二機のエヴァ、そして七人の適格者。それらを載せた飛行機がオーストラリアを飛び立ったのは、まだ朝のことだった。
前の戦いの後、もう一機のエヴァを操縦していた少女、真希波マリはいなくなってしまった。とはいえ、すぐにでも目の前に現れてきそうな気がして落ち着かない。
乗り捨てられたエヴァ。いなくなったパイロット。放置しておくわけにもいかず、エヴァは一旦本部へと送られることになった。
(それにしても、いればいるで、いなければいないで困る女だ)
自分にとって一番相性の悪いタイプに違いない、とゼロはため息をついた。
二人のサードが出会うとき、物語は新たな局面を迎える。
第弐佰弐話
自由からの逃走
六月九日(火)。
オーストラリアを発った飛行機は、ほぼ正午に日本に到着した。
あの第一東京で姉以外のすべてをなくしてから、この国に戻ってきたのは初めてになる。もう少し何か思うところがあるだろうかと考えていたのだが、意外に自分はこの国にそれほど感情を持っていなかったらしい。
「どうしたの、ゼロ?」
真鶴が尋ねてくるが、いや、と一言答えた。
「そういえば真鶴は日本に来たことがあるんだよな」
「そりゃ、お母さんは日本人だったし」
何をいまさら、という顔で言う。
「もともと沖縄の出身で、子供の頃は何回も行ったわよ。もちろん適格者になってからは全然だけど」
「私は日本初めてー!」
ローラが笑顔で割り込んでくる。
「行きたいところたくさんあるんだー。キョート、ナラ、カマクラ、オキナワもそうだし、あと何といってもニセコ! 温泉入りたい、温泉!」
「何言ってるのよ、温泉はやっぱり上林温泉でしょ。首都から近いし便利じゃない」
「でもー、首都の近くで開発が進んでるから、あんまり風情がないって聞くよ? やっぱり静かな場所じゃなきゃ!」
「ニセコなんて最近オーストラリア人ばっかり行ってるって評判よ? それこそ風情も何もないじゃない」
「でもオーストラリア人が多いってことは、観光する私たちにとっては困ることが少なくていいじゃない」
と、いきなり適格者であることも忘れて観光の話になってしまっている。
「現実的に北海道は無理だろう」
「ほらね」
「むー」
「だいたい、この緊急時に温泉にゆっくりつかってくるような余裕があるとも思えない」
「そんなー」
「どこでもいいから行きたいー」
二人の妹が好き勝手なことを言い始める。さすがに日本に世話になる身分で『温泉に行きたい』はないだろう。せめて使徒戦が終わるまでは。
「まあ、休みの日に第三新東京で買い物くらいはできるだろう」
「やったっ!」
「もちろん、ゼロさんも一緒だよね?」
ここで行かないと言ったら二人でむくれるのだろう。ため息をついて「分かった」とOKする。
「それじゃあ早速買い物リストを作っておかないと!」
「それに第三新東京観光スポットも確認しておかないとね!」
「お前ら、ここに何しに来たか分かってるよな」
少々頭痛のするゼロだったが、二人が底抜けに明るいのでまだ自分が冷静でいられるのも事実だ。その意味ではありがたいと思う。
そうして空港からネルフ専用バスに乗る。今回オーストラリアから日本にやってきた適格者は総勢七名。生き残った適格者全員だ。ランクAのゼロ、ランクBの真鶴とローラ、そしてランクDが三人、ランクEが一人。
バスに乗り込んだところで黒メガネをかけた保安部職員から挨拶があった。
「オーストラリアの適格者のみなさん、長いところをお疲れ様でした。本日のガードを任されている剣崎といいます。何かあればいつでもお声をかけてください」
「はいはーい!」
ローラがいきなり元気に声をかける。
「どうぞ、ローラさん」
「あ、名前知ってるんですか?」
「もちろんです。みなさんはこの世界を守る適格者なのですから」
もちろん剣崎は事前に来る七人のことは調べ上げている。碇シンジの敵は何もアメリカに限るわけではないし、何よりアメリカの手先がオーストラリアを経由してこないとも限らない。さらには使徒教の問題もある。用心に越したことはない。
「これから先、温泉に行くこととかはできますか?」
「うわ、本気で聞いたよこの子」
隣に座った真鶴が頭を抱えた。だが、剣崎は少し考えてから答えた。
「そうですね、打診してみましょう」
「え、ホント?」
思わぬ結果にローラだけでなく、ゼロを除いた六人全員が剣崎に注目する。
「もちろん私の一存でお約束することはできませんが、オーストラリアであったこと、そして長旅、大変お疲れでしょう。日本の適格者たちもみなさんほどではありませんがとても疲れています。そして使徒が次に来るのは一ヵ月後と決まっています。だから少しの間、パイロットを中心に休暇を作るという話が出ていたんです」
「温泉! ぜひ温泉で!」
「分かりました。それで検討させていただきます」
「やったっ!」
「お約束できるわけではありませんので、ぬか喜びになるかもしれませんが」
剣崎は表情を変えずに言ってから「他にはありませんか」と尋ねた。
「それでは出発します。一時間もすればネルフ本部に到着します。御用の際はなんなりと」
そしてバスは出発した。
(日本か)
流れていく風景を眺めながら、ゼロはぼんやりと考える。
(姉さんに何も言えないまま、ここまで来てしまったな)
元気でやっているだろうか。自分が適格者になってから、手紙でしかやり取りもしなくなってしまったが。
(日本とオーストラリアは遠いな)
自分の生まれ故郷。だが、今の自分にとってはもはや故郷は日本ではない。オーストラリアになってしまった。
「何考えてるのよ、ゼロ」
前の座席から顔を出してきたのは真鶴だ。
「何も」
「嘘。いっつも一人で考え込むんだから。ま、こんなところで重い話もできないけど」
他にたくさん人がいる。当然内緒話もできるわけがない。
「後でゆっくり話しなさいよ。私やローラだって、話を聞くことくらいはできるんだから」
「考えておく」
真鶴はため息をついて席に座りなおした。再び一人になったゼロは目を閉じた。睡眠が必要なわけではないが、取れるうちに取っておいた方がいいなら、そうしておくべきだと思った。
ネルフ本部に到着してバスを降りる。荷物は先に運ばれているらしく、剣崎に連れられて本部を歩いて移動する。その間、本部の施設について簡単な説明を受けた。
「それから、少し遅くなりましたが昼食を準備しています。口にあうかどうかは分かりませんが」
「いや、厄介になる身分なので、贅沢を言うつもりはない」
「そうはいきません。先ほども申し上げましたが、あなたがたは適格者です。あなたがたは日本の適格者と同じ待遇を受けることができる。いえ、特にフィフスチルドレン錐生ゼロ、あなたはこのネルフ本部でもファーストチルドレン、サードチルドレンと同等の立場になります」
「突然、外様の人間がやってきては現場も混乱するだろう。あまり待遇をよくしない方がいい」
「国籍も出身も関係ありません。ここでは適格者ランクが全てです」
剣崎はきっぱりと断言する。
「もちろん、ランクB以下の皆さんもそれにふさわしい待遇を用意しています。オーストラリアと同じように、一人ずつに個室を用意しています。学習システムはすぐに用意できるわけではないですが、日本語教育、英語教育は準備しています。日本のシステムに従って訓練、トレーニングも可能です。一番大変なのは、日本人しかいないので適格者同士だと日本語でしか会話できないということですね」
「日本語教育はオーストラリア支部では必修だった。片言なら全員が話せる」
と、ゼロが全員を代表して言う。
「そうでしたね。特に二〇〇八年以降、オーストラリアの日本語教育政策は強くなったと聞いています」
「俺は詳しくは知らないが、国連本部の招致、さらには中国・韓国の地位の低下によってオーストラリアの外国語政策は日本語が一番になった。今のオーストラリアの小中学生はほとんど日本語を習っているだろう」
「それは頼もしい。外国に行くときの一番の問題は言語の壁です。皆さんがその壁を破っているのなら、すぐに日本で打ち解けることもできるでしょう」
そして丸テーブルのある部屋へやってきて、そこで食事となった。すぐに料理が運ばれてくる。遅い昼食ということもあり、内容は軽いものということでシーフード料理だった。オーストラリアではよく食べるものなので、これは大変適格者たちに好評だった。もっとも、
「味付けがまだまだね」
「やっぱり本場じゃないとねー」
真鶴やローラはいかにも専門家らしい批評をしていたりしたが。
食事が終わって少し休憩。紅茶が運ばれてきてのんびりした後で、再び剣崎がやってきた。
「それでは個室にご案内いたします」
七人はそうしてまた剣崎についていく。長いエスカレーターを降りて居住区画へ。一人一室ずつあるということは、本部には七百人もの適格者がいるという、つまり七百部屋はあるということ。
「とんでもない規模だな」
ゼロがつまらなさそうに言う。
「適格者が千人までは大丈夫です」
「それ以上になったら?」
「リストラしないといけないですね」
ずっとランクEにいて、そこからランクアップしないような適格者をいつまでも抱えておくのは費用の無駄づかいだ。
「ここから七室が、皆さんの部屋です。部屋にネームプレートがありますので、それで確認されてください。鍵はみなさんの掌紋が既に登録されてあります。本日の予定はこの後七時に会食の予定ですが、それまで本部内は自由に行動されてかまいません」
「それじゃあネルフ本部探検とかしていいの?」
「はい。立入禁止のところはみなさんの掌紋でも開きませんが、問題ないところは全て開閉が自由です」
「そうと決まったら、ゼロさん、探検に行こう、探検!」
「ちょっとローラ、まずは荷物を整理してからでしょ!」
真鶴がたしなめる。ふう、とゼロはため息をついた。
「二人とも、準備ができたら呼びに来てくれ」
二人が嬉しそうにうなずくのを見て、ゼロは自分の部屋に入った。
届いている荷物を開ける。といっても、その中に自分の愛用の品は何一つない。本部が破壊されてしまったときに無事だったものは何一つなかった。だからここにあるのは、その後で手に入れたものばかり。とりあえず日本に行くのに必要なものを一式とりそろえただけのこと。
適当にクローゼットに放り込むと、真鶴とローラが来るまでゼロはベッドに横になった。
(意外に疲れているな)
使徒との激闘、それから手続き、長距離移動と休まらない日々が続いていた。真鶴やローラの無尽蔵の体力がどこから来るのか不思議なくらいだ。
(俺はただ、家族と一緒に暮らしていたかっただけのはずなのに、ずいぶんと遠くへやってきたものだ)
自分が望んでいるものから、どんどん遠くなるように感じる。もっとも、叔父や姉はもう自分のことなど待ってはいないだろう。二人の安全のために、二人を捨てた。もはや自分には帰る家などない。二人は自分のことを薄情な人間だと思っているだろう。まったくその通りだ。日本に来るということすら自分は二人に何も伝えていない。
(二人が無事でいてくれるならそれでいい)
もはやオーストラリア支部もなくなり、義理立てをする必要はなくなっているはずだ。それなのにのこのことこんなところにやってきたのは、やはり自分が薄情だからなのだろう。
(今の俺には守るものがあるからな)
この場所でできた二人の妹。二人とも何のてらいもなく、自分のことを純粋に慕ってくれている。そして自分も二人の妹を守りたいという気持ちが強いということを、この前の使徒戦で思い知らされた。
(俺がこんなに、人にこだわる人間だとは思わなかったが)
叔父と姉のために自分の人生を捨てた人間が、こだわらないはずがない。そういうことなのだろう。
「ゼロさーん!」
「ゼロー! そろそろ行くわよー!」
扉の前でその二人が呼んでいる。やれやれ、と毒づきながら立ち上がる。本当に、あの元気はどこからやってくるのか。
右にローラ、左に真鶴を連れて適当にネルフを歩く。といっても、ローラがどこから持ってきたのか『ようこそネルフ江』と書かれているパンフレットを見ながらの移動だ。
「地下にプールとかあるんだねー」
「食堂の大きさが半端じゃないわね」
「音楽室とか体育館とかもあるよ!」
「いろんな設備があって飽きないわね。どこから行く?」
既に歩きながら言われても困る。ゼロは一言「任せる」とだけ答えた。
「まっすぐいくとトレーニングルームだよね」
「それじゃあ、誰かいるかもしれないわね」
「行ってみようか」
そうして三人はトレーニングルームへとやってきた。
現状、使徒戦の後で定時の学習、トレーニングは一時中止になっている。適格者たちは全て自由行動となっていた。トレーニングルームも自由開放となっており、誰でも好きな時間に好きなだけ使っていいことになっていた。
せっかくの空き時間とはいえ、遊びたい盛りの小中学生たち。同じグループで集まったり遊んだり、または地下のプールに行ったりというところだが、ほとんどの適格者はテレビで情報収集ばかりしているという感じだった。
そんなトレーニングルームにいたのはたったの六人。
「ここはもっと踏み込め。中途半端が一番よくない」
「そうそう、上手上手」
「だんだんコツが飲み込めてきたみたいですね」
たった一人の適格者をみんなでよってたかって鍛えているところだった。
(あれは確か)
一度画像を見たことがある。本部のエースパイロット、サードチルドレンの碇シンジ。
さらにそれを鍛えているのは格闘ランクSの朱童カズマ、古城エン、清田リオナの三人。暇をしていた不破ダイチと舘風レミの二人が最初にこちらに気付いた。
「あー!」
レミが大声でこちらを指差す。その声で他のメンバーも全員こちらに気付いたようだ。
「あ、もう到着してたんだ」
エンが笑顔で言う。とはいえ、このメンバーの中では取りまとめ役が誰もいない。ジンかタクヤがいてくれたら会話担当になるのだが。
「ええと、ナイストゥミーチュー」
「日本語で大丈夫だ」
リオナが話しかけようとしたが、ゼロがあっさりと日本語で返す。
「サードチルドレン・碇シンジだな」
「うん」
シンジはうなずいて、正面から相手を見る。
「錐生ゼロだ。しばらく日本に世話になることになった。よろしく頼む」
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