真希波マリはその閉鎖空間でただじっと時間が過ぎるのを待っていた。
自分は常に行動の人間だ。体を動かすこともできず、ただ時の過ぎるのに身を任せるのは大変な苦痛だ。体さえ動くのなら、この部屋からの脱出だって可能だろう。だが、何も身動きが取れない状態ではどうにもならない。
今日あたり、きっとゼロもこのネルフ本部へ来ているはず。できれば顔を見たかった。
もちろん、自分が殺されるようなことはもうないだろうが、はたして自分の処遇がどうなるのか。このまま何日もこの場に放置されることだけは御免だ。
そう思っていたら扉が開いた。憔悴した顔でその相手を見る。
そこには憎き相手、真道カスミの顔があった。
「さて、お前にはこれからたっぷりと働いてもらうぜ」
カスミの言葉に、マリは不満を隠すこともせずに舌打ちした。
あらゆる信念の背景には、重要でなくともいくつかの事実が存在する。
第弐佰肆話
存在の大いなる連鎖
カズマとダイチがいなくなったため、親睦会は結局七人となった。レミ・マヅル・ローラのちびっ子三人(レミは年上だが)と、それを見守るリオナ(リオナとレミは同い年だが)という構図が出来上がり、女子チーム四人はわきあいあいと会話している。
一方で男子チームの方はといえば、互いに何を話せばいいのかよく分からないという様子ではあったが、次第に身の上話を中心に話をするようになっていた。
話が一段落ついたときに、エンが口をはさんだ。
「錐生くんは、第一東京にいたって聞いたけど、本当なんですか」
突然話を振られたゼロは、あまりいい気はしなかった。なんでも暴かれるのは誰だって嫌がる。それもあの虐殺は悪いことしか記憶に残っていない。
「気を悪くしたらごめん。でも、僕もあのとき、第一東京にいたんだ」
それを聞いたゼロの警戒心が解けた。こういうとき、同じ境遇にいたもの同士傷をなめあうのは、人間誰しも同じだ。
「僕はあの、第一東京で起こったことを調べている。もし、錐生くんに知っていることがあったら教えてほしい」
「それはあの、光の巨人について、ということか」
ゼロは少し思い出すように目を閉じる。
「俺が知っていることは少ない。だが、俺なりに調べてわかったことがある」
「具体的には?」
「まずは場所。俺が実際に見た場所。東京都墨田区押上という場所だ」
「おしあげ?」
第一東京のことはあまり詳しくないシンジにとって、その地名は未知のものにすぎない。
「ああ。スカイツリー、というのを聞いたことは?」
二人とも首を振る。
「では東京タワーなら聞いたことがあるだろう」
「あ、うん。三三三メートルの電波塔だよね」
「そうだ。当時の第一東京は高層ビルが多く、新しい電波塔を作ることになっていた。それが東京スカイツリーというもので、二〇〇八年の七月に着工を開始していた」
六カ国襲撃は二〇〇八年の九月十一日。着工間もなく破壊されたということになる。
「予定では東京タワーより三百メートル高くする予定だったらしい」
「六百メートル以上か。随分高い建造物だね」
シンジが無難に呟く。
「完成していればな。だが、結局は着工間もなく消え去ることになった。今はただの廃墟で跡形もない」
「でも、どうして光の巨人はそんなところに現れたんだろう?」
シンジが尋ねるとゼロが頷いて答える。
「俺が調べたのはそこだ。ちょうどスカイツリーの位置に光の巨人が現れたのは偶然その場所だったのか、それとも必然だったのか」
「必然? その場所に何か秘密があるっていうこと?」
「というか、その場所に現れた理由、というべきだな。要するに光の巨人の出現ポイントがそこでなければならなかった理由だ」
エンの目が鋭くなる。
「分かるのかい?」
「いや、俺に調べられたのは昔そこに何があったか、ということだけだ」
「昔、何があったか?」
エンはいろいろと思い返すが、さすがに旧東京の地理が完全に頭に入っているわけではない。
「ああ。俺が調べた限りでは、スカイツリーの建設予定地のすぐ傍にネルフ関連の研究施設があった。おそらくはそれが原因なんだと思う」
「ネルフ関連の施設?」
「ああ。ハイヴという研究施設で、人類の進化に関する研究をしているということだったが──」
その名前が出たとき、エンの表情が強張った。
「何か知っている顔だな」
「いや、僕が知っているハイヴのことなら、もっと別の場所に研究施設があったはずだ」
「そうらしいな。もっと西側の方にハイヴの表向きの研究所がある。だが、東京都内にハイヴの施設は全部で十以上あった」
「そんなに!?」
「ああ。それぞれの施設で研究内容は違っていたらしい。その中の一つだ」
言われてみれば、確かにエンたちのいた場所と、アルトやノアたちがいた場所には違いがあった。アルトやノアはいつも外から来ていた。自分たちとは違う研究を別の場所で行っていたということか。
「ハイヴはあの東京襲撃で自然消滅したが、その直接的な原因は襲撃そのものではなく、あの『光の巨人』が原因だと思っている」
「『光の巨人』が?」
「ああ。爆発と同時に現れた『光の巨人』。おそらくは六カ国軍の砲撃がハイヴを直撃したことが『光の巨人』の出現に結びついているのだろう。そして出現と同時に、付近の建物が消滅した」
「消滅?」
「ああ。その辺りは完全なクレーターになっていて、跡形も残っていない。ミサイルの爆発だけではそうはならないだろう。だとしたら『光の巨人』の方に原因があるはずだ」
シンジやエンの知らないことが次々に出てくる。当事者であるエンはまだしも、シンジにとっては混乱する一方だ。
「ハイヴっていったい、何をする組織なの?」
シンジが尋ねるとエンが顔をしかめる。
「今となっては分からないな。部署がいくつかあるのは知っていたけど、それぞれの部署で何をしていたのかは分からない。ただ共通して言えるのは、人類の進化について研究していたことだけだよ」
「ということは、南極の巨人についてもハイヴの仕業と考えていいわけか?」
と、ゼロが尋ねる。だが、それについては『分からない』としか言いようがない。自分たちではつきとめることができない事実だ。
「ハイヴが消滅してしまった以上、調べることはできないと思うよ。あとはハイヴの生き残りに尋ねるくらいかな」
「生き残り?」
「うん。ライプリヒ製薬がハイヴの残党を抱え込んだっていう話を聞いた」
「ライプリヒというと、ドイツの会社だったな」
「そうだけど」
ドイツ、と聞いて思い出すのは消えた真希波マリのことだった。どうせまた近いうちに顔を出すに違いないが、いったいどこでどうしているのかゼロには分からない。
「俺にわかるのはここまでだな。あの『光の巨人』が押上の地域一帯をクレーターに変えた。そしてハイヴの施設と何らかの関係がある。その程度だ」
だが、それだけでもエンにとっては大きな進歩だ。まさか自分を育てたハイヴが『光の巨人』に関係しているとは思っていなかった。
「逆に俺からも尋ねていいか」
ゼロが尋ねた。その視線はシンジではなく、エンだ。
「何?」
「お前はハイヴと何か関係があるのか」
顔が強張ったのはエンではなくシンジだ。だが、その様子が『シンジは事実であることを知っている』ことを証明してしまった。
「なるほど」
ゼロがうなずくと、エンが苦笑する。
「まあ、隠すことでもないんだけれど、話して楽しいことでもないから」
「適格者になるような奴は、たいていそういうものだ」
「そうだね。僕もそう思う」
エンはしばらく考えてから、隣で話している女子チームの方を見た。
「差支えがなければ別の機会でもいいかな」
あまり聞かれたい話というわけでもない、ということを察したゼロは「分かった」と答える。
Operation Downfall。カスミは一日をかけてこの作戦名について徹底的に調べた。だが、調べれば調べるほど、第二次世界大戦の日本上陸作戦のことばかりが見つかってしまう。
ましてやセカンドインパクト時点での作戦に対し、カスミが頼みとするMAGIはまだ作られてすらいないのだ。これでは簡単に探すことはできない。
そこでカスミは捜索範囲を広げることにした。【二体の使徒】【侵攻を止める】【作戦】などのワードをヒントに、関係ありそうなファイルを残らずMAGIに拾い上げさせたのだ。
Downfallそのものの語句はおそらく全て抹消されているのだろう。だとすればその周辺部から攻めるしかない。そうして隠されていた情報を拾い上げるのはかなり手間取る作業だった。だからこそ一日がかりになったのだ。
「二体の使徒が侵攻をやめた理由か」
もしもこの調査内容が真実だとしたら、誰かがこの人物を世界から隠匿したということになる。命がけで使徒の侵攻を食い止めた英雄をだ。
何故。
「イラストリアスに聞いても知らないって言うだろうしなあ」
彼女はおそらく『協力者』の行動に興味があるのであって、真実そのものはどうでもいいのだろう。だからこそ真実を知らなくても、面白いから行動できる。『協力者』とやらにとっては都合のいい相手だろう。
そしてその『協力者』とやらは、使徒を倒す方法を知っている人と会おうとしている、とマリは言った。その人物こそ、この『英雄』に他ならない。
だが、その『英雄』には会えない。会えたとしても話は聞けない。なぜなら、この調査内容を信じるならば『英雄』は現在、植物人間と化してしまっているはずだ。
「オペレーション・ダウンフォールか。まだいろいろな謎が眠っていやがりそうだが」
【Operation Downfall】
生命体Xに対し、人間による『直接接触』を試みたアメリカ軍の作戦である。
Xは相手の精神を読み取り行動に移すことができるものと思われるところがあり、精神を読み取ることができるのなら会話もできるはずで、直接対話には接触することが一番妥当な方法であると判断された。
当然それにはいくつかの問題があった。まず、使徒の攻撃をくぐりぬけて接触しなければならないこと。使徒は人間の考えが読み取れるので、接触を望まなければ迎撃してくる可能性が高い。
さらに、使徒を近距離に見たものは残らず意識が混濁し、目を覚ますことがないという状態になっていることから、これを実行した人間はおそらく死亡、ないしは植物人間となることが推測されることも問題であった。
そしてその選ばれた人物は決して使徒を倒そうとか、戦おうなどと考えてはならない。あくまでも対話をし、使徒の考えを聞くことが一番の目的である。
こうして選ばれた人物は、軍の中でも穏健派と呼ばれているグループの将軍であった。まだ三十を少しすぎたばかりの将軍は、妻と、セカンドインパクト直後に生まれたばかりの子供をドイツに残し、ミュンヘンで直接接触を試みた。
その結果、生まれたのがあの『ミュンヘンの石碑』だ。
直接対話が成功したのかどうかは分からない。だが、ミュンヘンで接触した結果、二体の使徒が消え、かわりに石碑が生まれた。人類には十五年という時間が与えられた。結果がどうなろうと、一人の『英雄』の行動が人類に時間をくれたことには違いない。
その『英雄』の『遺体』はいまだに見つかっていない。だが、石碑付近には何もなかったことをふまえると、作戦後、アメリカ軍がひそかに回収したということらしい。
それが現在、アメリカ軍の基地、エリア五一にあるという。
「あそこに進入するとしたら、ペンタゴンやヴォクスホールより厳しいぜ」
自分ならできないとは言わない。だが、絶対に成功するとも言い切れない。まさに世界で最も進入が難しい場所ということになるだろう。
昔からUFOの研究所があるとか、まことしやかにささやかれてきた場所だ。今さら『英雄』の『遺体』があるくらいのことでは驚かないが、それにしても。
「その英雄をどうして隠さなければいけない?」
その将軍のおかげで世界がひとまず平和になったというのなら、もっと表彰されていいはずだ。少なくともその家族には一生困らないだけの金額を渡していなければおかしい。
それなのに。
(やべえ)
これはまずい。まずすぎる。
よりにもよってこんな時に。
『俺は自分の目的を達成したらネルフから出ていくかもしれないぜ』
そう、もう目的は達した。マリを捕まえ、復讐を果たした。今、自分がこのネルフにいる理由はなくなった。
そんな折に、エリア五一などという言葉が出てきたら。
(行きたくて仕方ないじゃねーか)
自分はやはり、根っからのトレジャーハンター。そこに秘宝があるなら、それを手に入れるために行動する。
今の自分にとって最高の宝とは何か?
(その『英雄の遺体』が宝だ!)
もう火がついた。ついてしまった以上、消し方など知らない。
カスミは立ち上がると部屋から出た。そのまま真っ直ぐキョウヤの元へ向かう。
いつものようにキョウヤは自分の部屋にいた。というか、いつもあちこち動き回っているので自分の部屋にいることの方が少ないはずだが。
「キョウヤさん」
突然のカスミの来訪にもキョウヤは動じない。
「どうした」
「昨日、マリを捕まえたって言っただろ」
「ああ」
「俺はもう、このネルフでの一番の目的は果たした」
「そうだな」
「こんなときにすごい申し訳ないのは分かってるんだが、今すぐに行きたいところがある」
キョウヤはサングラスの奥からカスミの様子をうかがう。感情に流されてはいるものの、決意を秘めた強大な意思が感じられる。
「止めても止まるようなお前ではないだろう」
「ま、そうなんだけどさ」
「そんなことより、お前がわざわざ告げに来ること自体が驚きだ」
「こう見えても、世話になった相手への義理はきちんとするんだぜ」
「ついでに教えてもらおうか。お前のその行動は、碇シンジたち、仲間のためになることなのか?」
「そりゃ当然」
使徒の侵攻を止めることができる唯一の人間に会いに行くのだ。これが仲間のためにならないはずがない。
「お前がいなくなると、情報収集が難しくなるな」
「そう言わないでくれよ。できるだけ早く戻ってくるからさ。それから俺が調べたことは全部キョウヤさんに伝えていく。だから一つだけ頼みを聞いてほしい」
「何だ」
そう。ネルフから出ていくだけなら自分一人でもどうにかなる。だが、これだけはキョウヤの確認が必要だ。
「真希波・マリ・イラストリアス。あいつを連れていきたい」
次へ
もどる