運命の出会いとは、まさに、こういうことを言うのかもしれない。

 何も知らずにいた。
 この世界の意味。この国で何が起こっているのか。かつてこの国であった争い。八年前の戦い。二年前の内乱。
 そして、陥ちたあの夜、太陽宮で何があったのか。

 真実という名の箱の中には、絶望しかなかった。
 けれど、その真実の先にあったもの。



 それが、運命、と呼ばれるものなのかもしれない。









幻想水滸伝V





『君に会えてよかった』










 太陽宮から聖地ルナスを抜け、イサトの手引きで一行はハウド村までやってきた。
 首尾よくボズとめぐり合った王子たちは、出航までの時間、体を休めるために宿へと入っていた。
「はあ、なんとかレインウォールまでは行けそうだね」
 叔母のサイアリーズがベッドに体を投げ出して言う。女王騎士のゲオルグは扉の近く、護衛のリオンは窓の近くでそれぞれ自分たちに危害を加えるものがいないか見張っている。
 ゼガイとは先ほど別れた。どこへ行くのかは分からない。だが、いつの日か再会することを約束した。
「ゲオルグ」
 一息つく暇もなく、僕は隻眼の女王騎士に尋ねる。
「どうした、ラグ」
 ラグシェリード・ファレナス。通称、ラグ。それが自分の名前。
 このファレナ女王国を治める女王アルシュタートの息子。そして、時期王位継承権者リムスレーアの兄。
 その二人にはもう会えない。女王は死に、リムスレーアは反逆者、ギゼル・ゴドウィンに今も捕らえられている。
「聞きたいことがあるんだ」
「言ってみろ」
「母上と父上は、どうやって亡くなったんだ?」
 すると、途端にゲオルグの顔が歪む。
「それはアタシも知りたいね」
 叔母も真剣な表情だ。
「……まだ太陽宮が陥ちてから日が経っていない。今のお前たちには重い話だ。それに、俺の気持ちの整理がつかん」
「それは分かってる」
 王子は頷いて答える。
「でも、知りたい」
 だが、騎士は顔を背ける。
「真実は俺も……そして、お前をも押しつぶしてしまうかもしれん」
 騎士は目を瞑ったまま尋ねた。
「それでもいいのか?」
「ああ。僕は何も知らされていない状態が一番嫌だ。何をどうするかは、自分で知ってから決める」
「……そうか」
 騎士は反対を向いて背を向ける。
「もったいぶるのはよくないから、結論から先に言おう。心の準備はいいか」
 誰からも返事はなかった。そして騎士は振り返って、三人の顔を見比べて言った。
「お前の父、女王騎士長フェリドを殺したのは、女王アルシュタート」
 三人の顔が驚愕に彩られる。
「そして、女王アルシュタートを殺したのは──」
 いけない。
 今の話で、自分はいきなりとんでもないものを引き出そうとしている。止めなければ。止めなければ、何かが。

 何かが、壊れる。

「──この、俺だ」






 ギゼルたちの襲撃により、大広間まで押し込まれた一同は、最後の戦いに臨むところだった。
 ギゼルが操っていた暗殺集団『幽世の門』からの攻撃を防ぐ女王騎士のフェリド、ガレオン、そしてゲオルグ。
 だが、窓からも侵入してきた幽世の門が、クロスボウでフェリドを狙う。
「フェリド!」
 女王は額に宿した太陽の紋章を発動させ、その一人を消滅させる。
 そして、暴走が起こった。
「ふふふ……あははははははははははははははは!」
 女王の哄笑が響く。
「そう。わらわは何を迷っていたのでしょう。このようなものどもに、遠慮することなどなかったというのに……」
「アル!」
 フェリドが女王の暴走を止めようと近づく。だが、既に太陽の紋章に支配されつつあった女王には、それが誰なのか区別がつかなかった。
「触るな、下郎!」
 太陽の紋章が発動する。その瞬間、自分に触れた相手が誰なのか分かった。
「フェリド」
 女王の顔が、信じられないものを見たように驚く。
 だが、フェリドは最後の最後に。
 笑った。

 大丈夫。
 気にするな。
 愛している──アル。

 そして──消滅した。

 何が起こったのか。
 傍で見ていたガレオンとゲオルグには分かった。
 妻が、夫を殺したのだ。
 それも、女王が恐れていた、暴走、という事態によって。
「……あは、あははははははははははは」
 そして女王が笑う。
「あははははははは! あはははははははははははははははははははははは!」
 最愛の者をなくし、暴走は止まらない。
 彼女はこの太陽宮のみならず、このファレナ、いや世界の全てを太陽の紋章で燃やし尽くすまで止まらないだろう。
(──フェリド)
 ゲオルグは一度だけ目を閉じた。
『万が一のときのための保険だ。それも、絶対に信頼できる保険だ』
 自分が、この太陽宮に呼ばれた理由。
 それは──女王が暴走しそうになった場合。

 その命を、断つこと。

 ゲオルグは長剣で女王を背中から刺す。
 これは、フェリドとの誓い。そして、本来のアルシュタートの願い。
 剣を抜いて、女王の体を抱きとめる。
「陛下」
「……あり、がとう……ゲオルグ」
 ゲオルグとガレオンがひざまずく。だが、もはや、全ては終わった。
 この太陽宮の主が、亡くなるのだ。
「あの子、たちを、頼みます……」
「分かった」
「ガレオンも、よく、尽くしてくれました」
「陛下。陛下……っ!」
「あとは、この太陽の紋章を……!」

 女王は、最後の最後まで女王だった。
 残っていた幽世の門をその紋章の力で一掃する。そして、女王の死と共に紋章は台座に戻った。
 女王の体は、もとから存在しなかったかのように、消滅していた。






「それが全てだ」
 話を聞かされながら、王子の顔は蒼白になっていった。
 サイアリーズも何を言えばいいのか分からない。
 護衛のリオンまでが、ゲオルグと王子を交互に見つめている。
「いかなる事情があったとはいえ、俺が女王を殺したことに変わりはない。責めるなら俺を責めろ」
「……できるわけ、ないじゃないか」
 王子はようやく、声を絞り出した。
「それが、母上の願いだったと、いうんだったら……」
 そう。
 ゲオルグに対する恨み──そんなものはない。もっとも、女王を救ってくれてありがとうと、言えるような心境でないのは確かだが。
「父上はゲオルグに、母上を止めるように頼まれていたの?」
「ああ。ルナスから戻ってきた直後だ。婚約の儀で万が一のときは頼む、と」
「そう……だったの」
 王子の顔色が悪い。
 ゲオルグもそれは分かっていた。だが、今の自分には何も言えない。
 王子の後ろにいたリオンに目配せをする。
「王子?」
 王子はそのまま前かがみになり──
「うっ」

 吐血した。

「王子!」
「ラグ!」
 リオンとサイアリーズがその王子を抱きかかえる。
「医者を呼んでくる。リオン、お前は回りの注意を怠るな」
「分かりました」

 そうして。
 この、長い旅の、最初の物語がようやく、幕を下ろそうとしていた。






 船に揺られながら、王子は何も考えずに船の天井を見つめていた。
 考えたくない。
 何も。
 どうすればいいのかも。
 父と母。
 どうやって亡くなったのかを知りたがっていたのは自分だというのに。
 何だろう、このザマは。
 でも、今は考えたくない。考えれば、ゲオルグを恨んだり、自分自身を傷つけてしまったりしそうで怖い。
「王子? 目が覚めましたか?」
 部屋の中にリオンが入ってくる。
「ここは、どこ?」
「ボズさんの船の中です。もうすぐレインウォールに着きますよ」
「レインウォール。ああ、そうか。逃げてる途中だったっけ」
 そんなことすら頭の中にはない。リオンが心配そうに覗き込む。
「王子。果物をもらってきましたよ。少し、おなかに入れておきませんか?」
「ごめん、食欲がないんだ」
「……そうですよね。すみません」
 リオンがサイドテーブルにそれを置くと、困ったように王子を見つめる。
「王子」
「ごめん、リオン。もう少し、一人にしておいて」
 嫌だった。
 人のぬくもりが。
 こんなにも嫌になるとは思わなかった。

 太陽宮に戻ってきたときに。
 自分を抱きしめてくれた母。
 自分を抱きしめてくれた父。
 自分を抱きしめてくれた妹。
 もう、自分を抱きしめてくれる人はいない。






 そうして王子の体調が戻らないまま、船はレインウォールに着く。
 何とかバロウズ卿の屋敷まで歩いていくのだが、それも体調が戻っていない状態では階段を昇ることすらままならない。
 どうしてしまったのだろう、自分の体は。
 真実という名の毒が、自分を蝕む。
「ああ、王子殿下!」
 その彼をさらに苛立たせる人物が目の前に現れる。
 ユーラム・バロウズ。彼を見ていると、無性に、腹立たしくなる。
「ああ、王子殿下、そのようなお姿に! 長い逃避行は大変だったでしょう。さあ、どうぞ僕の屋敷へ!」
 ユーラムの導きで一行が屋敷に入る。
「おお、王子殿下! お待ちしておりましたぞ!」
 そして屋敷の主、サルム・バロウズが出迎える。
「太陽宮での惨劇、まことに残念でございました。ゴドウィンめ、まさかこのような横暴に出るとは、このサルムも考えが及びませんでした。もしそうと知っていたならば、何があってもゴドウィンめを止めたものを! 口惜しくてなりません」
 何を言っているのだろう、この豚は。
 頭の中にどれほど父上や母上のことを思っているのだろうか。ここで自分に恩を売ってどうしようというのか。
 その後も長々とサルムの話が続く。
 もういい。
 早く、寝かせてほしい。
 血の味がして、気分が悪い。

「いけません! お父様!」

 そこへ、凛とした若い女性の声が響いた。
 彼が目をそちらに向ける。そこにいたのは。

「王子殿下はお疲れなのです。見たところ、お具合もよくなさそうです。早く休ませてさしあげませんと」
「あ、ああ、ルセリナ。悪かった悪かった」

 るせ、りな──?

 彼の目に映ったのは、可憐で、清楚な少女。
 ふわりとした桜色のドレス。
 前髪を止めている赤い小さなリボン。
 揺れる長い金色の髪。
 そして、穢れを知らない笑顔。
 どこにもなかった安らぎが、そこにあった

「お久しぶりです……と言っても王子殿下は覚えてらっしゃらないかもしれませんが。バロウズの娘、ルセリナ・バロウズでございます。二階のお部屋を準備させていただきましたので、ご案内いたします」
 そうして一行は階段を昇り、それぞれに割り当てられた部屋に案内する。
「王子殿下はこちらの部屋をお使いください。リオンさんはすぐお隣に部屋を準備しています」
「分かりました。王子、ゆっくりとお休みくださいね」
 ルセリナに誘われて王子が部屋に入るのを見届けてから、リオンも部屋に戻る。もちろん、病床の王子をそのままにしておくつもりはない。今日は寝ずの番になるだろう。
「王子殿下」
 体調の悪そうな王子を、まずはベッドに座らせる。
「太陽宮でのことは伺いました。お悔やみを申し上げます」
「……いや」
「私にできることがありましたら何でもおっしゃってください。太陽宮とまではいきませんが、殿下のお心が安らぐよう、精一杯つとめさせていただきます」
「ありがとう」
 気のない返事で答える王子。その、あまりにも傷心の王子に見かねたのか。
 ルセリナは突然、王子の頭を抱きしめていた。
「……え」
 人の、ぬくもり。
 もう、感じることもないと思っていたものが、そこにある。
「殿下。大丈夫です。姫様と必ずもう一度会えますから」
「君、は──」

 バロウズの娘。
 それが意味するところはたった一つ。

 バロウズが、政略的に娘を自分に近づけさせようとしている。

(……分かっているのに)
 だが、今は。
 このぬくもりが、愛しい。

「殿下?」
 ラグは自分の腕を、彼女に回した。
「少しの間だけ、こうさせて」
「はい」
 ルセリナは、これからここで起こることを忘れることにした。
 王子がこれから何をするのか、全て分かっている。
 部下や叔母、そういった親しい人たちの前で、弱さを見せることはできない。
 だが、自分なら。何の関係もない自分なら。
(どうぞ、安心してお泣きください)
 彼女は優しく、王子の背を撫でる。

 王子は、声を押し殺したまま、ただ涙を流していた。






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