私はずっと一人だった。
 生まれてからずっと、誰も近くにはいなかった。
 同年代の子たちは誰もが幼稚で、大人たちはみんな自分を子供扱いする。自分より頭が悪いくせに。
 この世界にいる人間は、みんなおもちゃの兵隊のようにしか見えなかった。

 ある日、自分の目の前に現れた少女は、自分の世界を一新させた。
 自分と同じか、それ以上に才能のある少女。
 それが自分と同い年というのだから、自分の胸は高鳴った。
 それなのに彼女は自分のことなどまったく見向きもしなかった。

「あなたなんて、私と同等ではないのよ」

 いつもそう言われ続けている気がした。
 だから彼女に気に入られるように努力した。彼女の求めるような自分になるよう心がけた。
 まさに、世界が一新した。
 自分が変わると回りも変わるもので、それまで見下していた相手とも普通につきあえるようになった。
 もう、彼らをおもちゃの兵隊とは思わなくなった。
 そうして自分が変わったと思った日、彼女はいなくなってしまった。

 今の自分は彼女のおかげで存在できている。
 だが、彼女にしてみると、自分の存在など路傍の石と変わらなかったのだろう。
 Oはopportunity。すなわち、好機。











第佰玖拾弐話



激情のO












「何をぼうっとしている、サラ」
 休憩室で物思いにふけっていると、ランクB適格者のエドワードが話しかけてきた。
 彼はサラより一つ年下で、格闘ランクは文句なしのSランクがつくのだが、いかんせんシンクロ率が上がらないので、ずっとランクBにとどまっているという少年だった。
「何でもないわ。ちょっと考え事」
「そうか」
 心配しているのかそうでないのかよくわからない。だが、彼は自分のことを恋愛感情をぬきにして、気に入ってくれているのだろう。自分も同じだった。彼は余計なことをしないし、聞かない。この適度な距離感が気に入っている。
「やる」
 そう言ってエドワードはジュースを放った。
「ありがとう。どうしたの、突然」
「疲れているときは糖分を補給するべきだ」
 よく見るとボトルには果汁百%と書いてある。なるほど、たしかに果糖は疲労によくきく。
「俺はお前に何があったかは知らない」
 正面に立つ少年は、自分よりはるかに絶世の美人。これで男の子だというのだから腹が立つところもある。
「だが、友人が悩んでいるのなら、助けてやりたいと思う」
「友人?」
「違うのか?」
 少し前の自分なら、鼻で笑い飛ばしていただろう。だが、彼女の出会い、成長した今の自分にはそれが自然と受け入れられる。
 しかも、このエドワードという少年はただ力があるだけではない。頭もよく回るし、度胸もある。自分がひそかに(?)慕っている碇シンジと比べてもまったく見劣りしない。いや、エドワードの方がずっと男らしいというべきだろう。
「違わないけど。私、友達少ないから、そういうの言われなれてないだけ」
「だろうな。よくわかる」
「ひどいわね」
 思わず笑ってしまった。これも和ませてくれているということなのだろうか。
 その後は何も言葉が続かなかった。話すこともなければ自分たちはいつもこのような感じだ。お互いのすることに口を挟むことはない。
 だが、今日だけは違った。
「昔、友達がいたの」
 エドワードは何も言わない。ただ、そばにいて話を聞くだけ。
「私にとってかけがえのない、誰よりも大切な人がいたのよ」






 子供のころからの話をエドワードに聞かせ終わると、彼はため息をついて言った。
「お前は本当に人付き合いが苦手なんだな」
「なによう」
「母親を亡くした、それも半分以上お前の指示で命を奪っておいて、それでお前はまだ友達づきあいをしたいというのか? 普通に考えてありえないだろう、それは」
「で、でも! 私、サクラのお母さんを殺せなんて指示してないし!」
 そう。
 突然の報告に驚いたのはサラも同じだった。彼女はイギリス政府に対してテロ活動を続ける組織に、イギリス軍の情報を売った。それは重罪で、懲役二十年以上の罰が与えられるのは確定していた。
 だが、決して殺すことはできなかった。何しろサクラの母は、敵対組織の情報を持っている。彼女を捕まえれば敵対組織は一網打尽だ。
 それなのに届いた報告は、抵抗したため殺害、という結果のみ。遺体は運ばれてくる前に処分されたらしい。
 偽装工作でもされたのではないかと思ったが、サラの部下が処分まで立ち会ってきたというのだから、間違いはないのだろう。
「結果的に死ねば同じだろう。俺がサクラの立場なら、間違いなくお前の喉笛を噛み切っている」
「獣みたいね」
「だが、それくらいに憎まれても仕方がないということだ。それでお前はどうしたいんだ。仲直りがしたいのか」
「そうね」
 仲直り、というのだろうか、これは。だが、彼女の求めていることはたぶん、
「そんなものじゃないと思う」
「詳しく」
「だって彼女、私のことを友達だと思ってくれてなかったもの」
 冷静に考えればわかること。彼女は一度として自分に相談などしたことはなかった。いつでも一人で考えて、いつでも一人で解決していた。自分とまったく同じ存在でありながら、自分とまったく違うやり方を常に行い続けていた彼女。
「つまり一方的な片思いか」
「そうよ!」
 断定されると腹が立つ。
「聞いたことはあるのか?」
「え?」
「自分のことをどう思っているか、と聞いたことはあるのか?」
「そりゃ、聞いたわよ。何回も。でも、いつだってあの子は私のことを憎んでいる、絶対に許さないとしか言わないわ」
「それ以前は?」
「それ以前って」
「お前がSSにいたころだ。そのころにサクラがお前のことをどう評価していたのか、覚えていないのか?」
「そんな話、したことないもの」
「それならお前の考えはただの憶測だ。案外に両思いだったかもしれないぞ」
 淡々とした口調だった。
「そんなの、ありえない」
「どうしてだ? お前の話を聞いていたら、相手のサクラという女の子もお前のことを悪く思っているようなところはなかっただろう。それに、今お前のことを憎んでいるというのは、自分が信頼していると思っていた相手に裏切られたと思っているんじゃないのか」
「信頼?」
「そうだ。かつてSSで共に学び、唯一共感を抱いた相手。それが自分の母親を殺した、その指示を出していたと聞けば、冷静でいられないのは当然だろう」
 それはそうだ。理屈は自分でもわかる。
 だが、あのサクラが本当に自分に共感などしていたのだろうか? あれほど高潔で、孤独にたった一人で世界に立ち向かっていこうとする姿を自分は忘れない。自分は、この世界にたった一人で孤独だと嘆くだけで、その世界を壊そうとなど考えなかった。でも彼女は違う。
 サクラは自分を軽蔑していたのではないか? かつて自分が周りを見下していたように、彼女もまた自分を見下していたのではないか?
「確かめてみればいい」
 エドワードがなんでもないことのように言う。
「どうやって?」
「本人に聞く。一番手っ取り早いだろう。それに、お前に似合っている」
「私に」
「そうだ。お前は他人の迷惑など考えずに自分で動く方が似合っている。他人に遠慮して引っ込むなどお前らしくない。お前はお前らしくしているときが、一番いいんだ」
「何それ。私がまるで物分りの悪い子供みたいじゃない」
「そのままだろう。でも、勘違いするなよ。お前にはそれが似合っているんだ。俺はお前がそうしている方がいいと思う」
「エドワード、私のこと馬鹿にしてる?」
「いいや。素直な感想だ」
 そう。彼はいつも自分の思ったことだけを話し、何かに包んで話すことをしない。その直接的な物言いのおかげで、誰からも敬遠されている。唯一まともに付き合っていられるのがサラくらいなのだ。
「でも、いいわ。ありがと。ちょっと吹っ切れた」
 サラはいつもの自信満々の笑顔に戻った。
「うじうじ悩むより、あたって砕けろよね」
「本当に砕けるなよ」
「そこで勢いを削ぐようなこと言わないの!」
 ふふっ、とサラが笑う。そうだ。悩んでいても仕方のないことだ。話をしなければ前進も後退もしないのだから。
 そのときだった。

【EMERGENCY! EMERGENCY!】

 ネルフの緊急警報。この警報が出るということが何を意味するか、そんなことは二人にはよくわかっていることだった。
「使徒、か」
 冷静にエドワードが言う。
「タイミング悪いなあ。人がせっかく覚悟を決めたときに」
「そうだな。邪魔くさいからさっさと蹴散らしてしまえ」
 エドワードが何でもないことのように言う。その冷静さに思わず笑ってしまった。
「怖くないの?」
「なぜ怖がる必要がある? お前が使徒を倒すのに」
 それは、もう確定していることを告げるいつもの彼の様子だ。その口調と態度が、自分に安心と勇気をもたらす。
「かっこいいぞ、エドワード」
「そうか。いつもよくかわいいと言われて困っているんだが」
「ああ、それは同感。どう見ても私よりかわいい」
「ふざけろ」
 だが、特段困ったような様子を見せないのも彼だ。こんなことでいちいち怒っていては疲れてしまうのだろう。
「行くぞ、サラ」
「ええ」
 そして二人は発令所へ向けて走り始めた。他のランクB適格者たちも途中で合流してくる。
 発令所につくと、メインスクリーンに映し出された映像を見て全員が声を失う。
(半魚人?)
 まさにそんな形であった。魚に両腕と両足がついて地上に立っている。体だけではなく腕や足にも大量の鱗。普通の魚と違って厚みがある。
「これが、使徒」
 その使徒の腕が振り切られると、その先にあった建物が倒壊する。近づいてくる戦闘機も腕を振るだけなのにまったく触れてもいないのに、爆発していく。
「どういう仕組み? 熱量とかは」
 オペレーターの算出では熱量も光量も一切感知できていなかった。ということはあれはおそらく、
「A.T.フィールドの応用、ね」
 おそらくはA.T.フィールドを盾としてではなく、攻撃用の道具として使っているのだろう。考えたこともなかったが、実際に使っているのだから可能ということだ。
「たいしたものね、使徒っていうのは」
 だが、使徒にできるのならエヴァンゲリオンでもできるはず。すぐに試してみたいところだが、いかんせん命をかけた真剣勝負だ。
「使徒はどこに出てきたの?」
「それが、ここからは少し遠くてな」
 発令所チーフが困ったように言う。
「北アイルランドに突如出現した」
「北アイルランド?」
 それは、RIRAの活動拠点のある場所だ。そして、かつてサクラの母がイギリスの重要機密文書を盗み出したために紛争が激化し、十万人の死者を出した場所でもある。
(偶然?)
 サクラの母が盗み出した文書とは何だったのか。そういえば、

 自分は、サクラの母を捕まえなければならない理由を、聞かされていなかった。

(こんな偶然があっていいものなの)
 サクラの母が盗んだという文書。
 そして使徒が現れたという場所。
 それがどうしていずれも、北アイルランドに関係しているというのか。
(偶然という言葉で片付けていいの)
 二度までなら偶然で許される。確かにこれも偶然で片付けていいのかもしれない。
 だが、自分の人生を鑑みると、とても偶然とは思えなかった。
「エドワード、お願いがあるのだけど」
 誰にも聞かれないように、サラは小声で言った。
「なに?」
「サクラの母が盗んだという機密文書、いったい何が書かれているものだったのか、調べることはできる?」
 エドワードは顔をしかめた。
「俺の専門分野じゃないな」
「そうよね、ごめんなさい」
「いや、専門の人間に頼ればいいだけのことだ。何とかしてみる」
 本当に頼りになる年下だった。
「それでは、サラ・セイクリッドハートはただちに戦闘準備。高速戦闘機で現地まで移動する」
「イエッサー!」
 こうして、サラ・セイクリッドハートのデビュー戦が始まろうとしていた。






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