エヴァンゲリオン弐拾伍号機が地上に立つ。上半身は白、右足が青、左足が赤という、フランスのトリコロールを意識したカラーリング。二色以上でカラーリングされているのはこのフランスの機体だけである。それだけ弐拾伍号機にフランスの期待の強さが表れている。
 エリーヌは別に色を気にしたことはないが、トリコロール自体は気に入っている。フランスの国旗はシンプルで、なおかつセンスがいい。
『聞こえるか、エリーヌ』
 発令所から通信が入る。
「はい」
『使徒が視界に入るまで、あと二分というところだ。最初の攻撃の仕方は分かっているか』
「ハンドガンで三連射した後、兵装ビルに隠れます。あとは敵の戦力を確認しつつ、移動しながら攻撃を繰り返します」
『それでいい。フランス軍も援護する』
「了解しました」
 通信が切れる。だが、果たしてその程度の攻撃でどこまで通用するのだろうか。自分たちは使徒の力を何も知らない。攻撃が届くのか、それとも通じないのか。通じないならどうすればいいのか。
 ドイツやイギリスからの支援は期待できない。何しろ、両国とも既に使徒との戦いに入っているからだ。つまり、フランスはこの手持ち一機のみで使徒と渡り合い、勝利しろというのだ。
(勝ち目はないわね)
 エリーヌは冷静だった。もし使徒を倒せなければ人類は滅亡するしかない。とすると、自分に期待されているのはたった一つだけだ。
(相打ち覚悟の自爆勝負か。自爆直前で脱出できるなんて、甘い希望は持たない方がいいわね)
 かつて二十億もの人間を、たった一週間、たった二体で消滅させた使徒。それと同じ力をもつものがこのフランスに上陸してくる。
(最低でも足止めができればいいわけよね)
 自分が使徒にダメージを与えてしばらく動けなくするだけでもいい。そうすればきっと、ドイツから援軍が来てくれる。
(ドイツが負けてたら? そんなのは考えるまでもないわね)
 もしそんなことがあれば、人類は終わりだ。
『目標視認まで、約一分前です』
 兵装ビルに隠れたまま、使徒が近づいてくる方を覗き見る。
(そういえば)
 ここ最近、あまり考えたこともなかったが。
(碇シンジも、今頃使徒と戦っているのかしらね)
 碇シンジならきっと大丈夫だろう。あの少年は頼りなさそうだが、最終的には生き残っていそうなタイプの人間だ。そして彼はきっと語り継ぐのだ。彼を助けた少女のことを。私の大切な親友のことを。
「私だって」
 エリーヌは『敵』を見据える。
「私だって、マリーのことを語り継ぐ。だから、絶対に死ねない」
 NはNERV。すなわち、敗北。











第佰玖拾壱話



消滅のN












 その『敵』は、すぐにマリーの視野に入ってきた。
 両腕と両足は貧弱そうに見えるのだが、肩の部分がやけに強化されている形状だった。顔はその肩というか胸の部分に完全に収まっており、薄い両腕は何段かに折りたたまれてからしたに垂れ下がっている。両足もあるのだが、歩いたり浮いたりしているのであまり必要性を感じない。色は全体に黒と白、部分的にオレンジ色も見える。そして、腹部にある赤い球体。
(あれが使徒)
 第一使徒と第二使徒は人間と同じように両腕と両足があった。そして確かにこの使徒も両腕と両足がある。が、それは第一使徒や第二使徒と比べると全く違う。これはもうただひたすらに不気味でしかなかった。
(あの赤いところが弱点かしらね)
 じっとその使徒を見ていると、不意に何か背筋を襲った。それは、強烈な悪意と殺気だった。何かを考えるというのではなく、一刻も早く逃げなければならないという衝動が、彼女をそこから跳び立たせていた。
 直後に、使徒の目が光った。光ると同時に、それまで彼女が隠れていた兵装ビルが光に包まれた。いや、使徒からその兵装ビルの方向へ光が照射され、全てを突き抜けてはるか後方まで延びていった。後には何も残っていなかった。そこだけが完全に抉り取られたようになっていた。
 上空に跳んで逃れたエリーヌは、自分の体が震えるのが分かった。
(勝てない)
 最初の一撃でそう分かってしまった。自分が何かすればどうにかなるというものではない。圧倒的な力の差。単純に考えて、赤ん坊がプロレスラーに勝てるわけがないのと同じ原理。これはもう、勝負にすらなっていない。
(でも、武器があれば倒すことだってできる)
 相手が強くて、自分が弱くても、武器はそれを補うためにある。
「くらえ!」
 上空からハンドガンを三射。全てA.T.フィールドに阻まれるが、そんなものは予想の範囲内。着地してすぐに右に動きながらハンドガンを連射。兵装ビルからパレットライフルを取り出し、移動しながらさらに撃ち続ける。
 それらの攻撃はすべてA.T.フィールドによって跳ね返されているのだが、その分析はMAGIがしっかりと行ってくれている。とにかく今は攻撃を繰り返して、少しでもMAGIが参考となるようなデータを作り続けるだけだ。
「これで、」
 次に兵装ビルから出てきたのはハンドバズーカ。
「どうだ!」
 砲身一つにつき弾薬一つ。一発撃っては次のハンドバズーカに持ち替え、使徒に対して砲撃を繰り返す。
 最後の一本を撃つと、新たに出てきた武器、スマッシュホークを手にする。
(接近戦?)
 さすがにあの化け物に接近するのはためらわれたが、その方がデータが取れるというのなら仕方がない。
(痛いことがありませんように!)
 斧を持って弐拾伍号機が馳せる。フランス軍からの支援で、無人機や兵装ビルからもミサイルが飛んでいく。だが、その爆発もまったく気にしない様子で、使徒はただ黙り続けている。
「くらえ!」
 エリーヌは両腕で斧を振り下ろす。それがA.T.フィールドに阻まれ、両腕、両肩に衝撃が走る。
「A.T.フィールド全開!」
 それを中和しようとするが、できない。エリーヌはA.T.フィールドの扱いが苦手だ。そして練習機会も多くはなかった。彼女にこの最強の使徒の防壁をくぐらせるのは荷が重過ぎた。
(でも、攻撃しなければ相手にダメージも与えられない)
 左手を離し、そのA.T.フィールドに触れる。触れて、そこから侵食を開始する。
 一度もやったことがない、それも明らかに苦手分野のことで、成功するはずもない。だが、彼女はこの使徒のデータを取ることが役割だ。そして少しでもこの使徒を攻略するための糸口を見つけなければならない。
 侵食しようとして、すぐにはじき出され、また侵食。その繰り返し。
 一瞬、使徒のA.T.フィールドが弱まった。このまま進めばきっとフィールドをぬけることができる。そう思った瞬間、エリーヌに鳥肌が立った。

 このままでは危険だ、すぐに退避しなければ。

 思うより先に体が動いていた。スマッシュホークも投げ捨てて、可能な限り全力で後ろに逃げた。その、弐拾伍号機のいた場所に、A.T.フィールドで作られた巨大な塊が降ってきて、大地にクレーターを作っていた。
「何、今の」
 戦闘中だったが、あまりのことに呆然としてしまっていた。今のは間違いなくA.T.フィールドだ。本来は絶対拒絶の盾として使う道具が、その形を変えて武器になって襲い掛かってきた。  ネルフからすぐに分析結果が届く。間違いなくA.T.フィールドだ。つまり、使徒はA.T.フィールドを二つ同時に展開していたということになる。
(いえ、違うわね。おそらく使徒のA.T.フィールドというのはいくつも作れるというのではなくて、量としてどれだけのフィールドを展開できるか、ということなのね)
 使徒が攻撃をしかけた瞬間、A.T.フィールドが弱まった。つまり、それまで盾に百の力を使っていたが、攻撃をしかけるために武器に五十、盾に五十と分散してしまったのだろう。だから侵食がしやすくなった。
(私もできるのかな。無理か、一枚だって作るの大変なのに)
 だが、相変わらず自分の『勘』は冴えている。自分の身に危険が及ぼうとするとき、それは直感で何となく分かってしまう。
 その自分の『勘』が言っている。たとえ何をしようと、どうあがいても、この敵にはかなわない、と。
(だからって逃げられるならすぐにでも逃げ出すんだけど)
 自分が逃げることなど誰も許してはくれないだろうし、逃げても殺される、戦っても殺されるのなら、せめて後悔をしない選択をしたい。
 そして、自分の戦いが、次の戦いにつながっていくのなら、それに越したことはない。
(碇、シンジ)
 あの、優しそうな少年の顔を思い浮かべる。
(私のことも、思い出してくれると嬉しいな)
 兵装ビルから次の武器、ソニックグレイヴが出てきて、それを無造作につかむ。
(A.T.フィールドの『量』的問題については、誰かが解決策を考えてくれるだろう)
 もちろん今すぐではない。だが、誰かがこの使徒の攻略法を考えてくれるはずだ。
(そして、使徒を倒すために、少しでも弱点を見つけることができれば)
 弱点らしきものは、あの赤い球。もしもあれが使徒の『コア』に当たる部分だとすれば、あの使徒は弱点をむき出しにしながら戦っていることになるが。
 そのためにはあのA.T.フィールドをかいくぐらなければならない。一番の問題はそこにある。
 使徒に対してフランス軍が次々に爆撃を行う。その爆炎に紛れて接近。使徒はただそこにいるだけで、A.T.フィールド塊をぶつけるだけで、次々に無人機を爆破していく。
『聞こえるか、エリーヌ』
「はい」
『N2を投下する。どうすればいいか分かるか』
 それはこの戦いが始まる以前から検討されていた作戦だ。N2は巨大な爆発を起こすので、中心部から外側に向かって爆風が生じる。が、それが済むと真空状態になった中心部に向かって急激に風が吹き込む。その勢いを利用して一気に接近する。
「了解しました。タイミングをはかります」
『健闘を祈る』
 通信が切れた。もしもこれで失敗したなら、他に傷をつける方法などないだろう。
(狙いは、あの赤い球体)
 地面に両手をついて伏せる。直後に、N2の爆発が起こる。
(まずは、最初の爆風に耐える)
 正面から強烈な風。地面にへばりついて、その風をしのぎ切る。そして──
「行きます!」
 背後からの逆風に乗って、エヴァの最大速度をはるかに上回るスピードで一気に接近する。A.T.フィールドはない。いける!
(タイミングを間違えないで)
 両手に持ったプログナイフを、コアめがけて突き出す。
 だが、プログナイフがコアに触れる直前、そのコアの目の前でシャッターが下りたようになった。ガードされたのだ。
「嘘」
 両腕に強い衝撃。そして、プログナイフが砕け散る。人類が生み出した最高の武器が、シャッターの前にあっけなく破壊されてしまった。
 そして、使徒の折りたたまれた左手が、包帯のように弐拾伍号機に巻き付いていく。
「くっ」
 逃れようとしても、もう遅い。使徒の前で、両腕を封じられたまま縛られた弐拾伍号機。そして、今度は右腕がエヴァに向けられる。
『まずい、シンクロカット!』
 司令部から声が放たれる。だが、遅い。
 エリーヌは、自分のクビに衝撃を感じた。使徒の鋭利な右腕の刃が、弐拾伍号機を刎ね飛ばしていた。
 彼女はそのまま意識を失った。






 だが、彼女は死ななかった。目を覚ましたとき、彼女はまだエントリープラグの中にいた。
 頭がぼんやりとしていて、うまく働かない。何か悪い夢を見ていたような気がしたが、徐々に覚醒していくにつれて、彼女の目が驚愕で見開かれた。
「使徒──っく!」
 クビが痛い。いや、本来は自分の痛みではない。エヴァが受けた痛み。エヴァを通して自分が感じた痛み。クビを刎ねられたショックで気を失ってしまったが、自分は生きている。こうしてまだ生き延びている。
 生きているなら戦える。もちろん、もう弐拾伍号機は駄目だろう。クビをとばされたのでは、もうどうにもならない。
 だが、それなら自分はどうしてまだ生きている?
「応答願います。発令所、応答願います」
 だが、エネルギーが切れているのか、まったく応答がない。あれからどれくらい時間がたったのか、ネルフや戦場がどうなったのか、まったく分からない。
 このままこうしていても仕方がない。幻想の痛みに耐えながら、エリーヌはハッチに手をかけた。内側から開いて外に出ればいい。
 かなりきつく締められていたのか、弱っている自分の力では簡単には開けられなかった。時間をかけて少しずつ開き、やがて一気に扉が開いた。外の空気が入ってきて、空の暗さとたくさんの星が彼女の目に入った。既に時間は夜になっていた。
 彼女は外に出た。
「どこよ、ここ」
 月明かりに照らされたその場所は、見渡す限りの荒野だった。
 もちろん自分はこんなところで戦ってなどいない。自分の戦場はネルフ近隣だった。いったい自分はいつの間にどこまで連れてこられたのか。

 心臓の鼓動が速くなった──違う──。

 自分が入っていたエントリープラグは間違いなく弐拾伍号機のもの。だが、そのエントリープラグは荒野の中にぽつんと置かれていて、弐拾伍号機の姿はどこにもなかった。プラグだけ、どこかに運ばれてきたのだろうか。

 また、心臓が強く拍動した──違う──。

 エリーヌはプラグから地面に降り立つ。完全な荒野かと思ったが、そうではない。何か建物の欠片のようなものはあちこちに散らばっていた。
 そして、海や山、遠くの景色には見覚えがあった。これはいつもの、ネルフ傍から見る眺めだ。
「嘘よ」
 エリーヌは声を絞り出す。そして駆け出す。
 どこまで行っても、走っても、どこにも建物の影は見えない。いや、ところどころに瓦礫は存在したが、それもごく一部。

 まさか。
 まさかもう、世界は。

 最悪の想像をした瞬間、彼女の通信機が鳴った。
「こちら、エリーヌ」
 震える声で通信に出た。
『エリーヌ! 無事なのか!?』
 それは。
 自分の、たった一人の親友の声だった。
「サヤカ」
『よかった。お前だけでも助かってくれて、本当に良かった』
「サヤカ。ここはどこなの? 戦いはどうなったの? 世界はどうなってしまったの?」
『説明する。今、お前を捕捉した。すぐにそこへ行く』
 言っているそばから、ヘリコプターの音が近づいてきた。ヘリコプターの照明が自分に向けられる。
「サヤカ」
『ああ。そのヘリコプターが今私の乗っているものだ。今着陸する』
 ゆっくりと降りてきたヘリコプター。着陸してすぐに扉が開き、そこから頼りになる親友の姿が現れる。
「サヤカ!」
「よくがんばったな、エリーヌ」
 サヤカは近づくなりエリーヌの体を強く抱きしめた。安心したせいか、エリーヌは涙腺が緩む。
「ええ。でも、先に教えて、サヤカ。いったい、戦いはどうなったの?」
「使徒は消えた。今、ここにはいない」
「ここには?」
「そうだ。落ち着いて聞いてくれ。使徒はお前を倒した後、あたり一帯を完全に破壊し、フランス支部すらも完全に消滅させた」
「そんな」
「それから消えた。いったいどういうつもりか全く分からなかったが、さっき使徒の親玉から全世界に向けた放送があった。それによると使徒とエヴァンゲリオンの戦いはまだ続くみたいだ」
 よく分からないが、いずれにしてもフランスでの戦いは終了したということか。
「私は負けたのね」
「ああ。だが、お前の戦った結果はすべて他の国に伝わっている。お前の戦った結果が、必ず使徒殲滅に役立つ。だから、胸を張れ」
「この状況で、胸を張れというの!?」
 一面の荒野。そこはすべて、一日前までは人が生活していた場所。
「私はまるで歯が立たなかった。それなのに──」
「落ち着け、エリーヌ」
「これが落ち着いていられると思うの!」
 エリーヌは絶叫した。
「私のせいで、私が弱かったせいで、みんな死んだ!」
「お前のせいじゃない」
「私のせいよ! 私に力があれば、私に使徒を倒す力さえあれば!」
 エリーヌの絶叫に対して、サヤカはただ強くエリーヌを抱きしめた。
「そう思うのなら、強くなればいい」
 サヤカは、淡々と言葉を紡いだ。
「今度は使徒を倒せるくらいに強くなって、今度こそお前が使徒を倒せばいい」
 エリーヌはただ嗚咽をもらした。
「私、どうすればいいの、サヤカ」
「いずれにしても、この場所にいたところでどうにもならない。ドイツに向かうぞ。話はついている」
 完全に気を落とした表情で、エリーヌはサヤカに連れられてヘリコプターへと乗り込む。二人を載せたヘリは上空に舞い上がると、そのまま何もなくなった戦場を離れていく。

 その荒野は、かつてネルフがあった場所。そして、今はもう何もない場所。






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