その非常警報が流れたとき、ヴィリーとメッツァはいつものようにサッカーのトレーニングをしていた。
 シーズンオフでよかったと思う。もしもこれがシーズン中なら、土曜日は普通に試合のある日だ。
「いよいよだな」
「ああ」
 メッツァの声にヴィリーがうなずく。
「今までで一番つらい戦いになりそうだ」
「これからはそんな戦いばかりだろう。何しろ、負ければ終わりだ」
 サッカーは負けても次がある。だが、命のやり取りは負けたら終わり。次などない。
「最後にアイツに連絡が取りたかったが」
 メッツァが残念そうに言う。二人とも大切なガールフレンドがいる。こんなことになると分かっていたら、事前に連絡もできたのだが、さすがに使徒はこちらの都合などかまってもくれない。
「非常事態では携帯で連絡を取ることもできないだろう」
「そうだな。まあ、生き残ればいいだけの話だ」
 そうして二人は発令所へと向かった。
 KはKnight。すなわち、騎士。











第佰捌拾参話



孤高のK












 使徒襲来。
 アルトとクラインは全力で駆け出した。確かに、いつ襲来してもおかしくないという緊張感の中、ここまでやってきた。五月には一通りの訓練がほぼ全て終了し、態勢は整っているともいえる。
 だが、こんなに急に──いや、向こうがこちら側の都合を考えてくれるはずもない。
「エルンスト・クライン、到着しました」
「紀瀬木アルト、到着しました」
 既に到着していたのはヴィリーとメッツァの二人。そして最後の一人がすぐに駆けつけてきた。
「アスカ・ラングレー、到着しました」
 こうして五人のランクA適格者が発令所にそろった。それから中央の巨大モニターを見る。
「あれが使徒」
 アルトの言葉に、適格者たちが真剣に見入る。
 空を飛ぶイカ、国連軍の攻撃を長い二本の触手で次々に撃退してまっすぐに飛行している。
「使徒って飛ぶものなのね」
 アスカがそれを見て思った通りの感想を言った。たしかに第一使徒、第二使徒については多数の映像が残っているが、陸上か海上を移動しているものしかなかった。が、そもそも海上を移動するのだから浮いていると考えた方がいいのだろう。
「使徒はバルト海から突如出現し、まっすぐにドイツを目指してきている」
 ミュラー司令官はいつものサングラスをかけたままだった。が、本部の長と違ってよく話すし、説明もする。
「それにしても、使徒もわざわざドイツにやってきてくれるなんてね。やっぱりエースパイロットがいる場所を最初に叩こうっていう意味なのかしら」
 ふふん、とアスカが楽しそうに言う。
「いや、ドイツだけではない」
「え?」
「確認を取った。消滅したアメリカのネバダを除く、ネルフ本部と十一の支部、使徒はその全てに侵攻してきたようだ」
 適格者たちは表情こそ変えなかったものの、内心は大きく動揺した。
「全世界同時侵攻か。やるわね、使徒も」
 だが、アスカはどういう状況であれ、自信をなくすようなことはしない。自分は勝てると思っているし、当然勝つものだと思っている。
「戦況は?」
「芳しくないな。エヴァンゲリオンが配備されていないサウジアラビア、南アフリカ、ブラジルは既に壊滅。アメリカ第一支部も通常兵器で食い止めてはいるが、時間の問題だろう」
「他のところは?」
「中国は、戦闘直後にエヴァが破壊され、支部も壊滅。ランクA適格者、ムサシ・リー・ストラスバーグは戦死」
 その報告には、さすがに誰も口に出すことができなかった。が、
「ギリシャからは先ほど勝利報告が入った。適格者は二名とも無事」
「一勝一敗ってわけか」
「壊滅した三支部を入れれば四敗ですが」
「そんなのエヴァと使徒の戦いじゃないもの。ノーカンよノーカン。ってことは後残ってるのは──」
「日本、オーストラリア、ロシア、フランス、イギリス。そしてドイツです」
「アメリカはエヴァないもんね」
「いや、一機残っている。パイロットはいないはずだが」
 ヴィリーが訂正すると、なるほど、とアスカが頷く。
「いずれにしてもアメリカはノーカンだから、八戦か。勝率五割以上にはしておきたいところよね」
「これ以上の敗北がないのが一番だ」
 ミュラー司令官が訂正して言う。その通りだ。自分たちが負ければ世界が滅びるのだ。一戦たりとも落としていい戦いなどない。
「これを見ろ。南アフリカを襲った使徒、長遠距離からの撮影だ」
 画面がかわり、空中から巨大な使徒がネルフ支部にダイビングしてくる画像が流れる。
「何これ」
「自爆型の使徒だ。言い方は悪いが、エヴァが配備されていない支部への攻撃で良かった。もしもこれが日本に落ちていたら、十機のエヴァが破壊されているところだった」
 アルトはぞくりと震えた。もし日本に落ちていたら、シンジもエンも助からないところだったのだ。
「敵の攻撃方法が分からない以上、無暗に攻撃するわけにはいかないということですね」
 クラインが言うと「その通りだ」とミュラーがうなずく。
「現在、ドイツに現れた使徒に対し、ドイツ軍が攻撃をしかけている。が、効果らしい効果はまったくない」
「A.T.フィールドですね」
 アルトが言うと、ドイツ軍と使徒の戦いの場面が映し出される。予想通り、オレンジ確実に色の光の壁がドイツ軍の攻撃を完全に防いでいるようだった。
「さっきの使徒みたいに自爆する様子もない。そのくせ敵の姿はしっかりと見えている。それなら誰かひとりが直接当たってみて戦力を分析する方がいい」
 クラインが断言する。
「僕が行きます」
「何言ってるのよ」
 アスカが睨みつけた。
「アレを倒すのはアタシよ。誰であっても譲るつもりはないわ」
「当然です。僕一人でアレを倒そうなんて思ってもいません。そして、あなたが忘れてはいけませんよ、フロイライン。アレにとどめをさすのはあなたしかいないということを」
「どういうことよ」
「簡単なことです。僕が戦っているところを分析し、殲滅する方法を見つけてください。フロイラインは僕たちを犠牲にしてでも使徒を倒さなければなりません。そして敵戦力を分析するのにもっともふさわしいのは僕だ。四人の中でもっともシンクロ率が高く、格闘にも秀でている。僕以外にこの役が務まる者はいないと思いますが」
「クライン」
 アルトがその手を取る。
「特攻して死ぬつもり?」
「馬鹿なことを。どんなときでも僕は死ぬつもりなんかない。ただ、もしも使徒がエヴァ一機を道連れにするつもりだとしたら、それをアスカさんにやらせるわけにはいかない。違うか?」
「そうだけど、でも」
「敵戦力を分析するつもりなら、それなりに力のある人間でなければ務まらない。そしてそんな危険なことに二機もエヴァを使うわけにはいかない。だから僕が行くんだ」
 そしてクラインはメッツァとヴィリーに向かう。
「君たちが頼りだ。どんなことがあってもフロイラインを頼む」
 そのあたりは二人の方が状況の呑み込みが早いのか、あっさりとうなずく。
「勝手に決めてるんじゃないわよ。誰があんたに指揮していいって言ったのよ」
「誰も言っていません。ですが、僕の考えは間違っていますか、司令官」
「いや」
 ミュラーは首を振った。
「だが、もっとも死ぬ可能性が高い。それを分かっているのか」
「もちろん分かっています。でも、僕はずっと前から決めていましたから。もしもこのドイツに使徒が現れたら、僕がその役目を負うことにしよう、と」
 覚悟はとうに決まっている。だから今さら使徒が現れたところでひるむことはない。
「それでは、エルンスト・クライン。出撃します!」
 ドイツ式の敬礼を行い、クラインはまっすぐにケイジに向かった。
「クライン!」
 そのクラインにアルトが叫ぶ。
「死んじゃだめよ」
 クラインは振り返らず、肩越しに親指を立てた。
「大丈夫かしら、クライン」
「ま、あいつなら何があっても死ななさそうだけどね」
 アスカがため息をつく。
「まったく、こんな形で出し抜かれるなんて思ってもみなかったわ」
「クラインの考えはお前たちも理解できたはずだ」
 ミュラーが適格者たちに向かって言う。
「だからこそ、クラインと使徒の戦いは目をそらしてはならない。どんな結果になろうとも」
「クラインがやられることは前提っていうこと?」
「それほど簡単に倒せる相手だとしたら苦労はない。クラインには申し訳ないが、彼のシンクロ率では勝負にならないだろう」
 ミュラーがはっきりと言う。四人は顔をしかめた。
「クラインも負けることは覚悟の上、死ぬことすら覚悟しているだろう。だからこそ彼の戦いを見て作戦を練らなければならない。四方八方、あらゆる方位から分析し、有効な攻撃方法を模索する」
 四人がメインモニターを注視した。そのモニターに、早くも白きエヴァ拾漆号機が出撃していた。






「いよいよ実戦か」
 エントリープラグに乗り込んだクラインは一度深呼吸をした──LCLが注水されているので、それは単なる気持ちの問題だ。だが、そうやって気持ちを一度落ち着ける。それからゆっくりと空飛ぶイカを見上げる。
 その使徒めがけて、クラインの白いエヴァはパレットライフルを打つ。遠距離にいる相手ならこの攻撃で充分だ。連射して煙幕が立ったところで一度後退する。
 使徒はその煙幕の向こうから加速して接近してきた。煙を突き抜けて一気に迫いくる使徒。
「A.T.フィールド、全開!」
 相手の攻撃の仕方が分からない以上、まずは『避ける』より『受ける』を選択する。もしも避けたとしたら、すぐ次の攻撃で撃墜される可能性がある。それくらいなら劣勢になってでも攻撃を受けた方がいい。
 使徒は光の壁に向かって突進。A.T.フィールドと触れてスパークを起こす。が、すぐに一度距離を置いて地上に降り立つ。
 すると今度は二本の触手──光のムチが伸びて、繰り返しA.T.フィールドを殴りつける。その一撃ずつがあまりに重く、たった三回叩いただけでフィールドが完全に壊れてしまった。
「くっ」
 大きく飛び退こうとするが、使徒の触手はどこまでも伸びて接近してくる。
 ただちにプログナイフを抜いて迎撃しようとするが、そのナイフも絡めとられてしまう。
「なんて速さだ」
 が、クラインは冷静さを取り戻すと、集中力を高めてその二本の触手の動きを見た。そして、素早く自分の両手を動かすと、その触手をつかみとった。
「くらえっ!」
 その触手ごと使徒を引っぱる。意外に使徒の体は軽く、簡単に持ち上がった。
「うおおおおおおおっ!」
 そのまま上空に弧を描いて反対側の地面にたたきつける。
「すごい」
「使徒と互角にやりあってるな」
 ヴィリーとメッツァからも賞賛の声が上がる。
「もう一度!」
 と、触手を再び引っぱろうとしたが、今度はその勢いを利用して使徒がエヴァに接近した。
「しまった」
 A.T.フィールドを張る時間もない。使徒は引っ張られた勢いのまま、足のあたりからエヴァに突撃してくる。
「ぐううううっ!」
 一瞬脳震盪を起こしかけたが、すぐに頭を振って意識を覚ます。今の衝撃で両手が触手から離れてしまっていた。
「A.T.フィールドっ!」
 相手の攻撃は読めない。だが、身の危険を感じたクラインは全力で自分の周囲にA.T.フィールドを展開する。
 直後、頭上から二本の触手が攻撃をしてきた。
(そっちか!)
 一瞬引いた隙を見計らってフィールドを解き、間合いを取る。
 ここまで、エヴァンゲリオン起動時間、四分経過。
「クライン、聞こえる?」
 アスカがクラインに声をかけた。
「ええ、フロイライン。感度良好です」
「よくやってくれたわ。使徒の攻撃方法、パターンはだいたいつかめた。一度引き上げることはできる?」
「難しいですね。僕が引きたくても、向こうが逃がしてくれなさそうです。それに、敵の攻撃方法は分かったとおっしゃいましたが、敵の弱点は分かったのですか?」
 アスカが答に詰まる。
「それなら、何とかそれを暴くのが僕の役目でしょう。大丈夫、引き際は見誤りませんから」
「……あんたに言っとくわ、クライン。アタシにとって勝利っていうのは、少しの犠牲も出さないことを言うのよ。あんたが犠牲になったらアタシにとっての勝利もない。分かった?」
「了解です。見ていてください、フロイライン」
 通信が切れる。そして改めて使徒の動きを見た。
(フロイラインのためにこの命を捧げるのなら、何も悪いことはない)
 だが、自分はそれだけでは満足などしない。
(死ぬわけにはいかない。この戦いが終わっても使徒との戦いは続く。その都度、先頭に立って相手の実力を計るのは僕の役目なんだから)
 死ぬことなく、相手の実力を見極めて、引く。そのなんと難しいことか。
「さあ来い、使徒。お前の弱点をさらけ出してみろ」
 使徒は光のムチを二本しならせると、不規則に動いてエヴァンゲリオンに近づいてくる。
(通常兵器は通用しなかった。それはすべて敵のA.T.フィールドに弾かれたからだ。じゃあ、直接攻撃したらどうなる?)
 先ほどのように光のムチをつかんで地面にたたきつけた攻撃は効果があったように見えた。もちろんそれで致命傷になるわけがないが、肉弾戦に持ち込むというのは作戦として間違いはないように思う。
 いずれにしてもそれなら近づかなければならない。
(光のムチをかいくぐって接近するのは難しそうだな)
 それならもう一度つかんで引き寄せるしかない。
「行くぞ、使徒」
 間合いを計り、エヴァの方から一気に距離を詰めた。
 それに合わせて触手が動く。その動きを冷静に見る。
(ここだ!)
 クラインは使徒に最接近し、シャムシエルの光のムチの根本、つまる腕に当たる部分をつかんだ。
 だが、
(!!!!)
 光のムチの先端は、そんなことにおかまいなくエヴァンゲリオンの背中を貫く。
「クライン!」
「大丈夫、です」
 血を吐きそうになるのをこらえる。そして、さらにつかんだ手に力を込める。
「くらえっ!」
 そしてクラインは、その光のムチを完全に握りつぶした。ちぎれた腕が地面に落ちる。その先端はいまだにエヴァに刺さったまま。
(でもこれで、敵の武器をつぶすことができた)
 充分な戦果といえるだろう。あとはうまく引き上げることができればいいのだが──
 と考えていると、その使徒の頭が少し持ち上がった。
 その、喉元、というのだろうか。その部分の赤く光る、コア。
(これが、弱点か)
 そのコアが、鈍く光る。
「フロイライン! 喉だ! 喉にコアが──」
 直後、そのコアから照射された熱光線が、エヴァンゲリオン拾漆号機を吹き飛ばした。
 全身を、再起不能なほどに焦げ付かせて。






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