アメリカという国は、第一次世界大戦後、一躍世界の王者に躍り出た実験国家である。
 かつてはイギリスの植民地という扱いでしかなかった『新大陸』が、独立戦争や世界大戦を経て最強国家となっていくのは、まさに他の国には起こりえない出来事であった。
 そのアメリカの国民性とはどのようなものであるか。国民性という非常に漠然としていてあいまいなものを一括りに説明するのは難しいが、その中でもひとつあげられることがあるとすれば、それは『フロンティア・スピリット』であろう。
 フロンティアの言葉が示すのは『最前線』であり、前人未到の分野に踏み込むことを恐れない勇気を示す。
 どのような未知に遭遇したとしても常に正面から立ち向かい勝利することを望む。それこそがアメリカのアメリカたる所以である。

 さて、使徒進行の物語はいよいよ最終戦を紹介することになった。
 ランクA適格者が存在するネルフ支部の戦いはここまでにすべてご覧いただいた。そしてランクA適格者が存在していないネルフ支部については、一カ所を除いてその結果を紹介した。
 そう。まだ一カ所残っている国。それこそがアメリカである。
 Xは未確認物体。すなわち、使徒。











第佰玖拾伍話



最後のX












 アメリカ・マサチューセッツ・ネルフ第一支部。
 アメリカは二〇一五年に入ってからというもの、ネルフに対する風当たりが大変強くなっていた。その理由はこれまでに既に紹介した通りだが、簡単にポイントをかいつまんでおく。
 まず、アメリカ合衆国大統領ベネットが反ネルフ派であること。
 次に、アメリカ第二支部の独断専行によるS2機関搭載実験の失敗、そして第二支部の消滅。
 続けて、ランクA適格者三名、アイズ、マリィ、キャシーの亡命事件。
 さらに、アイズの暴走事件と、キャシーによる碇シンジ暗殺未遂事件。
 これだけの事件を立て続けに起こされては、もともと否定派だったベネットがさらにネルフを軽んじるのも仕方のないことであった。もっとも、最後の一文についてはベネットの仕掛けた事件ではあったが。
 しかし、そのような状況ではネルフ支部の職員たちの士気が上がるはずもない。ランクA適格者はいなくなり、ランクB適格者たちも昇格しそうなメンバーはおらず、しかもエヴァンゲリオンを二機、日本へ譲渡しているのだ。アメリカにおけるネルフの立場は本当に飾りにしかすぎない。
「こんなんで、使徒が出てきたらどうするつもりかね」
 職員の不満はもはや日常のものであった。
「ま、ベネット大統領がなんとかしてくれるんだろ。あっちはエヴァなんかなくたって使徒を倒せるって豪語しているわけだしな」
「A.T.フィールドがある使徒にどうやって戦うつもりなんだか」
「とはいっても、今やネルフにだってA.T.フィールドを使えるような適格者もいないけどな」
 完全にやる気のない職員たち。もちろんそれは下士官ばかりではない。上層部ですらやる気が出ていないのだからどうにもならない。
「いっそのこと、マサチューセッツ支部を解体して、優秀な職員を他の国へ出向なり派遣なりした方がいいんじゃないの?」
「それ賛成。俺もどうせアメリカに家族がいるわけでもないし、国がネルフを否定してないところならどこだって行くぜ」
「それならやっぱり日本だろ。国の予算が公式に認められてるしな」
「でも日本語使えないと大変だからな。イギリスとかオーストラリアとかの方がいいんじゃないか?」
 上層部ですらそういう会話が出てくるような状況では、もはや使徒が出てきても組織だった動きができるはずもない。
 このような状況で六月六日を迎えた。日本時間で午後七時。アメリカのマサチューセッツではまだ午前六時であった。
 早朝から突然の警報。それは世界各国で同時に使徒が現れたという報告だった。
「なんだよ、アメリカだけ来てないのか?」
「ネルフ支部のあるところはほとんど交戦に入るそうだ。アメリカは全土にわたって今のところ出現報告がないな」
「ま、ここに来たところでどうすることもできないんだけどな。アメリカにはエヴァがあってもパイロットがいないんだから」
 職員はアメリカに使徒が攻め込んできていないということを、あまり大きくは考えていなかった。エヴァがいないのだから当然だろう、という感覚が奥底にはあった。
 だが、調べてみればすぐに分かることだ。ブラジルのサンパウロ支部は使徒の活動によりMAGIの自爆を誘発。サウジアラビアのリャド支部は白黒の球体に飲み込まれた。南アフリカのヨハネスブルク支部は大気圏外からの自爆テロで相討ちとなった。
 これだけの戦いを見過ごし、自分たちは安全圏にいると思っているのなら、それは完全な気の緩みというものだろう。
「ホワイトハウスから連絡が入ってるぞ」
「あー、なになに、万が一に備えて、エヴァンゲリオンをスタンバイしておけ?」
「パイロットがいないのに何考えてんだ、ホワイトハウスの連中は」
「あれだろ、一応ネルフを無視するわけにはいかんってんだろ」
「でもどうする、パイロットなしでスタンバイしても何の意味もないぜ」
「するだけしておけばいいんじゃないか? やってもやらなくても同じなんだからな」
「やれやれ、余計な仕事ばっかり増えやがる」
 何人かのオペレーターが通信で技術班に連絡を入れる。技術班からも無意味な仕事をさせるなという文句が出て、愚痴の言い合いになってから通信が切れる。
「ったく、やる気にもならねえな」
「どうせアメリカには使徒も来てないんだ。こっちはこっちで、のんびりやろうぜ。他の国の戦いぶりでも見学しながらよ」
 無意味に笑い、無意味な会話をオペレーターたちが行う。そして技術班から準備完了の連絡が入る。
「はいはい。スイッチオン、起動準備完了、っと」
 その瞬間。
 エントリープラグが入っていないにも関わらず、エヴァの目が光った。

 直後、マサチューセッツ支部は大爆発を起こした。






 ベネット大統領の一日は多忙である。もともとアメリカ合衆国大統領に勤務時間というものはなく、必要なときに必要なだけ働くというのが大統領職である。
 もちろん時間を無駄に使うことはない。ベネット大統領はその日の最初の仕事、日例報告を食事中に聞く。世界で起こった出来事や進行中の案件についての報告が大統領にもたらされ、その場で必要な指示は主席補佐官、国務長官、国務情報長官に出す。それがざっと三十分。
 だが、この日は途中でそれが遮られた。午前七時四分。大統領執務室に飛び込んできた次席補佐官の一人が血相を変えて報告した。
「ニューヨーク時間午前七時、全世界で同時に使徒進行! 使徒はすべてネルフ本部・支部へ向かっている様子です!」
 それを聞いて、大統領はもう一口だけ肉を胃袋に入れてから立ち上がった。
「アメリカに進行はしていないのかね?」
「今のところ、アメリカ本土、およびカナダ、メキシコでの出現は報告されていません。ですが、南アメリカのブラジル・サンパウロ支部は七時二分に消滅とのこと!」
「なるほど」
 そしてただちに行動を開始した。
「食事を下げてくれ。本日は以後、オーバルオフィスから基本的に移動はしない。指示はすべてここから出す。連絡はここに直結させろ」
「イエッサー」
「ここからは時間が勝負になる。情報が入り次第その場で行動を開始する。午前八時にこの件について公式に記者会見を行う。定例記者会見室にプレスを集めておけ。こればかりは私が自分で記者会見を行った方がいいだろう。今日の予定はすべてキャンセルしておいてくれ」
「イエス」
 優秀な大統領補佐官たちはそれだけですぐに行動ができる。広いオーバルオフィスにただちに臨時のテーブルと椅子が準備され、電話線がすぐに設置される。その間も新しい情報が次々と入ってくる。準備が完了するまで、わずか六分。
「アメリカには本当に使徒は攻め込んできていないのかね?」
「イエス。その情報はどこにも入ってきておりません」
「妙だな。ブラジルやサウジアラビアまで攻撃をしかけておいて、マサチューセッツに攻撃をしかけないのはおかしい」
 さすがにベネット大統領はたるんでいるネルフ第一支部のオペレーターたちとは違う。世界同時侵攻などということを行うのに、どう考えてもアメリカを無視する理由がない。アメリカにもネルフはあるのだから。
「万が一に備えて、ネルフにはエヴァンゲリオンをスタンバイさせておけ」
「イエス。バット、アメリカにはパイロットがおりません」
「ランクBなら動かせるのだろう? 万が一に備えてだ。それに、ランクB適格者では満足にエヴァを動かすこともできまい。ターナー、言っていることは分かるな?」
「イエス」
 ターナーと呼ばれた黒人の首席補佐官はうなずく。つまり、使徒がエヴァを倒したところで、アメリカ軍が使徒を倒せば、エヴァよりもアメリカの方が頼りになることを全世界に認めさせることができるのだ。
「こうなったら、是非ともアメリカにも現れてほしいものだ」
「イエス」
 今度はターナーもうなずくだけだった。
「長い一日になりそうだな。世界同時侵攻ということだが、他の国の状況を簡単に整理して報告してくれたまえ。それからこの情報は隠してもすぐに漏れる。公式には午前八時をもって発表するが、その前に漏れた情報がどの程度広まっていくか、マスコミとインターネットの両方で監視を怠るな」
「イエス。戦場となった国で既に緊急避難警報が発令。日本、オーストラリア、中国、ロシア、ギリシャ、フランス、ドイツ、イギリス、いずれも地域限定で発令されています」
「なるほど。それでは八時の発表までアメリカも待ってはいられないな。各国、使徒の出現場所と侵攻ルートを洗い出しておいてくれたまえ」
「イエス──大統領、これと並行して世界で別の動きが」
「聞こう」
「トルコがギリシャに侵攻。使徒が攻め込んだ隙をついて以前からの領土問題を解決するつもりかと」
「それは両国間の問題だが、アメリカからも公式なコメントを考えておいた方がいいな。国務長官に戦略を練るように伝えておいてくれ。他国で同様の動きはないか?」
「イエス。今のところ目立った動きはなし。ですが、今後は分かりません」
「うむ。国防長官に、三軍の出動準備を整えておくように指示」
「イエス。僭越ながら、先に出しておきました」
「気がきくな、ターナー。さすがだ」
 自分が間違いなくすることなら、この主席補佐官は自分の判断で決定して行動する。そしてベネットはそれを独断専行と咎めることはない。必要なことなのだから。
「ブラジルの使徒の情報は」
「映像はまったくありません。また、現地からの速報では、その後被害が拡大している様子はなし」
「被害が拡大していない?」
 それはまたおかしな話だ。十五年前は、使徒は町から町へと移動しながら多くの都市を崩壊させた。それがどうして今回は被害が拡大していないというのか。
「現地の映像を早く」
「イエス」
 するとメインモニターにサンパウロの様子が映し出された。確かにネルフ支部のあったところは巨大なクレーターとなっているようだったが、それ以外の市街地までが破壊されている様子はない。
「引き続き調査を続行。同時に他国の使徒についても情報を重ねて確認」
「イエス。使徒の出現データ、ある程度まとまりました」
 すぐにプリントされたメモが大統領の手に渡る。
 日本は第三新東京市郊外にて出現。戦闘中。
 オーストラリアはボールズ・ピラミッド内部から出現。ネルフ支部へ侵攻中。
 中国は黄山から現れた使徒が北上し、南京のネルフ支部へ侵攻中。
 サウジアラビアは突如支部が消滅。
 ロシアはネルフ支部のあるサンクトペテルブルク郊外に出現。戦闘中。
 ギリシャはデロス島に出現し、エーゲ海を北西に侵攻中。
 ドイツはバルト海に出現し、ハンブルクへと進行中。
 フランスは地中海に出現し、マルセイユへと進行中。
 イギリスは北アイルランドに出現し、東に向かって進行中。
 南アフリカは大気圏外から使徒による自爆テロ相討ち。
 ブラジルはサンパウロに直接出現、爆発消滅。
「なかなか興味深いデータだ」
「と申しますと」
「直接ネルフ支部に現れたものもいれば、近くに出現して接近するタイプのものもある」
「イエス」
「共通点があるのではないかね?」
「共通点と申しますと」
「そうだな」
 ベネットは現れた場所を地図で思い描く。
「ボールズ・ピラミッドに黄山、デロス島といえば、世界遺産があるところだな」
「世界遺産ですか」
 すぐにターナーが検索をかける。
「北アイルランドには世界遺産のジャイアンツ・コーズウェイがあります」
「なるほど。フランスの地中海だが、もしかしてコルシカ島ではないかね」
「コルシカ島?」
「その西海岸が世界自然遺産だよ」
「確認してみます」
「バルト海も同じだ。正確にはバルト海ではなく、リトアニアのクルシュー砂州」
「こちらも確認を急ぎます」
「ネリンガ、か」
 ベネットは苦笑する。
「ネリンガ?」
「ああ、バルト海の神話だ。その砂州を作ったとされる少女がいたという神話があってね。漁師を守るために砂を運んで砂州を作ったんだそうだ。その場所から使徒が出るというのは、何とも因縁があるではないか」
 それから少し考えてからベネットは言った。
「マサチューセッツの近くにある世界遺産は何だったかな」
「それは──」
 東海岸の世界遺産はいくつかあるが、すぐに思い浮かぶものなど一つしかない。
「自由の女神像」
「あくまで可能性の問題だ。ターナー、東海岸全ての世界遺産を監視。いや、近隣はすべて見ておくべきだろう。大西洋上のバミューダ海域、それからカナダの国境付近の世界遺産はすべて監視しろ」
「イエス」
 ただちにターナーが連絡を入れる。最悪、海軍が動くことも必要だろう。そこまでの指示をターナーが出していくのを聞きながら、ベネットは首をかしげた。
「いや、違うな。おそらくアメリカの使徒は、直接来る」
 直後、ホワイトハウスに連絡が入った。
「マサチューセッツ支部が爆発! 使徒の存在を確認しました!」
 やはりな、とベネットは表情も変えずにその報告を受けとった。






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