イギリス情報局秘密情報部、通称SISの長官ジョン・マクウェルは、部下のエドワードからの報告を受けて頭を悩ませていた。
 使徒の出現と、世界遺産との関係性。さらにはかつてサクラの母が盗んだとされる機密文書の内容。
 正直、サクラの母が盗んだという機密文書の件について、ジョンは全くかかわりがない。
 だが、世界遺産の件は面白かった。確かに使徒の動きを見ると世界遺産に大きくかかわっていることがよく分かる。
 ただちにここまでの状況を整理しなければならない。ジョンは手持ちの資料をかき集めて必死に分析を行った。
(それにしても世界遺産か。何の意味があるのやら)
 そんなこともあの男、日本のヨウ・ムトーであれば分かるものなのだろうか。
 Uはunlited。すなわち、無限大。











第佰玖拾肆話



集中のU












 使徒、殲滅。パターン青、消滅。
 その報告を無線で聞いて、サラは左肩の痛みを改めて感じた。その痛みも結果として報われたのならそれでいい。
 だが、自分がとどめをさしたとはいえ、アスカの協力がなければ自分は間違いなく負けていた。自分が負けるということはイギリスという国が危機に陥るということだ。改めて自分の立場がどれだけ重要かということを感じさせられた。
「アスカ」
 サラはゆっくりと弐号機に近づく。
「ありがとう。助けてくれて」
「だから、何度も言わせないで。アタシは別に、あんたを助けたわけじゃないわ」
 だが、その弐号機からは拒絶的な反応がくる。
「アタシは使徒とまだ戦うことができると思ったから駆けつけただけ。あんたが生きてようが死んでようが関係なくね」
「でも助けてくれたし、とどめを譲ってもくれた」
「誰が倒しても同じことでしょ? 確実に倒せるのが一番で、そのためにあんたがとどめをさす方が都合がよかった、それだけのことよ。それはともかく、まずは戻りましょうか。いつまでもシンクロしてたら精神汚染が始まっちゃうし」
 そうして二機のエヴァは戦闘機まで戻り、そこでシンクロを切った。エヴァから降りてきたアスカは得意げで、サラのような人物から見ても『王者の風格』が感じられた。
「改めてありがとう、アスカ」
 もっとも、それはサラとてそこまでひけをとるわけではない。幼い頃から組織のリーダーとして育てられ、適格者ランクもAランクまで順調出世しているのだから、この二人が並び立つと非常に絵になる。
「だから、いいって」
「それでも。アスカだって自分が助けられたら理由もなく感謝するでしょ?」
 うーん、とアスカは頭をひねる。
「ところで、わざわざアスカがイギリスに来てくれたっていうことは、他の国には──」
「他のところはもう終わってるわ。まだ終わってないのは日本くらいかしらね」
 日本。シンジのいるところだ。
「そう。じゃあ、他の国がどうなっているのか、アスカは知っているのね」
「まあね」
 エヴァンゲリオンを戦闘機に収納する作業を見ながら、現状の説明が始まった。
「フランス、中国は支部が壊滅。中国の適格者、ムサシ・リー・ストラスバーグは戦死」
 いきなり重い話から始まった。
「エリーヌは?」
「エヴァは消滅したけどパイロットは無事」
 ひとまず安心する。やはり、仲間が死ぬということは聞きたくない。
「ギリシャは完勝。ロシアは使徒は殲滅したけど、エヴァはほぼ全壊、パイロットも重傷。オーストラリアは辛勝、パイロットも無事ってところね」
「ドイツは?」
「メッツァが死亡」
 アスカは感情をこめずに語った。サラの表情が歪む。
「そう」
「クラインも重傷。あとの二人は大丈夫なんだけど、機体が損傷しちゃってて応援に来られなかったのよ。おかげでアタシだけ出張サービス」
「ありがとう」
「それはもういいって。それに、使徒を倒すのはメッツァの仇打ちっていう意味もあるし」
 アスカは平然としているように見えたが、今の言葉が本音ということなのだろう。荒ぶる怒りを隠しきれていなかった。表情が歪み、不機嫌そうな雰囲気が出ている。
「それじゃあ次は、フランスに行くの?」
「へえ、どうしてそう思うの?」
「だって、フランスは負けたのよね」
 状況が把握できていないサラに対してアスカが「ああ」と頷いた。
「それがね、よく分からないのよ」
「何が?」
「フランスの使徒ね、エヴァとネルフを殲滅した後に消えてなくなってるのよ。もちろん、死んだわけじゃなくて」
「消えて?」
「そ。だからアタシも行けるところがここしかなかったってこと。さすがに日本は遠かったからね」
「つまり、戦闘が継続しているところがイギリスと日本しかなかった、使徒も他に残っているものがいない、そういうこと?」
「そういうこと。ただ、どのみちフランスには行かないといけないけどね」
 話を聞くと、エリーヌを初めとする適格者が数名、まだネルフ跡地にいるらしい。それを回収してドイツに連れて帰る手はずになっているのだそうだ。
「イギリス次第にはなるけど、サラ、あんたも来たらどう?」
「私?」
「そ。今後、また使徒と戦うことになったら、あんた一人で勝てる?」
 自信はない。何しろ今の使徒だって一人では勝てなかった。その使徒を相手にアスカは『ドイツのより弱い』と言い放った。つまり、自分は弱い使徒にすら勝てないということだ。
「特にフランスに現れた使徒はここに来る途中に映像を確認したけど、とんでもない化け物よ。あれと戦うと思ったら、正直身がすくむわ」
「アスカでも?」
「ええ。勝ち目がない戦いなんて誰もしたくないでしょ?」
 それは冷静な戦力分析の結果だ。だからこそ確実に勝てる方法をアスカは探している。その結果が『戦力の集中』、すなわちエヴァを一箇所に集めて使徒と戦うということなのだろう。
「もうギリシャの双子はドイツに来ることで内諾をもらってるわ。フランスも支部が消滅した以上従う他はない。あとはイギリスだけ。ま、サラはともかく、イギリスが大陸の国に従属するようなこと、認めるとは思わないけど」
 サラは答えられなかった。確かにイギリスの上層部はドイツやフランスを目の仇にしているところがある。ドイツを出し抜くためにサードチルドレンの取り込みをはかるくらいだ。ドイツの風下には立ちたくないだろう。
「私個人なら行きたいところなんだけど」
 だが、この戦いで自分一人ではとてもかなわないということがはっきりと分かった。アスカのようなエヴァの扱いに慣れている者をサポートすることでしか、次の戦いには役に立てないだろう。
「あんたがその気持ちならいいのよ。いくらでも圧力のかけかたはあるし、それにツテもあるしね」
「ツテ?」
「一番手っ取り早いのは、国家間のつながりを使うことでしょ? そして国同士の関係を決めるのは首脳でもネルフでもないわ」
 意味が分からない。では何だというのか。
「あら、あんたなら分かると思ったんだけど」
 自分なら分かる、ということは──
「情報部?」
「そうよ。ギリシャを口説いたのも実質その線。まあ、日本のある人物が要になってくれたおかげではあるんだけど、イギリスもその筋で動かす、というか働きかけることくらいはできそうだから」
「顔が広いのね、アスカ」
「アタシじゃないわよ。詳しいことはよく知らないし。要するにアタシたちは、より効率的に、そして必ず使徒を倒せばいい。そのことだけ考えてればいいのよ。国のことなんか知ったことじゃないわ」
 さすがはアスカ。発言がつくづく大胆で、ワールドワイドだ。イギリスのことばかり考えていた自分とは全く違う。
「でも、私がイギリスのためにスパイ活動するかもしれないわよ」
「いいんじゃない? アタシ、ドイツのために働く気なんてないもの。アタシが戦うのはアタシのためだけよ。あんたがアタシの邪魔をしないんなら好きにすればいいわ」
 まったく、かなわない。だからこそチルドレンということなのだろうか。
「分かったわ。あなたに任せる、アスカ」
「ダンケ。やっぱり、誰も死ぬところなんか見たくないものね」
 その通りだ。死者など出ないのが一番だ。
「じゃあ、そういうわけでドイツに戻るわ。フランスの連中も着いた頃だろうし」
「ええ。私も一度戻るわ。このまますぐにドイツに行くわけにはいかないもの」
「必ずちゃんと来なさいよ。使徒を倒すには単独じゃ無理なんだから」
「ええ。必ず」
 そうしてアスカは再び戦闘機に乗って行ってしまった。まったく、なんという少女だろう。自分も相当規格外だと思っていたが、それを軽く上回る少女。
「なんとなく、サクラに似てるわ」
 いや、それは単に自分がかなわないと思っている相手だというだけのことかもしれない。自分はサクラにはかなわず、アスカにもかなわない。自分が認めなければいけない二人の天才少女。
(いずれにしても私は生き残ることができた。生きてさえいれば、サクラとも話すことができる)
 迎えの戦闘機が来て乗り込む。ネルフへ戻る途中に彼女はふと思った。
(だからこそ、私たちは勝たなきゃいけないのよね)
 自分のドイツ行き、本気で上申しなければいけないと思った。






 サラが発令所に戻ってくると、既に技術部がデータの分析に入っていた。また、他国の使徒の分析も始まっており、今までにないほどの活気を見せていた。
「お疲れ、サラ」
 声をかけてきたのはいつものエドワードだった。無表情だが多少は気遣っているのだろう。今はこういう気遣いがありがたい。
「サンクス。でも、あまり活躍はできなかったけど」
 幾分自嘲気味に答える。が、エドワードは少し考えてから反論した。
「セカンドチルドレンに協力してもらえなければ勝てなかったということか?」
「そうよ。見ていたら分かるでしょう。私は一人では勝てなかった。私の勝ちはアスカに譲ってもらったものよ。私の力じゃない」
「だが、サラが出撃しなければ、アスカが到着する前にイギリスは滅びていた。サラはサラにできることをした。それのどこが悪いんだ」
 まったくエドワードは正論だ。ふふ、とサラが笑う。
「ええ。分かっているのよ。ただ、感情が追い付いていないだけ。こんなのは情報部の基本トレーニングの一つ。大丈夫、すぐに元に戻すわ」
「そうか」
 エドワードはそう答えるだけで、それ以上は何も言わなかった。別に慰めてもらいたいとかそういうわけではないのだが、何もないというのも味気ないものだ。
「ああ、そうだ。言うのを忘れていた」
「なに?」
「無事でよかった。最初に伝えようと思っていたのに、会えてほっとしたのか、すっかり頭から飛んでしまっていた」
 サラはほほ笑む。それもまたエドワードらしい。下手に慰めてくれるより、他人を気遣う素振りなどまったく見せないこの少年が気遣ってくれたことの方が百倍も嬉しい。
「ありがとう」
「いや。それより、各地の記録が入ってきているが、確認するか」
「お願い。エドワードが教えてくれる方がありがたいわ」
 ある程度はアスカからも聞いている。日本以外のすべての国で戦闘が終了していること。そして、倒された使徒の数。
「南アフリカの自爆テロ使徒、オーストラリア、ロシア、ギリシャ、ドイツ、そしてイギリス。全部で六体の使徒を倒しているということね」
「日本次第だ。そろそろ日本の作戦開始時間が近づいている」
 現在は午後三時過ぎ。日本は九時間差、いやサマータイムを使っていないから八時間差か。となると十一時過ぎ。
「何時に開始?」
「十一時半。作戦開始まであと二十分ちょっと」
「そう」
 碇シンジは無事なのだろうか。そしてあの子は。自分にとって誰よりも大切な人はまだ無事でいてくれるのか。
「例の子、気になるのか?」
「ええ、もちろん」
「とりあえず適格者で負傷したのは出撃したランクA適格者だけで、それ以外に負傷者は出ていないそうだ」
 それならサクラは無事だ。何しろ彼女はどういうカラクリか、適格者の資格がないにも関わらずランクB適格者などという位置にいる。たとえ何があっても出撃することなどありえない。
「日本に行きたいか?」
 エドワードが尋ねてくる。
「そうね。行きたい。でも、今は他にやることがたくさんありそう」
「ドイツ行のことか」
「あ、もう伝わってたの?」
「サラが戻ってくる直前に打診が来た。ドイツに戦力を集中して、ヨーロッパのどこに使徒が現れても全員で迎撃する体制を作りたいということだ。ギリシャは承諾、フランスはまあ、あの調子だから承諾も何もないが」
「イギリスだけ意地をはったところで何の意味もないわ。私一人じゃ使徒には勝てないし」
「だがイギリスは大陸に対して対面を重んじる。サラのドイツ行はまず無理だ」
 それはよく分かっている。自分がどんなに望んだところでドイツには行けない──
(そっか)
 ドイツには行けない。そうだ。どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだ。
 日本に行きたい自分。ドイツに行けない自分。これを同時に解決する方法が簡単に見つかった。
「イギリスは、私がドイツじゃなくて日本に行くのなら認めてくれるのかな」
 言われたエドワードは目を丸くして、それから珍しく苦笑した。
「それはいい手だ」
「でしょでしょ? 我ながらナイスアイデアだと思った。戦力を集中する目的ならドイツじゃなくてもいいんだし、なおかつイギリスはもともと日本とくっつこうと思ってたんだから、お互いにとって文句ないよね」
「ただ、ドイツからの誘いを蹴って日本へ行く以上、ヨーロッパ内部でのイギリスの立場は悪くなるだろうが」
「もともと大陸とは喧嘩姿勢なんだからかまわないじゃない。それに、ドイツのアスカにはきちんと電話で話しておく。日本の友人に会うついでに、国の対面守るようにしておくって。せっかく誘ってくれたアスカには申し訳ないけど」
「分かった。日本での活躍を期待する」
「ありがとう」
 嬉しい。
 自分の願いをこんなふうにかなえることができるとは思わなかった。いや、かなうかどうかは分からない。ただドイツに行くよりはずっと簡単で、ずっと現実的だろう。
(また会えるかもしれないわよ、サクラ。そのときは喧嘩腰じゃなくて、じっくりと話をしましょう)
 たとえ自分が嫌われていても、相手に気持ちを問いただすまでは諦めない。もともと自分はそうやってあの子に近づいたのだ。昔も今も、まったく変わらないではないか。
「首洗って待ってなさい、サクラ」
 サラにようやく笑顔が戻った。






次へ

もどる