リオナはミライが持ってきた荷物の鑑定を終えると、彼女と一緒に給湯室でお茶を飲むことにした。
「それにしても、アイドル業って大変なんでしょ? こんなところまで来て大丈夫なの?」
「はい。今日の仕事はもう全て終わりましたから」
アイドルという仮面を外したミライはどこにでもいるおとなしい女の子だった。前にネルフにミライがやってきたとき、仮面を外したミライと話したのはシンジだけ。だから本当はこういう子なのだという説明を聞いてもよく分からなかったが、こうして話してみるとよく分かった。
「なんだか、テレビで見るのと全然雰囲気違うね」
「はい。テレビではプロデューサーが作った【飯山ミライ】を演じてますから」
「あれ演技なんだ。でも、そういうのって大変じゃないの?」
そもそも今のミライが地なのだとしたら、いつも他人に迷惑をかけてばかりの【ミライ】を演じるのは大変なことではないだろうか。
「本当は、私は【ミライ】は嫌なんです」
「やっぱり」
「でも、一つだけ感謝してることがあります」
「なに?」
ミライはにっこりと笑った。
「私は【ミライ】だったから、シンジくんに会うことができたんです」
第佰伍拾壱話
光、未来、信じる心
部屋から出てきたカスミをシンジとエンが出迎える。よう、とカスミが声をかけるとシンジも小さく頷いた。
「元気そうじゃねえか。もう大丈夫か?」
「僕は何とも」
「それは良かった。今はマリィも泣き疲れて寝てるから、話は明日にしてやってくれ」
シンジとエンが目を合わせた。つまり、慰めていたということだろうか。この真道カスミが。
「おいおい、なんか、失礼なこと考えてねえか」
「全然」
「そんなことないよ」
声を合わせて二人が言う。
「ま、言われるのも分かってるけどな。ここだけの話、あいつはちょっと昔からの知り合いなんだ。そういうわけでな」
「それは何となく分かっていたけど」
「というわけで、シンジ、お前に客を連れてきたぜ」
「客?」
「話してなかったのか、エン?」
「そんな時間がなくて」
「そうか。そろそろ終わってるころだろうから確認してみるか」
携帯電話で連絡を取る。
『はろはろー』
「リオナ、検査結果は?」
『マッシロシロの介』
「なんだそりゃ」
『で、どうすればいい? 今二人でお茶してるところだけど』
「ずいぶんのんびりしてやがんなあ。どこだ?」
『入り口だと誰に見られるか分からないから、二階の給湯室横の休憩所』
「了解。シンジとエンつれてすぐに行く」
『はいなー』
電話でのやり取りを終え、三人はすぐに移動する。
そして指示された部屋に入ると、こじんまりとした部屋の中で二人の女性がいた。無論、リオナとミライだ。
「み、ミライさん!?」
「シンジくん」
そこにいた現役アイドルの姿にシンジは驚きを隠せない。一方でミライの方はといえば、憂いを帯びた目でシンジを見つめている。
「そしたら、邪魔者は退散退散」
リオナが言ってエンとカスミを外に出す。部屋の中にはシンジとミライだけが残された。
「すみません、真道くんと清田さんが連れてきてくださるというので押しかけてきてしまいました」
そうしてぺこりと一礼する。普段の画面で見る礼儀知らずで無鉄砲な様子からはまったくかけ離れている。改めてアイドル『飯山ミライ』の本当の姿はこういうものだと感じた。
「いや、でも、どうして」
「ちょうど、第二東京で現場ロケがあったんです。それもネルフ関係の仕事だったんです。それで事故があったと聞いて、シンジくんはこちらにはいないとは思っていたんですけど、私」
「心配してくれたの?」
驚きだった。たった一日しか会っていなかった、日本で今一番売れているアイドルが、自分なんかを。
「おかしいですか」
「そ、そんなことないよ。ミライさんは優しいし、そういう人だっていうのは分かってたつもりだけど、でも」
「私、こう見えてもシンジくんの大ファンなんですよ」
ちょっと笑顔を見せる。その笑顔にシンジは顔を真っ赤にした。
「あ、ありがとう、ございます」
思わずたどたどしくなってしまう。ミライはそれを見て、少し大人びた微笑を見せた。
「緊張しないでください。私の方こそ、久しぶりにシンジくんに会えると思ってどきどきしていたんです。不謹慎ですよね、こんなときだっていうのに」
そう。今はアイズの安否が気遣われているときだ。ミーハーな考えは似つかわしくない。
「心配してくれてありがとう。僕は大丈夫」
「はい。無事な姿を見られて安心しました。でも、ご友人は」
「アイズならきっと大丈夫」
シンジは目を閉じて答える。
「きっと大丈夫。そう信じることにした。少なくとも前のときみたいに、もう死んでしまったわけじゃない。また会える。だから大丈夫」
カナメも死んでしまった。マリーも死んでしまった。
だがアイズは生きている。生きているのなら、また元のように話すこともできるはずだ。
「シンジくんは強いんですね」
「そんなことないよ。僕は強がっているだけで、根拠も何もないんだ。でも、希望を捨ててあきらめるよりずっといいと思ってる。僕は、アイズとまた一緒に話をしたりできるって信じてる」
「信じる……」
ミライはその言葉をゆっくりとつぶやく。
「素敵な言葉ですね」
「そうかな」
「シンジくんの名前が入ってます」
「そ、そうだね」
そう言われると、なんだかこそばゆい。
「私、歌を作ろうと思うんです」
「歌?」
「はい。これから使徒がやってくる。でも、絶望しないように、希望を捨ててしまわないように、そのときの一つの拠り所に、歌があればいいかなと思ったんです」
「いい考えだと思うよ」
「考えは前からあったんですけど、そんなみんなの心の支えになるような歌詞がなかなか浮かばなかったんです。でも、今、決めました」
「今?」
「はい。タイトルは『信じる心』。もっと信じましょう。家族を。友達を。仲間を。そして人間と、この世界を。使徒に負けないように、私たちが生き残れるように信じて、私、歌を作ります」
「とてもすごいことだと思うよ」
シンジは素直に言った。だがミライは首を振る。
「違います。本当にすごいのはシンジくんです」
「僕?」
「はい。だって、この間のインタビューのとき、私はまだ戦うとか使徒とか、全然実感がありませんでした。でも、本気で戦っているシンジくんを見て、私の考えは変わったんです。少しでもシンジくんの力になりたい。私にできることは何だろう。そうやって考えるきっかけを作ってくれたのはシンジくんなんですよ」
そうしてミライは手元にあった紙袋をシンジに渡した。
「これは?」
「開けてみてください」
言われるままに、シンジはその袋を開ける。
「これ」
中から出てきたのは、たくさんの折鶴。
「千羽鶴です。私、ブログをやってるんですけど、そこでシンジくんのために鶴を折ることにしましたって書いたんですよ。そうしたら全国で同じ動きが出てきて、事務所にたくさん鶴が届いたんです。送られてきた方、みんなから一本ずついただいて、あわせてつくりました。だから事務所にはこの百倍くらいの鶴があるんです。保管場所がなくて困ってます」
最後は冗談めかして言った。
「ミライさん。これ、申し訳ないんだけど」
「分かってます。ちょうどよかったと思います。これをぜひ、ご友人に」
「ありがとう」
確かに作った人たちはシンジのことを思って、シンジのために折ってくれたのだろう。
だが、そのシンジにとって今一番の願いはアイズが全快することだ。そして、一人の命のためにこの千羽鶴が使われるのなら、折ってくれた人たちも決して文句はないだろう。
「やっぱり、ミライさんはすごいな。こんなにたくさんの人から応援してくれるんだから」
「何言ってるんですか。今までの私だったらこんな企画をしても誰も見てくれませんでしたよ。シンジくんが、あのインタビュー番組で本気で語ってくれたからみんなが動いたんです。すごいのはシンジくんです。私はシンジくんのために、少しでもシンジくんを応援してくれる人が増えるようにしたいと思っただけなんですから」
「ありがとう、ミライさん」
希望の鶴。たくさんの人によって折られた千羽鶴は、形も違えば大きさもまちまちだ。
だが、その一羽ずつに願いがこめられている。たくされた人の願いがかなうように。
「少しは、元気が出ましたか」
「うん。充分だよ。アイズのことはまだ心配だけど、でも僕にはやらなければいけないことがある。使徒と戦って、この世界を守る。今の僕には、これだけ応援してくれてる人がいるっていうのを実感したからね」
「これ」
そしてミライは紙袋の中からもう一枚の紙を差し出す。
「千羽鶴を送ってくれた人の名前です。シンジくんの重荷になるかとも思ったんですけど」
その紙を見る。びっしりと手書きで記された人の名前。
「これはミライさんが?」
「はい。僭越ですが」
「そうなんだ」
会ったこともない人たち。
それが、何の悪意もなく、ただ自分の幸せを願って作ってくれた千羽鶴。
「僕は今まで、ずっと自分が不幸な人間だと思っていた。でも、こんなにたくさんの人から応援してくれるなんて、幸せな人間なんだって思うよ」
「こうして千羽鶴を作って送ってくれる人はほんの一握りです。もっとたくさんの人がシンジくんを応援してくれています」
「うん。期待に応えられるようにがんばるよ。本当にありがとう、ミライさん」
二人はそうして、しっかりと握手をかわした。
そうして二人がずっと話し合っている間、ガード三人は廊下で打ち合わせをしていた。ちょうどそこにやってきたのが剣崎キョウヤだった。リオナは別として、エンとカスミをネルフに勧誘したのはキョウヤだ。
「お疲れ様っす、キョウヤサン」
「真道に古城か。ガードの仕事はどうした」
「シンジくんなら中です。飯山ミライさんと話をしています」
それを聞いてキョウヤは少し考えたようだったが「そうか」と頷いて答える。
「清田リオナさんだね。申し訳ないが、少し席をはずしてもらえるか」
リオナは当然、それがガードの役割に関係するものだということは理解できた。だから答えた。
「私、覚悟を決めました」
リオナの目が真剣なものになっている。
「シンジくんを守り、最優先することを誓います。だから私も、チームに入れてください」
今まで、リオナは自分が何もできないと思っていた。
ガードといっても、ランクA適格者が無事であるならば自分の役割などあってないようなもの。SPの方が百倍役に立つ。
だが、自分の能力が少しでも世界の役に立つのならば、それを有効に使いたい。
「真道」
「そういうことらしいぜ。ま、朱童カズマ、榎木タクヤももう仲間なんだ。本気でそう思ってるなら一人くらい増えても平気だろ?」
それを聞いてエンがため息をついた。
「カスミくん、まさか」
リオナをその気にさせるために、列車の中でわざと話を振ったのだろうか。
「にらむなよ、エン。リオナだって本気で言ってるんだろ?」
「ええ。こう見えても私、一番長く適格者をやってるのよ。でも、ランクAになれない。なれないからどうしようと考えていたらガードの誘いがあった。私にできることなら何でもしようと思ったわ。それは今も変わらない。私にできることなら何でもする。それが、シンジくんの身代わりになることだって」
「ってことだ。キョウヤサン、問題なしってことで」
カスミが自信を持って言うということは、充分な下準備をしてあったということなのだろう。キョウヤはカスミを信頼して話を始めた。
「先ほど、門倉コウとトゥエルフスナイトが施設の外にいたアメリカのスパイを捕まえた。連動して内部潜入しようとしていたようだ」
「既に入られている可能性は?」
「ないとは言わない。が、即時行動は狙われる危険性もある。明日の朝までここで待機。碇シンジ、朱童カズマの二名を厳重に守れ。それまでに武藤ヨウが移動の手はずを整えておく」
「了解。使徒教に動きは?」
「まったくない。ネルフ内部の動きが分からない限り手出しをすることもできないだろう」
「『死徒』なら何とかするかもしれないぜ」
フィー・ベルドリンテ。二挺拳銃の使い手。既に御剣レイジ内閣総理大臣も狙われている。
「そうだな。では余計に注意しろ。トゥエルフスナイトが護衛しているとはいえ、死徒はそれ以上の使い手だ」
「だったら人数増やしてくれよ。ネルフの中が危険地帯に思えてくるぜ」
「内閣情報調査室の鳴海副室長が応援を出してくれている」
「オーケイ。じゃ、何とか一日、持ちこたえますか」
気楽な様子で言うカスミ。
「明日はマリィも連れて帰って大丈夫なんだろうな」
「回復の度合いによるが、お前が見て問題がなければ大丈夫だろう」
と、そこにちょうど扉が開いた。シンジとミライが中から出てくる。
「あの、お世話になりました」
ミライがお辞儀をする。
「リオナ、出口まで案内してやれよ」
「分かったわ。ミライさん、こっち」
「はい。それじゃあシンジくん、また」
「うん」
そのミライとのやり取りで、すっかりシンジが落ち着いているのをエンは感じ取った。
「どうした?」
カスミがエンに尋ねてくる。
「いや、残念だなと思って」
「何が」
「もしこの場にアルトがいたら、ミライさんがいなくてもアルトがシンジくんを励ましてくれたのになと思って」
「そいつはどうかな」
カスミはエンほどアルトを知らない。だが、この場合はミライの方が適役な気がしていた。
「何の関係もない人間からの励ましっていうのは、すごい力になるんだぜ」
「そんなものかな」
「そんなものさ。今に見てな、シンジはまだまだ強くなるぜ」
カスミが未来が決まっているかのように言った。
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