これにて、全ての準備は完了する。
 盤上に揃った駒を、どう動かすか。
 いまはまだ、全ての謎は解けていない。
 だが、手掛かりはそろっている。
 使徒。そして、セカンドインパクト。
 全ての謎が解かれるとき、地上は祝福で充たされるだろう。
 だがそれは、決して解かれることのない神の秘密。











第佰陸拾肆話



雲散霧消のディリジェンテ












 六月五日(金)。

 本日は第二回A.T.フィールド展開実験が行われる。ただし、既に一度A.T.フィールドを展開している四人は免除。格闘訓練まで終了した五人+アメリカのマリィを加えた六人によってA.T.フィールド展開実験が行われることになっていた。
 トウジの黒い参号機、レミの黄色い肆号機、コウキの白い伍号機、タクヤの緑の陸号機、ヤヨイの蒼い捌号機と非常にカラフルな日本のエヴァンゲリオンだが、その中に一際輝くのがマリィの銀色の拾壱号機だ。太陽の光を照り返して輝く拾壱号機は他のどの機体よりも見ごたえがあった。
「A.T.フィールドの使い方については分かっているわね」
 六人に連絡が入り、最終レクチャーが入る。もっとも模擬で何度もやってきた操作だ。誰もわからないなどということはない。
(こう見えても、私はこの中で──いや、ランクAの中で誰よりも操縦経験が少ない)
 動かすだけならこれが二回目。シンクロ回数にしたところで他のメンバーの半分もない。
(でも、だからこそ私は私の──私たちの名を高めてみせる。マリィ・ビンセンスの名を世界中に知らしめてみせる)
 マリィは誓っていた。誰よりも早く、A.T.フィールドを展開するのだと。
「それじゃあいくわよ。シンクロ・スタート!」
『A.T.フィールド、展開!』
 シンクロと同時にマリィは頭の中に壁を思い描き、他のすべてを拒絶する意思を生み出す。
 そしてそれは、驚くほど早く形を見せた。誰よりも早かった朱童カズマを上回るスピードだ。
『拾壱号機、A.T.フィールド展開完了!』
 それを見ていたシンジたちが声を上げる。
「僕は十分ぎりぎりまでかかったのに」
「どんなことでも、得意、不得意があるっていうことだよ。でもシンジくんだってもう展開できるんだから大丈夫」
 エンがフォローするが、やはりたった一瞬で展開できるマリィの力は見事としか言いようがなかった。
 だが、既に何度もA.T.フィールドの展開を見、さらにはカズマ他どういう風に展開すればいいのかを聞いていた適格者たちにとって、それほど難しい作業ではなかったらしい。
『伍号機、展開完了』
『陸号機、展開完了しました』
『肆号機、オッケー!』
『参号機、展開完了や!』
 次々に展開されていくA.T.フィールド。
 だが。
「どうした」
 カズマが思わず口に出る。
「まさか」
「ここ最近調子がいいと思っていたら、落とし穴があったみたいだな」
 唯一、A.T.フィールドが展開できなかったのが、捌号機。
 搭乗者、神楽ヤヨイ。
「大丈夫? ヤヨイ」
 リツコが尋ねる。だが、ヤヨイは『いや』とだけ答える。
『A.T.フィールドを展開しようと思っても、まったく、ぴくりとも反応しない』
「敵からの攻撃を防ぐためには、すべてのものを拒絶する強い意思が必要よ。それをエヴァンゲリオンは形にしてくれる。あらゆるものから自分を守るように、意識をもって」
『すべてのものを拒絶』
 ヤヨイはそれを聞いてから、一度目を伏せる。それから、ゆっくりと操縦桿を手放した。
「ヤヨイ!?」
『そういうことなら、私にはA.T.フィールドは展開できない』
 ヤヨイは首を振った。諦めがその顔に出ている。
「どういうこと?」
『私がエヴァンゲリオンに求めているのはつながり。自分の過去、失われたものを取り戻すこと、そして今も遠ざかっていく誰かに追いつくこと。だから、拒絶することはできない』
 リツコの表情が強張る。ミサトもまた顔をしかめた。
「できないということはないわ。拒絶するといっても、それは一時的なもの。A.T.フィールドをしまえば、またつながりを感じることはできるでしょう?」
『つながりがなくなったら、私のシンクロ率はゼロになる。それでは意味がない』
「そこまで言うのならやってみてくれるかしら。もしあなたの言うとおりになってしまったら、そのとき考えてみましょう」
『了解』
 言われるままに、ヤヨイは操縦桿を握る。そして再びA.T.フィールドを展開しようとする。
 だが、そこから先はヤヨイの言った通りだった。
 みるみるうちにシンクロ率が激減していく。やがて、その数値がゼロになる寸前、かすかに捌号機の周囲に薄いオレンジ色の光が出たが、それもほんの一瞬。
 シンクロ率がゼロになったと同時にA.T.フィールドは消えた。
 つまり、ヤヨイにとっては、エヴァを動かすか、それともA.T.フィールドを展開するか、完全な二択になっているということだ。もちろんA.T.フィールドを展開したところで、動かなければ意味がない。
「なんて手間のかかる」
 つい先日、ロシアのアイリスフィールにヤヨイのことを相談したばかりだというのに、さらにまた問題が発生するとは。
「ヤヨイ、もういいわ。展開をやめて、シンクロしなさい」
『了解』
 すぐにシンクロ率がいつものように上がっていく。だが、A.T.フィールドは展開できない。
「どうすればいいわけ、リツコ」
 ミサトがため息をつきながら尋ねる。
「私にも分からないわね。いずれにしても、現状で使徒と戦わせるわけにはいかないわね。もしかしたら使徒のたった一撃で捌号機は粉砕されてしまうかもしれないわ」
「確かに戦わせるわけにはいかないわね」
 はあ、とミサトはため息をつく。だが、これをうまくコントロールするのが作戦部の役割だ。
「いいわ。それじゃあ、休憩の後、今度はA.T.フィールド中和実験に移ります」
 こうして一時間の休憩が取られた。その間にカズマからリツコに質問があった。
「一つ聞きたい」
「何かしら」
「エヴァンゲリオンは長時間シンクロしていると、ラザフォードのときのように精神汚染がされるということだったな」
「ええ」
「ならば、この休憩はいったいどれくらいとれば精神汚染を起こさずにすむんだ? この間、俺たちは十分のシンクロ、一時間の休憩、そしてまた十分のシンクロを行った。だが、いざ使徒と戦うときに長期戦になったら、そんな余裕のある休憩を取ることはできないはずだ」
「その通りね。一応、概算で計算も終わっているわ」
「ほう?」
「精神汚染が開始されるまで、十分から十五分。十五分が過ぎると完全にエヴァからの浸食が始まる。十分まではまったく起こらない。誤差はあるでしょうけど、十分たったらシンクロをカットする。ここまではいいわね」
「ああ」
「仮に、十分ジャストでシンクロをカットしたとしましょう。その場合、精神汚染が起こらないようにするために必要な休憩の時間は十分ジャスト。つまり、シンクロしている時間と同じだけやすませなければ、駄目ということ」
「なるほど、分かりやすいな」
「付け加えると、十分のシンクロ後、五分休憩して再びシンクロしたとしましょうか。そうしたら」
「五分経ったら精神汚染が始まる、ということだな」
「Good」
 だが、そうなるとカズマはすぐに次の疑問が出てくる。
「それなら、どうして今は一時間も休憩を取っているんだ?」
「万が一のことを考えてよ。それに、シンクロに体を慣らしていく意味合いもあるわ。たとえばオーストラリアなんて、災害復興のために一日に十回もシンクロしている。今のところ休憩時間は二十分まで短縮しているけど、やはり精神汚染は起こってないわ」
 もっとも、初号機と弐号機だけは精神汚染を引き起こさない。それはエヴァンゲリオンのコアに人格が宿っているからだ。それはアイリスフィールから聞いている。
 そうして、一時間の休憩の後、再びA.T.フィールド展開実験が始まる。
 相変わらずヤヨイのA.T.フィールドは展開されない。だが、ここでとんでもない事件が起きた。
 トウジの展開していたフィールドを、ヤヨイが事もなげにあっさりと中和、消滅させてしまったのだ。
「ど、どうやったの、ヤヨイ」
 リツコが驚いて尋ねる。だが、当の本人は。
『触っても大丈夫そうな気がしたから』
 と答えるだけだ。ためしに他のメンバーのA.T.フィールドにも触らせていったが、コウキ、タクヤ、レミ、そしてマリィと、全員のA.T.フィールドを一秒もかけずに破ってみせた。
「アンチA.T.フィールド」
 それを見たリツコが愕然としたように呻く。
「アンチ?」
「A.T.フィールドの反対よ。A.T.フィールドが相手を絶対的に拒絶するのなら、アンチA.T.フィールドはその拒絶を完全に相殺してしまう。つまり、A.T.フィールドを無力化することができるのよ」
「そ、そんなことができるわけ!?」
 ミサトが初めて聞く説明に声を荒げた。
「可能性としては推測されていたけど、現実に目にする機会があるとは思ってもみなかったわ」
 それを聞いていたカズマがため息をつく。
「どこまでも不思議少女だな、あいつは」
 暗に『何でもありだな』と言っている。A.T.フィールドを展開、中和するのが得意なカズマであっても、ここまで見事に『消滅』させることはできない。
「本当にそうね」
 エヴァンゲリオンのシステムはブラックボックスだ。使い方は分かっても、その機能は完全に証明できない。
 問題は、なぜヤヨイだけがそんなことが可能なのか、ということだ。






【Project MARCH = Project;Making of ARtificial CHildren】

 リツコは実験終了後、MAGIに検索させておいたプロジェクト・マーチに関する資料を片端から確認していった。
 今まで技術部のトップにいながら知らなかった事実が目の前に列挙される。まったく、どうしてこれほどの内容が今まで自分の耳に届かなかったのか不思議なくらいだった。
【かつて第一東京で行われていた、日本政府の極秘プロジェクト】
 当時の内閣総理大臣・防衛大臣ですら知らされていなかった、官僚主導のプロジェクト。その内容は、
【開発途中にあったエヴァンゲリオンのパイロット『も』人工的に作り上げることを目的に活動】
 つまり適格者を人工的に作り上げる実験ということだ。アイリスフィールも言っていた。ロシアのランクA適格者イリヤスフィールはヤヨイと同じだと。つまり、イリヤも人工的に作られた適格者ということか。
【実験は二〇〇三年三月三日より開始。被験者は二〇〇一年三月三日に生まれた子供を対象として行うこととし、日本全国から同じ誕生日の子供が集められた】
 誕生日には特に理由はないのだろう。三月三日の子供を集めたからこの名前なのか、それともこの名前があったから三月三日にこだわったのか。
 いずれにしても三月三日という日付にこだわり、その結果として適格者・神楽ヤヨイが生まれたということになる。
【二百強の実験の結果、五体の人工適格者が誕生】
(五人?)
 一人が神楽ヤヨイだとして、残りの四人は誰だというのか。
【人工適格者は六カ国強襲により死亡、ないし行方不明】
 つまり消息を追うことはできないということだ。もしかするとイリヤスフィールがその五人のうちの一人なのか。いや、もしも公式に公開されているイリヤスフィールの誕生日が間違いないものだとするならば、プロジェクトマーチの対象にはならない。イリヤスフィールはおそらく、このプロジェクトマーチの研究成果を基にして人工的に適格者となる実験をしたのだろう。
【失敗作については随時処分】
 背筋が震えた。
 随時、処分。つまり、必要のなくなった者は──殺した、ということなのだろう。
 セカンドインパクト後の混乱期だからこそできたことだ。今の時勢でそんなことをやれば、一発で国が傾く。
【Project MARCHにおける実験の詳細はデータで残さず、紙ファイルにて管理すること】
 どのようなプロテクトがあったとしても、データになっている以上はいつの日かさらされることもある。だが、紙ファイルであればそれをコンピュータが検索することは不可能だ。
 いずれにしても、これで神楽ヤヨイのことが徐々に見えてきた。
 記憶を失っている理由までは分からない。彼女は神楽家に引き取られたときはまだ記憶が残っていた。次に行方不明になり、発見されたときに記憶喪失になっていた。
 だが、その記憶喪失になる前から彼女は既に適格者となっていた。人工的に、実験の成果として彼女は適格者にさせられたのだ。
(ヤヨイに知らせた方がいいかしら。いえ、駄目ね。少なくともじきに始まる使徒戦が終わるまでは)
 現状、ヤヨイは高いシンクロ率とアンチA.T.フィールドを使いこなす立派な【駒】になっている。この駒を手放す可能性があるなら、あえてヤヨイに真実を知らせる必要はない。
(ヤヨイについてはまだいくつか不明点がある。アンチA.T.フィールドなんてものを使うことができる理由。それに、どうして記憶喪失になったのか。多分、最初に神楽家に引き取られたときにはプロジェクト期の記憶はあった。それから一度行方不明になって、見つかったときには記憶を失っていた。そしてその時期に綾波レイに適格者としての資質が発見された)
 既に適格者としての資質を兼ね備えていた神楽ヤヨイが行方不明になり、その期間中に綾波レイという存在が現れた。
(いったいどういう関係があるというのかしらね。全く無関係なんてことは当然ないでしょうけど)
 最初は単なるシンクロ率の問題にすぎなかったことが、蓋を開けるととんでもないプロジェクトが釣れてしまった。そしておそらく、神楽ヤヨイは綾波レイの覚醒に関係している。
(それにあの、アンチA.T.フィールド。あれを使いこなすことができれば、使徒戦だって有利に戦える)
 それを使えるのが神楽ヤヨイだけである理由は何なのか。人工適格者だからこそできることなのか。それとも他のメンバーも使えるようになるのか。
(彼女を徹底的に調べないといけないようね)
 それで人類が使徒に勝てるのなら、絶対に避けられないことになる。
 シンクロ率。アンチA.T.フィールド。
 神楽ヤヨイの謎をとけば、これらのことも同時に分かるはずなのだ。






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