アメリカには確かにパイロットはいないし、エヴァンゲリオンもほとんどが消滅したり移送したりしていた。
 ただ一つ残っていたのは、青銅色のエヴァンゲリオン。本来ならキャシィ・ハミルトンが登場する予定であった拾弐号機である。
 アイズの拾号機が黄金、マリィの拾壱号機が白銅。カラーリングが違うだけで三機はいずれも同タイプのエヴァンゲリオンだ。細見で長身、中世騎士風の形状。
 その青銅のエヴァンゲリオンが暴走。
 いや、エヴァンゲリオンから発せられる信号を読み取る限り、それは誰が見ても間違いないこと。

 エヴァンゲリオン拾弐号機は、使徒に寄生されたのだ。
 IはIntention。すなわち、決意、そして意図。











第佰玖拾陸話



激突のI












 マサチューセッツからの報告が次々に入る。宇宙からの写真も送られてきて、現地の様子は二分のうちに明らかになった。
 まず、支部そのものは完全に爆発を起こして消滅。そこにいるのは青銅の使徒。さすがにそれを見たときはベネットも顔をしかめた。
「これが使徒だというのかね」
 ベネットは強く机をたたいた。
「これはエヴァンゲリオンではないか!」
 もっとも、それに答える者はこの中にはいなかったし、また答えられる者もいなかった。何しろ既にマサチューセッツ支部は消滅してしまっているのだから。
「使徒はまっすぐに南西に向かっています」
「やはりニューヨークか」
 ニューヨークには世界遺産の自由の女神像がある。
「第二艦隊をただちにニューヨークに集結させろ! 大至急だ! 陸軍・空軍も急がせろ!」
 ベネットの指示から一分もしないうちに、アメリカ軍が一斉に動きだす。
「ニューヨーク市民を避難させろ。可能な限り遠くへ、使徒の進行方向から逸れるようにだ。もっとも」
 ベネットはようやく落ち着いてきたのか、不遜な態度が再び表に出てくる。
「我が軍さえ間に合えば避難の必要はない。使徒を倒す方法は我らが内にある」
「イエス」
 ベネットも馬鹿ではない。西暦二千年に起こったセカンドインパクト、そして二体の使徒に対して通常兵器がまったく通用しなかったことは当然心得ている。
 その正体は既に学会でも発表されている【A.T.フィールド】と呼ばれる絶対防壁。これを破るために使徒と同質の力を作ろうとしたのがネルフだ。
「とにかく使徒を食い止めろ。海軍がニューヨーク沖に着くまでには、まだ時間があるぞ」
「イエス」







 スクランブルを聞いたアメリカ空軍に所属していた兵士、ジェイコブ・ミラーは使徒侵攻の報を聞いてため息をついた。
 使徒に対する出撃命令の意味はたった一つ。死兵として戦え、ということだ。どうやら自分は今日が命日になったようだ。
 覚悟はしていたし、そのために軍隊に志願したのだから、まあ希望がかなった形になるのだろう。
 戦闘機に乗り込もうとしたところで、後輩が一人、震えて動けずにいた。ぽんと肩を叩いて「行くぜ」と声をかける。
「せ、先輩は怖くないんですか。使徒が相手なんですよ」
「今さら何言ってんだ。死にたくないんだったら軍隊なんか入るな」
 ジェイコブの言うことは実にもっともで、二〇一五年は戦いの年だということは分かっていることだ。それをどうしていまさら怖気づかなければならないのか。
「そりゃ、俺だって使徒と戦うつもりで軍隊に入りました。子供じゃないとエヴァンゲリオンには乗れないから。でも、だからって」
 後輩は泣きながら叫ぶ。
「時間稼ぎをするために突撃しろだなんて! そんな捨て駒みたいに使われるために俺は軍に入ったわけじゃない!」
「繰り返すがそれこそ、何言ってんだ」
 ジェイコブはもう一度ため息をついた。
「時間稼ぎは立派な作戦の一つだろうが。俺たちが時間をかせげば、そのおかげで使徒に対する秘密兵器が戦場に届く。俺たちが時間をかせげなければ、秘密兵器が届かずにニューヨークは壊滅する。都市に五百万人以上、周辺もあわせれば二千万人もの人間がこのあたりで生活してるんだ。自分の努力次第でたくさんの人間が救われる。秘密兵器が通用しなかったとしても、時間をかせいだおかげで住民が避難できる。それのどこが捨て駒なんだ?」
「そんなの、俺じゃなくたって、他の誰かが──」
 それを言いかけた後輩を、ジェイコブは殴った。
「いやなら敵前逃亡しな。懲罰の対象になるだろうが、死ぬよりはいいんだろ」
「せ、先輩はどうして死ぬのが分かってて出撃できるんですか。俺は、俺は死にたくなんかない!」
 するとジェイコブは、三度ため息をついた。
「俺がセカンドインパクトにぶちあたったのは二十歳のときだ。俺の目の前で恋人が死んだ。使徒と戦うことが俺の望みだ。そして俺の行動で少しでも多くの人間が助かるなら、こんなにありがたいことはねえさ」
 それ以上後輩と問答しようとはせず、ジェイコブは戦闘機に乗った。
(これが最後の空だな)
 ジェイコブは使徒と戦うときが来たときは、そこで死ぬと決めていた。恋人が亡くなってから、使徒と戦って玉砕することだけを考えて生きてきた。
 かまうものか。どうせ自分には何も残されていないのだ。味方の静止の声なんかどうでもいい。とにかく自分は使徒に対して一撃与えなければ、いや、自分の攻撃なんか通用するはずがない。それならせめて時間をかせいで、使徒が殺したがっている人間を一人でも多く助ける。そうすることで使徒を出し抜いてやるのだ。
「ただでは死んでなどやらんぞ、使徒!」
 ジェイコブの視界に青銅の使徒が入ってきた。
 他にも味方の戦闘機がいて、時折使徒は足を止めてなぎ払い、まとめて戦闘機を撃墜していく。
(今ので五機やられた。五機で足止めできた時間はせいぜい十秒)
 ならば、自分は一機でどれだけ止められるだろうか。少しでも長く止められるようにしなければいけない。
「さあ使徒、お遊びの時間だぜ!」
 自分の命をかけた、最高の博打。自分が何秒もちこたえることができるかの勝負。
「五機で十秒なら、一機平均二秒。さあ、俺は何秒お前を止められる?」
 ミサイルを撃ち込み、離脱。とにかく後ろから攻撃をしかけて、前に進ませないようにする。
「さらに!」
 ミサイルの照準を使徒の足元に。時間を稼ぐのならようは使徒そのものを攻撃するのではなくて、動きにくくしてしまえばいいだけのことなのだ。
 使徒がまっすぐにニューヨークへ進むのなら、使徒がまっすぐに進めないようにする。
「よーし、止まったな、使徒」
 上空をうるさく飛び回る戦闘機に、使徒の足が止まった。当然、自分は距離を空ける。どんなに俊敏に動いても、簡単に手が届いてはいけない。
「俺一人で十秒、二十秒と足止めできれば、その分だけ秘密兵器の到着が近づく」
 にやり、とジェイコブは笑った。
「さあ、俺に襲い掛かってこい、使徒! その分だけニューヨークから遠ざかるがな!」
 ジェイコブは決して使徒の前には出ていかない。自分を倒すために後ろに引かせるのが一番の目的だ。本来なら一歩前に出る分の一歩を後ろに引かせることになる。あわせて二歩。それだけニューヨークに近づくのを阻止できる。
(分かるか、後輩)
 自分たちが捨て駒になることにはきちんと意味がある。どうせ軍隊では使徒は倒せない。それならアメリカ市民が一人でも多く生き残れるようにすること。それが軍隊のあり方だ。
「来る!」
 使徒が少し足を曲げる。瞬間、大きくレバーを横に傾ける。大きく飛び上がった使徒は、戦闘機のいたところを寸分も違えることなく、次の瞬間にはなぎ払っていた。
「ヒュウ、危ねえ。勘が働いてくれたみたいだぜ」
 使徒はきっと、一瞬で、距離を詰めてくるだろうと感じた。だからレバーを倒した。もしあのまま飛んでいたら自分は間違いなく死んでいた。
「十秒経過! それもニューヨークから遠ざけてやったぞ、使徒!」
 ざまあみろ、と心の中で笑う。同時にレバーをまた逆に傾ける。使徒がそこに襲い掛かる。
「簡単にやられるかよ!」
 曲芸のように飛んで、少しでも使徒をニューヨークの逆方向へと移動させる。
 が、ジェイコブにできたのはそこまでだった。やはり一機の戦闘機では使徒を止めるには不十分だった。
 使徒は、その右腕を『伸ばして』攻撃してきた。それが自分の機体を砕いたと分かった瞬間、彼はボタンに手をかけた。
「三十五秒。それから、距離二百メートル後退ってところか。ま、一人でやった戦果としてはまあまあじゃねえの」
 それは自爆ボタン。確かに熱量兵器は使徒には通用しないが、それはA.T.フィールドがあるせいだ。接触しているのなら、その攻撃は多少なりとはいえダメージを与えることができる。
 ジェイコブの命によって、使徒は腕の装甲に少しだけ亀裂をつけることになった。だが、所詮、使徒にとってはその程度。
 使徒は、ニューヨークに向かって侵攻を再開した。






 ニューヨークは混乱をきわめていた。
 使徒がニューヨークを目指している。それが伝わるや、瞬く間にニューヨークどころか東海岸全域にその報が広まり、あっという間に逃げ出そうとする人々の群れで大混乱となった。
 弱者が踏み潰され、空港では我先に乗せろと殴りこむ若者たち。シェルターに入ろうとしている人を殴り飛ばして先に入ろうとする男。さらにこれに便乗した略奪、暴行。使徒の標的と位置づけられた町、ニューヨークは戦時中でも見られないほどの大混乱ぶりとなった。
 ニューヨーク警察も治安の維持と人々の避難のために奮闘するものの、いかんせん五百万人を超える規模の町、何百、何千という人数でおさえきれるはずもない。
 そのとき、ニューヨークのあちこちにある市街スピーカーから聞き覚えのないメロディが流れ出した。
 ふと、一人の若者が足を止めてその音色に耳を澄ませる。
 その流れてくる音の方を向く人が次第に増えていった。
 混乱の中、その音色は、ゆっくりと、人々の心の中にしみこんでいく。
「アメリカのみなさん、おはようございます」
 たどたどしい英語が流れた。
「私は日本の歌手、飯山ミライといいます。今、日本にも使徒がやってきました。アメリカでも使徒が現れたということで、急いでこの放送を届けています」
 人々は、何故かその言葉から意識をそらすことができなかった。この混乱の中、確かにニューヨークという町を、この少女の言葉が一つにまとめていた。
「アメリカ軍も、ネルフも、みんなが使徒と戦ってくれています。大丈夫です。あわてずに、みなさんはきちんと現場の指示に従って避難してください」
 その少女の言葉には、なぜか逆らえない何かがあった。この少女のことなら信じてみようと思わせる何かが。
「みなさんが落ち着いて避難できるように、日本から私の歌をお届けします。使徒と戦うために、世界が一つになれるようにと思って作りました。聞きながら、落ち着いて避難してください」
 そして、ニューヨークにミライの「PRAY」が流れる。
 英語詞は既に完成しており、レコーディングも終わっている。アメリカなど英語圏での発表は時期を待ってからの予定だったが、アメリカの惨状が伝わってきたため、ネルフが独断でニューヨークの混乱を鎮める方法としてミライの歌を使うことに決定した。






 そのとき、飯山ミライはシェルターへ避難しようとしている最中だった。そこに護衛の二人、門倉コウと南雲エリが「少しだけ協力してほしい」とミライに依頼、放送局まで急いでやってきてもらったのだ。
「ありがとうございます、ミライさん。これで少しはアメリカが落ち着いてくれるといいんだが」
 コウがやれやれとため息をつく。日本にいながら、ミライを守りつつ、アメリカのことまで考えろとは、自分たちの上官もどれだけ働かせれば気がすむのかと思う。
「でも不思議ですよね。ミライさんの声を聞いていると、本当に落ち着くことができて、大丈夫って思えるようになるんですから」
 エリは無邪気な顔でミライを見る。ミライは「そんなことないですよ」と顔を赤らめて首を振った。
「私、自分にできることがあるならなんだってしたいんです。今もシンジくんたちは戦ってるんですから」
 飯山ミライが素直で真面目な子であるということは、一日も一緒にいれば分かることだ。実際、テレビ視聴者とテレビ制作スタッフとの間でのミライの評価は百八十度違う。だが、テレビでネルフを擁護し始めたころから、ミライに対する評価は日々変わりつつある。
「きっとアメリカ軍なら、ニューヨークの人たちが避難する時間を作ってくれると思います」
「倒すのは無理ってことか」
 それはミライには分からない。だが、エヴァンゲリオンでしか使徒を倒すことはできないと誰もがそう考えている。そうした情報が巷間出回っているせいなのだが、シンジたちが命がけで訓練しているのを見たミライにとっては、それ以外の方法などありえないと判断している。
「さて、やれるだけのことはやった。あとは俺たちもシェルターに向かうか」
「はい」
 ミライはコウ、エリに連れられてシェルターへと向かった。






 アメリカ軍が次々に使徒に襲い掛かっては打ち落とされていく。
 落とされた戦闘機は既に百を上回る。だが、その甲斐もあって使徒の侵攻は確実に遅くなっていた。時に引き換えし、時に立ち止まり、ニューヨークに到着する予定を都合二十分以上も引き延ばしていた。
「よく持ちこたえた、アメリカ空軍よ」
 そして、ホワイトハウスに『新兵器到着』の報告が来る。
「使徒よ、これがアメリカ軍の最新兵器だ」
 新たにやってきた三機の戦闘機。いや、その後ろにも多くの戦闘機が控えている。

「アンチA.T.フィールド弾、発射!」

 号令と共に、三機の機体からミサイルが発射された。






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