「温泉?」
 さすがにその報告を聞いた葛城ミサトは頭を抱えた。既に赤木リツコは一週間の『休暇』に入っており、相談することはできない。
「この時期に温泉はちょっとねえ」
「いえ、いっそのこと先に休暇を与えておくべきかと思います」
 キョウヤは積極的にこの案に乗った。
「何か理由があるの?」
「『死徒』フィー・ベルドリンテが一度国外に出たという情報が入りました。『死徒』が国内にいない今が動き回りやすい機会だということです」
「なるほど」
 ミサトはそれを聞いてGOサインを出す。が、一つだけ尋ねた。
「『死徒』は次に誰を狙っているのか分かる?」
「さあ、それは分かりませんが」
 キョウヤは事実だけを述べた。
「彼女はアメリカへ飛んだそうです」
 フィフスチルドレンの存在は使徒の動きを制する。












第弐佰参話



幼児期と社会












 ゼロは特段、本部のサードチルドレンという存在には何の感慨もなかった。かつて自分がサードチルドレンになれるという話を聞いてはいたものの、そんなものに全く興味がなければ誰がなろうとも同じ。むしろ、自分のかわりにサードチルドレンになってくれた碇シンジに感謝の念すら抱いたくらいだ。もっとも、後にフィフスチルドレンなどというものがついて回ることになったが。
 だが、二人の妹はといえばそうはならない。自分たちが兄と慕う人物が、ぽっと出の本部の人間にサードを持っていかれた。そう考えるのはなんら不自然ではない。
「あんたがサードチルドレン、碇シンジね」
 マヅルは最初から挑戦的だった。
「ちょうどいいから言っておくわ。私はあなたのサードチルドレンなんて、ちっとも認めてないんですからね!」
「そうだそうだー」
 後ろでローラが笑顔で合いの手を入れる。本気なのか、ただ楽しんでいるのかは分からない。
「もともとサードチルドレンはゼロのものだったのよ。それを勝手にしゃしゃり出て横取りして。絶対に認めないんだから!」
 それを聞いていたエンは思わず笑いかけた。ダイチなどはあからさまに苦笑している。マヅルは何もわかっていないで相手を弾劾している。何しろシンジは適格者になる前からサードチルドレンになることが決まっていたのだから。
 だがシンジはそれを聞いて素直に「ごめん」と一言謝った。このあたりの言葉は単なる反射というもので、それ以上の意味合いはなかったのだろう。
「分かってるなら──」
「いいからお前はもう黙っていろ、マヅル」
 ゼロが呆れた顔で言った。
「でも、ゼロ!」
 なおも食って掛かるマヅルと、その二人を見てあたふたするローラ。
「すまなかったな、変な言いがかりをつけて」
「ううん」
「この二人は俺のことを考えすぎているだけで、別に俺はお前のことを何とも思っていないから、気にしないでくれ」
「うん」
 シンジは頷いたが、それでも不安は残る。
 オーストラリアのサードチルドレン候補のことは、自分がランクBになる前から噂で聞いていたことがあるくらいだ。シンジにとって先輩のような感じがしている。
「それにしても、使徒戦が終わってまだ三日、それでもう訓練しているとは、本部の適格者はずいぶん真面目なんだな」
 ゼロが話題を変えるために話を切り出す。
「この間の戦いで、まだ自分が力不足だって分かったから」
 シンジも真剣な表情で答えた。そして聞きづらそうに言う。
「オーストラリアは、大変だったって聞いた」
「支部が丸ごと消滅したからな」
 何でもない風でゼロも答える。
「助かったのは本当にごく一部の人間だけだ。俺とこの二人、あと残り四名。オーストラリアの適格者は七人だけになった」
 死亡率は実に八割。もともと適格者数の少ないオーストラリア支部だったからこそ志望適格者数は少ないのだが、割合を考えればひどいものだ。
「これから日本で一緒に戦ってくれるって聞いた」
「そうなるようだな。俺もよくわかっていないが、よろしく頼む」
「うん。こちらこそよろしく」
 どことなく緊張をはらんだ二人の会話が終わると随時自己紹介となった。カズマにエン、リオナ、レミ、ダイチと日本側の紹介が終わると、今度はオーストラリア側のローラとマヅルが紹介される。
「マヅル・テイラー・天継?」
 レミが驚いたような顔をする。
「そうよ。何か?」
「もしかして、マヅルちゃんって、天継キヨラさんの娘さん!?」
 マヅルが目を見開く。
「ええ、そうだけど」
「やっぱりー! まさか娘さんが適格者やってて、こうして会えるなんて感激っ☆」
 レミが強引にマヅルの手をとって上下にぶんぶんと振る。
「有名人なの?」
 マヅルに聞こえないように、リオナが隣に来たダイチに聞く。
「母親はな。子供は知らん」
「へえ。どんな人?」
「現代最高のシャーマンと呼ばれている。三年前まではよくテレビにも出ていたが、最近は見なくなったな」
「シャーマン?」
「死んだ人間の霊を自らの体に降ろす人間のことだ。口寄せとか魂呼ばいなどとも言われる」
「詳しいのね」
「以前に会ったことがある」
「なんでそんな人と」
「俺も以前はテレビに出ていた。そのとき番組で共演したことがある」
「なんとまあ」
 さすがのリオナもダイチの顔の広さにはあきれるしかない。
「占いが好きなレミが天継キヨラのことを知っていても何のおかしなこともないだろう。それより気になっていたのだが」
「なに」
「天継キヨラは行方不明になった、と聞いたことがある」
 行方不明。今から三年前にはまだテレビに出ていたということは、二〇一二年より後に何かがあったということ。
 だが、そんな事情をまったく知らずにレミがマヅルにたたみかけるように質問した。
「キヨラさんって最近テレビに出てないけど、体調でも悪いの? 海外で活躍しているっていう話も聞いてないし、それともオーストラリアの方にいるの?」
「ママなら、死んだわ」
 冷たい声でマヅルが語った。
「うそ」
「本当よ。もう二年になるわ」
「あんなにすごい人が、どうして」
「きっと、すごすぎたから、なんでしょうね」
 マヅルは少し遠い目をして言った。
「ママは海外で大きな仕事があるからと言っていなくなったわ。そしてもう二年も連絡がない。何があったかは分からないけど、死んだって考えるのが当然でしょ」
 だが、生きている可能性だってある。
 それをレミは言わなかった。きっと、マヅルもそれを信じたくて、信じようとして、それでもなお死んだのだと割り切っているのだ。他の人間が、それも初めて会っただけの人間が、軽々しく言っていいことではない。
 そのかわり、レミはマヅルを抱きしめた。
「ちょっ!?」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
 何も言葉はない。何も言えるはずがない。
 だが、その何かを伝えたいという気持ちは伝わったのか、マヅルはため息をついて逆に相手の背中をたたいてなぐさめる。
「大丈夫よ。私にはゼロとローラがいるもの。悲しいなんて言ってたらバチがあたるわ」
「仲良しなんだ」
「そうよ。私たち、オーストラリアではずっと一緒だったんだもの。ゼロだけさっさとランクAになっちゃったけど」
「それじゃあシンジくんとは正反対だ」
 レミが笑って言う。
「反対?」
「うん。確かシンジくんの同期は、みんなさっさとランクBまで来てて、シンジくんが一番最後だったんだよね」
 その最後にやってきたシンジが一番のシンクロ率を出したのだから、いかに基本性能に良くも悪くも違いがあるかが分かる。
「じゃあ、マヅルちゃんもローラちゃんもランクB適格者なの?」
「ええ。あなたは確か、ランクAなのよね」
「まあね☆ といっても、シンクロ率そんなに高くないからランクAだとお荷物なんだけどー」
 とほほー、としょぼくれた顔をするとローラがにこにこ笑顔で言った。
「大丈夫だよー。ランクAでお荷物なら、ランクBなんて不要物だし」
「うわー、はっきり自分のこと不要物って言った」
 と、突然ちびっ子トリオで会話が弾んだ。警戒モード全開だったマヅルもすっかり仲良しモードだ。
「すごいな」
 それを見ていたゼロが感心する。
「何が?」
「ローラは誰にでもあんな感じだが、マヅルは俺やローラ以外とはいつも喧嘩腰だった。それがいきなり仲良くなるなんてな」
「レミはいい子だから」
 同い年の相手にいい子も何もないのだが。
「錐生くんたちは本部の見学をしてたの?」
 シンジがおそるおそる尋ねる。
「そんなところだ。夕方まで好きにしていいと言われたので、好きにしていた」
「それならせっかくだ。碇、案内してやれ」
 カズマが言う。でも、とシンジが訓練の続きを気にする。
「いーのいーの。ランクA適格者同士、お互いのことが分かってる方が戦うときだって便利でしょ?」
 リオナが笑顔で言う。
「俺は別にお前たちの邪魔をするつもりはない」
「何言ってるの、邪魔なわけないじゃない。朝からずっと訓練をやめてくれないシンジ君をやめさせるいい口実よ」
「朝から?」
 もちろん途中の昼食休憩はとっているということなのだろうが、それにしてもずっと訓練し続けているとは。
「自分の体を痛めつけすぎてもいいことは何もないと思うが」
「でも、何かしていないと不安だから」
 そう言うシンジにゼロが正面から向き合った。
(なるほど、ただの適格者ではないらしい)
 自分と違って真面目なのだろう。碇シンジが望んでこの場所にいるのかどうかは分からない。だが、自分に課せられた使命を果たそうと必死になってもがいている。
(どうなってもいいと考えている俺とは大違いだな)
 その純粋さが羨ましくもあるが、自分には到底受け入れられない生き方だ。できないからこそ羨ましいのか。
(今までまったく興味はなかったんだがな)
 妹がわりの二人はともかくとして、今まで他人に対して興味を抱いたことなど一度もなかった。だが、この少年はどこか自分と重なる。目が離せない。
「ここは少し落ち着かない。どこかゆっくり話せるところはないのか?」
 ゼロが提案するとレミが「すぐ外に休憩所があるよっ☆」と答えたので「ではそこにしよう」と頷く。
「先に行っている。着替えが終わったら来てくれ」
 そう言ってゼロはマヅルとローラを連れて休憩所までやってきた。そこで先にジュースを購入する。
「珍しいね」
 ゼロを見ながら、ローラが嬉しそうに言う。
「何がだ?」
「ゼロさんが他の人と話をしようとするの、初めて見た」
「そうよね。適当な会話ばかりして、いつでも他人と距離を置くような感じだったのに」
 さすがに二人の妹には見抜かれているようだ。もちろん自分でも驚いているくらいだ。
「あいつはおそらく、俺と同じだ」
 ゼロはジュースを含んでから答える。
「同じって、何が?」
「適格者になりたくてなったわけじゃないんだろうな、おそらくは」
「なりたかったわけじゃない?」
「ああ。それなのに真剣にやっているのが、俺には新鮮だっただけだ」






 一方、シンジの方も戸惑っていた。他国のランクA適格者にまだ会ったことがなかった最後の一人、オーストラリアの錐生ゼロ。以前からずっと知っていた名前だが、こうして会うのは初めてになる。
 第一印象は『どこか冷めた感じ』のする人物だった。何か全体的に諦めている感じがあった。
「碇」
 着替えの終わったシンジにカズマが声をかけてくる。
「あいつはおそらく、アイズよりも手ごわい」
「手ごわい?」
「ああ。お前はアイズとはすぐに仲良くなれたかもしれないが、あいつとは時間がかかるだろう。仲良くするつもりなら急がない方がいい」
 カズマが自分を心配して言ってくれているのは分かるが、どうしてそんなことを言うのか、そしてどうしてそう思うのかが分からなかった。
「疑問か?」
「うん。朱童くんは、錐生くんのことを知っているの?」
「錐生家のことは聞いたことがないか?」
「錐生家?」
「セカンドインパクト前、多くの国会議員を出してきた政治家の一族だ。だが、二〇〇八年の東京襲撃でそのほとんどが死んだ」
 東京襲撃という言葉にかすかに反応したのはエン。もちろんエンがあの生き残りであるということはシンジしか聞いていないことだ。
「錐生家の一人がオーストラリアで商売を始めて成功していたので、そっちに引き取られたそうだ。それがなければあいつは今頃日本でランクA適格者だったかもしれない」
「それと、どういう関係があるの?」
「それが理由かは分からない。だが、あいつの目は──すべてを亡くした奴の目をしていた。絶望の中にいる人間を救い出すのは、相当に大変なことだ」
 シンジは少し考えてから「分かった」とうなずく。カズマもうなずいてダイチと共に先に出た。カズマは別にゼロと一緒に行動しようとは思っていなかった。
「いいのか?」
 ダイチが尋ねる。ああ、とカズマが答えた。
「錐生に危害を加えるつもりはないだろう。それに古城に清田もいる。万が一もない」
 ふむ、とダイチは頷いてから尋ねようとした。
「朱童」
「なんだ?」
 冷たい声だった。ダイチはそれを聞いて「なんでもない」と答えた。
(すべてを亡くしたというのは、お前のことなんだな)
 鏡を見るようだからゼロには会いたくないということか。そういう弱さもこの男らしいのだが、その弱さが今後の使徒戦に悪い方向に出なければいいが、とダイチは少し不安を覚えた。






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