「マリ。お前にこれを渡しておこう」
白衣の男から、渡すと呼ばれたものは決して手で持てるようなものではなかった。というよりも、自分が手に持たれそうだった。
「なにこれ」
「エヴァだ。見て分かるだろう」
まあ、おおよそ見当はついていたが、だからといってこんなものをぽんと渡されても困る。
「何号機?」
「こいつに番号はない。そうだな、強いて言うなら『壱号機』だ」
壱号機。そんな番号のエヴァンゲリオンは存在しない。
「『初号機』っていうんじゃなかったっけ」
「ああ。初号機と壱号機は別物だ。こいつは初号機を正規シリーズの中に潜り込ませるために影となった、いわば初号機のダミーだ」
初号機にしては全然形が違うのだが、それでもダミーと言えるのか。
「で、これで何をすればいいの」
「お前にはしばらくこれでエヴァンゲリオンを操作してもらう」
「私が? 適格者でもないのに?」
「お前は並の適格者よりずっと力がある」
ふうん、とマリはその緑色の機体を見る。
「まさか自分で乗る羽目になるとは思わなかったな」
だが、別に嫌ではない。
「いいわ。正規パイロットじゃないかもしれないけど、あなたの言うとおりにしたらどんな面白いものが見られるか分からない。楽しみにしてるわよ、リョウゴ」
白衣の男はにやりと笑った。
GはGaghiel、すなわち第六の使徒。
第佰漆拾伍話
殲滅のG
見たことのない緑色のエヴァンゲリオンが、空へ跳びあがる。
「ほらほら、あんまり遊んでないで、さっさと終わらせちゃおうよ、こんなの」
空中から降りてくる緑色のエヴァが、さらにバズーカで海面の使徒に砲撃を繰り返す。が、熱量兵器は使徒に対して通用しない。何故なら、A.T.フィールドがその身を守るからだ。
今までこの魚型の使徒はA.T.フィールドを張ろうともしなかった。が、こうしてピンポイントで砲撃をしてくるエヴァを相手に、ついにA.T.フィールドが輝く。それは使徒を底部に、ピラミッドのような形を示した。
「しっあわっせはー、あっるいーてこーないー」
そのA.T.フィールドの上に着地した緑色のエヴァ。斜めになっているA.T.フィールドに両手と両足でへばりつく。
「だーからあーるいてゆーくんだよー……A.T.フィールド、展開!」
マリの言葉で、その両手、両足が壁の中に侵食されていく。
「やっぱり。オーストラリアに来た使徒は、弱いやつだったね」
そのピラミッドが粉々に砕かれる。そのまま落下しながら残ったバズーカを連射。そして爆風もかまわずにプログナイフに持ち替えて、使徒の頭に突き刺す。
「さて、我慢比べといきましょうか」
舌なめずりするように言うと、使徒がそれに反応したかのように暴れだした。海中にもぐったり、全速力で泳いだりしてエヴァを振りほどこうとする。
「無駄無駄。ゼロすら振り払えなかったくせに、私を振り払おうなんて百年早いわよ」
ゼロは、痛みで震えながらもマリの戦いから目が離せなかった。
自分もかなりエヴァの操縦には自信があった。だが、あれほど見事に操縦できるとは思えない。マリは完全に自分の手足のようにエヴァを操っている。
「あいつ、自分の機体を持ってたんだな」
震える声で言うと、通信が入ってきた。
「ゼロ。大丈夫なの?」
「足が痛い」
素直に答えるゼロ。理屈では足がつながっているというのは分かるのだが、実際に足を切り飛ばされたのと同じ痛みを味わっているのだから、大丈夫なはずがない。
「一旦、シンクロを切る?」
「そうしたら、俺はおそらく二度とシンクロできない。この痛みがあることが分かっているからな」
泣き喚きたい気持ちを必死にこらえて、発令所との会話に集中する。
「あいつにとどめをさしたい。どうすればいい?」
「それには、あのもう一体のエヴァの正体を明らかにしないといけないわね」
と、責任者が間抜けたことを言った。
「まさか、上層部も把握していないのか、あのエヴァンゲリオン」
「ええ。開発がほぼ終わっている参拾号機までは私も全て目を通したけれど、あんな形のエヴァは見たことがないわ」
エヴァンゲリオンは量産型を作らず、完全に一機ずつオリジナルのものを作る。だが、上層部ですらおさえていない型のエヴァンゲリオンがあるとすれば、それはいったい誰が作っているのか。どうやって管理しているのか。
「真希波マリのことも、まさか知らないのか?」
「搭乗者のことかしら。ええ、まったくノーデータよ」
真希波マリと、謎のエヴァンゲリオン。確かに正体は気にかかるところだ。だが、
「今はあいつの正体探しより、倒す方法が知りたい」
足の痛みがある以上、簡単に倒すことができるとは思わない。だが、あのもう一体のエヴァが協力してくれたなら、倒すことも不可能ではないはずだ。
「コアに致命傷を与えるには、コアそのものを見つけないといけないわ。使徒はコアを厳重に守っているはず。つまり、あの固い鱗の奥に必ずコアがあることになる」
「回りくどいことを言うな。どこをどうやって狙えばいい?」
「おそらくは頭部。さきほど体内でN2爆弾を爆破させて、使徒の胴体から後ろが完全に吹き飛んでいるわ。そうしたらコアがあるのは前の方になる。おそらくは心臓部よりも頭のところの方が、使徒にとってははるかに安全な場所なんだと思う」
「だが、A.T.フィールドどころか、あの鱗すら突き破るのは難しいぞ」
現に、真希波マリは頭にプログナイフを突き立ててはいるものの、切り裂いたり致命傷を与えるほどのダメージを与えているわけではない。
「エヴァの全体重をかければ、あるいは」
そこまで言われて、ようやく責任者の言いたいことが理解できた。
「OK。だが、あまり高くは跳べないぞ」
「充分よ。うまくタイミングをはからないと駄目よ」
「了解」
国連軍の軍艦によじのぼった片足のエヴァ。だが、一本足でも立ち上がり、緑のエヴァとそれを振り払おうとする使徒の戦いを見つめる。
「イラストリアス。そいつを足止めすることはできるか」
「見てわかんない?」
現在、緑のエヴァは暴れまわる使徒にしがみついている状態だ。
「三秒でいい。それでカタをつける」
「うわあ、何その無茶ぶり」
マリは振り回されているというのにも関わらず笑う。
「条件があるけどいい?」
「時間がない。後でいくらでも聞いてやる」
そしてゼロは構えた。
「やれやれ。せっかちな男の子は嫌われるよ」
だが、マリもまた応じる。確かにこの使徒は水中を自在に動く。だが、
「いくぞ、イラストリアス!」
ゼロと弐拾弐号機が使徒の直上に向かって飛び上がった。
「いまだ!」
「はいはい」
使徒に向かって急降下する弐拾弐号機。そして、使徒の行動を封じるために緑のエヴァはA.T.フィールドを展開した。先ほどゼロが使徒を封じ込めようとしたように。
「充分だ、イラストリアス!」
フィールドにぶつかって行動ができなくなった使徒めがけて急降下。そして、残った一本の足を、マリが突き刺したプログナイフに向かって伸ばす。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
その足が、プログナイフを使徒の体内に押し込む。
人語では表現しようのない悲鳴が、使徒の体内から聞こえてきた。
「ダメージ受けてる!」
マリの声が響く。だが、ゼロはそのマリに向かって手を伸ばした。
「それをよこせ!」
緑色のエヴァが装着していたハンドガンを半ば奪い取るようにすると、プログナイフが差し込まれた傷口に、強引にハンドガンをひねりこむ。
「げ」
傷口を強引にこじあけるグロテスクさに、マリですら思わず声がもれる。
「くらえ!」
使徒の体内めがけてハンドガンの弾をありったけ放つ。全弾使い切ったところで今度はもう一度刺さっていたプログナイフを握る。
「おおおおおおおおおおおおおっ!」
そのナイフを柄の奥まで強引にねじ込んだ。
ナイフの先が、何か硬いものに触れた感触。
「くだけろおおおおおおおおおおおおおおっ!」
エヴァの肘まで使徒の体内に潜り込ませて、体内のコアにナイフを突き刺す。
手ごたえがあった。確かに、何かが壊れた感触。
「やった」
間違いない。ゼロは確信をもって口にした。
だが、次の瞬間、使徒は奇声をあげて海面から大気中に躍り出た。その衝撃で二体のエヴァが海中に放り出される。
「ぐっ」
「うわっ、と」
緑色のエヴァが、片足のない弐拾弐号機を支えて、国連艦へと引き上げる。
「すまない、イラストリアス」
「いいよいいよ。それより、使徒は?」
使徒は何度も海面を飛び跳ねている。行き場のなくなった魚のように。
だが、二人がその様子をじっと見ていると、やがて使徒は勢いよく海面を泳ぎだした──陸地に向かって。
「なっ」
思わず立ち上がろうとしてバランスを崩す弐拾弐号機。
「ちょ、無理だよゼロ」
「何言ってるんだ。あの向こうには──」
そう、使徒の進路方向。そこはニューカッスル。
ネルフのある場所だ。
「N2を使って足止めしてくれ!」
「無理に決まってるでしょ、こんなところで! だいたいN2を今から準備して間に合うわけない」
「それなら俺をあそこまで連れていってくれ! そうしなければ──」
ニューカッスルには、ネルフで唯一心を休めることができる人たちが。
「真鶴! ローラ!」
だが、叫びは届かない。
全力疾走した使徒は、最後に大きく飛び上がって、ネルフの施設の直上に落ちた。
「あああああああああああああああああああ!」
そして、ゼロの叫びもむなしく、使徒が爆発を起こす。
空中に光の十字架が現れる。それは、使徒が消滅した証。
「パターン青、は、さすがにもうないだろうね」
冷たく、マリの声が響く。
「嘘だ」
弐拾弐号機の中、もはや痛みも忘れてゼロは呻く。
「真鶴。ローラ」
爆発の跡には、もう何も残されていなかった。
そこで働いていた技術者、責任者たちもすべていなくなった。
ゼロの、二人の妹も。
「お前たちが、死ななければいけない理由がどこにある」
歯を食いしばる。涙がこぼれる。
「俺にはもう、お前たちを守ることしか生きる意味なんてなかったのに」
家族のところに帰ることができないのなら、せめて自分の大切な人たちだけは守ろうと思った。
それがこのネルフで見つかった。自分にとって大切な二人の妹。
「真鶴ーっ! ローラーっ!」
ありったけの声を振り絞って叫ぶ。
だが、その声には無論答など──
『……どうしよう、真鶴ちゃん。ゼロさんがすごく恥ずかしいこと言ってる』
『わっ、馬鹿ローラ! もう少し黙ってたらもっと素敵なこと言ってくれるかもしれないのに!』
声が聞こえた。
「真鶴、ローラ!?」
『あ、うん。ゼロさん、私たちなら大丈夫だよ』
ローラの、のほほんとした音声が流れてくる。
「本当に」
『そうなの。真鶴ちゃんのいつもの予知能力で、ネルフがまずいってことが分かったから、その場にいた適格者だけなんとか逃がしてもらえたの。それでも、全部で六人だけだけど』
『ごめんなさい。戦闘が始まるまで、まったく分からなかったの。ゼロが戦い始めた直後にまた予知があって、それで危ないからって言ったらその場にいた私たちだけヘリコプターに乗せられたのよ』
よかった、とゼロは安堵した。
彼女たちが生きているならそれでいい。自分が戦ったのはこの二人を守るためなのだ。それ以外の理由などもうどこにもなかった。それが果たせたのなら、自分の戦いには十分に価値があったということになる。
だが。
「真鶴。一つだけ聞きたいことがある」
『何?』
「もう少し黙ってたら、と言ったな。お前、声をかけられるのにわざとかけなかったのか?」
沈黙。
だが、その沈黙は明らかに肯定を意味していた。
「ローラ」
『はいぃ!?』
思わず声が裏返っている。
「今ヘリコプターにいると言ったな。真鶴をそこからたたき落とせ」
『ちょっ! ゼロ! 私を殺す気?』
「得意の予知で生き残る方法とか見つけてみたらどうだ」
『そんなの生き残れるはずがないでしょ!……って、ローラ! 手をわきわきさせながら近づいてこないで!』
まったく、疲れた。
こっちは命がけで、それこそ激痛を堪えて戦っているというのに、あの二人ときたら。
「かわいい妹さんたちだね」
マリが声をかけてきた。
「まあな。それより、お前には聞きたいことがある」
「スリーサイズ? それなら上から八十──」
「嘘つけ」
「……いつもゼロくんがどこを見てたのか分かったよ」
「そんなことより、教えろ。そのエヴァは何だ。それから──」
「うん、まあ、教えてあげないこともないけどさ、それよりいったんシンクロ切ろうか。今は痛みがマヒしちゃってるのかもしれないけど、戻ってきたらちょー痛いし」
なるほど。マヒしているとはいい表現だ。これでも全力で痛みをこらえていたのだが。
「それに、精神汚染ももう少しで始まっちゃうよ?」
「分かった。逃げるなよ、イラストリアス」
「大丈夫大丈夫。別に『これ』は見せてもいいって言われてるから」
なるほど。つまり『ほかに』見せてはいけないものがあるということだ。
「まあいい。全ては降りてからだ。いったん、シンクロを切る」
「了解」
そしてシンクロが切れた。別にそれで通信が途絶するわけでもないのだが、途端にマリは何も言わなくなった。
(これは勝ったと言えるのか?)
ネルフ・オーストラリア支部は消えた。弐拾弐号機は片足が完全に損傷した。
(だが、エヴァが二十機以上あるのに対して、使徒はどんなに多くても十七体。一機の犠牲で一体を倒せたんだったら、効率がいいのかもしれないな)
そう考えてから、いまさらながらに体が震えてきた。
(大丈夫だ。落ち着け、俺)
緊張から解放されたことの、さらには一度失ったものが戻ってきたことに対する虚脱感。
(とにかく、もう終わったことだ。ネルフ支部がないなら、指示は本部からもらえばいい)
今後、自分がどのように身を振っていくことになるのか。不安がないといえば嘘になる。ただ、あの二人の妹がいてくれるなら、どこに行ってもかまわないと思った。
(それに──)
自分に何故か近づいてくる謎の女、イラストリアス。
(逃げるなよ。俺の前から勝手にいなくなるな)
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