『飯山ミライの新曲、六月下旬発売決定!』

 その広告を、第三新東京に住んでいる中学生、佐久間ユキはじっと見つめていた。
 先日のミライの演説については彼女もよく知っていた。大人たちに立ち向かった一人の少女。圧倒的に劣勢だったのが、あっという間に彼女の方が優位に立っていた。
 だから自分も信じてみようと思った。
 飯山ミライという少女を。
 碇シンジという少年を。
 彼女はCDショップに入っていくと、店員に向かって言った。

「飯山ミライの新曲、予約したいんです」












第佰陸拾壱話



神出鬼没のドローエントゥ












 六月二日(火)。

 武藤ヨウは上がってきた報告を全部確認したが、やはり使徒教の導師、そして『死徒』フィー・ベルドリンテの消息はまったくつかめなかった。
 使徒教と関係のある村に襲撃をかけたまではよかったが、そこから先が完全に手詰まりとなった。もっとも日本国内にある分かる限りのアジトは戦略自衛隊で占拠している。日本での活動基盤はもうないと言ってもいい。
 もっとも、それでも二名の消息が分かっていない以上、まだ国内にはアジトが残っている可能性の方が強いわけだ。
「どうにも、やりづらい相手だな」
 特殊監査部で事実上動いているのはヨウの他、門倉コウと南雲エリ。時折剣崎キョウヤなども協力してはくれるのだが、彼には保安部としての別の仕事が山ほどある。そうそう協力をあおげるわけでもない。
「情報のない相手を捕らえるのはきついですね。いざ戦闘になればまだやりようもあるんですが」
「だからといって、死徒とタイマンで勝てる気がするか?」
「しませんね」
 そう。とにかく危険なのは死徒と呼ばれる二挺拳銃の女。彼女さえ倒せば使徒教など無害と言ってもいい。
「あれ以来、首相の方も襲撃されたという話はないようです」
「首相は狙えなくても、他の一般人は狙えるか」
 ヨウがため息をついた。
「どういうことですか?」
「これだ」
 ヨウが朝刊を放り投げる。社会面に大きく取り上げられていたのは、政治家のスキャンダル事件。
「少佐もスキャンダルに興味があるんですね!」
 何故かうれしそうなエリ。どうやらそういう記事に小躍りするタイプのようだ。
「阿呆。その下だ」
「下?」
 その下の記事。ガソリンスタンドで爆発事故。死者三名。
「これがどうしたんですか?」
「亡くなったのは企業の役員。ネルフへの資金提供を積極的に勧めていた男だ」
「え」
「確認してみると、従業員の一人がその事故を見て『怖くなったからやめる』と言っていなくなったそうだ。まだアルバイト四日目くらいの、黒い長髪の女が」
「まさか」
「フィー・ベルドリンテに間違いない。少なくとも容貌は一致している。ちなみに、似たような事件が先月もう一件。ネルフ関連企業の重役に死者が出たら疑ってかかる方がいい」
 死徒のしわざである、ということをだ。
「でも、そうしたら護衛対象はどれくらいいるんですか?」
「日本でネルフを支援している企業なんか山ほどある。大企業は世界平和のためと称してこぞってネルフに資金提供しているからな。先の飯山ミライの演説効果もあって、先月のネルフへの資金提供は通常の一.五倍まで膨れ上がっている」
「それはすごいですね。ミライちゃんはネルフの一番のスポンサーじゃないですか」
「そうだな──」
 言ってからヨウは考える。コウも顔色を変えた。視線が合って、なるほどと頷きあう。
「お前、たまにはいいことを言うな」
「はい?」
「今後の方針が決まった。行くぞ」
 ヨウとコウが同時に立ち上がる。
「え? え?」
 発言した本人だけが、まったく事情を把握できていなかった。






 結果的にネルフに資金を提供することになった飯山ミライは、この日ついに待望の新曲が完成した。自ら作詞を手がけ、ネルフ関連の活動をしている際に知り合ったミュージシャンに作曲を依頼し、何度も試行錯誤を繰り返してようやくできあがった曲だ。
 新曲披露をいつにするのか、販売はいつにするのかなどマネージャーの方が大忙しだったのだが、そこにさらなる追い討ちが入った。
「これを、外国語に翻訳してほしいんです」
 ミライの発言に、周りがどよめく。
「日本語版は先行販売してもらってかまいません。でも、できるだけ多くの言語でこの歌を届けたいんです。世界中に希望を届けたいんです」
「外国語って、英語?」
「英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、中国語、韓国語、アラビア語──」
「ちょ、ちょ、ちょっとミライちゃん!」
 さすがにマネージャーもたじろぐ。
「英語だったらだいたいどこの国の人でも知ってるんじゃないの?」
「でも、自分の気持ちをのせて歌うのなら、絶対に母国語です。言葉は違っても、同じ気持ちを歌うことができる。同じメロディーに、同じ想いをのせられる。本当はどんなに少数の言語であっても翻訳してほしい。でも、それができないならせめて、少しでも多くの人に」
 ミライはこれを頑として譲らなかった。
「ああもう、ミライちゃんは一度決めちゃうと頑固だからなあ!」
 マネージャーが困ったように、だが笑って言った。
「分かった。降参。ついでに、知り合いにかたっぱしに連絡して、海外の音楽会社と提携して少しでも多く販売できるように流通経路をとるようにするよ」
「はい。売り上げで利益が出たものは全部ネルフの方にお願いしますね」
「これだけがんばっても特別ボーナスも出ないんだからなあ」
「出ますよ」
 ミライは笑顔で言った。
「この曲を聴いてくれた人たちの笑顔がボーナスです」
 マネージャーは苦笑した。
「ミライちゃんにはかなわないな」
「はい。私、頑固ですから」
 マネージャーから見ても思う。今までのミライは、与えられた仕事を黙々とこなして、それなりに満足するような子だった。人気はあっても大成はしないと思っていた。
 それが今はどうだろう。自分の夢に向かって邁進する姿は、大人の自分から見てもまぶしいほどに輝いている。
「若いなあ」
 マネージャーはうらやましそうに呟いた。






 そうしてミライがその日の仕事を終えて事務所を出る。売れっ子の飯山ミライには専属の運転手がいて、自宅まで送迎されている。
 この日、いつもと同じ時間、同じルートで帰宅していく途中であった。人通りの少なくなった裏道に入ったときだった。
 何かの破裂音。同時に車が突然ゆれる。
 車がパンクしたのかと思った。いや、実際にパンクしたのだが、その原因が問題だった。
 後部座席に座っていたミライは、何の気なしに後ろを振り向く。
 スモークフィルムの外側。遠くに立つ女性の影。
 その両手に一つずつ──
 ミライは咄嗟に頭を下げた。直後、そのガラスが音を立てて割れる。
(撃たれた?)
 なぜ、どうして。
 いったい何が起こっているのかわからない。だが、感じた。今の女性は間違いなく、自分を狙ったのだと。
 逃げなければいけない。
 そうしなければ殺される。
 だが、もしここから出たらどうなるのだろう。すぐに撃たれて死んでしまうのではないか。だが、このままここに留まっていても、いつかは近づかれて撃たれてしまう。
 どうすれば。どうすれば。どうすれば。
「ひ、ひいいいいいっ!」
 運転手が動転して運転席から逃げる。が、外に出た直後、発砲音とともに運転手の背中が撃たれた。
(そんな)
 逃がさない気だ。どんなことがあっても。
(いやだ)
 どうして狙われたのかなど分からない。だが、理由も分からないまま死にたくない。
 ミライは頭を回転させる。それから、勢いよくドアを開けた。
 開けただけで、自分は出ていかない。だが、直後、そのドアが撃ちぬかれた。ドアが開いてそこから逃げようとしたと、相手が思い込んだのだろう。
(逃げたら撃たれる。でも、近づかれるまで何もしなければ同じ)
 後部座席から無理やり前の座席に移動して、開いたドアに隠れるようにして外へ。もちろん相手もそれくらいはわかっているのだろうが、それでも何もしないよりはまし。
 横に公園。隠れるところは山ほどありそうだが、うまく逃げ切れる保障はない。
(シンジくん!)
 ミライは近くの街路樹の影に飛び込む。発砲音がしたが、自分には当たらなかった。
(逃げないと)
 相手がどこにいるか分からない。だが、次の物陰を探して、そこまで移動しなければ。
 公園と思っていたその場所は、単なる緑地だった。だが、そのおかげで木々、草むらは多い。隠れられそうな場所は多い。
(発砲音が聞こえなくなった)
 木の後ろに隠れていたミライが、呼吸を整える。
 自分を狙ったあの女性は、今はどこにいるのだろう。自分を補足しているのだろうか。それとも見失ったのだろうか。
 意を決して、木からゆっくりと、反対側を見る。
 その。

 目の前にいた。

「きゃああああああああああああああっ!」
 自分でもその悲鳴がどこか遠くから聞こえてくるのが分かった。
 そしてゆっくりと女性の二挺拳銃が自分に向けられ──

 発砲音。

 だが、撃たれたのは自分ではない。その、ミライを狙っていた銃だった。
「そこまでだ、『死徒』!」
 男の人が二人、こちらに向かって銃を構えている。
 そして。
「こっちよ!」
 突然、誰かに手をつかまれた。
「早く! 死にたいの!?」
 綺麗な髪をした女性が自分の手を引いている。ミライは必死に走った。
「とにかく『死徒』の射程圏外まで逃げるわよ!」

 使徒? 使徒と言ったのか、この女性は?

 だが、今は何も考えられない。ミライはただひたすら走った。女性に手を引かれてひたすら走り続けた。
 五分も全力で走っただろうか。やがて、女性が足をゆるめる。それにあわせて自分の足も止まった。
「もう大丈夫みたいね」
 そう言われて、ようやく全身から汗が出てきた。
「い、今のは」
「使徒教っていうテロ組織お抱えの暗殺者」
「あ、暗殺!?」
「そう。危ないところだったわね。あなたが狙われているっていうことに気づかなければ、間違いなく殺されていたわ」
 殺されていた。
 自分が? なぜ?
「大丈夫よ」
 女性はゆっくりと、ミライを抱きしめる。
「ここまでくればもう大丈夫だから」
「は、はい」
 震える声と体。
「あ、ありがとう、ございました」
 それでも感謝の気持ちを相手に伝える。女性は笑顔で「無理しなくていいのよ」と答えた。
「いえ、大丈夫です。それよりも、あなたはいったい? 私はどうして狙われたのですか?」
「そうね。順番に教えたいところだけど──あ、戻ってきた」
 びくっ、とミライの体が反応するが、暗殺者ではない。さきほど自分を助けてくれた二人の男性だった。
「どうでしたか?」
「逃げられた。さすがに二対一では形勢不利と悟ったんだろうな」
 えらそうにしている方の人物が答えた。
「一応はじめましてだな、飯山ミライさん」
「はい。助けてくださって、ありがとうございます」
「何、仕事だからな。本当は今の暗殺者を倒しておきたかったんだが、さすがにそう簡単にはいかないらしい」
「あの、いったい何があったんですか。どうして私が」
「ま、いろいろあるんだが、とりあえず自己紹介をいいかい」
「はい」
「俺は武藤ヨウ。こっちが門倉コウで、こいつは南雲エリ。俺たちはネルフの人間だ」
「ネルフの」
「ここ最近、ネルフ支援者が暗殺されていたんでね。現在ネルフ最大のサポーターが狙われるんじゃないかと思って、三人でアンタの動きを調査しているところだったんだ。危なかったぜ。気づいたのが今日だったから良かったものの、一日遅れたらまさに致命的だった」
「どうして私が」
「ネルフに協力している人間であれば誰でもいい。暗殺者としてはそんな感じじゃないのかな。今のところあいつが殺したり、襲撃している相手は無差別といってもいい。共通点はたった一つ。ネルフを応援しているということだけだ」
「でも、そんな人は日本にたくさん」
「ああ。俺たちが確認しただけで全部で四人狙われている。二人は失敗し、二人は成功した。この法治国家日本で五割の成功率。たいしたもんだぜ」
 それも、ヨウたちが来てくれなければ自分も『成功』の側だったのだ。改めて寒気がした。
「これからも狙われたりするんでしょうか」
「分からん。前に失敗した相手をもう一度狙うようなことをしていないところから考えると、しばらくは安全なような気もする。一方で民間人の方がどうしても狙いやすいから、またやってくることも考えられる」
「どうすれば」
「事務所にいたところで本気でかかられたらアウトだ。ボディーガードをつけた方がいい」
「そんな、私、心当たりなんて」
「この二人をつける」
 コウとエリが指名された。
「そこらのSPよりはずっと優秀だ。安心していいぜ。この二人がいる以上、アンタの身の安全は確保されたものと同じだ」
「一人だけだと、死徒にはかなわないかもしれませんけどね」
 二人なら死徒相手でも何とかなる、ということだ。
「できれば俺たちもあまり死徒に振り回されたくはないんでね。できるだけ早くに決着をつけるつもりだ。というわけで、しばらくはこの護衛たちが一緒に行動することになるが、かまわないか」
「でも、私、そこまでしてもらう理由が」
「アンタの歌を楽しみに待っている奴がネルフにいるんだ」
 誰とは言わなくても分かる。ネルフで一番気になる人。自分の好きな人。
「そいつのためにも護衛をしたいんだが、かまわないかな?」
 ミライは少し考えてから頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「OK。というわけだ。二人とも、頼むぞ」
「もちろん。撤退戦より緊張しますね」
「がんばります。よろしくね、ミライちゃん」
 こうして、飯山ミライの安全はひとまず確保された。






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