さて、オーストラリアと、中国と、ロシア。この三カ国に共通するのは『初期状態でエヴァンゲリオンが一機しかいない』という点である。
 オーストラリアに襲ってきた使徒は水中戦を得意とし、決して強い使徒ではないとはいえ、アウェーで戦うのはやはり苦戦してもやむをえない。
 中国に襲ってきたのはまさに『最強』の名にふさわしい使徒。十五いる使徒の中でも指折りの強さを誇る使徒。
 そうした二体の使徒に比べ、ロシアに襲ってきた使徒はいったいどうだろうか。

 断言してもいいだろう。この使徒は、決して──強くない。
 Dはdraw。すなわち、引き分け。











第佰漆拾玖話



狂乱のD












 イリヤの振るった斧は、完璧に使徒の足の一本を切断していた。切断された足は、細かく爆発を繰り返し、やがて完全に消失する。
『いいわよ、イリヤ。余裕があるなら』
「分かってるわ、お母さん」
 イリヤはそのままもう一度斧を振りかぶると、すぐ隣の足もまた切断した。これで二本。左側に四本足が残り、右側は二本足となった。かなりバランスは悪そうだ。
 だが、そこで限界が来た。時間ではない。切断に使った斧の方だ。二本目を切断したところで、斧の刃先が完全につぶれてしまった。これでは打撃武器としてしか利用価値がない。
『イリヤ、いったん引き上げて』
「もう? 武器はないけど、まだ」
『戦えるのは分かってる。でも、確実に足を切断できるのでないなら引き上げるべきよ。あなたの使える時間は五分しかないのよ。一度戻ってエネルギー補給、ついでに十分のタイムリミットを回復しておかないと、これから先が厳しくなってくるわ』
「分かった」
 つまり、ヒットアンドアウェイを繰り返そうということだ。確実にダメージを与えたところで、こちらが全回復すれば、二度目はもっと有利に戦える。
『それじゃあ、ロシア軍のみなさん、お願いします♪』
 アイリの言葉で、戦闘機がさらに低空飛行で接近する。その戦闘機を次々に打ち落としていく使徒。その隙をついて、イリヤは足のない方向へむけてロングジャンプを行う。使徒の射程圏外に無事に出たところに輸送用戦闘機がいた。
『イリヤ、そのまま戦闘機に戻ることはできる?』
「もちろん」
 格納位置にエヴァを横たわらせると、自動的にシンクロが切れる。ここまで起動した分、シンクロをカットする時間がなければならない。エヴァンゲリオンがパイロットの精神を侵食し、暴走してしまう。
 そしてエヴァが機内に格納されて飛び立つ。
「これを繰り返していくの?」
『ええ。カメラの映像が見える?』
 映像には使徒に襲い掛かる戦闘機たちの姿が映っている。
「うん、よく見える」
『見ての通り、使徒が現在位置から動かなくなったわ。二本の足がなくなって、移動に支障が出ている。このまま繰り返していけば、完全に封じ込めることができるわ』
「まるで、最初からロシアに現れる使徒がどんな形なのか分かっていたみたいに準備がいいね、お母さん」
 だが、その言葉には「うふふ」と笑顔を見せるだけで終了する。
『いい情報提供者がいてくれたから、対策が立てやすかったっていうのはあるかな』
「情報?」
『ええ。使徒のことが詳しく書かれた古代の書物。その一部をね、教えてもらったの』
「そんなのがあるなら、全部公開すればいいじゃない」
 使徒の形状や倒し方、そんなものが分かるなら全ネルフで共有すればいいのに。
『その情報が悪用されたら困るでしょう?』
「誰が悪用するのよ」
『そうねえ。ネルフの偉い人とかかな』
 イリヤは日本で出会ったネルフの総司令を思い出す。確かに悪人顔だった。
「じゃあ、次はどうするの?」
『何も問題なければそのまま同じよ。今、新しい斧をその戦闘機の中で再装着させてるわ。今、他の戦闘機にもいくつか積み込んでいるから、上から随時新しい斧を投下する準備をしているところ。今度は武器が壊れても次があるから気にしないで』
「分かったわ。じゃあまず、あの足を全部切り倒せばいいのね」
 やることはわかった。そして、移動の間に充分にシンクロ時間を稼ぐことができた。まるまる十分間、動くことができる。
「それじゃあ、イリヤ二回目、いきまー──」
『待って、イリヤ』
 だが、アイリがその出撃を止める。
「なに?」
『使徒の様子がおかしいわ。一旦離れて』
 戦闘機が上昇していく。と同時に、使徒の背中が割れて、そこから紫色の液体が吹き出てくる。
「なにあれ、気持ちわるーい」
『よく分からないけど、自衛の手段には違いなさそうね』
 アイリの指示で、上空からその液体に向かって落石を行う。石がその液体に触れると、あっという間に融解されてしまった。
『あれは溶解液ね。エヴァンゲリオンでも多分一発でやられるわ』
「それじゃあ、背中に着地することは」
『あれだけ広範囲に溶解液をまかれたら無理ね』
「それなのに使徒自身は溶けないなんてずるい」
 それだけ背中の装甲が厚いということか。
「A.T.フィールドで防ぐことは?」
『できるとは思うけど危険ね。フィールドが中和された瞬間にエヴァが損傷してしまうもの』
「できれば一列、足を切り倒せたら楽になるのに」
 片側の足が全部なくなれば、もうバランスが取れなくなる。使徒は起き上がることもできず、弱点の腹をさらけ出すことになる。そうすればミサイルでも何でも打ち込めば勝てるはずだ。勝機は充分にある。
「お母さん、あの足、動くと思う?」
 現在、二本の足は全く動かずに大地を踏みしめている。バランスの問題で、それ以上足をずらすことができないようにも見える。
『足が生えてこない限りは、二本の方は動けなさそうね』
「撃退されるとしたら反対側の四本だけど、二本の方に降りたら攻撃を受ける可能性は?」
『足の形状から、その可能性はないわね。あるとしたらさっきの溶解液を飛ばしてきたり、それ以外の攻撃の可能性』
「足が来ないならいいわ。お母さん、私を残ってる二本の足のどっちかの真上に落とすことできる?」
 アイリは瞬時にイリヤの考えたことをくみ取る。ただちにコースが設定され、タイミングをはかって戦闘機が移動する。
『いけるわ。カウント、いい?』
「いつでも!」
 イリヤは目を閉じて集中する。
『GO!』
 アイリの声と同時に、戦闘機のエヴァ拾玖号機が空中に放り投げられる。シンジが乗る初号機よりも淡い色の紫が、上空から地上の使徒へ向かって放物線を描く。
「エヴァンゲリオン、起動!」
 そのままエヴァンゲリオンが動き、映像が鮮明になる。そして装着している斧を空中で手に取ると、おもいきり振りかぶった。
「やっちゃえ、エヴァンゲリオン!」
 イリヤはタイミングをあわせて、重力加速度のついたエヴァがもつ斧の刃先をぴたり、使徒の足の付け根に合わせた。それほどの質量が加速して落ちてきたのだ。先ほどイリヤが斧を振り下ろしたときの何倍もの勢いがついている。まるで抵抗もなく、足が一本切断された。
「あと一つ!」
 斧から地面に落ちる。地中深くに斧が突き刺さり、両腕に強大な衝撃がかかった。きっと筋肉が断裂しているくらいですめばいいのだが。
「負けないもん!」
 その斧を引き抜き、エヴァンゲリオンが飛び上がってその最後の一本に突き刺した。斧が砕けたが、そのかわり足も切断できた。これで片側一列、完全に足を刈り取ることに成功した。
『よけて、イリヤ!』
 当然、バランスを失った使徒がイリヤの方へ倒れてくる。が、イリヤはよけなかった。逆に使徒の方向にむかって前転した。
「斧が使えなくなったなら、ナイフを使えばいいじゃない!」
 イリヤは素早くウェポンラックからナイフを抜き取ると、弱点の腹をさらけだした使徒に近づく。
「くらえ!」
 ナイフを突き刺す。どこからか分からないが、使徒の悲鳴が辺りに響いた。いける、とイリヤがさらに攻撃を続けようとしたところで、使徒の残っていた四本の脚がやみくもに動いてエヴァを弾き飛ばしてしまう。
「しまった」
 だが、追撃がないのはありがたかった。使徒はもう自分で移動することができない。距離さえおけばあの足で攻撃される心配もないし、何より弱点が見えたままだ。
「お母さん、武器!」
『投下したわ。あと、電源を辺りに出すからプラグをつないで』
「了解!」
 直後、イリヤの右側の地面が盛り上がり、三極プラグが現れる。ただちに背中のプラグに装着。これでフルチャージされた。
 見計らったように斧がイリヤの近くに落ちてくる。すぐにその斧を取って構える。
『さあ、ロシア軍のみなさん、集中攻撃の時間ですよ!』
 アイリの掛け声で、戦闘機、戦車の砲撃が間断なく使徒の腹部めがけて放たれた。何発か直撃があった後、途中にオレンジ色の光の壁が生まれる。
「A.T.フィールド」
『さすがに守ってきたわね。浸食できる?』
「たぶん。練習相手がいなくて、一度も練習したことないけど」
 さすがにこればかりはイリヤの苦手分野である。やはりフランスやイギリスと同じように、ドイツのA.T.フィールド演習に参加しておけばよかったのだ。お金をけちるからこういうことになる。
「いくわよ、A.T.フィールド、全開!」
 イリヤはフィールドを展開しながら突進する。そして両手で光の壁に触れると、強引にその手をこじ入れていく。
「うわ、これってすごく気持ち悪い」
『ごめんね、イリヤ。でも、がんばって』
 母親の声が聞こえる。無論、手を止めるつもりなどない。
「当たり前でしょ。このイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは誰にも負けないんだから!」
 ぐい、とその手をねじ込む。そして変化するA.T.フィールドのパターンを追いかけていく。
「じっとしてよ、もう!」
 はじかれそうになるのをこらえ、必死にくらいつく。そして、光の壁を完全に手にした。あとは一気に──
「引き裂く!」
 やった、とイリヤの中に喜びが生まれる。
『よけて!』
 直後、母親の声に現実に戻される。そのとき、使徒の腹部にあった目の一つが輝き、熱光線を放ってきた。油断していたイリヤは左肩に灼熱の痛みを負う。
「ああああああああああああっ!」
『ロシア軍、見てないで攻撃!』
 アイリの叫びで再び戦車、戦闘機の攻撃が始まる。イリヤは涙目だったが、痛みをこらえて立ち上がると、痛む肩をこらえながら両手で斧を握る。
『大丈夫なの、イリヤ?』
「大丈夫。まかせて、お母さん」
 イリヤは必死にうごめく四本の脚と、戦闘機を打ち落としていく熱光線の軌道をしっかりととらえる。
「私は負けない。負けるもんか」
 きっ、とイリヤは使徒を睨みつける。
「A.T.フィールド全開!」
 光の壁を展開しながら近づく。足が動いて薙ぎ払おうとしてくるが、そんなものは障害にならない。あっという間にエヴァ拾玖号機は使徒の腹部に接近した。
「くらえ!」
 その斧を、力いっぱいたたきこむ。その使徒の返り血を全身に浴びる。ありえないはずだったが、むせ返るような血の匂いを感じた気がした。
(こんなの、ただのLCLの匂いと同じ!)
 そしてもう一撃、斧を叩き込む。その傷口めがけて、ロシア軍が一斉砲火する。
「コアを、叩き潰さないと」
 イリヤは両手で斧を握ると、その使徒の上に飛び乗った。側面にはまだ足が四本残っているのだが、その隙間に綺麗に立つ。この位置なら関節でしか曲げられない足で攻撃してくることは不可能。
「と、ど、めええええええええええええええええっ!」
 高く振りかざした斧を、円運動で使徒の体内にたたきつける。間違いなくコアまで達した、その感触を感じた。
 イリヤは油断していなかった。使徒が反撃してくるのならいくらでも受けて立つつもりだった。
 だが、足元までは予想外だった。エヴァが立っていた場所が裂け、そこから触手が伸びてエヴァの両足を拘束してしまったのだ。
「くっ!」
 体勢が悪く、斧を引き抜こうにも引き抜けない。かといって手を離せばもう武器はない。どうすることもできない。
『いけない、イリヤ、逃げて!』
 逃げられるのなら逃げている。だが、状況がそれを許さない。
「嘘だよね」
 使徒の目が、光った。
 直後、

 爆発。

「イリヤ」
 アイリはその状況をモニタ越しに見つめた。
 白い肌がますます白く、完全に血の気が失せている。
 体が震え、何も考えられない。
 自分の娘がいなくなってしまった、という目の前の光景に。
 ただ、神はこの母子に慈悲を与えていた。
「パイロットの生存反応確認!」
「イリヤ!」
 だが、とても無事といえる状態ではなかった。エヴァンゲリオンは原型がまったくなくなっており、もはや修復できる状態とはいえそうになかった。両足は当然のこと、両腕もどこにも見当たらない。黒こげの頭部と胸部がかろうじて残っているという程度。人間なら即死だ。
「パターン青、消失しています!」
「そんなのはどうでもいいわ! パイロットの救助を最優先! 意識は!?」
「ありません! 生命反応、きわめて微弱! こちら側からのコマンド実行は不可能!」
「ただちにエントリープラグを回収! パイロットの蘇生処置を行って、早く!」






 こうして、ロシアにやってきた使徒は、エヴァンゲリオン一体と相討ちとなった。パイロットは生き延びたものの、エヴァンゲリオンはもはや使い物にならない。お互いに手ごまを一つ減らした結果となった。
 イリヤはただちに集中治療室へ運ばれ、蘇生処置がとられた。五時間の手術の結果、何とか命をつなぎとめることはできた。だが、しばらくは意識を取り戻すことすらないだろう。
 だが、生き残ることはできた。この不利な戦いで、使徒を倒し、誰も死なずにすんだ。それだけでもロシアは幸福だったというべきなのかもしれない。






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