ハンブルグの町の住民たちは、郊外での戦闘であるにも関わらず、念のため全員がシェルターに避難していた。
 その中の一人、メガネをかけた小柄な少女。ずっと胸元のペンダントを握り締めて祈っている。
(メッツァ)
 サッカーもできて、ネルフのランクA適格者である彼女の恋人は、彼女にとって自慢の彼氏であり、何にも変えることのできない幼馴染であった。
 彼がサッカーを始めるより前から、彼女は彼のことをずっと見ていた。
 それはこれからだって変わらない。
(死なないで)
 本当はネルフになど入ってほしくなかった。ハンブルグユースのゲームメーカーで何か悪いことでもあるのか。
 だが、彼は言うのだ。
「俺とお前の未来を守るために、ネルフに行く」
 そして今、彼はその言葉を現実にするために戦っている。
(死なないで、メッツァ)
 シェルターの中にいる人たちには、戦闘の様子は分からない。
 Pはpassion。すなわち、激情にして、受難。











第佰捌拾陸話



報復のP












 メッツァの機体は、光に溶けて消えた。それは確実に一人の適格者がこの世から消滅したことを意味していた。
 アスカは呆然とするよりも復讐することを選んだ。手にしていたプログナイフで、ふわふわと浮遊する使徒の首めがけて切りかかる。
 既にサイズとしてはエヴァの半分程度のサイズだ。それなのに、使徒がその場で発生させたA.T.フィールドは今までにないほど強靭で、アスカの攻撃は簡単に弾かれてしまった。
「こんな、程度のA.T.フィールドが」
 アスカは片手でそのフィールドに触れる。
「破れないなんて思うなあああああああああああっ!」
 一瞬で、アスカはそのA.T.フィールドを侵食、食い破ってしまった。
『弐号機、シンクロ率八二.五%!』
 ついに、八〇%の大台に乗った。それはメッツァの死が、アスカの心を昂ぶらせたことによる副次効果。
「怒っているのはアスカだけではない」
 続いて、ヴィリーの拾陸号機が使徒の後背に回る。
「俺の、唯一無二のパートナーを殺したお前を、絶対に許さん」
 ヴィリーはユース得点王となった右足で使徒を蹴り飛ばす。
『拾陸号機、シンクロ率三四.三%!』
 ここまでシンクロ率が高くなると霞んでしまうが、ヴィリーにとってはこれが初の三〇%台突入となった。
「私は別に、彼らを仲間とは思っていないが」
 その使徒は、ノアの方向に弾き飛ばされてきた。
「共に戦う『同朋』を倒されるのは、いい気持ちがするものではないな」
 そしてプログナイフをその使徒に突き刺す。
「くらえええええええええええっ!」
 動きの止まった使徒の頭に、弐号機の飛び膝蹴りが決まった。その頭部にヒビが入る。
「とどめは譲るわ、ヴィリー」
 そして、アスカがその使徒を捕まえてヴィリーの方に投げつける。
「ダンケシェーン」
 ヴィリーは構えて、接近する使徒の頭部を、飛び上がってボレーで蹴りつけた。
 そのヒビが無数に走る。そして、ヴィリーがその使徒を空中に放り投げた。
「仇はとったぞ、メッツァ」
 そして、空中の使徒に向かって、プログナイフを投げつけた。ヒビだらけになっていた使徒の頭部=コアが完全に砕かれた。
 直後、爆発。
 使徒の最後は、あがくこともできないほど、あっけないものだった。
『パターン青、完全に消滅しました』
 オペレーターの台詞にも、誰も喚声を上げることはない。
 それだけ、一人の適格者の死が、この空間を支配してしまっていた。
「こんな程度の相手に、俺たちは何をしていたんだ」
 ヴィリーの手が震えていた。
「こんな程度に弱らせるまで、こっちも消耗したっていうことよ」
 弐号機が近づいてきて、拾陸号機の肩に手を置く。
「だが、もっと俺たちが、いや、俺が強ければ」
「それはないものねだりよ、ヴィリー」
「分かっている。だが、メッツァは」
「メッツァは私を助けて死んでいった」
 アスカはきっぱりと、ヴィリーの前で宣言する。
「それは、私がこれから背負っていかなければいけないこと。アンタが背負うことじゃないわ」
「アスカ」
「私はまだ、戦闘を、使徒を甘く見ていた。エヴァの力とアタシの力とで、簡単に倒せるんじゃないかとうぬぼれてた。でも、クラインが傷つき、メッツァは私を庇って死んだ。戦いがこれだけ厳しいことを改めて思い知らされた。でもね、ヴィリー。私は同じ過ちはしないし、最後まで絶対に生き残って、必ず使徒を全滅させてやるって決めた」
 ヴィリーはそれでもなお、震えている。
「アンタはどうする?」
「決まっている」
 ヴィリーは上を向いた。
「メッツァはアスカと、この世界を守るために戦った。同じことが俺にできないはずがない」
「そうよね。メッツァのためにも、私たちは負けることも死ぬこともできないわ」
 そうして、二人の会話が終わった直後、ピンクの機体、拾捌号機が大地に倒れた。
「ちょ、アルト!」
「どうした!」
 二人がかけつけるが、相変わらず拾捌号機からは何の返答もない。
「司令! アルトが!」
『大丈夫だ。理由は分からないが、強制的にシンクロがカットされた。そろそろ限界時間だったしな。それを見越してのことだろう』
 確かに、拾捌号機だけが残り時間ぎりぎりのところで最後は戦っていた。おそらくもう十分ぎりぎりのところだったはずだ。
「私たちの残り時間は?」
『五分というところだ。拾捌号機を撤収しつつ、ケイジへ戻ってこれるか』
「ええ、大丈夫」
『よし、エヴァ全機、速やかに帰投せよ」
「了解」
「了解」
 アスカとヴィリーが答えて、二機で拾捌号機を担ぐ。
「それにしても、アルトはいまだに答えないけど、大丈夫かしら」
「さっきアスカが言った通り、また記憶にはないのではないか」
「ええ。そうじゃないかとは思ったけど」
 だからといって、いつまでもアルトがこのままでいいわけではない。メッツァも亡くなり、クラインも重傷となれば、アルトの力は今後絶対に必要になる。
「こうなったら、アルトのことはこれから何としてでも解決しなきゃいけないわね」
「同感だが、どうすればいい」
「知っている人から聞くしかないわ。これは最優先課題よ」
「了解だ」
 そうして二人はケイジへと戻った。






 二人が戻ってきたケイジは、まさに上へ下への大騒ぎだった。
 まずは拾漆号機に搭乗していたクラインだが、あれだけの熱光線を受けたにも関わらず、当然のように外傷はまったくなかった。実際に攻撃を受けるのではなく、エヴァが受けたダメージを神経パルスが傷みとして脳に直接伝える仕組みだけに、一見まったく怪我がないように見えるのがかえって恐ろしい。
「容態は?」
 医務室へと運ばれたクラインは既に救急処置が取られている。
「問題ない。精神的な疲労はあるが、二、三日もすれば大丈夫だろう」
 ミュラー司令官があっさりと答える。
「もしも同じ攻撃を受けたのがアスカ、お前だったら命はなかったかもしれん」
「アタシが?」
「言い方は悪いが、クラインを救ったのはクラインの『低い』シンクロ率だ。シンクロ率が仮に五〇%あったら、その痛みでショック死していた可能性が高い」
「おっかないわね。そう考えると、最初に出撃したのがクラインでよかったってことか」
「結果論ではそうなる。拾漆号機も機体そのものが修復不能というわけではない。問題は──」
「拾捌号機のアルトね」
 ミュラーが頷く。発令所のモニタの一つに、拾捌号機のエントリープラグの開扉作業が映されている。
「中からの反応は?」
「応答は全くない。ついでにパイロットの意識もない」
「無事なの?」
「生命反応は全く以上なしだ。分かりやすくいえば、熟睡しているようなものだな」
「はた迷惑な睡眠ね」
「まあ、今回に限っていえば、アルトによって全てが救われたと言ってもいい」
 アスカたち三人の攻撃は使徒に通じなかった。使徒を弱らせ、時間稼ぎができたのはすべてアルトのおかげだ。とどめを刺したのはアスカとヴィリーだったかもしれないが、この戦いでもっとも活躍した者を選ぶとすれば間違いなくアルトだ。アスカもヴィリーもまったく異存はなかった。
「開いたな」
 扉が開かれ、中からLCLが排水される。すぐに救助員が中に入って、プラグスーツ姿のアルトが外に出された。
「本当に意識を失っているみたいだな」
 ヴィリーが淡々と言う。
「使徒からの精神汚染があったわけじゃないのよね」
「そんなデータはMAGIには出ていないな」
「それなのに、アルトは完全に意識を失ってしまっている」
 アスカたちにその理由は分からない。だが、アルトの身に何かが起こっていることだけは間違いない事実だった。
 人工マッサージがされ、LCLを吐き出させると、ようやくアルトはうっすらと目を覚ました。
「ちょっと行ってくる」
「俺も行こう」
 アスカとヴィリーは駆け足で発令所まで向かう。到着したときには既に、アルトは自分の足でその場に立っていた。
「アルト!」
 そのアルトを大声で呼ぶ。
 アルトはぼんやりとしたまま、アスカの方を振り返った。
「アスカ、さん」
 近づいたアスカは、両手をアルトの頬に当て、至近距離でアルトの目を見つめる。
「無事ね」
「はい」
「何があったか、覚えてる?」
「すみません」
 少し目を伏せて答える。
 実際『アルト』は何も覚えていなかった。覚えていたのはエヴァに乗り込む時まで。
「アスカさんたちの時間を稼ごうと思ったんです。それで、自分からエヴァに乗り込みました。でも、エヴァに乗ってすぐになぜか気が遠くなって。ただ、使徒を倒したこと、と……」
 その、アルトの目から涙があふれてきた。
「メッツァが死んだことだけは、どうしてか分かっています」
「アルト」
「どんな風に戦ったのか、私は何も思い出せない。それなのに、メッツァが死んだという事実だけが知識みたいに頭の中にこびりついてる」
 だんだん顔がくしゃくしゃに歪んでいく。
「私の頭の中、いったいどうなってしまったの? アスカさん、使徒は本当に倒したんですか? メッツァは本当に死んだんですか?」
「本当よ」
 だが、アスカは目をそらさずに答える。
「メッツァは、私をかばって死んだわ。勇敢だった」
「そんな。メッツァ……」
「そしてアルト、アンタのおかげで私たちは使徒を倒せた」
「私の?」
「ええ。正確にはあなたじゃないわね。あなたが気を失っている間に動いていた拾捌号機のおかげで、ね。私たちがエヴァを使う時間を回復させてくれたし、使徒を弱らせてくれた。アンタがエヴァに乗り込まなかったら、アタシたちは全滅だった」
「そんな」
「事実よ。アルト、アンタが嘘を言っていないことは目を見れば分かる。でも、アンタの乗った拾捌号機がこのピンチを救ったのは事実なのよ」
「でも、メッツァは助けられなかった」
「逆よ。メッツァを助けたんじゃない。メッツァは私を助けてくれた。命がけで。アンタがどうこうできることじゃない。これは全部、アタシが一人で受け止めなければいけないこと」
 アスカはきっぱりと言い切る。
「誰も死なせるつもりなんかなかった。それでも死なせてしまったのはアタシが弱かったせいよ。でも、もう誰も死なせない。アンタも、ヴィリーも、クラインもね」
「アスカさん」
「とにかく、アンタが無事で本当によかった」
 そして、ようやくアスカは笑顔を浮かべてアルトを抱きしめた。
「命令よ。アタシの許可なくしなないこと。命令を破ったら許さないわよ」
「はい。絶対に守ります。私は、アスカさんのためにも絶対に死ねません」
「OK。でも、アンタにはやってもらうことがあるわ」
 アスカはアルトから離れた。
「アルト。アンタの体に起こっていることを、次の使徒と戦う前に解決する。そして今度こそ『紀瀬木アルト』としてエヴァを操縦してもらう。いいわね」
 それこそアルトの望みでもある。力強く頷いた。
「はい」
「いいわ。それじゃあ、一旦発令所に戻るわよ。世界各国の使徒の動きを確認するわ」
 そうして、アスカ、アルト、ヴィリーの三人は再び発令所に戻る。

 そこには既に、日本以外の全ての国の状況が出揃っていた。






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