『守る』とはどういうことだろう。
かつて、自分は大切な人を守ることができなかった。その人は無残にも散り、今はこの地上のどこにもいない。それは自分が弱かったから。守る手段を持たなかったから。
では『今』は?
守るための力は──それなりにあると思う。ただ、その力をどう使えばいいのか、それがまだ見えてこない。
『守ること』こそが俺の使命。
では、いったい『何を』『どうやって』守ればいいのだろう?
第佰伍拾漆話
絶対拒絶のフォルティシモ
五月二十九日(金)。
ここまで無事に格闘訓練を終えている碇シンジ、朱童カズマ、綾波レイ、赤井サナエの四名が、この日、初のA.T.フィールド展開実験を行うこととなった。
既にA.T.フィールドの使い方については全て説明がされている。
操縦桿についているボタンを押せば、すぐにA.T.フィールドは展開可能になる。だが、最終的には操縦者自身のイメージ力、拒絶する壁を思い浮かべる力が必要だ。
「これより、A.T.フィールド展開実験を行います」
基本的に実験の際に取り仕切るのは技術部のリツコだ。作戦部のミサトは見ているだけということになる。
「シンクロ開始と同時に、A.T.フィールド展開に入って。慣れるまでは簡単にはいかないと思うけど」
『了解』
『分かりました』
『はいっ!』
『……了解』
カズマ、シンジ、サナエ、レイがそれぞれ答える。四人の機体はそれぞれ百メートルほどの距離を置いて配置されている。
「起動時間は十分。それが過ぎれば一旦終了します。その後、一時間の休憩を置いて再起動。都合、二回やってもらうわ」
それも確認だ。既にスケジュールはミーティングで何度も話し合われている。
「それでは、四人とも、始めて」
シンクロ開始。それと同時に四体のエヴァの目が光る。
シンジはすぐにA.T.フィールド展開のボタンを押す。だが、それだけでは何ともならない。
(壁を、イメージ)
だが、どういうものなのかが分からないとイメージもしにくい。頭の中で必死に壁を思い浮かべるのだが、それがうまくいかない。
『全然うまくいきません』
サナエが首をかしげて言う。
『綾波は?』
シンジが尋ねる。だが、レイもまたうまくいかないのか、ふるふると首を振るだけ。
その中で、カズマだけが違った。
(すべてを、拒絶する壁)
それは、自分に近づこうとするものを拒むということだ。
自分に近づけさせないということだ。
(あのとき)
自分の姉が、殺されたとき。
そして、自分が──
(──!)
エヴァンゲリオン漆号機が震えた。
「まさか」
リツコが思わず口にしていた。
『──A.T.フィールド、展開!』
口火を切ったのは、朱童カズマだった。カズマの目の前に、ところどころ明滅している光の壁が現れた。
「これが、A.T.フィールド」
リツコも実際に目で見るのは初めてだ。そう、これが世界で初めて公式に『A.T.フィールド』を人工の力で生み出した瞬間だった。
「朱童くん、そのA.T.フィールド、維持できる?」
『大丈夫だ』
「ありがとう。シンジくん、申し訳ないけど、一旦A.T.フィールドを張るのは止めて、漆号機に近づいてみてくれるかしら。そのA.T.フィールドを超えられるかどうか」
『はい、やってみます』
シンジはエヴァを操り、漆号機に近づく。そして残り十メートルくらいのところで展開されている光の壁に手を伸ばす。
『堅い』
そう。そこには確かに『壁』があった。光によって構築された、何者をも拒絶する『壁』が。
「朱童くん、触られても大丈夫?」
『ああ』
「じゃあ、シンジくんはそのA.T.フィールドを殴ってもらえるかしら」
『分かりました』
まず最初は軽く。だが『壁』はびくともしない。
『もっと強くても大丈夫だぞ、碇』
『分かった』
拳を握って、思い切り振りかぶってから、殴りつける。が、逆に痛んだのは自分の拳の方だった。
『大丈夫か、碇』
『僕は何とか。朱童くんは?』
『何ともない。これがA.T.フィールドというものだな。絶対的な『防御壁』だ。なるほど、使徒がこんなものを使えるのなら、確かに通常兵器ではどうにもならなさそうだな』
エヴァで全力で殴っても皹一つ入らない壁。確かに使徒がこんなものを自由自在に使えるのなら、火力で攻撃してもどうにもならない。
「シンジくんも展開できる?」
『がんばります』
「レイ、サナエ。あなたたちも」
『はい』
『分かりました!』
そして三人ともすぐにA.T.フィールドを展開しようとする。目の前で見せられたからこそ、今度はイメージがわく。
一分と経たないうちに、まずレイがA.T.フィールドを展開した。さらに続けてサナエも。
だが、シンジだけが展開できていない。
「センセにも苦手があったんやな」
それを見ていた適格者たちの中で、トウジが代表して言った。
「ま、あいつならすぐにできるようになるだろ」
コウキが信頼しているという様子で言う。
「私もそう思う。シンジは飲み込みさえすれば、あとは一気に数字を伸ばしていける」
「同感ね。すぐにA.T.フィールドを展開できると思うわ」
コモモとリオナが期待しているという様子で言う。
「人気があるな、シンジの奴」
「そういう僕らも、信じているけどね」
ジンとタクヤが苦笑しながらモニタを見つめる。
そのシンジは、まだA.T.フィールドというものが今一つ分かっていなかった。
すべてを拒絶する。拒絶とはどういうことなのか。いったい何をすればいいのか。まったく想像がつかなかった。
(大丈夫です、シンジさん)
そんなふうに苦労しているシンジに語りかけたのはシオリだった。
(シオリさん)
(シンジさんは、今、拒絶するということができない状態なんです)
(どうして)
(こうして私とつながっているからです)
シオリがあっさりと言う。
(じゃあ、どうすれば)
(『私』を拒絶してください。それで展開できます)
だが、シオリを拒絶するということは、こうして話ができなくなることではないのか。
(大丈夫です。A.T.フィールドを閉じればまた話ができます。展開しているときだけ通じなくなりますけど)
(でも)
(私の知っていることなら、この先いつでも教えられます。でも、今はA.T.フィールドを展開することに全力を出してください)
確かに、ここで逡巡していても何も始まらない。
(すべてを、拒絶する)
それはつまり、他人との交流を全て切り捨てて、自分の殻の中に閉じこもるということだ。
(なんだ)
シンジは納得した。
(僕が一番、得意なことじゃないか)
瞬間、世界にオレンジ色の光が満ちた。
「A.T.フィールド、初号機展開!」
伊吹マヤの声が響く。これで四体ともA.T.フィールドを展開することに成功した。
「いったわね。マヤ、時間は?」
「九分二三秒経過」
「ちょうどいいわね。四人とも、A.T.フィールドを閉じて、シンクロカット。一度休憩を入れます」
ただちにA.T.フィールドが消える。
(シオリさん)
(はい、お疲れ様でした)
交信が復活して、シンジはほっとする。
(お上手でした。さすがシンジさんです)
(でも、シオリさんのアドバイスがなかったらうまくいかなかったよ)
(ご謙遜です。シンジさんがすごいのは、みんなが分かっていることですから)
あと数秒で、シンクロは切れる。
(またあと一時間したら、話せますよ)
(分かった。今日は二回会えるから僕も嬉しい)
(そんなこと言う人は──)
シオリはにっこりと笑った。
(──大好きです)
それからきっちり一時間後、四人は再び起動して、A.T.フィールドを展開させた。そしてリツコから指示が入る。
「四人とも、今度は相手のA.T.フィールドを中和するわよ」
その説明も既に受けている。A.T.フィールドは相手からの攻撃を遮断するための防御壁。この壁を乗り越えるためには、同じフィールドを展開して中和し、壁を打ち消さなければならない。
シンジの初号機とカズマの漆号機、そしてレイの零号機とサナエの玖号機が対峙する。
先にカズマとレイの機体が近づいていく。それぞれ中和を試みる。シンジとサナエはA.T.フィールドを全開にして中和されるのを防ぐ。
もっとも、どうすれば中和できるのか、中和を防げるのかなどわからない。すべてはイメージの力。A.T.フィールドに触れて、そこから壁を打ち消すように自分のA.T.フィールドを重ねるのだ。
『いくぞ、碇』
漆号機のA.T.フィールドが初号機のA.T.フィールドに触れる。その瞬間、二人の精神にずしんとした衝撃が響く。
(これが中和?)
自分が展開する壁が歪む。
漆号機の手が、ゆっくりとその壁の中に差し込まれてくる。氷の壁が、そこだけ溶かされていくかのように。
「朱童くんは、A.T.フィールドの使い方が上手ね」
リツコは感心した。先ほど、最初に展開できたのもカズマだった。
「シンジくんは改めてA.T.フィールドを展開するイメージを持って。簡単に破られては駄目よ」
そう言われても、どうすればいいのかわからない。徐々に亀裂は広がり、いよいよ漆号機の両手が壁の中に入ってくる。
そして、さしたる時間もかからずにシンジのA.T.フィールドは破られてしまった。
『こんな感じでいいのか』
「ブラボー。お見事よ、朱童くん」
あっさりとA.T.フィールドを使いこなしたカズマに、他の適格者から驚嘆のどよめきが起こった。
「あいつ、何でもありだな」
「格闘もできてA.T.フィールドも使えるって、どんだけ万能だよ」
「軽く嫉妬」
「すごいな、カズマさんは」
「本当に。たいしたものですわね」
わいのわいの、とカズマの話題で持ちきりとなる。どうやらこのA.T.フィールドの扱いについてはシンジよりもカズマの方に軍配が上がりそうだった。
「それじゃあ攻守交替して。今度はシンジくんが朱童くんのA.T.フィールドを中和するのよ」
『わかりました』
目の前で行われたことを、今度はシンジがやるだけのことだ。落ち着け、と自分に言い聞かせてから漆号機のA.T.フィールドに触れる。
だが、堅い。どうすればこの壁を破れるのか、まるで想像がつかない。
『碇』
対戦相手のカズマから通信が入った。
『相手のA.T.フィールドに触れて、感じろ』
『感じる?』
『そうだ。そのA.T.フィールドと同じ波長を出す。そうすれば中和ができる』
『どうやって』
『何度も言わせるな。触れて、感じろ。自分との違いを見つけて、それをなくすんだ』
だが、言われてもわからない。もっともカズマとしてはそれが精一杯のアドバイスだったのだろう。自分がやったことをシンジに教えてくれているのだ。それは不満にするところではない。感謝するところだ。
『やってみる』
手のひらをA.T.フィールドにあてて、何かを感じ取ろうとする。だが、壁は壁だ。堅いだけで何もそれ以上の感触はない。
(自分のA.T.フィールドとの、違い)
A.T.フィールドをぶつけてみる。重ねて展開しようとするが、はじかれる。
そこに、ふと感じた違和感。
(これかな?)
はじかれた瞬間に感じた、何かの『差』。それは、速度であったり、温度であったり、圧力であったり、強弱であったりしたかもしれない。だが、具体的にはわからないが、何かの違いが確かにある。
(近づけるイメージを持つんだ)
自分の方が熱いのなら冷たくすればいい。自分の方が遅いなら速くすればいい。違和感を縮める作業。それがA.T.フィールドを中和するということ。
同じ感触になった瞬間、自分の手がA.T.フィールドの中にずぶりと入った。ナメクジが這い回るような、おぞましい感触。
(こっちも)
もう片方の手も、そのA.T.フィールドの中に差し込む。そして、一気に引き裂──
(え?)
が、次の瞬間にはじかれてしまった。あと少しだったのに、なぜ。
『碇。今のがA.T.フィールド中和の防ぎ方だ』
通信が入る。
『防ぎ方?』
『そうだ。波長を合わせられたら、今度は自分の波長をずらす。そうして相手に中和をさせない。さあ、俺の波長を追いかけてみろ』
追いかける。つまり、ずれていく波長に合わせ続けていくということだ。
(よし)
やってみろというのなら、やってみるまでだ。
A.T.フィールドに触れて自分も展開する。そして波長を合わせる。
『遅いぞ』
合わせるより早く、カズマがどんどん波長をずらしていく。
『もっと早く感じ取れ。使徒は待ってくれないぞ』
カズマは自分を鍛えてくれている。自分が感じ取ったことを、全部自分に教えようとしてくれている。
その期待に応えなければ。
(これで!)
ぴたりと波長が重なる。が、すぐに違和感。カズマがまた波長を変えようとしている。
だが、させない。それより早くA.T.フィールドを中和してしまう。
『いけぇっ!』
そして、先ほどのカズマのときと同じように、A.T.フィールドを完全に引き裂き、消滅させた。
『やったな、碇』
カズマからの通信。
『うん。ありがとう、朱童くん』
が、通信の向こうからは『ふん』という音しかかえってこなかった。照れていたのかもしれない。
一方、レイとサナエの方は、レイが早い段階で中和ができたのに対し、サナエは時間ぎりぎりまでかかったが、なんとか中和まで完了できた。本当にぎりぎりですべてをクリアしてくる子だった。
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