六月六日(土)。
この日は碇シンジの誕生日である。
それにあわせてネルフのランクA適格者たちはこの日に誕生日パーティをやることにしていた。
そして同時に、そのことを知っていたトップアイドル、飯山ミライは何とかこの日までに新曲を完成させ、なんとか仕上げることができていた。
今日のイベントは、その新曲のお披露目をかねている。
CDの発売は月末になりそうだが、とにかく今日、新曲を発表できてよかった。
「今日、誕生日だもんね、シンジくん」
気合を入れると、ミライは生番組のステージへと向かっていった。
第佰陸拾伍話
一意専心のコンテネレツァ
何の変哲もない中学二年生の少女、佐久間ユキはその公開生番組を見に来ていた。
土曜日の学校では部活をやっているはずだったが、今日の生番組だけは生でミライを見てみたかったのだ。
とはいえ、知り合いもなく一人でスタジオにやってきても、圧倒的な数のファンに押し出されてしまうだけ。
一番後ろのところからはるか遠いステージを眺めるだけだった。
と、そのとき、隣にいる美少女の姿が目についた。
ユキも決してかわいくないわけではない。いや、黙っていればアイドルと間違えられてもおかしくないくらいの美少女だ。だが、隣にいる少女は違う。その身にまとっている少女らしからぬ影もそうだし、はかなげで、かといってきちんと芯の通った表情。思わず見ほれてしまっていた。
「なに?」
相手も一人だったのか、携帯をいじっていた手を止めてこちらを見る。
「い、いえ。こんなところに一人で来てるのかな、って」
ユキの心臓が高鳴っている。すると美少女は、くす、と笑う。
「あなたも一人なの?」
「あ、はい!」
「別に、そんなにかしこまらなくてもいいわよ」
落ち着き払った様子で美少女が笑顔を浮かべる。こちらを安心させようとしているのか。
「誰が目的?」
ここには若い男女を中心にたくさんのファンが押しかけている。生番組に出演するのはミライだけではない。男性アイドルグループだっている。
「ミライです」
「へえ」
美少女は感心したように言った。
「女の子のファンがいるなんて思わなかったわ」
「今、ミライはすごい人気出てますよ。ネルフのサポーターを始めたくらいから」
「そうね。分からなくもないわ。確かにあの番組からミライの様子が変わったのは分かる」
あの番組──ミライがシンジを取材した番組のとき、ということだろう。決して討論会のときのものではない。そのときはとっくにミライは変わっていたのだから。
「その、じゃあ──」
「私もそうよ」
ステージの方を向きながら、美少女はこちらの言わんとするところをとらえて答える。
「私もミライを見に来た」
「そうなんですか。一緒ですね」
「そうね──いえ、ちょっと違うかな」
美少女は笑顔を消してただステージの上を見つめる。
「私はミライ本人を見にきたわけじゃないから」
意味の分からないことを言われた。ミライを見にきたのに、ミライ本人を見ているわけではないとは、どういうことなのか。
「それってどういう意味ですか?」
「言葉通りよ。ミライ本人に興味があるわけじゃないの」
「それじゃあ、どうして」
「ミライの歌う歌に興味があって」
「歌?」
「ええ」
美少女は少し目を細めた。
「彼女が碇くんのことをどう歌うのかが気になってるだけよ」
「碇くん、って、碇シンジくんですか」
「ええ」
小さく頷く。
「知ってるんですか、碇シンジくんのこと」
「まあ、それなりにね」
「そうなんですか。それで、歌を聞くためにきたんですね」
「そういうこと」
なるほど、碇シンジに興味があるのだから、碇シンジの特番を見逃すはずもないだろう。
「どういうご関係なんですか?」
「初対面の相手に言うことではないわよ」
「そ、そうですね。すみません」
「謝ることじゃないわ。私がただ、言いたくないだけだから」
ツンとしているようで、相手の気持ちも慮ってくれる。優しい女性だと思った。
「あ、遅れました。私、佐久間ユキっていいます」
「私は」
一拍おいて、美少女が答えた。
「美坂カオリよ。よろしく」
ミライは、今までにないほどに緊張していた。
というより、今まで緊張したことなどなかったと言ってもいい。
舞台の上の自分は、仮面を被った別の人間。だからあれはミライであってミライではない。成功も失敗も、全部自分のものではない。
だが、今は違う。
(私は今日、本当の『飯山ミライ』としてステージに立つ)
成功も失敗も、全て自分のもの。だからこそ緊張する。
(だから今日は、私の思った通りのステージをする)
いつもなら入場から元気よく走っていく。そして『こんにちはーっ! ミライのステージへようこそ!』という決まり文句で歌を始める。
だが、今日は違う。
ゆっくりと歩きながらの入場。観客たちも元気いっぱいの飯山ミライを期待しているのだろうが、そんなことにはならない。
今日の自分は、本当の飯山ミライ。作られた『ミライ』ではない。本物の『ミライ』。
『みなさん』
いつもと違う雰囲気に、観客も完全に静まり返った。
『今日は、この歌を聞きに来てくださって、ありがとうございます』
観客に向かって敬語を使うミライも珍しい。完全に変わったミライを前に、観客の方が戸惑う。
『ご存知と思いますが、この歌は、ネルフで戦う碇シンジくんと、その仲間のみなさん、そしてネルフで戦い続けるみなさんのことを思って作った歌です。そして、私たち、この地球に生きる人みんなが、私たち自身の未来を信じてほしいという願いをこめて作った歌です』
ミライをシンジる。
そこにこめられているテーマは誰が見ても明らかだ。
『私は出来上がったばかりのこの歌を、一人でも多くの人に聞いてほしいと思います。だから、本日インターネットでこの曲を配信するつもりです。そして、この歌はいろいろな国の言葉に翻訳されています。英語やフランス語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、ドイツ語、イタリア語、韓国語、他にもたくさん。少しでも多くの人に聞いてほしい。そして、少しでも多くの人が、同じ気持ちになっていただけますように、私も信じます』
そして、ちょっと茶目っ気に笑う。
『CDの売り上げの利益部分は全部ネルフに寄付するつもりですが、ネット配信にするので少し利益が減るかもしれません。ごめんなさい』
小さく舌を出す。このあたりは『ミライ』から学んだ。
『でも、少しでも早く、みんなに曲を届けるにはこれがいいと私が決めたことです。地球の未来のために』
そして伴奏が流れた。
『タイトルは──「PRAY」』
ピアノと、それからハープ。
綺麗な調べに観客は一切、声が出せないままだった。
くすんだ空の色 雲間からこぼれてる 一筋の光
窓辺にもたれて 真っ直ぐ前を向いてる 君の背を見てた
今 一人で立ってるの?
たった一人で戦ってるの?
ほら こっちを向いて
君には仲間がいるから
信じよう 明日を未来を この星に住むすべての命と
生きていこう 一緒に 歩ける仲間がいる
もう君は 一人じゃない
だから泣かないで 抱きしめてあげるから
すべてを歌いきったミライが楽屋に引き上げてくると、彼女を拍手で出迎えた少女がいた。
「お疲れさま」
声をかけてきたのは現役高校生シンガーの白石ユキノ。今回の作詞・作曲をする際に協力してくれた先輩アイドルだった。
「ユキノさん。ありがとうございました」
「ううん。あなたががんばったから」
ユキノはそっと手を伸ばしてミライの頭をなでる。
「そんなことありません。ユキノさんがいつも私を励ましてくれるから」
「あなたには人を惹きつける力があるから」
穏やかで優しい微笑み。口数の少ない人だが、芸能界で自分が一番頼れる相手だった。
「彼に、届くといいわね」
「え?」
不意に言われた言葉に、ミライの顔が真っ赤に染まる。
「お幸せに」
「ちょ、ちょっとユキノさん!」
「次、私の番だから」
ユキノは言いたいことを言い残してステージへと向かっていった。もう、とミライがむくれる。
そのとき、携帯の着信が鳴った。
「あ」
表示されている名前は『碇シンジ』。
「シンジくん」
すぐにメールを開く。
曲、聴きました。
すごく嬉しかった。
ありがとう。
たった三行のメール。だが、彼らしい、素朴な感じが余計に心に響いた。
「こちらこそ、ありがとう、シンジくん」
思わず涙があふれてきていた。
ステージが終わって、ユキはカオリと一緒に外に出ていた。思わず一緒に行動してしまったが、いったいどうすればいいのか、ユキ自身まったく分かっていなかった。
とりあえず歩きながら話題を振る。
「いい曲でしたね、ミライの」
だが、それに対する答はなかった。しばらくたってから「そうね」とぽつり呟く。
「碇くんは、ずっと成長してきていた。きっと今も成長しているんだと思う」
突然カオリが足を止めて語りだす。
「彼の傍にいられないのは当然のことだったけど、その成長を見られなかったのは辛いな。ミライはきっと、私の知らない碇くんを知っている」
「カオリさん」
「嫉妬してるのかな。今までそんなの感じたことなかったのにね」
彼は友人がいないと言ったが、はたして本当にそうだったのだろうか。
ファーストチルドレン綾波レイをはじめ、幼馴染のケンスケ、トウジ。同じ班になっていたという二ノ宮セラ。さらには同期の仲間たち。彼の周りには常に人がいたのではなかったか。
「悔しい」
カオリが歯を食いしばって言う。
「どうして私には力がないの。こんな、彼の傍にいることもできないなんて」
「カオリさん」
ユキにはようやく分かった。だが、声をかけることはできなかった。
適格者。
きっと、美坂カオリという人物は適格者として碇シンジと一緒にネルフにいたのだ。だが、力が足りなくてついていけなかった。どんなに願ってもついていくことができなかった。そういうことなのだろう。
「碇シンジくんのことが、好きだったんですか?」
「そんな、一言で表せるようなものじゃない」
カオリは首を振る。
「愛しさも憎しみも、すべては碇くんの中にあった。私のあらゆる感情はすべて彼に向けられていた。今さらそれを取り上げられたら、どうやって生きていけばいいのかも分からない……っ!」
ユキは肩を震わせているカオリにそっと近づく。
「それなら、応援すればいいと思います」
赤くなった目が、ユキを見つめる。
「だって私たち、応援することしかできませんから」
ネルフの中にいられない以上、外から応援することしかできない。
だが、もしも自分たちの応援が彼に届くのなら、それが力に変わるのなら、きっとその応援には意味がある。
「あなた、変わった子ね」
「お互い様だと思いますよ」
「ありがとう。少しだけ気が晴れたわ」
すると、最初にステージで見たときのツンとした表情が戻ってきた。
「これ、渡しておくわ」
カオリは一枚の紙を手渡す。
「名刺?」
「よかったら連絡をちょうだい。今度はゆっくり、お茶でも飲みましょう」
そう言ってカオリは振り返る。
(いろんな人がいる)
離れていく後姿。その背中に向かって、ユキは声をかけた。
「カオリさんももう、一人じゃありません」
ぴたり、と足が止まった。
「だから、泣かないで──」
そう言いかけたユキに、カオリは顔だけ振り向いて、微笑を見せた。
「──抱きしめてくれるの?」
綺麗な笑顔だった。
「当たり前です! 友達ですから!」
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