日本とギリシャの時差は七時間、ただしギリシャもサマータイムを導入しているため、夏の時差は六時間となる。つまり、日本に使徒が現れたのが午後七時ならば、同時に現れている以上、ギリシャに使徒が現れたのは午後一時ということになる。
 ギリシャ支部における土曜日のスケジュールは、まさにランクA適格者のエヴァ操縦訓練にあてられている。それもランクB適格者たちが全員見学しての公開訓練だ。
 正午十二時から始まった公開訓練は、十二時半になったところで格闘訓練に移る。そしてギリシャのランクA適格者、ルーカスとエレニが十分という時間の中でその優劣を競う。
「ここまでの戦跡、一勝二敗。今日は勝って五分にするよ、アニキ」
 だが、勝負を挑まれたルーカスはそれほど気負っている様子はなかった。
「そうか。がんばれ」
「その上から目線ムカつく!」
 そういう会話もランクB適格者たちにはつつぬけなのだが、この二人は周りの目を一切気にしない。
『それでは、格闘訓練、開始してください』
 オペレーターからの声と同時に二機が動いた。
 ルーカスの駆る弐拾参号機は太陽をモチーフにした真紅、そしてエレニの駆る弐拾肆号機は月をモチーフにした真銀。
 二つの機体が、勢いよく取っ組み合いになった。
 Dはdraw。すなわち、引き分け。











第佰捌拾話



激戦のW












 さて、ギリシャの話に移るにあたって、一つだけ説明をしておかなければならないことがある。
 かつて碇シンジたちがヨーロッパへやってきたとき、一緒にやってきた武藤ヨウが多くの味方を作っていくことになった。
 その一人がギリシャ諜報部、通称HSAを束ねるアグネス・イオアニデスだ。
 彼女は敵対するトルコ軍の情報を整理し、さらにはいつでも交戦できるように準備をしてきた。無論、しかけられてから戦うだけではない。こちらから打って出ることもできるようにしておかなければならない。
 かつてギリシャが取られた領土を取り返すため、そして積年の恨みを晴らすため。
 ギリシャにとっては、使徒よりも目前のトルコの方が敵対意識は強い。
(トルコに不穏な動きあり、か)
 ヨウから手に入れた情報をもとに調査を進めていくと、確かにトルコがギリシャに襲い掛かろうとする兆候が現れていた。ギリシャ国境に近いところに知られぬように兵士を動かしている。いざというときには一気に攻め込もうという腹なのだろう。
 それに合わせてギリシャ軍もトルコ国境に集結する。できれば本国での戦争は避けたい。何しろギリシャが誇る歴史的文化遺産を傷つけたくない。
 アグネスがこの仕事を始めたのは、何をさしおいてもこの国が大好きだったからだ。神話の根付くこの国に生まれたことを誇りに思い、そして愛してきた。
 だからこそ本土決戦はさせない。その前ですべて決着をつける。そのためにもまずは情報だった。トルコ軍がどう動いてくるのか、それを調べなければならなかった。
 国境を挟んでの緊張状態はもう一か月にもなろうとしている。トルコ軍は今すぐにでも攻め込んでくることができるだろうし、こちらも同じ状況だ。ほんの一押し、何かが起こるだけであっという間にこの二か国は戦争状態に突入できる。
 その『何か』は六月六日の午後一時に起こった。
「デロス島に使徒襲来!?」
 デロス島。歴史を勉強しているものにとっては当然のように知っている地名である。かつてペルシア戦争の折、ギリシャ諸都市が同盟を結ぶために集まった場所がデロス島であり、それがデロス同盟だ。神話としてはアポロンとアルテミスの生誕の地としても知られている。
(二重の意味で皮肉ね。そんなところに使徒がやってくるなんて)
 だが、使徒がやってきたという事実をもう覆すことはできない。現れたのなら倒せばいい。だが、ギリシャは決してすべての力を使徒に注ぎ込むことはできない。
 なぜなら、国境の向こうにはトルコ軍がいるからだ。
「トルコ軍、動き始めました!」
 待ちかねていたように、いや実際に待ちかねていたのだろう、トルコ軍は国境を越えて攻め込んでくる。
「トルコ軍をこのエヴロスから先には行かせん。ギリシャ軍、応戦せよ!」
 こうして、使徒戦争と同時にギリシャでは人間同士の戦争も行われていたのだ。






 さて、ギリシャの東端で戦争が始まると同時に、ネルフのあるギリシャ、アンドロス島にも使徒襲来の報が届く。大陸から最も近い島であるアンドロス島、ここからティノス島、ミコノス島、そしてその次が使徒が現れたデロス島。随分近いところに出現したものだった。
 使徒はデロス島に出現し、そのあたり一帯を炎の海にした後、まっすぐアンドロス島に向かっているようだった。途中にはティノス島がある。そこが決戦の場所となるだろう。
 本土に近いところにいたギリシャ軍は残らずティノス島へ向かったが、ほとんどは間に合わないだろう。使徒の速度から考えれば、ティノス島到着はおそらく一時間程度。二時過ぎには現地で戦えるレベルだ。
「まさか、格闘訓練の直後に使徒戦とは思わなかったね」
 二人の機体は、二人をプラグに入れたまま飛行機でティノス島へ運ばれることになった。
「そうだな。ここで負けるわけにはいかない」
「愛しのレミのためにもね」
「お互いな」
 ルーカスにとっては誰よりも大切な恋人、エレニにとっては世界で一番の親友。二人にとって舘風レミは何よりも大切な人物だった。
「この戦いに勝って、レミと一緒に暮らす。それが俺たちの夢だ」
「知ってる、アニキ?」
 ルーカスは顔をしかめる。目的語がなければ何を言いたいのか分からない。
「そういうふうに、戦いの前に将来のことを語るのって、日本では『死亡フラグ』っていうんだって」
「縁起でもないな」
「そうよ。だから死なないでね、アニキ」
「当然だ」
 そして両機はティノス島へ到着する。起動しないままで使徒の到着を待つ。
「それにしても、まさか使徒が最初にやってくるのがこのギリシャだったとはな」
「予想外だったね。でも、私はここでよかったと思ってる」
 エレニの声には、少しも迷いがなかった。
「なぜだ?」
「先入観がいらないから。敵が強いのか、弱いのか。事前に情報を与えられているよりも、何もない状態で戦う方がいい」
「お前らしいな」
「アニキは?」
「何とも言えないな。エヴァンゲリオンに乗っている以上、戦いは避けられない。それなら、何かを考えるよりも行動した方が気楽でいいというのはある。ただ」
 ルーカスは目を閉じて考える。
「この戦いで死ねば、もうレミには会えない。それだけが心残りになるな」
「じゃ、なおさら死ねないね」
「ああ」
 そして、いよいよ使徒がやってくる。
 ティノス島へ上陸したその人型の使徒は、二人が思っていたものとは『少しだけ』違っていた。二足歩行をするのは問題ないが、人型なのはそれだけだ。弓型に湾曲した両腕と、胸部に存在する三つの穴、それが目だろうか。かつて世界を恐怖に陥れた『第一使徒』『第二使徒』とはかなりの部分で違いがある。
 だが、それでもギリシャにやってきた使徒はまだ想像の範囲から逸脱することはなかった。オーストラリアや中国、ロシアにやってきた使徒は人型ですらなかったのだから。
「さ、来たよ、アニキ」
「ああ。行くぞ、エレニ」
「了解!」
 二人は同時にシンクロ開始し、上陸したその使徒に向かって一気に距離を詰めた。
 だが、その使徒は高く飛び上がると、弓なりの腕を振り回して攻撃してくる。
(これが使徒なのか?)
 そのスピードは決して遅くはない。だが、かつてこの地上を震撼させた使徒の攻撃としてこの程度でいいのだろうか、と不安が生じる。
「気をつけろ、エレニ。あんな攻撃で終わりのはずがない」
「了解」
 その両腕がエレニの弐拾肆号機を攻撃してくる。エレニはその場に立ち止まり、ソニックグレイヴで使徒の攻撃を受け止める。
「アニキ!」
「了解!」
 その隙にルーカスの弐拾参号機が、槍状武器のサンダースピアで背後から使徒を貫く。手ごたえはあった。
「軽い」
「アニキ、一旦離れて!」
「了解!」
 違和感を覚えた二人は各々後ろに飛び退く。使徒はその突き刺さった場所から縦に亀裂が走り、二体の使徒に分裂した。
「なるほど、貫いた感触が軽かったのは、その亀裂の部分に差し込んだせいか。こいつら、もともとは二体で一体の使徒だな」
「三体になることはないの?」
「確実なことは言えんが、おそらくはこの状態で本体なのだろう。面白い、このギリシャに来た使徒がこの二体だというのは、神の悪戯にしか思えん」
「え?」
「二対二、ということだ。使徒か、人間か、どちらのコンビネーションが優れているのか、それを試されているぞ、エレニ」
 すると、映像のエレニが不敵に笑う。
「それならアタシたちの楽勝だね。あたしとアニキのコンビが負けるはずないもんね」
「おごりは油断を生む、と言いたいところだが」
 ルーカスもまた、妹と同じように笑う。
「俺もまったく同感だ。二対二ならば負ける気がしない」
「見せつけてやろうぜ、アニキ」
「もちろんだ」
 分裂した使徒は橙色と灰色をしていた。オレンジはルーカスに、グレイはエレニにそれぞれ対面している。
「時間はここまで二分十五秒」
「のんびりはしていられないけど、やみくもに突っ込むわけにもいかないね」
「そういうことだ。全力で戦いつつ敵戦力をはかる。行くぞ!」
 四体は同時に動いた。
 完全に計ったわけではない。だが、仮に数値で表すとしたならば、四体のスピードとパワーはいずれも大差ないものであった。すなわち、二人の言うとおりこの戦いはいかにコンビネーションが取れているかどうかが試される戦い、人類と使徒とのタッグ代表戦ともいえる戦いだった。
「エレニ!」
「!」
 声をかけられただけだが、エレニは兄が何をしようとしているのかを理解した。戦いの中、弐拾参号機と弐拾肆号機が近づいた瞬間、ルーカスの機体が軽く浮いた。そしてエレニが両足を強く踏みしめる。
「GO!」
 ルーカスはエレニを踏み台にして、もう一体のグレイに向かって突進した。エレニは兄に蹴られたことで自らを加速させ、オレンジへと突進する。
「隙あり!」
 加速したエレニの機体に使徒がついてこられないうちに、ソニックグレイヴで相手の胴体を薙ぐ。
「手ごたえ、あり!」
 兄は「軽い」と言った。だが、今の自分の手には確実に「重さ」があった。この使徒には確実にダメージがあった、はず。
 一方、ルーカスも跳躍した先でサンダースピアを相手に突き刺していた。正確には相手のコアを狙ったものだったが、使徒はぎりぎりで体をひねったため左肩に刺さった。
「さっきとは違う」
 確かに「重さ」がある。それはこの使徒がこれ以上分裂しないという証でもある。
 と、その二体の使徒の目が同時に輝く。
「アニキ!」
「エレニ!」
 声が出ると同時に二人の機体は高く跳んでいた。その場所が爆発を起こしていた。
「何今の、どういう現象!?」
「分からんが、使徒の目が光ったということは、可視光線による爆発なのだろうな」
「アニキ、冷静すぎ!」
「あわてても仕方のないことだからな。お前がそうやって先にあわててくれるから、逆に俺が冷静になれるんだろう」
 着地した二人を挟み込むようにオレンジとグレイが回り込む。ルーカスとエレニは背中を合わせた。
「さっきの、ダメージいったと思う?」
「いったとしても微量だな。頭を一発殴られた程度なら、少し時間が経てばダメージなんかないのと同じだろう」
「やっぱり、コアをやらないと駄目か」
「まずは一体を狙うぞ。基本はオレンジで」
「了解」
 二体のエヴァが力をためる。すぐに動けるように溜めを作る。
 そして、使徒の動きに合わせて動く。この使徒たちは可視光線の攻撃以外での遠距離攻撃はない。接近戦で勝負に来る。こちらも同じだ。ルーカスのサンダースピアとエレニとソニックグレイヴ。この二つの武器だけで勝負をかける。
 使徒が一心同体でせめてくる以上、たとえ片方に集中攻撃をかけるとしても、もう一体を忘れることはできない。攻め込んだ最後の一撃をオレンジに集中させる。そのタイミングをうまくはかることができるかどうかが勝敗の分かれ目になる。
 そのタイミングはそれほど長く待つことはなかった。起動からちょうど五分が過ぎたときのことだった。
「エレニ!」
 ルーカスの声に、エレニが弾かれたように走る。ほんの少し、使徒同士の間に距離ができた瞬間、ルーカスは片手でプログナイフを取り出してグレイに投げつける。牽制、および足止めだ。
 エレニはその隙にオレンジに迫った。足を払うと使徒は飛び上がるが、既にルーカスが接近している。その飛び上がった使徒めがけ、槍を繰り出す。
 その瞬間、光の壁が槍を遮った。
「A.T.フィールドか」
 だが、前面にフィールドを展開している以上、後方は完全にがらあきだ。回り込んだエレニが薙刀で胴体を狙う。
「グレイ!?」
 が、既にグレイは戻ってきていた。そしてオレンジとエレニの間に入り込んで、A.T.フィールドでその攻撃を防ぐ。
 次の瞬間、オレンジとグレイは再び一体化した。
「!」
 二倍になったスピードとパワー。単純な足し算で生まれるその力が、まっすぐにエレニに向かってくる。
「まずい、A.T.フィールド!」
 エレニはフィールドを展開した。だが、使徒の弓型の腕が、フィールドを貫いて弐拾肆号機の顔面を直撃した。






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