紀瀬木アルトは凡人ではないが、決して非凡ではない。彼女はあくまでも努力型の人間で、惣流アスカや錐生ゼロ、碇シンジのような天才ではない。
 彼女は決して手をぬくようなことはしない。努力を積み重ねた分だけ確実に成長する。だが、凡人にはどうしても限界がある。シンジやアスカのように、シンクロすることを運命づけられた子と違い、ただシンクロできるだけの自分には圧倒的なシンクロ率を示すことはできない。
 だが、これがもしも自分の姉だったならどうなのだろう。
 シンクロは天性の才能によるところが大きい。自分の姉なら、自分と全く同じ血を持つ姉ならばたやすくエヴァを操れるのだろうか。A.T.フィールドを展開できるのだろうか。
 できそうな気がする。いや、できる。
 アルトは何の疑いもなく、そう思った。












第佰陸拾話



疾風怒濤のフェルクラート












 六月一日(月)。

 ドイツ適格者たち五人と、イギリスからやってきたサラ、フランスからやってきたエリーヌ、この七人による合同訓練が行われることとなった。
 ドイツ軍の総合演習場にエヴァが六体並ぶ。弐号機の出番はない。アスカが格闘訓練に出ると、完全に動きが違うからだ。一対一の戦いでアスカにかなう者はこの六人の中には間違いなくいない。互角に戦えるのは日本のサードか、オーストラリアのフィフスくらいだろう。
「今日は一対一の格闘訓練を行う」
 教官からの説明が入る。
「イギリス、フランスは格闘相手がいないということでドイツでその相手を引き受けることになった。互いに遠慮はいらん。国の威信をかけるつもりで戦え」
 サラもエリーヌもそのつもりだ。もちろんドイツメンバーとて同じ。もっとも、ドイツメンバーの中でクラインはオーストリア国籍、アルトは日本国籍だ。ドイツという国を背負うには愛国心に不足があると言える。
 だが、その先発に選ばれたのがアルトだった。相手はイギリスのサラ。おそらくこの六人の中で最も上手に機体を操ることができるだろう。いきなり強敵だった。
『手加減はしないわよ、アルト。あなたも日本で、私がシンジに近づくの邪魔してたしね』
『邪魔はしてないわ。ただ、シンジくんを振り回すつもりなら全力で止める。それだけよ』
 アルトもシンジの友人として、シンジが困っているのを見て見ぬふりなどできない。
『行くわよ。シンクロ・スタート!』
 同時に起動。サラの白く神々しい機体と、アルトのかわいらしいピンクの機体が同時に目を光らせる。
「シンクロ率はどうなの?」
 アスカがオペレーターに尋ねる。
「はい。アルトが三五.二〇二、記録更新です!」
 また数字を上げてきた。A.T.フィールドは張れなくても、シンクロ率ではドイツの二番手だ。
「サラは?」
「シンクロ率三八.八一四。こちらも記録更新です!」
 お互いに普段以上のシンクロ率を見せている。それだけ本番に強いということでもあるが、相手に対して負けたくないという気持ちが押し上げているということでもある。
『負けないわよ!』
 サラの白いエヴァが突進する。速い。シンクロ率はともかくとして、スピードだけならドイツの誰よりも上だ。
『くっ』
 アルトは相手の突進を受け止めようとするが、あっさりと弾き飛ばされる。こういうときは勢いのある方が優勢だ。
「何やってんのよ、そんなの軽くかわしなさい!」
『すみません』
 アスカの叱責にアルトが謝る。
『無駄よ、アスカ』
 ふふん、とサラが笑いながら、アルトの背後に回る。
『だってこの子、弱いもの』
 思い切り振り切った拳が、振り返ろうとした拾捌号機の顔面を捕らえる。
『がっ!』
『まだまだ』
 さらに間合いをつめて、今度は膝蹴り。さらには大きくスタンスを取ってからハイキック。完全にアルトを翻弄している。
「アルト!」
 ぐらりとよろめくが、それでもアルトはこらえた。
『しぶといわね。今のでノックダウンかと思ったのに』
 自信のあった攻撃を耐えられ、少しだけサラが憮然とする。
『でも、開始早々だけどもう終わりよ。これで、とどめっ!』
 サラが突進する。これで決着をつけようと。
「アルト! アル──」
 そこでアスカは気づいた。
「なんで通信がつながってないのよ!」
 これではこちらからの声は届かないし、プラグ内部の様子も分からない。完全に拾捌号機の内部が分からない状態だ。
「中から通信を切断しているとしか思えないわ」
 エリーヌが冷静に言う。
「ったくあいつ! 戻ってきたら盛大にお仕置きしてやるんだから!」
 だが。
 拾捌号機はそのサラの攻撃で沈まなかった。それどころか、接近してきたサラの弐拾壱号機の両手首をつかんで投げ飛ばす。
「やればできるじゃない!」
「いや」
 クラインがその様子を見てつぶやく。
「何かが、おかしい」
 クラインの言葉に全員が拾捌号機を見る。だが、何の異常もない。通信が届かないこと以外はきわめて正常に動いている。
「何がおかしいっていうのよ」
「動きが」
「動き?」
「はい。いつものアルトのような動きじゃない。いったい、どうして」
「拾捌号機、シンクロ率上昇!」
 オペレーターが突然叫んだ。
「し、信じられない」
「何よ、もったいぶってないで早く言いなさい!」
「は、はい。シンクロ率──」
 一度、オペレーターは言葉を切った。

「六〇.三三三%!」

 全員が愕然とした。
 六〇%。その数字を出せるのはこの地上ではたった三人だけ。セカンド、サード、フィフスの三人のチルドレンだけがその数値に到達している。
 それを、このアルトが。
「ちょ、どういうことよ。アルト、応答しなさい、アルト!」
 だが、拾捌号機はまったく応答しない。
 それも当然のことだった。

『悪いな、セカンドチルドレン。『私』が出てきていることを他の誰かに見られたくないのでな』

 通信の届かないプラグの中で『ノア』が言った。
『まったくアルトはいつまでたっても成長が遅い。この程度の機体、乗りこなせずにどうする』
 初めて『自分で』機体を動かす。
『アルト。悪いがお前は少し眠っていてくれ』
 そして操縦桿を強くにぎりしめる。
『この紀瀬木ノアは、誰よりも負けず嫌いなのでな』
 そして、馳せる。
「シンクロ率、さらに上昇! 六二%!」
「ど、どこまで上げる気よ、アルト!」
 さすがのアスカもこの急激な数値上昇に動揺する。
 そしてピンクの拾捌号機がサラよりも速いスピードで迫り、弐拾壱号機を激しく殴る。
『ぐうっ!』
 弐拾壱号機の通信機能は途絶えていない。つまり、サラの表情や様子はしっかりとアスカたちの目に映る。その焦りの表情も。
『動きが変わった。いったい何が』
 サラの呟きに応えるかのように拾捌号機が動く。ピンクの機体が体当たりをしかけて、さらに肘で顔面を打つ。
「アルトらしくないな」
 ヴィリーが口にする。メッツァも頷く。
「そうだな。自分から攻撃をしかけるのも珍しいが、顔を強打するところを見たことがない。エヴァの格闘訓練であってもな」
 だからこそアルトは五人の中では最弱だった。シンクロ率が高くとも格闘センスのないものは勝つことができない。
『shit!』
 渾身の力をこめて、サラが相手を殴りつける。が、拾捌号機は空中に飛び上がると、サラの顔面を蹴りつけた。
『女の子の顔を足蹴にするなんて』
 ふらつく頭を振って、サラが相手をにらみつける。
『ふざけないでよね!』
 こらえたサラが相手を蹴る。だが拾捌号機は片手でしっかりとガード。そして反撃をしかけてくる。
『くっ!』
 瞬間、弐拾壱号機との間に光の壁が広がった。
「A.T.フィールド!」
「まさか、実戦で使うのか」
 アスカとクラインが身を乗り出す。今まではただの格闘訓練で、A.T.フィールドを使うことはしてこなかった。
『あなたがA.T.フィールドを使えないのは知っているけど、これは勝負だから』
 サラが相手をにらみつける。
『私は絶対に負けない!』
 だが。
 一度、光の壁に弾かれた拾捌号機であったが、そのプラグの中でノアが笑う。
『A.T.フィールドが使えないのはあくまでアルト』
 そして、ゆっくりとその壁に手をそえる。
『この私が操れないなどと思うなよ、イギリスの適格者よ!』
 ずぶり、とその手が壁の中にうずもれる。そして一瞬でその壁を引き裂いた。
『なっ!?』
『その程度のA.T.フィールドで私を封じれると思うな!』
 あっさりとA.T.フィールドを破った拾捌号機がサラの胸部を打つ。がはっ、とサラの胸が痛む。
『骨折れたらどうしてくれるのよ!』
 骨が折れる痛みが伝わることはあっても、実際に折れるということはない。それは単なる比喩にすぎ サラはその相手の手をとって逆に関節を極める。シンクロ率が高いということはそれだけ痛みもリアルに響くということ。シンクロ率の高い相手ほどこの技は有効だ。
『ギブアップしないと、腕をへし折るわよ!』
『折れるものなら折ってみるがいい』
 サラの言葉が聞こえたわけでもないが、ノアは苦痛に歪む顔に笑みを浮かべる。
『そう簡単に折らせはしないがな!』
 拾捌号機は不自然な体勢のまま相手の体に組み付き、ひねって相手を地面にたたきつける。その衝撃で相手の手が緩んだ。
『もらった!』
 サラの隙をついて、痛んでいない右手で殴る。だが、
『簡単にやられるわけにはいかないのよ!』
 その拳を紙一重でかわす。そして、カウンターの右手が相手の顔面に入った。
『──!?』
 カウンターパンチは、自らの勢いがあるほど衝撃が大きい。がくり、と膝から崩れ落ちる。
『もらった!』
 サラが左手でボディを打ってから顎を強打。拾捌号機が仰向けにころがった。
『The END!』
 飛び上がったサラが両腕を組んで拾捌号機の頭にたたきつけようとする。が、
『やられるものか!』
 ノアはその場でA.T.フィールドを展開。光の壁に衝突したサラが弾き飛ばされる。
『そんな!?』
『中和できるということは展開もできるということだ!』
 立ち上がったノアがバランスの取れない弐拾壱号機へ迫る──

 ──が、そこで二人のシンクロが同時に強制切断された。

『十分が経過したか』
 ノアは電源の落とされたプラグ内部で舌打ちした。
『だが、今の勝負は私の勝ちだな。まさにとどめをさすところだったのだから』
 ただ、これから先アルトには苦労をさせることになるだろう。自分がこれだけ派手に動き回ったのだから、アルトが混乱することは必至だ。
『だが、お前が私を意識したとき、お前は自分の存在意義を失い、消滅する。それはとても残念なことだ』
 つくづく、もう一つのボディがなくなったことが残念でならない。
『まあいい。私はまた眠りにつく。あとは任せたぞ、アルト』
 そうしてノアはまた自ら表舞台を去っていく。そして、アルトの意識が浮上し始めた。






「本当に、何も覚えていないんです」
 混乱していたのはアルトの方だった。シンクロ率六〇%、A.T.フィールドの展開と中和。そんなことを言われても自分のしでかしたことだとはとうてい思えない。
「通信が切断されていたのは?」
「それもまったく」
「ずいぶんと都合がいいわね。あれだけの動きをしておいて」
 アスカがため息をつく。起動停止した二体のエヴァが運ばれてきてからパイロットを質問攻めにしたのはアスカであった。
「でも、本当に覚えてないんです」
「ええ。嘘をついている目かどうかくらいは見れば分かるわよ。でもね、それだけじゃ簡単に納得できないのも分かるでしょ?」
「はい」
 アルトもため息をついた。いったい自分に何があったのかよく分からない。
「あのときと同じね」
「あのとき?」
「アンタが誘拐されたときよ」
 ああ、とアルトは頷く。
「でもあれは眠らされていたからで」
「薬物反応はなかったって言ってたわよ。三日も眠り続けるなんていうことはそうないんじゃない?」
「でも!」
「分かってるわよ。私が言いたいのはアンタが嘘をついているとかいうことじゃない」
 アスカは、アルトの胸をつく。
「アンタのここに問題があるって言ってんのよ」
「心?」
「そうよ。すぐに記憶をなくすような相手を、アルトなら信頼できる? 自分の背を預けられる?」
 厳しいことを言われているのは分かっている。
「アンタ、自分のことがきちんと片付くまで、エヴァに乗るの禁止よ」
「でも!」
「でもじゃない。これは私だけじゃない。クラインやヴィリー、メッツァ、さらには技術部、作戦部、全ての一致意見。アンタはまず、自分の体をしっかりと把握すること。そうしないとアンタ、死ぬわよ」
「私は死ぬ覚悟はできています」
「アンタの無駄な覚悟で他のメンバー巻き添えにされるのは困るって言ってんのよ!」
 アスカの声がアルトを打つ。涙目になってしまっている。
「話、聞いてたんでしょ、アンタ」
「……」
「もしかしたらエヴァに乗り続けることがアンタの命に関わる。だったら、はっきりと安全だっていうことが分かるまで、エヴァは禁止。いいわね」
「アスカさん」
「あれだけのシンクロ率、A.T.フィールド。アンタはテストなんかしなくても実戦でいくらでも大丈夫よ。だから今は自分の体のことを心配してなさい」
「わかりました」
 アルトは頭を下げる。そして近くのイスに座る。
 こぼれる涙は、とどまることを知らない。
(私、どうなっちゃうんだろう)
 分からない。自分が分からない。どうして記憶をなくしてしまうのか。
(助けて、エン)
 大好きな人は、やはり応えてはくれない。






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