『それじゃ、ひとおもいにやってくれる?』
 さすがのマリィも恐怖で顔が引きつっている。笑顔を作ろうとしてもなかなかうまくはいかない。
『マリィさん』
『大丈夫。そんな顔しないで。少なくとも私はアイズみたいに汚染されてるわけじゃないから、今のうちに引き抜いてくれれば暴走することもないし』
 まだ精神が安定しているうちに、強引にプラグを引き抜く。だが、それは首の後ろから手を入れて抜き取るという、一歩間違えば命にかかわるものだ。
「マリィ。シンクロ率をできるだけ落として」
 リツコから言葉が出るが、簡単に操作できるようなものなら誰も苦労はしない。
『どうすれば』
「シンクロするにはリラックスしなさいって言われてるでしょう。その逆。おもいきり緊張して」
 なるほど、実に分かりやすいアドバイスだ。マリィは目を固く瞑ってそのときを待つ。
「シンクロ率、〇.三%低下」
 気持ち下がったというところか。まあ、生き残るにはシンクロ率は低ければ低いほどいい。
「それじゃ、シンジくん。お願いね」
『はい』
 シンジの手が震える。だが、本当に怖い思いをしているのはマリィの方だ。
『マリィさん。いくよ』
『う、うん』
 映像の中のマリィの顔が、いよいよ強張る。
 初号機の左手が拾壱号機の左肩を後ろからおさえ、そして右手がその首筋に落ちる。
 シンジが迷えば迷うほどマリィの恐怖が高まる。だからこそ。
 シンジは歯を食いしばってその首筋に手をねじ込んだ。



 絶叫が、スピーカーを通して初号機の中に響いた。












第佰肆拾玖話



月、雫、無色の光












 こうして、拾号機の暴走事件は終了した。
 そのまま拾号機、拾壱号機は回収。損傷そのものはそれほどでもなかったらしく、ウイルス抗体が出来上がればすぐに再使用が可能だという。
 だが、パイロットはそうはいかない。
 シンジには見せられなかったが、アイズとマリィの二人はただちに病院へ搬送された。マリィはプラグ引き抜きのショックで最終的に意識を失っていた。もっとも、意識が残った状態の方が苦しかったのは間違いない。
 また、命に別状はないらしいが、アイズの精神汚染は復帰できるかどうかわからないとのことだった。
「碇」
 全てが終わってから、カズマはシンジを殴った。
「戦闘中に、余計なことを考えるな」
「……ごめん」
「お前がしっかりしていれば、マリィに余計な負担をかけることもなかった。今回は完全にお前の責任だ。いいか、二度と同じ失敗をするな」
「はい」
 有無を言わさないカズマの言葉に、シンジは心から反省した様子で頷く。
「それならいい。ビンセンスの意識が回復したら謝りに行ってこい」
「分かった」
「それから、ラザフォードにはしばらく会いに行くな」
「どうして」
「お前のことを認識できないかもしれない」
 先に回収された漆号機から出されたカズマは、エントリープラグから救出されるアイズとマリィの姿を見ていた。マリィは気を失っていたが、アイズはそうではなかった。その場で暴れて、職員に襲い掛かろうとしたので、鎮静剤でおとなしくさせたのだ。今は治療が始まっているはずだが、同時に拘束もされている。
「シンジくん!」
 と、そこに駆け寄ってきたのは特殊部隊トゥエルフスナイトを率いるシザーリオこと霧島マナ。
「マナ」
「ごめんなさい、アイズくんがこんなことに」
「いや、マナのせいじゃないよ」
 事情についてはとっくにシンジたちにも知らされている。もしもこれが誰かに襲われたとかだったらマナの責任だろう。だが、今回は明らかに違う。エヴァンゲリオンに仕掛けられていたものを見破れなかったのは技術部の責任だ。
「とにかく命に別状はないみたいだし」
 問題は命ではない部分だ。たとえ命に別状がなかったとしても、精神が崩壊して以前のように話したりすることができなくなるのなら、それは結局同じことだ。
「ごめん、本当にごめん。私、役に立たなくて」
 マナが泣き出している。シンジは「そんなことないよ」とその肩をたたく。
「とにかく今は、アイズとマリィさんが意識を取り戻すのを待たないと」
「うん」
「抗体のインストールも全機体に行った方がいいだろう」
 カズマが口を挟む。リツコが「当然ね」と頷いた。
「上には何と報告するつもりだ?」
 そのリツコにカズマが近づいて尋ねる。
「そのまま報告するわよ。ただ、国連本部にありのままを報告するわけにはいかないわね。アメリカを敵に回すことになる」
「どうやって?」
「パイロットの精神状況が不安定で暴走、止めようとした拾壱号機が小破、稼動できる壱号機と漆号機で食い止めた、というところかしらね」
「そのように本部でも伝達した方がいい」
「ええ。無用な混乱をきたしかねないものね」
「ランクA、およびガードには」
「それも大丈夫よ。あなたたちにとってアメリカが敵になっているのは周知の事実でしょうから、きちんと正確なことを伝えるわ」
「頼む」
 さすがにリツコは話がよく分かっている。カズマが気をきかせるようなことではなかった。






 こうして松本での暴走事件はうやむやのうちに収束することになるが、当然ながらそこにいたパイロットたちに与えた影響は大きいものがあった。
 何人かで見舞いに来る案も考えられたが、治安と現場の問題もあるため、シンジ、カズマのガード役である古城エン、不破ダイチ、それに同じくガードからの方がいいだろうということで、射撃ランクSの真道カスミ、格闘ランクSの清田リオナ、四人がやってくることになった。
「変わった組み合わせねえ」
 貸切車両の一ボックスに四人が座る。リオナとしてはダイチと一緒に行動できるので、それはそれで嬉しいのかもしれない。一方のダイチはぶすっとしているし、エンは心配そうに、カスミはへらへらと笑っている。
「もしかして、私だけお邪魔だったりする?」
「そんなことはねえよ。あんたに覚悟があるのなら、っていう条件がつくけどな」
「覚悟?」
「世界のために命を投げ出す覚悟さ」
 エンとダイチは何も答えない。既に覚悟を決めている者たちは何も言う必要がない。
「私にその覚悟がないっていうの?」
「何で俺たち同期生が全員ガードになってるか分かるか?」
 カスミの言葉に、ダイチとエンが睨む。
「偶然じゃないの?」
「そんな偶然があるもんかよ。最初っから仕組んでたことさ。俺たちは全員、シンジを守るためだけに十三年の九月に集められたんだ。命をかけてシンジを守ることを前提に俺たちは適格者になった。初めから役割が決まってたんだよ」
「そんな」
「シンジがランクAになってあれだけのシンクロ率を出すことは最初から分かっていることだった。だから俺たちは協力してずっとシンジを守り続けてきたし、シンジの盾になって死ぬ覚悟は全員ができている」
 エンとダイチは何も言わない。特にシンジのガードをしているエンなんかはその意識がかなり強い方だろう。
「だから、俺たちのことなんか気にしなくていいぜ。シンジを優先するっていう基本命題がブレない限り、俺たちは基本自由行動だからな。ミーティングなんかはやってたりするが」
「それなら、私はどうしてガードになったの」
「人手が足りなかったから。ランクB適格者全員の素行調査を行って、一番安全で無難で、なおかつ能力的に高い人間を選んだ。だから、別にお前に聞かれて困るような話は何もねえよ」
 リオナがダイチを見る。だが、その冷たい目は事実であることを伝えていた。
 エンはどうか、と見るとやはり落ち着いた視線だった。いつもの柔和な笑みは見られなかったが。
「話しすぎだよ、カスミくん」
「いいのさ。少なくともこのお嬢さんには、それこそ俺たちの邪魔だけはしてもらうわけにはいかないからな。いざというときにシンジを後回しにされるのは困る」
 すべてにおいてシンジを優先。その覚悟を持てというのか。
「碇くん自身はそのことを知っているの?」
「知っている。今月話したばかりだ」
 つい最近だ。
「特別扱いされて、何も感じないような人じゃないわよ」
「それは仕方が無いと諦めるしかないな。もしエヴァを動かすのに長けているのが俺だったら、俺が特別扱いされているだけのことだ。たまたまシンジだったんだ。事実を否定することは誰にもできない。その事実とどう向き合うかが問題なだけだ」
「不破くんも古城くんも、それでいいと思っているの? 仕事だから、任務だから碇くんを守っているの?」
「俺たちは八人で仲間になった。エースが碇で、俺たちはサポートメンバー。仲間なら協力するのは当然のことだ」
 ダイチがけろりとして言う。冷たい表情で、意外に仲間意識が強いからこの男はあなどれない。
「僕は確かにシンジくんを守るために適格者になったけど、適格者になってからシンジくんと知り合ったとしても守ろうと思うよ」
 エンは誰よりもシンジに近いところにいるのだ。それが仕事だからという理由では相手にも気づかれてしまうだろう。
「正直、シンジを快く思ってねえのはコウキくらいだぜ。ま、あいつの場合もシンジ自身を嫌ってるわけじゃねえ。ちょっとした事情があってな。あとはカナメがらみでヨシノがどう思っているかってのもあるけどな」
「複雑な関係なのね」
「ああ。すべては人類を守るため、っていうことらしいが」
 カスミは肩をすくめる。
「俺は人類なんかどうでもいいのさ。ただ、ここの仲間は俺が今まで活動してきた中でも一番心地いい。だから仲間を傷つけようとする奴がいるなら倒す。今はそれが楽しいだけさ」
 リオナは悟った。
 ランクAのメンバーよりも、それをガードしている人たちの方が、はるかに核心に近いところにいるのだということを。
「ガードこそ、事実を知っておかなければいけないということね」
「そういうことだな」
 そうして列車が到着する。すぐに車に乗り換えて松本へ急ぐ。
 だが、現地に到着したときには、そこは既に報道陣であふれかえっていた。
「おー、こりゃまた随分激しいねえ」
 エヴァンゲリオンの暴走事件。当然ながら隠しておけるようなものではない。だが、今日起きたばかりの事件でこの早さはどうか。おそらくは事前に何か仕組まれていたのだろう。
「やっぱりアメリカはやることがきついねえ」
「どうする」
 ダイチが尋ねる。まあ、車の中にいる以上、相手から質問責めにされることはないが。
「ま、俺たちが考えることじゃねえよ。そういうのは上に任せようぜ。俺たちはまずシンジたちと合流するのが先だ。というわけで、コウさん、そのまま突っ切ってくれよ」
「あいよ。ったく、人を働かせるのが上手な奴らだぜ」
 門倉コウ。武藤ヨウの部下で適格者の警護などを担当している人物だ。このような状況下では、使徒教の人間が紛れ込む可能性だってある。そのこともあってコウが派遣されてきたのだが、さすがにあの『死徒』フィー・ベルドリンデが出てきたとしたら、無事に守りきれる自信はない。相打ち覚悟で特攻するしかないだろう。
「うん?」
 ゆっくりと動く車の中から、エンが目をこらす。
「どうした?」
「いや、知ってる顔を見つけた」
「誰だ?」
「右斜め前方。小さな女の子だよ」
 エンに言われて隣に座っていたカスミが目を凝らす。
「あいつ、確か、インタビューに来ていた」
「飯山ミライさんだね。まさか現場に来ているとは」
「テレビの取材に狩り出されたってところか。いまや碇シンジ・ファンクラブの筆頭だからな」
 あれからもテレビ出演を繰り返しているミライは、事あるごとにネルフやシンジの話題をテレビでも口にするようになっていた。
「会わせてやるか」
「シンジくんに?」
「あいつが使徒教の関係者でないっていうなら、仕事で来たか、それとも心配して来たかのどっちかだろ。ネルフと無関係の人間からの励ましっていうのが、シンジにとっては一番効くんじゃないか?」
 エンは否定しなかった。確かに今の状況──アイズ重症、という状況では誰かからの応援がほしいところだ。
「賛成」
 ダイチも言う。助手席にいるリオナは何も答えない。
「じゃ、決まりだな。コウさん、敷地に入ったら俺とリオナだけおろして」
「了解」
「僕はいいのかい」
「お前はシンジのところに急ぎな。ダイチもカズマのところにいろ。今はとにかく離れるな。何があるか分からない」
「分かった」
 そうしてカスミとリオナが車を降りる。ネルフの制服ではなく私服で来たのが良かった。顔が回っていない自分たちなら報道陣にまぎれても、年齢が若いとはいえ、ネルフ関係者だとは思われなくてすむ。
 そうして近づいていくと、意外なことにミライはマイクや取材道具のようなものを一切持っていなかった。考えてみれば元気でいつものようにはきはきした様子がない。
(そういや、素の飯山ミライは大人しい子だってシンジが言ってたな)
 そんなことを思い出しながら近づく。ぽん、と肩を叩いた。
「よう、久しぶり」
 突然声をかけられて驚いたのか、ミライは目を大きくした。
「か、カスミさん」
「現役トップアイドルに覚えててもらえるなんてね。嬉しいかぎりだぜ」
「忘れませんよ、あの日のことは」
 ミライは小さく微笑む。確かに元気はつらつではなく、非常に大人しくて清楚な印象を受ける女の子だった。
「事故があったと聞いてかけつけたんです。もしかしたらシンジくんたちがいるんじゃないかって。無事かどうかだけでも知りたかったんです」
「取材じゃないのか」
「違います」
 ミライは首を振る。
「本当に、ただ心配だったから」
「OK。あんたの言葉に嘘はないと思ってるよ。まあ安心してくれ。シンジなら何ともない。無事だ」
「そうですか、良かった」
 ほっと胸をなでおろす。
「ただ、一人重症者がいる。あんたが取材に来た後にアメリカからやってきた奴でな。シンジの友人だ。俺も事故後シンジにはまだ会ってないんだが、相当ショックを受けてると思う」
「そうですか」
「あんたは不快な思いをするかもしれない。それでもシンジに会いたいか?」
「会いたいです」
 ミライは即答した。いい答だ、とカスミが笑う。
「リオナ。この子を案内してやってくれ。どこか空いている部屋で待っていてくれたら、こっちから連絡するか、そこにシンジを連れていくかする」
「分かったわ」
「あ、ちょっと待ってください」
 ミライはそう言うと、マネージャーと一緒に来ていたのか、一度近くにある車の方へと向かった。そして何やら紙袋を持ってくる。
「それは?」
「シンジくんにあげたいものがあったんです。あ、危険なものとかではないです」
「調べさせてもらうけど、かまわないかい?」
「もちろんです」
「リオナ」
「はいはい」
 すっかり小間使いにされているが、リオナはその紙袋を受け取る。
「しばらく待ってもらうことになると思うけど、かまわないな?」
「かまいません。シンジくんが苦しんでいるのなら、少しでもそれを和らげてあげたいと思います」
「ありがとう」
 カスミが笑顔で言う。
「あんたみたいに、無心でシンジのことを思ってくれてる人間がいることが、今の俺たちには一番ありがたいぜ」
 それはカスミのまぎれもない真実の言葉だった。






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