日本における使徒とエヴァンゲリオンの戦いは二度に渡った。一度目は初号機が片腕を落としたところまで、二度目は使徒を殲滅したところまでだ。
 その二回の間、パイロット以外の職員は何をしていたのか。もちろん技術部はエヴァンゲリオンのサポートを行い、作戦部は作戦立案と現場指揮を行っていた。
 では保安部はどうしていたのか。
 剣崎キョウヤはこういうとき、ほとんど仕事は存在しなくなるように見える。が、実際のところは違う。第三新東京市全体で問題が拡大しないよう、セキュリティに全力を注ぐのがキョウヤやヨウたちの仕事だった。
 ヨウの部下である南雲エリ、門倉コウがガードしている中学生アイドル飯山ミライ。彼女をネルフに呼び、第三新東京の全シェルターへ向かって情報を発信させたのは、キョウヤたちの仕事の成果であった。
 そして、パイロットたちが出撃する際にテロリストたちに狙われたりしないかどうか、見張りを強化することも忘れない。
 そこで今回、戦略自衛隊から派遣されているトゥエルフスナイトが非常によく活動した。パイロットが移動する先に不審者が近づかないように、見えないところで活動していた。この十二人を率いていたのはコードネーム『シザーリオ』こと霧島マナ。
 その戦いの最中、彼女のところにも連絡が入った。
『世界ネルフ全支部に使徒襲来』
 その連絡を受け取って、彼女は少しの間だけ、自分のために時間を使った。
 彼女が思ったのは中国にいる友人たち。
 ムサシ・リー・ストラスバーグと、同じく中国のランクB適格者、浅利ケイタ。
(無事でいてよね、二人とも)
 だが、すぐに彼女は自分の仕事に戻った。
 RはRamielにしてRegular octahedron。すなわち第五の使徒。











第佰漆拾漆話



雷光のR












「これが使徒か」
 発令所にやってきたムサシとケイタは予想外の使徒の様子にそれ以上言葉が出てこなかった。
 中国支部を襲ったのは、クリスタル状の正八面体。もちろんパターンは青。使徒であることは間違いない。
 ただ、予想していたものとは大きく形状が異なる。第一使徒、第二使徒は記録上では人型だった。それ以外の形もあるのではないかと研究部があれこれ試案を出してはいたのだが、さすがに無機物正八面体は予想もしていなかった。
「コアはどこにあるんだろうな」
「そりゃ、ど真ん中じゃないのか」
 あの巨大な正八面体の真ん中にどうやって攻撃すればいいのか。攻撃方法すら思い浮かばない。
「ムサシ・リー・ストラスバーグ!」
 と、そこに作戦部長がやってくる。四十過ぎの体格のいい男性だった。
「いよいよお前の力を見せるときが来た。あの使徒を倒し、中国の威信を見せつけるのだ!」
「イエス・サー。それで、作戦はどうなりますか」
「見たところ武器らしいものは何もない。であれば接近戦に持ち込み、ソニックグレイヴで敵を両断するのだ!」
 ムサシは頭痛をこらえきれなかった。
「突撃しろというのですか? 反撃が来た場合はどうすればいいですか」
「言った通りだ。敵に武器はない。反撃など恐れるに足りん。体当たりしてくるようならしめたもの、カウンターでソニックグレイヴを突き刺せばよい」
(正気か、この作戦部長)
 とてもではないが、そんな突撃兵みたいなことをエヴァでするわけにはいかない。自分は使徒にとどめを刺すのが仕事であって、敵の戦力を測るために出撃するのではない。
「せめて、軍の援護をもらえませんか。先に攻撃をしかけてみるとか」
「A.T.フィールドを展開されればすべて無駄になる。まずはお前がA.T.フィールドを浸食し、軍の攻撃が通用する状態にしてくれなければならん」
(俺に無駄死にさせる気か)
 確かにどういう攻撃方法をしてくるかなどまったく分からない。だが、第一使徒や第二使徒によって何十億という人命が失われたのだ。それと同じように大量破壊が可能な攻撃手段があると、どうして考えないのか。
「作戦部の立案に不満か、ストラスバーグ」
「正直、使徒にとどめをさせるのがエヴァだけなら、切り札は温存しておくのがセオリーです」
「ところがそうもいかん事情がある。どうやら使徒は、世界中すべてのネルフに同時侵攻をかけたようだ」
「同時侵攻?」
「そうだ。だからこそ中国が一番に使徒を倒したという実績を出さなければならん。そのためにも躊躇している暇はない。お前が出撃して、その場で倒す。これが理想なのだ」
「その理想はけっこうですが、失敗すれば我々には使徒を倒す手段がありません。もっと慎重になるべきです」
「臆したか、ストラスバーグ!」
 作戦部長が大声で叱る。
「臆したのではありません。慎重になるべきだと言っているんです」
「それを臆したというのだ。慎重? そんなことよりも、相手に何もさせずにさっさと殲滅してしまえばすむことだ。それができないはずがないだろう」
(この無能を部長にしたのはいったいどこの誰だ)
 まったくもって無能の極みだった。慎重と臆病の区別もつかないような人間に、どうして現場指揮官が務まるのだろうか。今すぐこの人物を更迭してほしい。
 だが、それは無理な相談なのだろう。おそらく彼は自分独自の考えで動いているわけではない。おそらくは国からの指示なのだ。他のどの国よりも早く、中国が成果を出すことを政府がネルフに求め、ネルフもまたその意見を取り入れた。これでは自分の意見などまるで歯牙にもかけてはくれない。
「ケイタ」
 小声でムサシは言った。
「俺はこの戦いでもう死ぬかもしれないな」
「おい、ムサシ」
「万が一のときはお前だけでも逃げろ。その時間くらいは稼げるようにしてやる」
「馬鹿言うなよ。そりゃ、作戦がひどいのは分かる。でも、お前ががんばればきっと倒せるよ」
 敵の攻撃手段も分からなければ、弱点すら見当たらない。これでいったいどうやって戦えというのか。それも制限時間はたったの十分。勝てと言う作戦部長は気が触れているとしか思えない。
(亡命しておくんだったかな)
 できるはずもないことだが、このときばかりはムサシも本気でそう思った。



 そう、これが中国の状況である。
 エヴァンゲリオンは単機しか存在しない。
 やってきた使徒はまだ知られてはいないものの『最強』クラスの存在。
 軍はネルフに対してまったく協力の姿勢がない。
 搭乗者は日本のサードチルドレン、オーストラリアのフィフスチルドレンに比べて明らかにシンクロ率不足。
 この状態で勝ち目があると考える方がどうかしている。



(だが、俺が死ねばみんな助からないんだ)
 ムサシは不承不承、エントリープラグに乗り込むと覚悟を決める。
(俺だってこの国が嫌いっていうわけじゃない。生まれ育った国だからな。納得がいかないことは多いけど、この国に住む人たちみんなの笑顔を守りたいっていう気持ちがないわけじゃない。それに)
 LCLが注入されてくる。
(ケイタやマナ、この国では友達もできたからな。それに兄貴や家族のみんなに迷惑かけるわけにもいかないし)
 そしてシンクロが始まる。
(だから、俺は勝つ。ほかのみんなを悲しませないためにも。そして、みんなで笑いあえる未来を手に入れるためにも!)
 紺色のエヴァンゲリオン弐拾号機が出撃する。
「ムサシ・リー・ストラスバーグ、出撃する!」
 そして、地上にエヴァンゲリオンが到着した。
 そのとき、
「使徒体内に、高エネルギー反応!」
「なに?」
 発令所に響いたその声の直後、正八面体の使徒からエネルギー砲が発射されて、エヴァンゲリオン弐拾号機を焼いた。
「ムサシ!」
 ケイタが叫ぶ。が、弐拾号機は動かない。いや、動けない。なぜなら。
 ──なぜなら。
「パイロットの、生命反応、消失」
 絶望が、発令所をつつむ。
「エヴァンゲリオン弐拾号機──」
 その、エネルギー砲の照射が終わり、後に残っていたのは、紺色の機体の『両足だけ』だった。
「ロスト。両足以外、全て、溶けてなくなりましたっ!」
 オペレーターの、最後は悲鳴が、発令所に響く。
「馬鹿な」
 作戦部長が目を疑う。が、もう遅い。
 すべては何の準備もせず、無意味に出撃させたこの作戦部長の責任だった。
 だが、本当にもう、すべてが遅い。起こったことは取り返しがつかない。
 結果、このネルフ中国支部はどうなるのか。決まっている。

 ──破壊。

「使徒体内に、再度高エネルギー反応!」
「に、逃げろっ!」
 どこへ逃げるというのか、この地下で。
 次のエネルギー砲がネルフの上層部を完全に消滅させた。発令所の大モニターが砂嵐に変わり、何も見えなくなってしまう。
「い、い、今すぐ退避だ! 全員、このネルフから避難しろ! もう終わりだ!」
 作戦部長が叫んで、いの一番に駆け出していく。すると、オペレーターたちも我先にと職場を放棄していく。
(これが中国支部の実情なんだな)
 ケイタはそれを見てため息をついた。不意に、苦笑がもれた。
「なあ、ムサシ。お前は俺に逃げろって言ったけど、無理みたいだよ」
 自分たちが逃げるまで、使徒は待ってくれないだろう。
「でも、その前に」
 ケイタは自分の携帯端末を取り出す。そしてそこに書き残す。
「マナ。俺たちの記録だ。受け取ってくれ」
 正八面体の使徒は、体内に高エネルギーを生み出し、相手を照射させること。
 そのエネルギーはエヴァンゲリオンを一瞬で蒸発させるほどの威力であること。
 ムサシはその光の中に消え、そして自分ももうすぐ後を追うことになるということ。
 それだけを入力すると、送信ボタンを押した。
「せめて、妹くらいは助かってくれたらな」
 ここは香港ではない。使徒が香港に攻め込んでくるかどうかは分からないが、できれば妹だけでも助かってくれればと思う。
 直後、自分の周りが光だけになり、同時にケイタの意識は消し飛んでいった。



 中国支部は阿鼻叫喚となった。
 緊急避難用に準備されていた脱出艇には作戦部や技術部、保安部などのネルフ首脳たちが我先に乗り込んでいったのだが、後からやってくるネルフ職員たちがその脱出艇にしがみついて発進すらできずにいた。
「ええい、何をしている。使徒の攻撃が来るではないか。邪魔者は切り捨てろ!」
 作戦部長の命令で、脱出艇にしがみついていたものを振り払って出発した。
「ふふふ、ふははははは! 見ているがいい、使徒よ。私は必ず戻ってくる。そしてお前に復讐してやるぞ!」
 作戦部長が高らかに笑って、脱出シャトルが地上に出た。
 その目の前いっぱいに、青きクリスタルが広がっていた。
「ひいっ、し、し、使徒っ!?」
 その正八面体の体内に再度エネルギーがたまる。
「逃げろ! 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ、逃げろおおおおおおおおおおおっ!」
 無論、使徒はそのような輩を逃すことはない。
 エネルギー砲は脱出シャトルと、それに乗員していた百名前後の職員を一瞬で蒸発させた。
 とはいえ、この人物が生き残って人類にとってマイナスの発言をするよりは、この場で殺してくれた方が人類のためにはよかったのかもしれない。



 取り残された人たちはさらに混沌としていた。
 次の使徒の攻撃の前にネルフから脱出しようとして、エレベーターや階段に人が集まった。ある者は人を踏みつけて地上へ出ようとした。ある者は銃を乱射して自分だけが助かろうとした。力のないものは使徒の攻撃の前に仲間の攻撃によって死亡した。
 ほぼすべての職員が、集団パニックに陥っていた。
「やめろ! 俺たちはいったい今まで、何のために仕事をしてきたと思っているんだ! 落ち着いて避難するんだ!」
 中にはそうやって秩序を取り戻そうと必死になっていた者もいた。だが、
「うるせえ! 肝心のエヴァンゲリオンがやられたらもう全員死ぬだけだろうが!」
 そう言った心ある者は、パニックに陥った人間たちによってリンチにあい、あるいは銃で撃たれてなくなった。
 唯一救いがあるとすれば、善き者も悪き者も、次の使徒の一撃によってすべてが蒸発し、記録には残らなかったということだろうか。



 もちろん、中国支部は大きい。使徒が何度攻撃をしても、最後まで生き延びた者もいる。
 この日、地下のプールに来ていた三人組のランクB適格者がそうであった。彼らは後にこう語る。
『最初、僕たちはプールにいたんです。体力をつけようと思って。そうしたら警報が鳴って、ランクA適格者は呼び出されてたんですけど、僕たちは何も呼ばれたわけでもなかったから、とりあえず着替えて自室に戻ろうと話したんです。そうしたら突然停電になって、身動きが取れなくなりました。でも、後で聞いたらすごい状況だったみたいで……僕たちが助かったのは偶然だと思います』
 パニックとは関係ないところにいた者ほど生き延びていたというのは皮肉なことだった。
 この中国支部には適格者・職員をあわせて四千人強の人数がいた。
 戦いが終わって生き残ったのは、先ほどの三名を含めた四十六人のみ。
 中国支部は完全に壊滅したのだ。



 中国支部を壊滅させた正八面体の使徒は、何故かその場所から消えてなくなった。
 どこかへ移動したわけではない。正真正銘、忽然と消えてなくなったのだ。おそらくは次の戦いに備えたということなのだろう。
 幸いなことに、使徒による被害は、今回はネルフ支部とエヴァンゲリオン一機のみ、というもので済んだ。
 もし、そのまま使徒が中国各地を砲撃しまわったとしたら、中国四億人は地上からいなくなっていたかもしれない。



 以上が、中国における戦闘の記録である。






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