日本は戦闘が終わったとき、既に六月六日が終わり、六月七日へと入っていた。そのまま眠れるか否かは別として、次の日の朝まで適格者たちにはわずかな休憩を取ることができた。
 だが、ヨーロッパやアメリカはまだ朝や昼であった。しかもアメリカにいたっては国家元首が行方不明となり混乱の極致となった。
 時間軸としてはヨーロッパの方が先になることもあるだろう。だが、この物語においては日本がしばらく扱われていなかった。そのため、まずはこのまま日本の物語を見ていくことにしよう。
 たった一か月。されど一か月。時間をおろそかにするものは、時間に泣かされる。











第佰玖拾玖話



存在と時間












 六月七日(日)。

 朝になった。昨夜の戦闘、さらには渚カヲルによる突然の『訪問』という事件があったため、シンジもエンもうとうととしたくらいで、ぐっすり眠ることはできなかった。
 朝六時には二人とも完全に目が覚めてしまって、とりあえずニュースをつける。
 その二人は言葉もなかった。画面の中では世界各地の崩壊した状況が伝えられていた。消滅したネルフ支部、崩壊したニューヨークやワシントン、いやそれ以外の都市も含めて、さまざまな『使徒』の爪跡を見せ付けられた。どこのチャンネルもそればかりだ。
「ひどいね」
「うん」
 二人には表情がなかった。これが使徒の起こしたことであり、自分たちが戦う相手なのだということがはっきりとした。
「とにかく、何か食べないと」
 エンが勧めると「そうだね」とシンジも答えた。だが、あまり食欲が出るわけでもない。二人とも結局テレビの前から動けずにいた。
 と、そんなときだ。部屋のチャイムが鳴った。
「おーっす! もう起きてるかー!?」
 モニタごしに部屋の外を見ると、コモモとレイだった。すぐに二人を招き入れる。
「どうしたの、こんな時間に」
「なに、シンジのことだから何も食べようとしてないんじゃないかと思ってな。差し入れ作ってきた。なんと、綾波レイお手製おにぎり!」
「……中身は秘密」
 微笑を浮かべながらレイが言う。何かロシアンルーレット的な危険を感じる。
「やっぱりエンもいたんだな。四人分はあるからみんなで食べようぜ」
「ありがとうございます」
 そうして四人はようやくテーブルについた。お茶を注いでおにぎりを手に取る。中身は無難におかかだった。
「それにしても、改めてとんでもない状況だよな」
 日本はまだ被害が少なかった方だというのがよく分かる。中国の南京やフランスのマルセイユは完全に崩壊している。オーストラリアはネルフ支部が崩壊したのだが、以前から大地震によって相当の建物が崩れてしまっている。
「あと一ヶ月したら、またこんな戦いが起こるんだね」
 シンジが言うと食事の場がしんみりとしてしまった。
「何か他のニュースやってないのかな」
 コモモが強引に話題を変えようとしてチャンネルを回すが、どこも昨日の世界各地の戦いの結果ばかりが流されている。その中で一つだけ、討論会が行われているチャンネルがあった。
「あ、ミライさんだ」
 コモモが気づいて声を上げる。シンジもエンもレイも画面に注目する。
「何の番組?」
 シンジが尋ねると、コモモがチャンネルを動かして番組情報を表示する。使徒が現れたことに関しての討論だそうだ。
「現状でまだ情報も集まってないだろうに」
 コモモが呆れた様子だった。まったくその通りだ。何しろ使徒の情報はこれからネルフや自衛隊、政府が出してくるものなのだ。現状の被害報告だけでは何の価値もない。
 そう思っていたら、ミライがコメントを言うところだった。
『発表では、既に使徒のうち七体を倒したということですよね。それならあと八体です。そしてエヴァンゲリオンも無事です。悲観するばかりではいけないと思います。私たちは未来を信じなければいけません』
 昨日の戦いの中で、ミライは日本とアメリカに向かってメッセージと歌を送信している。そのこともコメンテーターから話題に上った。
 何でも日本では各シェルターでそれが流れると、ずっと険悪な雰囲気で暴動寸前まで行っていたところが、歌が流れだしてから自然とみんなが落ち着いたということだった。また、アメリカでは避難が間に合わず暴動になりかけたところでミライの歌が流れ、興奮していた人々が落ち着いたとのこと。
「女神みたいな人だね」
 エンが珍しく比喩で表現した。本当だね、とシンジが頷く。
「おー、なんだ二人とも、ミライさんのことが好きになったのか?」
「そうじゃなくて」
「いやいやシンジ、気にしなくたっていいぞ。私もすっかりミライさんのファンだからな!」
 前は好きではなかったと確かに以前コモモが話していた。だが、ここ最近のミライの活動は誰からも好かれる、認められるものであった。
 と、そのとき四人の携帯端末が鳴った。メールだ。
「ランクA適格者とガードは発令所に八時集合か」
「早い時間だね」
 それくらい急ぐことがある、ということなのだろう。
「この数時間で、世界がどれくらい動いているのか、確かめることができるんだろうな」
 コモモがそう言っておにぎりを食べる。その目が見開かれた。
「……唐辛子味」
 それは味ではなくただの嫌がらせだろうと思ったが、レイのやることなのでシンジは見なかったことにした。






 適格者たちはそれなりに休むこともできたが、休みがまったく取れなかったのは技術部と作戦部である。作戦部のメンバーは使徒のデータが届くたびに分析をかけ、技術部はひっきりなしにエヴァの修復作業である。
 ようやくミサトとリツコが顔を合わせたのは午前六時半。朝食を兼ねた打ち合わせ時間であった。
「オーストラリア、イギリスについては基本、受け入れる方針よ」
 リツコの言葉にミサトも頷く。
「イギリスは意外だったけど、別に作戦部には問題ないわ。日程は?」
「政府筋でごねたりしなければ、九日にオーストラリア、十日にイギリスの機体とパイロットが届くわ。オーストラリアの方は相当壊れてるみたいだから、大急ぎで修復しないといけないわね」
「OK。それじゃあ全員集まった後の十一日に次の使徒に対する作戦会議をやるわ。それまでに少しでも多く使徒のデータを頂戴」
「画像はリアルタイムで流すわ。あと、分析結果も」
「サンクス。作戦部から武器開発・補充の依頼もリツコ宛でいいの?」
「そうね、宛先マヤ、CCで私に頂戴」
「了解。あと、届いたデータで気になるのがあったんだけど、聞いてもいい?」
「何かしら」
「オーストラリアの映像にあった【緑のエヴァ】よ。建造予定だった参拾号機までにあんな形のエヴァはなかったわ」
「そうね」
「説明してくれるの?」
「無理よ」
「なぜ」
「私も初めて見たんだもの」
 ミサトは二の句が告げられなかった。エヴァンゲリオン開発の最高責任者であるはずのリツコをして『知らない』と言わせるモノ。
「なに、リツコ。あんたあれにノータッチなの? 全然知らないの?」
「ええ、そうよ。オーストラリアに二機のエヴァがあったって、目も耳も疑ったわ。でも映像にはそうある。だとしたらあれは、私の知らないエヴァよ」
「オーストラリアが隠し持っていたっていうこと?」
「分からないわ。何しろオーストラリアのニューカッスル支部は完全になくなってしまったもの」
 なるほど、それでは分かるはずもない。
「パイロットは?」
「行方不明だそうよ」
「なんで?」
「オーストラリアは地震の被害がひどかったでしょう。人のいない地区まで移動して乗り捨てていったんですって」
「そんな、エヴァを、乗り捨て!?」
 意味が分からない。いったい誰が何のためにそんなことを。
「とにかく謎だらけで分からないわ。ただ、弐拾壱号機と一緒に活動していたから、ゼロくんに聞けば何か知っているかもしれないわね」
「それもふまえて、早く来てもらいたいものね」
 ふう、とミサトはため息をつく。
「意識不明のパイロットの状況は?」
 逆にリツコから質問があった。
「鈴原くんも神楽さんも、ダメージが大きかったことによるショックだけだから、今日か明日には復帰するわ。でも、捌号機は全然修復できても」
「参号機はもう駄目ね。新品を注文した方が早いくらいよ」
 リツコが断じる。使徒一体とエヴァ一体。このまま同じ換算でいけば最終的にはエヴァが生き残る計算になるのだが。
「残ってる使徒の方が強そうだから嫌になるわね」
「そうね。でも、五体のデータは手に入っている。分析していけば倒す方法は見つかるはず」
 そしてリツコが笑った。
「ミサト。私、しばらく休暇をとるわ」
「はあ!?」
 突然の宣言にミサトは大声を上げる。
「あんたがいなくなったら技術部が動かないでしょうが!」
「ええ。でも、やらなければいけないことがある。私にしかできないことで、私なら倒せる使徒が一体だけいる。十日もあればできると思うわ。その間、技術部にできることなんてどうせ修復とかそんなものばかり。その間に作り上げるわ」
「何を」
「ブラジルに現れた使徒の撃退方法」
 ブラジルの使徒といえば、一番正体が分からない相手だ。パターン青の検出と同時にMAGIがのっとられ、一分後に支部が自爆。
「あの使徒の正体はウイルスであるのが分かるわ。それならウイルス抗体を作って、撃退プログラムをくみ上げてしまえば勝ちよ。あとは全ネルフ支部に送信して、自爆決議と同時にプログラムを走らせれば勝手に自滅する、それで使徒を一体倒すことができるわ」
「さすがリツコ! よくそんなところまで気づいたわね!」
 ふふ、とリツコは食後のコーヒーを飲む。
「今日の夜から取り掛かるつもり。だから、完成するまではマヤが技術部長代行になるからよろしく頼むわ」
「ええ。それにリツコの言うとおり、今の技術部は単純に肉体労働ばかりでリツコの出番はまったくなさそうだもんね」
「そういうこと。というわけで、こちらで使徒を一体引き受けるんだから、残りの四体については作戦部で死ぬ気で考えなさい。それからブラジルの使徒についてはデータや分析結果を随時私に流してくれれば、作戦部で動く必要はないわ」
「感謝! チームが一つ減る分、動きやすくなるわ」
 こうして二人はやり取りを終わらせ、再びそれぞれの仕事に戻る。
 やるべきことは分かっている。残り八体の使徒、そのうち五体の使徒はどんな相手なのかが分かっているのだ。それを倒す方法をこの一ヶ月で見つけなければならない。






 午前八時。発令所に全員が集合した。
 総司令、副司令はおらず、技術部長もいない。いるのは作戦部長の葛城ミサトと、オペレーターの高橋シズカ、作戦部からは日向マコトもいる。
「お疲れ様、みんな。まずは昨日の疲れが少しは取れた?」
 全員、表情はあまり明るくなかった。ぐっすり眠れた者はこの中にいなかっただろう。
「まあ、あなたたちがやらなきゃいけないことなんて、しばらくはないから安心していいわ」
「次の使徒撃退の準備はどうするんだ?」
 カズマが尋ねる。
「その準備を作戦部で立てなければならないもの。分かっている使徒だけでも五体もいるのよ? それに、今すぐ作戦が立ったところで二度手間になるのは時間の無駄。だから全員が集まったときに一気にやるわ」
「全員?」
 既に全員集まっているというのに、これ以上誰がいるというのか。
「まず、神楽さんと鈴原くん。多分今日、明日には目を覚ますはずよ。それからこれはまだ決定ではないけど、オーストラリアの錐生ゼロくんと、イギリスのサラ・セイクリッドハートさん。日本に来るって話を昨日したでしょ? 多分十日には全員が集まるはずだから、次の十一日までに作戦部で有効な作戦を立案してみんなに説明するつもりよ」
「了解した」
 カズマはそれで納得したのか、それ以上は何も尋ねなかった。
「それじゃ、まずここまでで分かってることを説明するわね」
 そうしてミサトが教えてくれたのは、この数時間の世界情勢だった。
 まず、世界各国で使徒が現れたことについて、各国首脳がそれぞれ声明を発表。特にアメリカの近代兵器が使徒に通用しなかったことをかんがみ、以後はネルフへの各国からの全面的なバックアップを表明する国が多く見られたこと。
 一方で、ネルフの戦闘における稚拙さについての批判が多かったこと。特に戦いにすらならなかった中国や、一方的に惨敗したフランスなどではネルフ批判が高まっているということ。
 使徒の出現にあわせ、世界全土で大規模・小規模の暴動が発生。一番大きいのはトルコがこの使徒出現にあわせてギリシャへ侵攻開始。国境付近で戦争状態になったとのこと。同様に各地の民族主義運動が勃発。独立を求めるデモやテロが発生。
「そんなことをしている場合じゃないのに」
 シンジが呟く。気持ちは全員同じだ。
 また、国連ではこれまで以上にネルフへのバックアップ体制をとることを表明。国連事務総長ラッセル・スコットは『全世界が団結して立ち向かう時である』と述べて、可能な限りのネルフ支援を表明した。
 アメリカは大統領が行方不明となってしまったため、事実上の行動不能状態に陥ってしまっているが、副大統領は今のところネルフ支援を表明しているわけではない。
「アメリカはベネットがいなくなれば態度が変わるのか? そもそもベネットは生きているのか?」
 コウキが尋ねる。コウキの正体を知っている者からすればよく聞けるなと感心するような質問だが。
「ワシントンで行方不明になってからもう半日近く経過してるわ。これだけの間、まったくどこにも見つからないということは、亡くなっている可能性も高いわね。当然、ベネット大統領がいなくなればアメリカの親ネルフ派の人たちだって活動しやすくなる」
 ミサトの言う通りだ。不謹慎なことではあるが、ベネットがいなくなればネルフとしては動きやすい体制になる。国連事務局もある程度それを見越して声明を発表したのではないだろうか。
「それじゃあ、俺たちは今日から何をしていればいいんだ?」
 ジンが尋ねるとミサトは一つうなずいて答えた。
「何もないのよ」
「は?」
「今のところ、あなたたちにできることは何もなし。神楽さんと鈴原くんの目が覚めたら看病をしてあげて、それから暇があるなら体力トレーニングとかシミュレーションとかしているといいわ。いずれにしても私たちがあなたたちを鍛えることはもうないと思っていい。これからは全部使徒殲滅のための活動になるから、そのつもりでいて」






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