「これで、よかったの」
ずっと、自分に語りかけていた声に話しかける。
だが、その声はもう聞こえない。もしかしたらまた聞こえるのかもしれないし、もう聞こえなくなるのかもしれない。
だが、最後の使徒と戦う前に分かることだと言った。
「私、戦うね」
赤井サナエは、その声に向かって話し続ける。
「みんなの笑顔が見たいから」
そう。
自分たちは、勝利したのだから。
第十七使徒タブリス。最後にして、最初の戦い。
第佰漆拾弐話
天衣無縫のミステリオーソ
発令所が湧き上がる。パターン青の消滅、使徒殲滅が本部、そしてこれから先の世界に与える影響ははかりしれない。十五体いる使徒の、最初の一体を倒すことに成功したのだ。当然、これから先の使徒戦についても大きな希望を手にすることができたのだ。
パイロットも適格者もオペレーターたちも、みんなが湧き上がっている。
だが。
「終わったわね」
「ええ。ひとまずはね」
葛城ミサトと赤木リツコ。この二人だけは全く表情が変わらなかった。
いや、さらにあと二人。碇ゲンドウ総司令と、冬月コウゾウ副司令。
「どう思う、碇」
冬月が正面を向いたまま尋ねる。
「日本が最後だ。おそらく、日付が変わるときに来るだろう」
「そうだな」
そして、次々にエヴァが帰投する。パイロットたちを出迎える歓喜の声。誰もがこの瞬間を待っていた。やってくる使徒を倒し、人類に平和がもたらされる瞬間を。
LCLが排水されて、パイロットたちがプラグから出てくる。全力をつくし、やることはすべてやりつくした戦士たちの表情は晴れやかだった。
「おつかれさま、シンジくん」
一番にエンがシンジに話しかける。ありがとう、とシンジも答えた。
ガードたちは自分の守るべき相手のところにそれぞれ話しかけにいく。行き場がないのはケンスケとマイの二人だ。また、コウキとレイは結局出番がなかったということで、非常に不満そうにしている。
「結局出番なしかよ。つまんねえな」
「そう言うなって。二回目の出撃じゃ誰も被害がなかったんだ。一番良い結果じゃねえか」
カスミがコウキの肩をたたいてから、誰からも声をかけられなかったマリィのところへやってくる。
「おつかれ。大活躍だったな」
「まさか。このマリィ=ビンセンスにかぎって、この程度の活躍で満足していると思わないでよね」
「もちろん、分かってるよ」
そう。カスミには当然のように分かっていることだった。マリィは自分のために戦っているわけではない。敬愛する姉のために自分の身を削って戦っているのだから。
「レイさんも出番なかったけど、無事でよかったぜ」
コモモが嬉しそうにレイに抱き着く。
「私も、あなたにまた会えてうれしい」
そんな言葉が、今までのレイだったら言えただろうか。コモモは嬉しくなって、さらにもう一度レイを抱きしめる。
「タクヤもご苦労だったな。お前が最後、使徒を抑えてくれたからシンジがとどめをさせた」
「僕にはそれくらいしかできないから」
タクヤは自分の分をよくわきまえている。これだけの成果を出すことができたのだから、タクヤとしては充分以上に活躍したというべきだろう。
「レミもよくがんばったわね」
よしよし、とリオナが頭一つ小さいレミをなでる。
「まあね☆ この程度の相手に負けるわけにはいかないし」
「その意気、その意気」
さらには一番の立役者となったカズマにはダイチが近づき、手を高く差し出す。カズマも納得がいったように、ぱん、と手を合わせた。
「おつかれさま、サナエ」
そしてヨシノがサナエに話しかける。はい、とサナエは答えた。
「声が聞こえたんです。みんなを守りたくないのかって。私は守りたいと思いました。だからがんばれたんです」
正直、一回目の出撃でサナエの心はかなり折れてしまっていた。だが、その心が回復したのはあの『声』であり、仲間たちの想いのおかげだ。
「トウジと神楽もいれば完璧だったんだけどな」
「大丈夫。二人とも命に別状はないもの」
ケンスケとマイがその様子を見て言葉をかわす。
「でも、何か変だと思わない?」
マイが尋ねると、ケンスケは「何がだ?」と聞き返す。
「使徒を倒しても、赤木博士と葛城一尉の表情がまったく変わらなかった。使徒は倒したはずなのに」
「何か、嫌な予感がするのか?」
マイはうなずく。その『嫌な予感』の的中率が非常に高いことをケンスケもよく知っている。
「今まで、いろんなことをあててきたお前のことだからな。まずいことにならなきゃいいけどな」
「ごめんね、不吉なことばかりで」
「いや、浮かれてばかりもいられないだろ。まだ最初の一体なんだ。あと十四体も使徒はいるんだからな」
その二人の会話が終わった直後のことだった。
時計の針が、十二時ちょうどを示した。
瞬間、発令所のすべてのモニターが砂嵐になった。
否。
日本にあるすべてのシェルターに設置されているモニターが自動的に作動し始めると、勝手に映像がついた。
いや、それもまだ正確ではない。
日本ではなく、世界中。アメリカも、ヨーロッパも、アジアも、オーストラリアも、アフリカも、全ての地域にあるモニターがタイムラグもなく自動的に動き始めたのだ。
何が起こったのか。
誰もが、自然とモニターに釘付けになっていた。
やがて、そのモニターには一人の少年が映し出された。
まだ若い、十四か、五くらいの少年。
画面いっぱいにその顔が映し出される。
髪は白く、雪のようだった。
目を閉じ、かすかにほほ笑んだその姿は、どこか神々しさすら感じられた。
そして、ゆっくりと目を開く。
赤い、血のような目。
彼が発した言葉は、何故かすべての人間に平等に意味が伝わった。日本人には日本語で、アメリカ人には英語で、全ての人間が自らの言語に置き換えられて言葉を聞いた。
『最初の戦いは終わった。まずは、リリンの健闘に拍手を送るよ』
そう言った少年は、三回自分の手をたたいた。
『でも、これはまだすべての戦いの序曲にすぎない。君たちリリンが僕たち使徒との戦いの最前線として作った、世界十三か所の【NERV】。ここに僕たち使徒は同時攻撃をしかけた』
「同時攻撃だと?」
カズマが敏感に反応する。それはつまり、この本部だけではなく、ネルフの支部がある他の十二か所すべてに攻撃をしかけたということか。
『もっとも、そのうち一か所は何故か先に滅びていたけどね。リリンの実験の結果なのかな? 僕たちとしては戦いの数が一つ減ったことがとても残念でならないよ』
この少年が言っていることは、いったい何だというのか。
「つまり」
カスミが言った。
「こいつが使徒の親玉ってことなのか?」
使徒の親玉。この、自分たちとさほど年の変わらない少年が。
『死徒』フィー・ベルドリンテはその映像を自分の携帯電話の端末で見た。あらゆるモニターが作動するということは、こういう携帯端末も対象になるらしい。
『リリンは知恵の実だけでなく、生命の実までむさぼろうとしている。そして、リリンの実験はその直前まで近づいている。もう容赦をすることはできない。僕たち使徒は、全会一致でリリンを滅ぼすことに決めた』
その少年の言っていることは、あの『ミュンヘンの石碑』に書かれていることと一致していた。
『君たちリリンが生き延びる方法はたった一つしかない』
赤目の少年はにこやかに言う。
『それは、僕たち使徒を全滅させることだ。それ以外には何もない』
それを聞いていたフィー・ベルドリンテは何も感情を覚えなかった。
使徒が人間を滅ぼすなど、最初から決まっていること。
使徒教は自らが使徒の仲間となることで生き延びることを考えているということだったが、そんなものを信じたことなど、フィーは一度もない。
「滅ぼすのなら、早く滅ぼしなさい、使徒」
その少年を見ながら、フィーはほほ笑む。
『話し合いが通じるとは思わない方がいい。僕たち使徒は君たちリリンを全滅させることしかプログラムされていないからだ』
その使徒の言葉を、飯山ミライはシェルターの中で見ていた。
自分と歳の変わらなさそうな少年。その少年が話す一つひとつが、自分たちの考えとは根本的にかけ離れていることが分かる。
『君たちリリンの希望の糸は、ネルフが所有している対使徒決戦兵器エヴァンゲリオンのみ。君たちにも希望が感じられるように教えてあげるよ。エヴァは確かに、僕たち使徒を倒せる唯一の兵器だということを』
使徒自身が認めた。おお、とシェルターが沸く。だが、
『だからこそ、僕たちはすべてのエヴァを破壊する。破壊するだけではなくて、二度と使えなくする。粉々に、完膚なきまでに。そうして君たちリリンの希望の芽を残らず摘みあげる。それからゆっくりと、君たちリリンを抹殺する。それを僕はここで宣言しよう』
「負けません」
ミライは人間を代表して、モニターの向こうにいる少年に宣言しかえす。
「私たち人間は、絶対に使徒には負けません。ネルフが、シンジくんが絶対にあなたたちを倒してみせます」
『まず、先ほども言った通り、僕たちは十三か所のネルフをすべて攻撃した』
佐久間ユキもまた、それをシェルターで見ていた。正直、この映像が何を表しているのかまったく分かっていなかった。だが、この少年が敵だということだけは理解した。
『僕たちの攻撃が成功したところもあれば、失敗したところもある。さすがはエヴァだね、使徒の何体かは倒されてしまったよ。でも、君たちリリン風に言うとね』
はりついた笑顔で少年が言う。
『倒されたのは、使徒の中でもいずれも小物ばかり。強い力を持っている使徒は誰も倒れていない。それが現実さ。そして、多くのネルフは既に壊滅した。これから僕たちは残った使徒で、残ったネルフに攻撃をしかけていく』
ユキは思い立って、歌い始めた。
信じる。
自分は、飯山ミライを、碇シンジを信じる。
人間は使徒には負けないのだと、信じる。
やがて、そのシェルターには歌声が響きわたっていった。
先頭で戦う人たちがいる。ならば、後ろにいる自分たちはそれを精一杯応援すること。それだけが自分たちにできることなのだから。
『ネルフはいくつか隣接している地域もあるみたいだけど、近くにいる使徒がそのまま隣のネルフに襲い掛かるというわけではないよ』
そして美坂カオリ。彼女はシェルターに入っていなかった。
第三新東京市郊外の山。そこからだと戦いの様子をすべて確認することができた。
エヴァ初号機が、使徒にとどめをさしたところもカオリは見た。
「何やってるのかしらね、私」
携帯電話の少年の言うことなど、さほど気にもならない。
なぜなら、碇シンジと自分の妹ならば、絶対に使徒を殲滅してくれるに決まっているからだ。
『君たちリリンは既に精根尽き果てているだろうからね。一か月だけ君たちリリンに力を回復する時間をあげよう。それをすぎたら、僕たちはまた別の施設に襲い掛かる。はっきりと伝えておくよ。ネルフ近隣に住むリリンはすぐに離れた方がいい。そこは戦場になる』
戦場だから何だというのだろう。自分はおそらく民間人で一番戦場に近いところにいたはずだ。それでもこうして生きている。
『どの使徒がどこを襲うかは、一か月後の楽しみにしておいてもらうよ』
どうでもいい。誰が来たところで、碇シンジと美坂シオリならば必ず勝ち残ってくれるはずだ。
『最後に、僕の名前を教えておくよ』
赤目の少年は、言った。
『タブリス。最後の使徒。リリン名で言うと、“渚カヲル”という。どうぞ、よろしく』
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