『エヴァンゲリオン開発責任者の赤木リツコです。
 本日はこちらで生じた事故につきましてご報告をさせていただきます。
 本日午後一時より行いましたエヴァンゲリオン起動実験において、拾号機が暴走、その場にあった拾壱号機、および本部より急行させた初号機、漆号機によって拾号機を停止させました。
 拾号機パイロットは現在治療中。拾壱号機パイロットは外傷もなく、意識を取り戻しております。
 原因は明確なことは分かりませんが、おそらくはパイロットの精神状況の問題が大きいと見ております。
 ご存知の通り、拾号機パイロット、アイズ・ラザフォードはアメリカから日本へやってきておりますが、まだ日も浅く、こちらの環境に慣れていないなどのストレスがあったものと思います。
 そこにフォース・チルドレンの大役を任され、本人のストレスは極限まで高まっていたのではないでしょうか。
 先に実験を行った拾壱号機が良い成果を出したことも、本人のストレスの一因となったのかもしれません。
 実験開始後、パイロットが錯乱したことが今回のエヴァンゲリオン拾号機の暴走につながりました。
 パイロット自身は精神的に障害を負ってしまい、いつ目が覚めるかは全く分からない状態です。暴走の根本的原因はパイロットが目覚めない限りは分かりませんので、現状でこれ以上の調査は不可能です。
 パイロットの精神的なケア、管理が行き届いていなかったことは素直に反省しなければなりません。
 これを機に、パイロットとのリレーション強化、コミュニケーション強化を行い、同じ問題が二度と生じないようにする所存です。
 それでは、ご質問がありましたらどうぞ』












第佰伍拾弐話



孤立無援のマジェステュー












 五月二十五日(月)。

 半ば予想されていたこととはいえ、アイズ・ラザフォードは格好の仇役となった。精神的に不安定な人間だったことを罵倒するような言い方をするもの、ネルフの管理体制を問題にするもの、月曜日の朝のニュースはどれを見てもネルフ、ネルフ、ネルフで締められた。
 それだけ迫る使徒戦への意識が高まっているということだが、そのようなネルフ・アイズへの攻撃が最高潮に達していた月曜日の昼。ネルフに関する緊急特番が組まれ、そこにコメンテーターたちとともに飯山ミライが登場することになった。
 無論、テレビ番組から緊急だが出演できるかというオファーがあったわけだが、ミライはこの機会を逃さなかった。ネルフに対する非難を少しでも和らげる。いや、完全にひっくり返してみせる。その意気込みでミライはたった一人、戦場に乗り込んでいった。
「そういえばミライちゃんは碇シンジくんの大ファンだって公言してたけど、今回の事件をどう思いますか?」
 討論形式のニュース番組だ。番組側としてはネルフを攻撃した方が視聴率を稼げると考え、お調子者のミライを槍玉にしようと考えていたのだろう。
 ミライはそんなこと百も承知だった。それを知りながらミライは番組に参加したのだ。
(私の戦いはここから始まる)
 ネルフは世界の、人間の、自分たちの味方なのだということを強く訴えなければいけない。
「かわいそうだと思います」
 いつもの人を馬鹿にしたような口調を封じ、本気モードの『ミライ』が語った。
「かわいそう? どういうことかな」
「事故にあったアイズ・ラザフォードくんが、です。ネルフの報道が真実だとしたら、アイズくんは私たちのために、私たちの期待を背負って実験に参加してくれたんです。世界を守るためにプレッシャーと戦いながら実験に参加して、今は意識不明の重体。それだけでもかわいそうなのに、がんばったことを評価されず、みんなから攻撃の的になっている。それが本当にかわいそうだと思います」
 そう。まず、誰もアイズの体のことなど気遣いもしない。そんな風潮が間違っている、世界のために戦っている少年の体をもっと労わってあげるべきだと暗に主張する。
「でも、精神的に不安定なら乗らなければ良かったんじゃないのかな」
「私は実際にネルフに行ったことがあります。そして、そこにいた私と同じ年齢のみなさんを見て思いました。ああ、私とは全然違うんだな、背負っているものの重さと、責任が全然違うんだなって」
 ミライは会話をする相手ではなくテレビの方を見た。そしていつもの笑顔を見せず、真剣に語った。
「今、ネルフにはランクAと呼ばれる、エヴァンゲリオンを操縦できる適格者の方が、世界でたったの二十人くらいしかいないんです。使徒と戦えるのは私と同じ年齢のその子たちだけなんです。もしプレッシャーがあるからといって乗らなかったらどうなるでしょうか。その分だけ他の子たちの負担が強くなり、結局は使徒との戦いに勝てなくなる可能性が高くなる。だから多少無理をしてでも乗らなければいけなかった」
 一度区切る。反論のないことを確認して、さらに続けた。
「今、私たちは安全なところにいる。最前線を適格者の方に任せて好きなことを好きなだけ言える場所にいる。確かに今回の事件では何かが間違っていたのかもしれません。でも、だからといって私は絶対にアイズくんを責めない。それよりも、そこまで世界のことを考えてくれてありがとうと伝えたい。そして、そこまで思い詰めさせてしまった私たちの身勝手さを謝りたい。ごめんなさい、期待と責任を押し付けて本当にごめんなさい」
 ミライの目が涙でにじんでいる。
 シンジやアイズ、そこで戦う少年少女たちを思うと、それだけで苦しくなる。涙が出てくる。
「最善を尽くそうと思って失敗することの何が悪いんですか。ネルフは私たちを守ろうと思って、一番危険なところを受け持ってくれる。私たちは安全なところで守られながら、ネルフを悪く言うだけですか」
「何言ってるんだ。そのネルフが失敗したら全員死んでしまうんだぞ。ネルフは失敗するわけにはいかないんだ!」
 いかついコメンテーターが声を荒げて言う。だが、そんなものにミライは怯まない。
「その通りです。だから実験を繰り返しているんです。起動実験、歩行実験と繰り返して、使徒と戦える段階にたどりつかなければならない。実験なんだから事故が起こる可能性はゼロじゃありません。もちろん何でもかんでも許せばいいというものではありません。私は昨日、事故現場に行きました。そこで知ったのは、実験が始まるまでにどれだけの準備、シミュレーション、分析を行っていたか。それでも起こってしまったのなら、今度は同じ事故を起こさないようにするにはどうすればいいのかを検証することです。すべてにおいて失敗してはいけないなんて暴論がまかり通るはずがありません!」
 毅然として言い返す。間違っているものは間違っていると言わなければ、不眠不休で働いているネルフの人たちに申し訳がない。
「我々の税金を無駄に使われるくらいならネルフなんかなくたってかまわいんじゃないか? 飯山クンは自分の税金からどれだけネルフに支払われているのか知っているのかね」
 知的なコメンテーターが、所詮は中学生風情と考えたのか、馬鹿にしたように言う。だが、分かっていないのはそちらの方だ。
「国家予算の二.六三五%です。たったの一兆六千億円です。世界が滅びるかどうかという瀬戸際に、自分の持つ資金の十分の一すら出していない状況です。それから、私は先月行ったチャリティコンサートの収益金は全てネルフに寄付しています。微々たるお金ですけど、それでネルフが少しでも活動しやすくなるのなら、と思いました」
 自分がネルフのため、シンジのためにできることは何か。それを考えて活動した結果だ。
「逆にお伺いします。あなたはこの世界を守るために何をしているのですか。私はネルフが、エヴァンゲリオンが、そして碇シンジくんがこの世界を守ってくれると期待しています。だから少しでも力になるために自分のできることをしようと思っています。だから私は声を大きくして言います。ネルフは確かに今回失敗したかもしれません。でもそれは、私たちを守るため、この世界を守るためなんです。身勝手な失敗でも何でもありません。やむなくして起こった事故なんです。それをどうして何も検証することなく責めることができるんですか!」
 スタジオが静まり返る。これほど激情する飯山ミライを見た人間は過去、誰もいないだろう。それだけミライが本気でネルフのために、理不尽な攻撃から戦おうとしているということだ。
「私は確かに、いつもふざけて、みんなが困るようなことをして、それで番組に上がっていた意地汚い人間です。でも、どんなときだって、人の命に対しては誠実でありたいと思っていました」
 ゆっくりと語りかける。
「今、世界を守ろうとして、その結果少しだけ失敗してしまった男の子がいるんです。命をかけて私たちを守ろうとしてくれたんです。私はその男の子に、何をやっているんだとか、しっかり自分たちを守れとか、そんなことは口が裂けてもいえません。私が言えるのは二つだけです」
 目を閉じて、両手を胸にあてる。

「ごめんなさい。そして、ありがとう」

 スタジオにその言葉が響く。
 いや、ミライの言葉は電波に乗って、テレビを見ている全ての人の心に響く。
「昨日、私は事故現場に行きました。そこで碇くんと再会しました。碇くんはつらそうだった。友人が傷ついて、倒れて、何もできない自分を責めて。でも、それでも言ってくれました。きっと無事に戻ってきてくれる、意識を取り戻して、前と同じように話してくれる。それを信じているって。私も信じます。碇くんが、そしてネルフが私たちを守ってくれると信じます。今私たちに必要なのは、お互いをけなし、とぼすような言葉ではないと思います。私たちに必要なのは、信じる心。家族や友人、仲間、そして自分たちを守ってくれるネルフと、戦ってくれる勇敢な少年少女たちを信じて、絶望せず、希望を持つことだと思います」
 すると。
 客席の方から、誰かが手を叩いた。
 それは、飯山ミライという人間の、心からの願いが通じた結果。
 拍手は徐々に広がり、客席全員が手を叩いていた。
「ありがとうございます、皆さん。少しでも今の私の気持ちが皆さんに、そしてこのテレビを通じてご覧になっている皆さんに届けばいいと思います」
 ついに、ミライはあふれ出る涙をこらえることができなくなった。だが、これは流してもいい涙だ。自分の気持ちが昇華され、喜びとしてあふれ出たものなのだから。
「私、碇くんと話したときの気持ちを歌にすることにしました。『信じる心』をキーワードに、来たる使徒戦に向けて、この地球に住んでいる人、全てが信じ合うことを願って歌を作ります。できるだけ早く皆さんにお聞かせできるようにがんばりますので、応援よろしくお願いします」






 第三新東京市、ネルフ本部に戻ってテレビを見ていたシンジもまた、涙をこらえきれなかった。何人ものコメンテーターの前で、たった十四歳の少女が堂々と自分の意見を貫いたのだ。それも自分やアイズを守るために。これが嬉しくないはずがない。
「いい人だね、ミライさん」
 エンの言葉にシンジが頷く。自分は本当に幸せだ。こんなに立派で、素敵な人間から慕われているのだから。
「おー、ネルフの支持率が急上昇してるぜ」
 パソコンの画面を見ながらカスミも言う。
「さすが人気絶頂のアイドルの一声は違うな」
「それは違うぞ、野坂」
 ジンが冷静に答える。
「人の心を打つのは、その人の思いの強さによるものだ。何も考えずに勝手なことを言うコメンテーター相手に、本気で挑みにかかった飯山さんが負けるはずがない」
「私もそう思う。普段のミライさんはあまり好きじゃないけど、今のミライさんは格好良かった。私、断然ミライさんのファンになった」
 コモモがジンの言葉に大きく頷く。
「飯山さんはネルフのサポーター代表ですわね」
 ヨシノもまた笑顔で言う。以前からネルフ内部でも人気のあった飯山ミライだが、今回の単独ネルフ擁護で完全に適格者たちのハートをキャッチしたようだ。
「仕方のないこととはいえ、アイズがひどく言われてほしくなかったわ」
 マリィがうつむき加減に言う。
「大丈夫だよ☆ こういうのは単なる話題づくりみたいなところがあるから、三週間もしたらみんな忘れてるだろうし」
 レミが笑顔でマリィを励ます。
 そう。残る問題はアイズが無事に目を覚ますかどうかということだけだ。だが、それは一日、二日で処置が完了するような問題ではない。以前の例なら半年経っても目が覚めない可能性だってあるのだから。
「あら、全員集まってるみたいね」
 と、そのミーティングルームに葛城ミサトが現れた。
「葛城さん、アイズは」
「ええ。さっき連絡があったわ。目覚めてはいないけど、心拍は安定しいるから、もう命の危険はないみたい」
「良かった」
 ほっとシンジの力が抜けた。
「それじゃあ、少し今回の経緯と状況を確認しましょう」
 そうしてミサトから説明が入った。
 今回はアメリカが仕掛けてきたもの。三極プラグそのものにウイルスをしかけておき、電源の再接続を行うことをスイッチに発動する仕掛けになっていた。ウイルスの内容はアイズの事件で分かっての通り、シンクロを切断できない状況にし、パイロットを廃人に追い込むというもの。
「しっかしアメリカの考えがわかんねえな。何のためにそんなことしてるんだ?」
「エヴァンゲリオンを暴走させておいて被害を出し、ネルフに圧力をかけるつもりだったんだろう」
 コウキの質問にジンが答える。なるほど、アメリカは通常兵器で使徒と戦おうとしている。そのためにエヴァンゲリオンが邪魔なら、世論からエヴァを凍結させる動きを取ろうとしたということだ。
「実際、アメリカは事故も起きてるし、国務長官が吼えてるぜ。こんな危険なものを使っていていいのかってな」
「他の国の状況は?」
「オーストラリアはそれどころじゃないっていう感じだな。ヨーロッパはおおむね、エヴァを否定するような発言はしていない。アメリカvs欧州の構図になりつつある」
 既に全部チェックしていたカスミが説明する。
「アメリカはアメリカでやっててくれればいいだけなのに、どうして邪魔をするんだろうね」
 タクヤの言葉に全員の思考が止まる。
「そりゃアメリカは自分が一番じゃなきゃ嫌なんだろ」
「いや、榎木の疑問は俺たちの硬直した思考を緩めるのには良かったかもしれない」
 ダイチがタクヤの疑問を後押しするように言う。
「カスミなら何か知っているのではないか?」
 ダイチに振られてカスミは肩をすくめた。
「おいおい、何で俺が」
「二〇〇八年の事件とは何のことだ? この場にいるメンバーにも言えないようなことなのか?」
 確かに、以前大統領がこのネルフ本部に現れたとき、カスミがそのようなことを言っていた。口止め料がわりだと。
「まー、あまり聞かない方がいいと思うけどな。特に何人かは。それから言っておくが、大統領がどうしてネルフを敵視するのかっていう理由は全然知らないし、その事件とは関係ないぜ?」
「だが、敵を知る一番の情報はお前が持っている。違うか」
 カスミは首をかしげた。
「まあ、ネルフの邪魔すんなって言ったのに約束破ったの大統領だしなあ」
 カスミは気乗りしない様子だった。
「他言無用。もちろん国際社会にもだ。こんなことが公になったら使徒戦前に世界中が大混乱をきたす。誓うやつだけここに残れ。MAGIにも記録は残さない。葛城サンは申し訳ないけど出てってほしいな」
「ちょ、どういうこと」
「この情報を政治的な駆け引きに使ってほしくないんだよ。あまり気分のいい話でもないしな。それに、聞いたが最後、この情報の価値に惑わされるのが落ちだ。葛城サンはアメリカ云々よりもエヴァでどうやって使徒を倒すか、そっちの方を考えておいた方がいい。適材適所だ」
 完全にのけ者にされている作戦部長だが「仕方ないわね」と呟く。
「いいわ。まあ好きにしなさい。そのかわり訓練はもっと厳しくするからね」
「了解」
 そうしてミサトが出ていく。申し訳ないが、責任ある立場の人間に聞かせられる話ではなかった。
「それで、話の方を始めてもらえるかな」
 タクヤがカスミを促す。ああ、とカスミは答えた。
「だが、想像したことがないとは言わせないぜ。日本人にとって二〇〇八年ってのは避けて通れない年号だからな。この中で被害にあったやつだっているだろ」
「じゃあ、やっぱり」
 エンが顔をしかめる。
「ああ。ベネットは二〇〇八年に起こった東京襲撃に関係している。というより、黒幕だぜ」






次へ

もどる