水圧:水中に存在する物体は、物体と水面との間にある水の重量によって圧力がかかる。この圧力、すなわち水圧は測定する物質と水面との距離に比例する。詳しい計算式を省くと、ほぼ水深十メートルごとに一気圧増える計算となる。したがって、水深一五〇〇メートル地点の水圧はほぼ百五十気圧に相当する。当然ながら、このような場所における生物の活動はきわめて困難といわざるをえない。深海魚などはこの場所でも生活をしているが、哺乳類の活動は不可能と考えられる。体内に空洞がある場合、内外の圧力差で圧壊してしまうためである。
Vはvictory。すなわち、勝利。
第佰玖拾参話
逆転のV
北アイルランド、コールレーン北部に上陸した使徒は、瞬く間に都市を壊滅させ、さらに東へと進んでいった。
他の国にも使徒が現れたということは既に聞いていた。だが、他の使徒と違い、イギリスに現れた使徒はネルフ支部を襲いにきたわけではなく、まったく別の地域に現れたことになる。
「まったく、こんな僻地で暴れてないで、さっさとネルフまで来ればいつでも相手してあげるのに」
サラは上空から使徒を見下ろす。もちろん使徒も戦闘機のことを既に視認しているだろうが、いかんせんまだ距離がある。
半漁人型の使徒は鱗のついた腕を振り回し、そのたびにあちこちの建造物が爆発していく。しっかりと見ることはできないが、A.T.フィールドによる攻撃なのは間違いないようだった。
「いくわよ、使徒!」
エヴァンゲリオン弐拾壱号機、起動。純白のボディ、中世騎士風の姿をしたエヴァがはるか上空から使徒目掛けて戦闘機を飛び降りる。このままいけば自由落下の衝撃で自分もただではすまない。だが、これが一番破壊力のある攻撃だった。
「軌道修正」
確実に使徒とぶつかるコースへと入る。手にはプログレッシブナイフ。
「くらえええええっ!」
その使徒目掛けて、落下しながらナイフを突き出す。が、もちろん使徒も馬鹿ではない。A.T.フィールドを防御用に展開、自分の身を守りにきた。
「あまーいっ!」
上空から落ちてきたエヴァもまたA.T.フィールドを展開する。フィールド同士が衝突し、激しくスパークを起こして消滅した。
「くらえっ!」
A.T.フィールドが消えた瞬間ならば、使徒も続けて展開することは難しいはずだ。少なくともエヴァでは簡単にできない。落下の勢いそのままに、使徒の体にプログナイフが刺さった。
「まずは、一撃!」
A.T.フィールド衝突の衝撃、さらには使徒に一撃を与えた衝撃。それらが両腕を通して自分の体に伝わる。どこかの筋肉が断裂したかのような鋭い痛み。
「続いて、二撃目!」
半漁人の頭をつかむと、その頭に膝を打ち込む。
「あはは、使徒にはけっこう肉弾戦がきくのかも」
そして傷む肘を後頭部に打つ。使徒は悲鳴を上げてエヴァから遠ざかった。
「逃がすかっ!」
ここは確実に押せ押せムードだ。相手がひるんでいる隙に一気にカタをつけた方がいい。プログナイフを握りなおして間合いを取らせないように詰める。
「くらえっ!」
使徒の大きな目を狙ってプログナイフを繰り出す。その左目に突き刺さり、使徒がまたしても悲鳴を上げた。
(いける!)
さらに踏み込んで肉弾戦に持ち込もうとした、その瞬間、強大なA.T.フィールドが展開されてエヴァが弾き飛ばされる。
「くっ!」
白い機体が体勢を立て直す。が、そのとき既に使徒は自らをA.T.フィールドで覆い、防御体勢に入っていた。体を小さく丸め、そして徐々に体が変形していく。やがて、ラグビーボールのような、手足のない楕円形となった。
「完全に守りに入られたわね」
ああして、今の戦いで受けた傷を癒しているということなのだろうか。しかし、A.T.フィールドをここまで見事にはられると、はたして攻略可能なのか。
『サラ。一度退け。N2で攻撃する』
「了解」
サラは使徒の射程圏外に退いて、一度シンクロをカットした。エヴァの制限時間は十分しかない。こちらも時間を蓄えておく必要がある。
そこでN2による攻撃が行われた。しかし、A.T.フィールドに覆われた使徒は完全に無傷。身動ぎもしなかった。
(やっぱりA.T.フィールドを中和、浸食しないと駄目ね)
とはいえ、肉眼ではっきりと見えるほどのA.T.フィールドだ。ドイツで行った訓練でもあそこまで見事なA.T.フィールドを見たことはない。それを中和するとなるとどれほどの労力だろう。
(使徒が防御を解いてもう一度攻撃に転じてくれるのを待つしかないのかな)
完全な楕円形となった使徒がどうやって修復しているのかは分からない。だが、MAGIはその状況からも試算を行っていた。
『予想修復時間は三時間と二分だ。技術班をそちらに向かわせている。到着次第お前も休息を取っておけ』
「ラジャー」
休息を取るといっても、こんな片田舎では休める場所があるわけでもない。だが、エヴァに乗ったままでは確かに窮屈でよくない。使徒が活動再開してあのA.T.フィールドを収めてくれるまでは、ゆっくりするとしよう。
そうしてサラがエヴァから出ることができたのは二十分後。技術班がただちにエヴァの整備に入り、サラは一緒に運ばれてきたバナナをほおばる。体力維持も適格者の務めだ。
「サラ」
と、そこに声をかけてきたのはランクB適格者のエドワード。
「あら、あなたも来たの」
「ああ。他の国の状況を確認していて、奇妙な符号に気がついたからな。直接伝えた方がいいかと思った」
エドワードはぶっきらぼうに言うが、これは別に機嫌が悪いわけではなく、いつもこんな調子なだけだ。
「何に気づいたの?」
「オーストラリアだ。使徒の出現場所を確認したところ、ボールズ・ピラミッドだったということだ」
「ボールズ・ピラミッド? 世界自然遺産の?」
「ああ。それにギリシャに現れた使徒はデロス島。これも世界文化遺産」
「遺産つながり?」
「そうだ。そして、ここから東に向かうと何がある」
サラの表情が曇った。
「ジャイアンツ・コーズウェイ」
「そうだ。北アイルランドが誇る世界自然遺産。使徒が現れた場所のうち、三箇所が世界遺産に関わっている。果たしてこれが偶然かどうなのか」
「他の場所は?」
「詳しい情報が入ってきていないところは分からん。日本はネルフ本部に直接来たそうだし、フランスと中国は状況が分からない。ロシアはネルフ支部の方に使徒がやってきたそうだが」
「ロシア支部のあるサンクトペテルブルク自体が世界文化遺産よ!」
「ああ、そうか。すっかり失念していた」
この少年は自分で法則を見つけておきながら、意外なところで無頓着だった。
「いや、すまない。ネルフそのものが遺産の中にあるということが頭になかった」
「それはいいわよ。でも、いったいどういうこと、この符合は」
「使徒が、あえて世界遺産を狙っている、ということは考えられるか」
「何のために? そんなの、まったく分からない──」
いや、違う。きっと関連性はある。その理由にあたる情報が足りないだけだ。
だとしたらその情報はきっと。
「そう、そういうことなの」
その情報はきっと、サクラの母がつかんだのだ。
「エドワード。さっきの件、急ぐわ」
「さっきの? 機密文書の件か?」
「ええ。もしかしたら、使徒のことについて何か分かるかもしれない」
十万人もの犠牲を出す結果につながることを承知で、サクラの母は機密文書を盗んだ。おそらく、ここに使徒が現れることをサクラの母は知っていたのだ。
「わかった。すぐに相手と連絡を取るので、先に戻っている。後でネルフで報告する」
「ええ。お願いね」
そうしてエドワードが離れていく。それにしても、とサラは苦笑する。『後でネルフで』などと言っておいて、自分が死んだとしたらどうするつもりなのか。
(信頼されているってことかしらね)
そうしてわずかな休息時間が終了し、サラは再びエヴァに乗り込む。
(さあ、今度こそ勝負よ、使徒)
使徒が活動を停止してから三時間が経過する。
そして、使徒の活動が再開した。A.T.フィールドをおさめると、楕円形だった使徒が再び半魚人に戻ったかと思うと、手足をそのままに空中を泳ぎ始めた。
「うわ、シュール」
使徒はまっすぐ東、すなわち自分の方に向かってきた。いや、違う。正確にはその向こうにあるジャイアンツ・コーズウェイ。
「どうしてそこを目指すのか知らないけど」
エヴァンゲリオン弐拾壱号機も起動する。
「ここを通すわけにはいかないわよ!」
A.T.フィールドを展開して使徒の侵攻を食い止める。だが、使徒は何度もそのA.T.フィールドに体当たりをして突き崩そうとしてくる。
「いまだ!」
飛び上がったサラは、その使徒の背中に飛び乗った。
「このおっ!」
両手で鱗を一枚剥ぐ。そして、むき出しになった胴体にプログナイフを突き刺す。悲鳴を上げた使徒が暴れるが、振り落とされないように背びれにしがみつく。
「ちょっと黙ってなさい!」
と、さらにもう一本のプログナイフを取り出すと、鱗と鱗の隙間に刃を立てて、一気に突き刺す。使徒の悲鳴がまたしても上がった。
「この調子で──」
と、鱗をはがそうとしたところで、使徒は垂直に向きを変えて、上空高くに舞い上がった。そして、背中を地面に向けるとその力が抜ける。
(自由落下!)
押しつぶす気だ。まずい、と判断したサラは使徒の背中から離れる。が、使徒もそこは逃さない。空中を泳いで近づくと、エヴァに噛み付いてくる。その歯を避けようとしたが、エヴァの左肩に食い込んだ。
「!!!!!!!」
こちらは悲鳴にならなかった。叫ぼうとしても声が出てこない。それほどの激痛。
「……!」
が、なんとか両足で踏みとどまると、空いている右手で使徒の胴体を殴りつけた。ごぼっ、と使徒の体内で水が動くような音がして、使徒の歯が離れる。
完全に噛み千切られる前だった。エヴァには穴が開いていた。
(油断、じゃないわね)
こちらは作戦通りに戦った。油断など一切していなかった。使徒がこちらの予想を上回る動きを見せただけ。
(こっちは片腕が動かない。これでどうやって戦えばいいのかしら)
脂汗が出ているのが分かった。こちらの状況は相当まずい。使徒もダメージは受けているが、こちらほどではないだろう。
(三本目)
ウェポンラックに大量に仕込んでいるプログナイフを取り出す。何とかダメージを与えなければ。いや、
(そう、弱点。コア。それを見つけなければ)
少なくとも使徒の表面には見当たらない。ということは内部。
(特攻なんて、それこそサクラじゃあるまいし)
日本にいる唯一の『友人』の顔を思い出す。
(サクラ。もし私が死んだら、あなたは悲しんでくれる? それとも、喜ぶのかしら)
自分はずっと彼女が好きだった。彼女と一緒にいるのが楽しかった。彼女と一緒にいられるのなら、何を犠牲にしてもかまわなかった。
もし、あのとき、彼女が自分を誘ってくれたなら、自分は喜んで彼女についていっただろう!
「サクラの──」
両足に溜めを作る。
「──ばかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
特攻。エヴァが馳せ、使徒との距離を詰める。もはやA.T.フィールドはお互いに必要ない。肉弾戦だ。
使徒の両腕がエヴァの両腕をつかんだ。左肩に激痛。右手のナイフは落としてしまった。
(駄目か)
負けた。
自分は、使徒に、負けた。
使徒の口が大きく開いて、自分を頭ごと噛み砕こうとしている。
(サクラ)
その暗黒の空間の中に、友人の顔を思い浮かべる。
(ごめんね)
そして、絶望に包まれて彼女の前に闇が広がり──
ゴギャアアアアアアアアアアアアアアッ!
その口から、巨大な悲鳴が生まれていた。鼓膜が傷んだ。
「な、なに」
気がつくと、自分の両腕は自由になっていた。そして、彼女と使徒との間にできた隙間に割り込んでくる『赤い影』。
「ふう、間一髪だったわね。よく持ちこたえたわね、サラ」
その機体を知らないはずがない。全世界の適格者たちが憧れる、世界で最高のパイロットが駆る機体。
「弐号機……」
「何を呆けているのよ、サラ。早くナイフを拾いなさい!」
「アスカ? どうして!」
「早く!」
急かされるようにして、サラはナイフを拾った。その間にも、距離をおいた使徒が再び体当たりをしてくる。
「A.T.フィールド、全開!」
それを弐号機のA.T.フィールドが阻む。自分のときと違って、身動ぎもしなかった。
「まだ戦えるわね、サラ」
「ええ、もちろん。でも、どうしてあなたが」
「決まってるでしょ。ドイツの戦いはとっくに終わったの。それで他の様子を確認したら、イギリスだけ三時間も休憩してるっていうから、戦闘機でここまで駆けつけたのよ」
「助けに来てくれたの?」
「あんたを助けたのはついでよ。アタシは今、とにかくこいつらをぶっ殺したくてたまんないのよ!」
フィールドを解くと、カウンターで弐号機が殴りつける。そしてナイフを手にすると使徒の左腕に組み付いて、ナイフを鱗の裂け目にねじ込む。そのまま、回転。暴れる使徒にかまわず、そのまま左腕をねじ切った。
「強い」
「当然でしょ。こっちはエースパイロットなんだから!」
そのねじきった左腕の付け根にナイフを突き刺す。使徒の咆哮が木霊する。
「なによコイツ。ドイツに来たやつより全然弱っちいじゃない」
そのせいで、ドイツではメッツァを失った。
「さーって、お楽しみはこれからよ」
アスカは腰につけていた何かを手にする。プログナイフを引き抜くと同時にその傷口に手にしたものをねじ込んだ。
「サラ、一度退いて!」
「え、ええ!」
何も分からぬままに距離を開ける。
直後、使徒が大爆発を起こした。
「アスカ、今のは?」
「今の? 携帯型のN2だけど?」
N2を内部爆破させたということか。なんて暴力的な方法だ。だが、確かに効果はある。
「ほら、見てごらんなさい、サラ」
弐号機が使徒をナイフで示す。その使徒は上半身が完全に溶けて、体内が露出していた。
「あの赤い球がコアよ」
「あれが」
「使徒のA.T.フィールドは私が何とかするから、とどめはあんたがさして。いいわね」
「了解!」
手際よく指示するアスカについていく形でサラが走る。
(すごい)
さすがは、弐号機エースパイロット、惣流・アスカ・ラングレー。
(かなわないな、この子には)
使徒が再び防御体勢に入ろうとするのを、アスカはA.T.フィールドに浸食して食い止める。一度使徒との戦いを経験したアスカは、現在の心境もあいまって格段にレベルアップしていた。
「今よ!」
アスカの指示と同時に、A.T.フィールドが崩れる。
「とどめえええええええええええっ!」
そこに弐拾壱号機が突撃した。プログナイフがそのコアに突き刺さる。火花が散り、コアにヒビが入る。
「離れて!」
アスカの指示で、サラは回避した。
直後、
空中に、光の十字架が現れた。それは、使徒殲滅のサインだった。
次へ
もどる