりなのに。
（でも、これ以上は）
（いつもよりシンクロ率が高くなってません！ もっと私を感じてください！）
言われた通り、シオリの意識に自分の意識を合わせる。少しずつ力が楽になっていく。
（その調子です。一気に押し倒しちゃいましょう！）
押し切ったところで拾号機が離れようとするのを逃がさず、その顔面を殴り飛ばす。
ふらついたところに足をかけて倒し背中に乗ろうとする。
（駄目です、シンジさん逃げて！）
シオリの声に、初号機が止まる。初号機が飛び乗ろうとした背中を一陣の風が過ぎる。
プログレッシブナイフ。
いつの間にか拾号機はそのナイフを手にしていた。そのまま飛び乗ろうとしたらナイフで刺されていたところだった。
「シンジくん、聞こえる？」
『はい』
「プログレッシブナイフは初号機にも装備されている。分かっているわね？」
『はい』
ウェポンラックからナイフを取り出して初号機も装備する。
『でも、このままだとアイズが』
「分かっているわ。まずは武装解除させて。すべてはそれからよ」
難しい要求だった。だがやるしかない。自分が殺されるわけにもいかないし、このままだとアイズも助けることができない。
アイズを助けるには、プラグを引き抜くしかないのだ。
『いくぞ！』
シンジの格闘能力は高くない。だが、ここ最近ずっとカズマに鍛えられていたおかげで体が動くようになっていた。
ナイフの使い方もその一つだ。もちろん刃のついたナイフで訓練をしたことはないが、相手と戦うときのナイフの使い方は体に染みこませている。
お互いのナイフが火花を散らす。
二度、三度と刃を交えた後、拾号機は両手でナイフを持って突進してきた。
（シンジさん、チャンスです！）
『了解！』
両手で構えているということは、ナイフの動きを変えることができないということ。
その腕めがけて初号機が蹴りつける。ナイフは弾き飛ばされた。だが、
『え』
拾号機はそのまま突進を止めず、初号機に体当たりをかけた。衝撃で手からナイフが落ちる。
（シンジさん！）
そのナイフを拾号機に拾われた。さらには初号機の背中に乗られて、ナイフを大きく振りかぶられて。
『う、うわあああああああああああああっ！！！』
（シンジさん！！！！）
そのナイフが、初号機の首筋に──
『ごめんなさい、アイズ』
落ちなかった。黄金の機体は、そのままの体勢で完全に固まっていた。
その黄金の機体の向こうに、白銀の機体。
マリィの乗る拾壱号機が、拾号機のエントリープラグを引き抜いていた。
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