錐生ゼロにとって、使徒と戦うということは初めから定められていた宿命と言ってもいい。そのような運命論を信じたことは一度もないが、それでも自分の運命が何者かによって操作されているような、そんな感覚はずっと幼い頃からあった。
 第一東京の崩壊、オーストラリアへの移住、そして適格者資格。ランクA適格者として、そしてフィフスチルドレンとして登録されるにつれ、使徒との戦いは決して逃れられないところへと押し上げられていく。
 自分はその運命を受け入れた。戦うことによって自分の居場所を手に入れることを選んだ。
 いや、違う。
(この戦いが終わっても、俺にもう帰るところはない)
 叔父や姉のところに帰ったところで、自分が今まで通りでいられるはずもないし、二人とも自分のことを以前と同じようにしてくれることはない。それならせめて、二人が幸せでいてくれることを願って、自分は適格者であることを受け入れた。
(だから俺は戦う)
 帰るところがないのなら、あとはただ戦うのみ。
 戦うこと。それが錐生ゼロの戦う意味。
 ZはZero、すなわち最後を意味する物語の重要人物。











第佰漆拾肆話



孤独のZ












 ニューカッスル沖二十キロ。そこにオーストラリア軍艦、国連軍艦が何十と配備されていた。その巨大な空母に既にエヴァンゲリオン弐拾壱号機は運び込まれていた。
「深夜の海中決戦か」
 紫のプラグスーツに身を包み、赤いラインの入った黒いボディのエヴァンゲリオンの前に立つ少年。どこか、闇夜に溶け込んでいきそうな雰囲気がそこにあった。
 エントリープラグは既に挿入直前の状態だ。ゼロは技術者たちの指示に従って誘導され、梯子車でプラグまで近づくとそこに飛び移る。
 ゼロがプラグに入ると同時に扉が閉まり、そのままプラグが挿入される。このあたりの作業ももう慣れてきた。毎日災害復興でエヴァの操縦を慣らしてきた。時間制限さえなければいくらでも操縦することが可能だ。
「ゼロ。心の準備はいい?」
 画像から支部責任者の女性が話しかけてくる。
「ああ、問題ない」
「そう。こちらでもあなたを測定しているけど、心拍数も安定しているわね。これから使徒戦だというのに、緊張とかないの?」
「俺が失敗すれば、みんなが死ぬ。緊張しないわけにはいかないな」
「言葉と様子が一致していないわよ」
「だが事実だ。適度な緊張は頭も体も効果的に動かすことができる。それをコントロールすることを俺はずっと学んできた」
 あの日、第一東京の事件で自分は学んだ。人は冷静さを亡くした瞬間が最後なのだと。
「作戦の説明を」
「まず、使徒は旗艦から見て二時方向よりまっすぐにこちらへ向かってやってくるわ。軍艦のほとんどは無人艦になってるから、そのうちのいくつかが突撃をかける。D型装備のエヴァンゲリオンは旗艦にて待機。近づいたらA.T.フィールドを展開、浸食し、使徒A.T.フィールドに風穴をあけて」
 簡単に言うが、実際にやる方としては簡単ではない。
「ネルフの作戦部は、ずいぶん出たとこ任せの作戦を立てるんだな」
「何しろ、第一使徒と第二使徒が同じ形状だったから、みんな同じものとして想定してたからね。でも、人型よりは魚型の方が倒しやすいんじゃない?」
 何を根拠に言うのやら。そんなアバウトな作戦で命をかける側のことも考えてほしい。もっとも、有効な作戦が立てられないというのも分かってはいるが。
「使徒が戦場に到着するまで、残り二分。軍艦が突撃次第、ゼロは起動開始」
「了解」
 不思議なものでまるで緊張していない。いや、緊張しているのかもしれない。が、自分の心はずいぶんと穏やかだった。
(ようやく、戦うときが来たんだな)
 それは言ってしまうと、待ちくたびれた、という感覚なのかもしれない。
(すべての戦いが終われば、俺は自由の身になれる。もとに戻れるかどうかはともかく、全てを終わらせる。もう、俺は束縛される理由はない)
 待ち望んでいたのかもしれない。自分は。使徒が来ることを。
 この牢獄から、自由になれる日を。
(来たか)
 爆発が起こる。それが使徒の来た証。海面上を進んできた使徒に『衝突』した軍艦が炎を上げる。
「錐生ゼロ、シンクロスタート!」
 一瞬で起動させると、エヴァを起き上がらせて使徒に向かって飛び上がる。軍艦を足場にして近づくと、プログナイフを取り出して海面を迫る使徒に飛びつく。
「ゼロ!?」
 責任者が驚きの声をあげる。が、別に自分は何の勝算もなくやっているわけではない。この使徒は『A.T.フィールドを展開していない』ことは見ればあきらかだった。そうでなければ直接使徒に軍艦が衝突するはずがない。
「くらえ!」
 魚の頭にナイフを突き立てる。ナイフが半分刺さったが、もちろん致命傷ではない。
「ぐっ」
 そのまま使徒に引きずられる。使徒はまっすぐにネルフ支部を目指すことを諦めたか、その場でぐるぐると旋回したり、遠ざかったりしながらエヴァを振り飛ばそうとする。
「そう簡単に離れてやるわけにはいかないな」
 両手でしっかりとナイフを握り続ける。が、このまま持久戦となれば自分の方が不利。何しろ時間制限がある。
「A.T.フィールド……」
 うまくできるか自信はない。が、まずは動きを止めることが肝心。
「展開!」
 A.T.フィールドを自分と使徒の『周囲』に展開する。そのフィールドの内側にいた使徒が衝突。さすがにその勢いには勝てず、自分も海中に放り出される。同時に生じる『残り三〇〇秒』の表示。A.T.フィールドによって電源ケーブルが切断されたのだ。
(五分も十分も、たいした差ではない)
 とどめをさすのに必要なのはせいぜい二十秒。五分もあれば必ず倒せる。
 使徒も海中に潜ってきた。完全に水中決戦となるが、まあかまわない。
「来い、使徒」
 使徒は大きな口を開けて自分を食べようとしてくる。願ったりかなったりだ。
「A.T.フィールド全開!」
 使徒が自分をかみ砕こうとする。それをA.T.フィールドで防ぐ。力比べだ。
「いまだ、突っ込め!」
 ゼロの指示で、海中に待機していた潜水艦が二艇、使徒の口から体内めがけて突撃する。
「早く!」
 使徒の力はあまりに強く、そんなに長くもちこたえることはできそうにない。と思っていると通信が入った。
「あと五秒、もちこたえて!」
「オーケイ!」
 声を振り絞って自分に喝を入れる。だが、それはおそろしく長い五秒。自分が使徒を支え始めてから何しろまだ表示上三秒しか経っていない。
(これを乗り切れば、使徒を殲滅できる)
 ずっとこのためにだけ我慢してきたのだ。家族に会うことも、自分の望みも願いもすべてを放り投げて、ただ使徒を倒すためだけの戦闘マシンとなった。そしてそれが自分の最善だと言い聞かせた。
 適格者になったあの日から、自分には何もなくなった。空はいつも暗く、風のささやきはまるで聞こえなくなった。心の牢獄は何の変化もなく、ただひたすら時間がすぎるのだけを待った。
(もう、何年が過ぎた? 俺は、昔のままの俺でいられたのか?)
 目を閉じれば思い出すのは、いつも一緒にいてくれた姉。
 手を取りあって逃げた。お互いに、絶対に離さないと誓った。
 もう安全だと思っても、手だけは離さなかった。
 飛行機の中でも、新しい大陸についても。
 ずっと自分たちだけは変わらないと思っていた。
(先に手を離したのは、俺だ)
 姉や叔父の安全と引き換えに、自分は姉を捨てた。相談すれば姉は自分たちの安全など望まなかっただろう。だからこそ。
(自分一人の命で、姉だけでも幸せになってくれるならそれでよかったんだ)
 心を閉ざして、誰の話も聞かず、ただ時間だけが過ぎることを願った。
 使徒を倒した後にもう一度、姉と再会することができればそれでよかった。
「ゼロ!」
「ゼロさん!」
 だが、声が聞こえた。
 衝撃の中、モニターに映る画像も砂嵐になってしまっているこの状況で。
 確かに二人の声が聞こえた。
(ごめん、姉さん)
 そう。自分は一人だったはずなのに。
(俺はここで、大切な家族を見つけてしまったんだ)
 A.T.フィールドがさらに強く展開される。
 そして、最後の一秒をこらえきったエヴァの横を、二艇の潜水艦が侵入する。
「いいわ、ゼロ、退いて!」
 声と同時に全力で後ろに下がる。異物を飲み込んだ使徒がそのまま海面に向かって上昇する。ゼロはそのまま後方に下がり、別の場所から海面へ向かう。
 N2爆弾が使徒体内で爆発した。
「うまくいったか」
 海面に出たゼロは軍艦によじ登ると、そこに準備されていた三極プラグを差し込み、一度シンクロをカットする。万が一使徒が生き残っている場合は戦いが続く。そのために一秒でも接続時間を長くしていられるのならその方がいい。ここで五秒接続を切れば、そのぶん五秒の時間が浮き、さらには五秒分接続できる時間が増える。結果、十秒のプラスができることになるのだ。
「使徒は?」
 シンクロは切れても回線は当然生きている。ゼロが発令所に向かって尋ねたが、返答にはタイムラグがあった。
「パターン青、まだ消えていないわ。正確な場所は不明」
 ということはつまり、まだ戦闘は終了していないということか。
「失敗したのか?」
「いいえ。確かにダメージは与えているはず。ただ、コアに到達しなかったということなのかもしれないわ」
 だが、状況が分からない。使徒はいったいどこにいったのか。確かに海面に向かって上昇し、爆発もしたはずなのに、それから使徒の姿がなくなってしまった。
「ゼロ、下よ!」
 自分のいる軍艦の真下。そこに使徒が移動してきていた。
「エヴァンゲリオン、再起動!」
 再び起動したエヴァが飛び上がり、別の軍艦に着地する。
 直後、使徒が軍艦を破壊して大気中にその巨体をさらし、再び海中に潜った。
(大きさはさっきの半分程度か。確かにダメージは与えたようだな)
 電源接続がなくなったため、再び三〇〇秒の表示が出ていた。結局それが制限時間となりそうだ。
「狙いは俺か」
 魚のは暗くて見えない。が、他の軍艦から現在使徒がいる位置をライトで知らせてくれる。そのライトはまっすぐにこちらに移動してきた。つまり、使徒はまっすぐにこちらに向かっているということだ。
「大気中でカタをつける」
 ゼロが宣言する。どうやって、と責任者が責任者らしからぬことを訪ねてくるが、そんなことを気にしている場合ではない。タイミングがすべてだ。
 使徒が軍艦の下に潜り込んだ。今だ。
「勝負だ、使徒!」
 ゼロは直上にジャンプした。一瞬遅れて、軍艦を突き破って使徒も上に跳ね上がってくる。
「A.T.フィールド全開!」
 使徒が噛みついて来ようとするが、そんなものをくらうわけにはいかない。A.T.フィールドで一度はじいてから、その使徒の目玉に向かって降下する。
「うおおおおおおおっ!」
 拳で、その目玉を殴りつける。
「A.T.フィールドぉっ!」
 その拳の周辺にフィールドを展開して、目玉をずたずたに切り裂く。が、これは自分にとっても衝撃が大きかった。突如生み出したフィールドと使徒との衝撃で、軽く一〇〇メートルは弾き飛ばされる。
「ぐっ!」
 また、殴りつけた自分の右手も痺れていた。さきほど、A.T.フィールドを展開したときにケーブルが切断されたのを見て、敵体内でA.T.フィールドを展開すれば相手を切り裂けるのではないかと思ったが、これは逆に衝撃が大きすぎる。
「ゼロ、逃げて!」
「ゼロさんっ!」
 二人の声が聞こえた。が、海面は暗くて何が何だかよく分からない。
「A.T.フィールド!」
 フィールドを展開した瞬間、衝撃が襲った。使徒が自分めがけて体当たりしてきていたのだ。
「くうっ」
 脳が揺れる。目が一瞬、見えなくなる。
 直後、左足に激痛。
「!!!!!!!!!!!」
 声にならない叫びが、自分の喉の奥から絞り出されたのが分かった。
 左足が食いちぎられた。足が、一本、なくなった。
「大丈夫よ、ゼロ! 食いちぎられたのはあくまでエヴァ! あなたの足はちゃんとついているわ!」
 そんなことは言われるまでもなく分かっている。だが、この激痛の中、機体には片足がなく、どうやって戦えというのか。
(負けるのか?)
 激痛の片隅でそんなことを思った。すると、
「ゼロさん」
「ゼロ、死なないで!」
 二人の声がまた聞こえた。
「ローラ、真鶴」
 ぎり、と歯を食いしばる。
 こんなところで、こんな初戦の、たかが魚相手に。
「俺の妹たちを、殺させてたまるか!」
 海面で、使徒の姿を捕捉する。猛烈なスピードで接近してくる使徒。
 が、自分に接触する直前、その使徒に爆撃があった。
「やれやれ、あっぶない戦い方するなあ。思わず手を出しちゃったじゃない」
 聞き覚えのある声がした。
「……なんで、お前がそこにいる、イラストリアス」
 ゼロの目に映ったのは、軍艦の上に立ってバズーカを構えていた、緑色のエヴァンゲリオンだった。






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