「ああ、ナルミさんか」
電話口に出た相手にヨウは軽く話しかけた。
「悪いが、戦略自衛隊を動かしてほしい。できれば一個連隊くらいほしいんだが、駄目なら二個大体くらいでいい。人口四百人程度の村を制圧する程度の仕事だ。頼めるか?」
電話口からは不満そうな声。そしてさらにヨウのとどめの一声。
「作戦開始は明日だ。頼むぜ」
ナルミの悲鳴が電話から聞こえた。
第佰伍拾伍話
伯仲拮抗のアパショナート
五月二十七日(水)。
この日、鈴原トウジがようやく走行訓練に成功したところで、この日のメインイベントが行われることになった。
エヴァンゲリオン零号機綾波レイ、そしてエヴァンゲリオン玖号機赤井サナエ。同じオレンジ色の機体。
この二人による格闘訓練が行われることになったのだ。
「準備はいい、二人とも?」
声をかけるのは作戦部の葛城ミサト。いつもの自衛隊演習場にランクA適格者とガードたちが全員集まってその戦いを観戦することになった。
「二人にとってはこれが初めての格闘訓練となるけれど、やることは同じよ。相手の武装を解除した方が勝ち。多少壊しても整備が何とかしてくれるから、本気でやってちょうだいね」
本気でなければ困る。演習で本気になれない者が、使徒を相手に全力を出しきれるはずがない。その意味で、この間のシンジとカズマの訓練は最高だった。自分の出せる限りの力を出し尽くした戦いだった。それがこの二人でもできればいいのだが。
『零号機、了解』
『わ、わかりました、がんばります!』
この対照的な二人でうまくいくのだろうか、とミサトは頭を悩ませる。
「それじゃいくわよ、シンクロスタート!」
二人が同時にシンクロを始める。そして、先に動いたのは零号機だった。
『わ、え!?』
サナエはガードすらできずに、零号機の鉄拳をモロにくらって大きく吹き飛ばされる。
「赤井さん、何やってるの!」
『す、すみません!』
すぐに立ち上がる。この辺り、操縦することそのものは上手になっているようだ。
「ぼうっとしていたら使徒にだって瞬殺されるわよ。気合入れなさい!」
『はい!』
サナエは今度こそ身構える。最初の一撃こそ油断していたものの、ここから先はそうはいかせない。
『負けませんよ、綾波さん!』
そしてオレンジの玖号機が動く。が、まだバランスをとるのが上手ではないのか、躓きそうな動きだ。
「あれであいつ、大丈夫なんか」
トウジがつぶやく。見ている方がはらはらする。
「赤井さんなら大丈夫ですわ」
まだ全員には化けの皮がはがれていないヨシノが答える。
「ああ見えて、赤井さんはエヴァンゲリオンのことをよく分かってますもの」
そう。サナエはいつもぎりぎりのところできちんとノルマをクリアしている。それはエヴァンゲリオンを操縦することが、他の適格者よりも優れているからだ。
単眼の零号機に接近したところで、玖号機の右手がうなる。
零号機はその攻撃を受けない。後ろにかわして、玖号機に体当たりする。
『くうっ!』
だが、玖号機は簡単にはひるまない。玖号機の特徴は、エヴァシリーズ中随一の装甲だ。簡単な攻撃くらい、装甲だけではじき返してしまう。
『反撃です!』
わざわざ叫んでから攻撃する。右、左と大きく殴りつけるが、零号機は俊敏にかわす。
「あんな大振りだと当たらない」
タクヤが顔をしかめる。
「いや、あれは狙ってやがるな」
コウキがつぶやく。まさにその通り、間合いが少し広がったところをすばやく詰めた玖号機は、今度はノーモーションで手を繰り出す。ボクシングスタイルだ。
『くっ』
顔と左肩に一撃ずつ。だが、それほどダメージは大きくない。レイの顔はかすかに歪んだだけだ。
「綾波」
シンジが心配そうにうめく。
「大丈夫だ、シンジ。レイさんは負けない」
コモモが近づいてシンジの肩をたたく。
もちろん、この格闘訓練はエヴァを上手に使いこなすことを目的としているのであって、勝ち負けが問題なのではない。だが、シンジとしてはどうしてもレイの手助けがしたくなる。
(玖号機パイロット)
綾波レイは、そのオレンジの機体の中にいる人物の姿を思い浮かべる。
小さくて、いつもミスしてばかりいるドジっ娘の女の子。
そして、少し背の高い、大人びた感じの少女。
『私は、負けない』
そう。負けてはならない。あの『玖号機パイロット』だけには。
零号機が動く。スピードでは確実に零号機が上だ。玖号機の後ろにすばやく回り込む。
『させません!』
その動きを封じるように直線的に玖号機が動く。機体同士がぶつかり合い、玖号機の右手が零号機の左腕を、逆に零号機の右手もまた玖号機の左腕をつかむ。
一風変わった力比べとなった。
『ぐううううううっ!』
二人の口から声がもれる。歯を食いしばり、相手を押し付ける。お互いの左腕は握りつぶされそうなほどに痛み、左手の先まで力が入らないでいる。
「装甲が厚い分、玖号機の方が有利だ!」
ケンスケの言ったとおり、スクリーンの端に映る二人の表情は、サナエの方が徐々に優勢に、レイの方が確実に劣勢になっていくことを表していた。
「甘い」
カズマが呟くと同時に、零号機が動いた。左右に少し揺れたかと思うと、零号機の左足が大きく前へ出る。大外刈りだ。
『うわあああああああああっ!』
サナエの悲鳴。二機がもつれあって転がる。お互い手が離れ、零号機が素早く玖号機に乗りかかる。完全なマウントポジションをとった──かに見えた。
『このおっ!』
まだ自由だった足が振り上げられ、零号機の三極プラグを蹴り飛ばす。零号機に残り時間三百秒が点灯した。そして玖号機は両腕で頭をガードする。残り時間を耐え抜こうというのだ。シンクロ開始からここまでほぼ四分。三百秒が経過しても精神汚染が始まるまでには充分な時間が残っている。
こうなってはレイも五分で相手を沈めるしかない。大きく腕を振り上げて、その装甲の上から攻撃する。だが、防御力の高い玖号機が完全に防御一辺倒になってしまっては、非力な零号機で与えられるダメージなど大きくはない。
レイの顔が歪む。ならば、と零号機が玖号機の片腕をつかんでねじり上げた。
『!!!!!!!!!!!!!!!!!』
激痛で、サナエはもはや声も出ない。だが、ここでも装甲がサナエを助けていた。厚い装甲は腕をねじるのにも簡単にはいかないように作られている。全力でねじったとしても腕を折るまでにはいたらない。
『ま、けない……んだからぁっ!』
それでも搾り出すように声を上げる。が、そこが限界だった。
突然、シンクロ率が急激に下がった。
「パイロット、気絶!」
「訓練終了。レイ、腕を離して。玖号機は強制シンクロカット」
零号機はゆっくりとその腕を離す。何とかレイがチルドレンとしての面目を保った。だが、エヴァを使いこなしていたかどうかという点では互角だった。経験の差でレイが勝ったようなものだ。
(玖号機パイロット)
完全に沈黙した玖号機を見る。
(でも、私の勝ち)
レイはしっかりとした満足感を味わっていた。
こうして訓練は順調に進んでいったが、もちろん使徒を倒すことばかりに専念できるはずもない。アメリカに使徒教といった、ネルフの活動を妨害する者が確実に存在する。
先の使徒教支部襲撃で捕らえた構成員に繰り返し拷問をすることで、ようやく新しいアジトが一箇所判明した。それも、謎に包まれていた日本本部。
無論、それも既にも抜けの殻である可能性は高いのだが、新たに判明したものを放置するわけにもいかない。
前回は門倉コウをリーダーに潜入したが、今回はネルフの守りをすべてトゥエルフスナイトに任せ、武藤ヨウがコウと南雲エリを率い、内閣情報調査室・戦略自衛隊と共に本部襲撃をかけることにした。
敵は狂信者だ。万が一のことを考え、装備は入念にしている。全員がガスマスクに防弾チョッキを装備。防弾チョッキくらいで防げる武器ですめばいいのだが、ないよりはましだ。
使徒教本部は第二東京からそれほど遠くない山梨県の北部にあった。
「まず最初に言っておくが、ここは戦場だ。よって、敵と遭遇した場合の基本行動は当然『殺せ』だ。相手を完全に武装解除させて安全を確保できるならいいが、狂信者相手に情けをかけていたらこっちがやられる。いいか、やられる前にやれ。責任は内閣情報調査室でとる」
「ちょっと」
ヨウの台詞に、調査室副室長の三嶋ナルミが苦笑する。
「そこは普通『責任は俺が取る』って言うところじゃないの?」
「悪いが俺の契約事項に使徒教殲滅なんてものは含まれてない。テロ組織と戦うのは内調の仕事だろうが」
「いや、私らもそんな仕事はないんだけれどね」
ナルミが頭を抑えた。
「まあいいわ。いざとなったら影の薄い室長に全部責任負わせるから」
「ま、後ろで指示だけ出してるやつが責任取るのが普通だな」
「そうそう。前線は前線でがんばってるんだから、勝手な責任を押し付けないでほしいわ」
と、ネルフ、内調のトップが合意を結んだところで話が本題に入る。
「この村には使徒教以外の人間もいるだろうが、あまり気にかけるな。村人すべてを疑え。村民は全部で四百人。いずれにしても、保護もかねて全員連行するのは決定だ。最初から完全に戦意のないものは拘束した上で連行。少しでも抵抗する素振りを見せた者は武装解除の上、手錠をかけて身動きが取れない状態にすること」
四百人全員を連れていくので、非常に大掛かりになっている。何十台もの護送車両が村の入り口に待機している。
「必ず六人一チームで行動すること。単独行動は敵の思うつぼだ。はぐれるなよ。では、行動開始」
村人の五倍の人数が一斉に活動を始める。普通ならこんなところに『使徒教本部』なるものがあること自体迷惑なことだろう。だが、残念なことにこの村の人間の大多数は使徒教を歓迎している風潮がある。
理由は単純。この村の地主でもあった村長、さらには村議会議員全員が使徒教の構成員だという調査結果が出ているからだ。
村内の通信施設はすべて断絶した。携帯電話、無線による交信もできないように妨害電波を放っている。この村と続く道路はすべて封鎖した。入ることも出ることもできない。
「さて、俺たちはどうするんですか」
コウが『いつでもいける』という様子で尋ねてくる。
「もし『死徒』がここにいたなら俺たちしか相手はできないだろう。村長や村議員は戦自に任せておけ。連絡が入り次第動くぞ」
「了解」
「がんばりますっ!」
常に余裕の様子を見せるコウと、いつも全力を出そうとしているエリ。面白い組み合わせだ。
「ナルミさんは得意のサイクロペディアで思い出せることはないのか?」
「さすがに初めて来たところはね。一度見たもの、聞いたものは全部覚えていられるんだけど」
「嫌なことも全部忘れられないってのは、難儀な病気だな」
サイクロペディア症候群。一度見たものを百パーセント記憶してしまうという奇病。
「普段は意識しないようにすればいいだけなんだけどね。一応、村の配置は全部頭に入れてきたけれど、地下とかに逃げ道があったらさすがに責任負えないわよ」
と、そのとき村の一画で銃撃の音。
「お、始まったな」
普通の村で銃撃など起こるはずもないのだが、相手が相手なだけに別に不思議とも思っていない。ここは既に敵地だ。
「『死徒』はいると思いますか?」
コウが尋ねてくる。さあな、とだけヨウは答えた。
「いたらやっかいだが、いなくてもやっかいだな」
言葉の意味は誰もが理解している。もしも死徒がこの場にいたなら倒すのは大変だ。だが、この場にいなかったとしたら今後面倒が残る。
「なら、いてくれた方がありがたいですね」
「ああ。問答無用で銃殺しろ。抵抗したから射殺したと言えば何とでもなる」
「そんなに『死徒』は手強いんですか?」
一度も対峙したことがないエリが尋ねる。
「一対一なら俺は勝てないな」
「コウさんが!? じゃあ、私なんか瞬殺じゃないですか!」
自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。ヨウは頭をおさえる。
「個性的な部下ね」
ナルミがくすくすと笑った。
「ああ。クローゼの護衛だけさせておけばよかったと後悔している」
「ええー」
エリが不満そうな声を上げる。そこに通信が入ってきた。
『役場に無関係の村民を人質に、使徒教が立てこもりました』
「かまうな、突入だ」
ヨウがあっさりと言う。
『で、ですが』
「突入だ。敵も人質も全員捕らえろ。その人質、使徒教の可能性が高い」
さすがの戦略自衛隊も躊躇したようだったが、やがて『分かりました』と答えた。
「本当に人質だったらどうするつもりなの?」
「どうもしない。使徒教かそうでないか、どうせ見分けることなんかできないんだ。だったら全員が敵だと考えて行動しなかったら痛い目を見るのはこっちだぜ」
そのヨウの言葉通り、侵攻する戦略自衛隊にも被害者が出ていた。
正面から抵抗する者は捕らえて厳重に管理する。だが、無抵抗を装っている者については自然と甘くなる。無関係の振りをして油断させ、その隙をついて攻撃してきた使徒教によって発生した死者が、実に十二人に上った。
「武藤は村民のうち、使徒教じゃないものはどれくらいだと考えているんだ?」
「ゼロ。もしくはそれに限りなく近いと考えている。従わなければ洗脳してでも改宗させるんだろう」
「その根拠は」
「この村には、神社も寺院も教会もない。三年前に全て取り壊したそうだ。その前後、多くの人間が村を出ている。洗脳して外に出したか、洗脳をおそれて逃げ出したか、どちらかだろう。となると、いずれにしても村に残っているのは全て洗脳済みの者たちということだ」
言われてナルミは村の地図を思い出す。なるほど、と頷いた。
「確かにその通りね。気づかなかったわ」
「普段から神仏に縁遠い生活をしていると、気づくものも気づかなくなる。俺も神社なんか物心ついたときから行ったことなんかねえよ」
それでも地形図を見た瞬間にその違和感に気づくあたりはたいしたものだ。
『村長、確保しました!』
「ああ。こっちに連れてきてくれ」
事態は順調に進んでいる。だが、いわゆる『導師』も『死徒』も目撃情報がない。ということはおそらくここにはいないということなのだろう。
「無駄足でしたかね」
「まあ、使徒教の本拠地を潰せたという意味では無駄ではないだろうさ」
コウとエリまで連れてくる必要があったかといわれれば疑問だが。
やがて村長がヨウたちの前に連れてこられる。まだ五十そこそこの男だった。
「に、日本政府はいったいどういうつもりだ! 我々をこのように不当に拘束するなど、許されるものか!」
「許されるぜ。テロ特措法のことくらいお前だって知ってるだろうが。いまや使徒教は立派なテロ組織だ。テロ組織をかくまっているこの村ごと殲滅して何が悪い」
「ぎょ、行政府がこのような蛮行を許したというのか!」
「許すぜ。何しろお前らは国際的にも追われる立場だからな。何しろ、ランクA適格者を殺害した」
「何を」
「美綴カナメ、およびその両親の殺害。お前らの仕業であることは分かっている」
「美綴カナメ……?」
知らない、という様子だ。だがヨウには分かっていた。おそらくは実行犯、つまり使徒教の幹部連中は分かっていて、村長たちには伝えられていないのだろう。
無論、だからといって使徒教の構成員を放置するつもりもない。
「お前が知らなくてもかまわないぜ。どのみち首謀者は国際法上死刑になることは決まっている。使徒教を積極的に引き入れたお前も同罪だぜ。裁判をやれば何回やっても死刑は変わらんだろうな」
「そんな、私は何も」
「ああ。お前が無知なだけで何も知らなかったっていうんならそれでもいいのさ。問題は、そのテロリストと行動をともにしていた、一番の責任者だったっていうその事実だけだ。それはもう変えようがない。だからお前は間違いなく死刑になる。情状酌量などない。国際法の決まりだからな」
日本政府ではどうすることもできない、と何度も念押しをする。
「だから、取引に応じろ」
「取引?」
「ああ。少なくとも死刑のところを無期懲役くらいにはしてやれるぜ。情報の価値によっては罪を問わないことだって可能だ」
もちろんそんなことはありえない。だが希望を持たせなければ取引に応じるはずもない。
「知りたいのは使徒教の全容だ。アジト、それから行動計画、お前の知っているあらん限りを教えてもらうぜ」
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