君のことを信じることはできない。
 それでも傍にいてほしいと望む自分は、いったい何なのだろう。



 バロウズ家。王子の名を借りて自分の勢力を拡大しようとする一族。
 ゴドウィン家が王女リムスレーアを抑えてしまったので、バロウズ家としてはもう王子を担ぐしか手はなかったのだろう。
 それくらいのことは読める。頭も回る。
 なにしろ、母上を殺したのがゲオルグだった、などという真実を突きつけられたくらいだ。自分を利用したがっている人間などいくらでもいるだろう。ましてやバロウズ家とゴドウィン家の対立を見ていれば自明の理というもの。

 それなのに。

 自分に微笑みかける彼女の姿は、偽者の微笑みだと分かっているのに、自分を縛り付ける。










幻想水滸伝V





『 I can't believe you 』










 ゴドウィン家の兵士三百人がレインウォールに向けて回転橋を渡ってきた、と報告が入ったのは次の日だった。
 もちろんレインウォールにはサルム家の施設軍がいる。三百人程度でレインウォールが落とせるはずもない。
 だが、次のサルムの言葉に、王子たちの一行は誰も返答することはできなかった。
「つきましては、王子殿下に軍の指揮をとっていただきたいのです」
 もちろん、王子が今までに軍を指揮したことなどない。南方のアーメスとの戦いに参加できるような年齢でもなかったし、そちらには勇将ダインがいて小競り合いを全て押さえ込んできた。それ以外の国とは友好関係を結んでおり、王子が戦場に立つこと自体はじめてのことなのだ。
「お父様!」
 だがそれにルセリナが反対をする。
「もし殿下の身に何かあったらどうするおつもりですか!」
「ああ、ルセリナ。確かにその通りだよ。ですが、殿下。兵士たちの士気を上げるためには、殿下御自ら戦場に立ち、兵を導いてくれるのが一番なのです」
 サイアリーズもゲオルグも渋い顔だ。だが断れる立場ではないのはよく分かっている。
「バロウズ卿」
 王子は冷めた表情で尋ねる。
「なんでしょう」
「卿が動員できる兵はどれくらいか」
「ざっと五百」
「五百か。敵の兵数より多いということは、圧倒的勝利が求められるな」
「はい」
 やむをえない。
 この戦いは自分が望んで行うものではない。だが、これから先のことを考えれば、今バロウズ家と袂を分かつのは死ぬことと同じだ。
「五百の兵は、全て僕が指揮する」
「ラグ」
 サイアリーズがたしなめるように見てくる。
「でも、あんた」
「大丈夫。僕は王宮でいろいろと学んでるから。リオン、すぐにやってほしいことがある」
「はい、王子」
 そのリオンの耳元にこそこそと耳打ちする。すぐに「分かりました」と答えたリオンが一目散にバロウズ家を飛び出していく。
「な、何事でございますか」
「リオンのことはいい。それよりバロウズ卿、五百の兵にすぐに出陣の準備をさせてくれ。馬はいらない。全員に剣と盾を持たせてくれ」
「分かりました」
 すぐに出陣の準備がされる。ボズが「私の兵士も、殿下にお預けした方がよろしいでしょうか」と尋ねてきた。
(この人、自分をちゃんと王子として扱うつもりがあるんだな)
 サルムが飛び出していったので、いい機会なので尋ねてみることにした。
「自分が指揮をするのは不安ですか、ウィルド卿」
「いえ、そうではありません。私もその昔、フェリド騎士長閣下と話したことがあるのですが、王子殿下の機略は素晴らしいと絶賛されていました。確かに自分の子供を贔屓する気持ちはあるのでしょうが、それ以上にきちんと評価されていたのを思い出します」
「ですが、僕はウィルド卿より年下です」
「年齢が全てではありますまい。それとも殿下は不安でいらっしゃいますか」
 そう尋ねられると、まるでそんなことはない。
「いや。戦いに勝つだけなら難しいことじゃない」
「ならば、殿下の思い通りにやってみるのがよろしいかと思います」
 ボズの言葉に「ありがとう」と答える。
 気のりするはずもない。父と母がなくなり、気付けば自分は戦場にいるのだ。この数日でこんなにも変わってしまうものなのか。
「それから、ゲオルグ」
「ああ」
「ゲオルグには一番厳しいところを受け持ってもらうけど」
「戦況を良くするためならば何でもやろう」
 ゲオルグは戦場に立つことで、この数日起こったことを払拭したいような様子だった。
「よくなると思うよ。何しろ、敵の将軍を討ち取る役目だからね」
 既に戦場が見えているような王子の顔に、ゲオルグは微笑を見せた。
「何でもやろう」
「ありがとう。とにかく乱戦になったら相手の親玉を討ち取ることだけを考えてくれればいい。そこまでは僕たちがゲオルグを連れていくから」
「分かった」
「よし。僕も準備をする。半時の後、レインウォール城門で」
 王子はそれだけ言い残すとホールの階段を昇り、自分があてがわれた部屋へと戻る。
(初陣か)
 奇妙なことになったものだ。戦いがそれほど苦手というわけでもない。むしろこの世代の少年の中では誰よりも強いという自信がある。
 怖いのは、自分の采配を間違えるせいで、死ななくてもいい人間が死んでしまうことだ。それは味方は当然のこと、敵だって同じこと。
 同じファレナの民。
 死ねば、悲しむ家族がいるのだ。
(……でも、僕も家族を奪われた)
 死んだものは還ってこない。
 太陽宮での戦いはゴドウィン家が勝利した。そして父も母も死んだ。
 だが、妹は生きている。
 リムスレーアは生きているのだ。
(妹を取り返すために、僕は戦う)
 太陽宮が陥ちてからというもの、全く笑わなくなってしまった自分。どれだけ殺伐とした表情をしていることだろう。
 もう自分は、優しく笑うことができなくなってしまった。
「王子殿下」
 その扉の向こうから、優しい声がかかった。既に聞きなれた声だ。
「もう入って大丈夫」
 既に着替えが終わって装備を整えていた王子がそう答えると、入ってきたのは予想通りルセリナだった。
「どうかした?」
「いえ。父が難題を押し付けてしまい、大変申し訳ありません」
 それをただ謝りに来たというのか。父親の言いつけなのだろうが、大変な役回りを課せられたものだと同情する。
「大丈夫。相手を倒すだけならそれほど犠牲も出さずに勝つ自信はあるんだ。まあ、敵軍の配置次第だけれど。それにこれだけ広い平原だと奇策を使う余地もない。負けることはないよ」
「ですが、危険です」
「僕は妹を取り返すためなら、何でもするつもりだから」
 それまではもう、笑わないと決めた。
 もし自分が少しでも楽しいとか考えたら、今苦しんでいるリムはどうなるのだろうか。
 リムのためにも、自分は一番苦しい道を選ぶ。
 知らない人間だろうが何だろうが、倒す敵ならば倒す。
 そう決めた。
「殿下」
 ルセリナは近づいてくると、そっと彼の手に触れた。
「どうか、ご武運を」
 熱心に祈るルセリナを見て、少しだけ心が揺らぐ。
(駄目だ)
 これ以上、彼女に心を許してはいけない。
(彼女は、バロウズの娘)
 彼女はあくまでも、あのサルム・バロウズの手先なのだ。

 ルセリナは、自分の敵。
 それなのに。
 それなのに──傍にいてほしいと感じる。
 この気持ちは、何だというのだろう。

「うん。ありがとう、ルセリナ」
 笑わずに、王子は答えた。






 リオンが戻ってきて、敵の配置が伝わる。
 敵は三百人の兵士を百名ずつ三隊に分け、北、西、南からそれぞれ進軍してくるようだった。どうやらこちらにとって、一番ありがたい戦法を取ってくれたようだ。
 そして、戦いが始まる。レインウォール防衛戦の始まりだ。
 王子は五百名の兵士全員に進軍を命じた。最も早く近づいてくるのは北から進軍してくる部隊。この百名の部隊にこちらから総攻撃をかける。
 もちろん部隊を分けることはしない。百名の兵士に対して五百名の兵士をぶつけたのだ。そのまま突撃すればどちらが勝つかは火を見るより明らかだ。たった一瞬で百名の兵士のほとんどを蹂躙し、そして被害はほとんどなかった。
 そのまま王子の軍は南へ下る。次の百名を同じように倒す。その百名の隊が本隊だったのか、五百名の部隊にまぎれたゲオルグが敵将に近づき、たった一撃で敵将の首をはねた。『二太刀いらずのゲオルグ』とはよく言ったものだ。
 そして残りの百名が大きく南から迂回して到着する。五百名の兵士は軽傷者はいても、まだ離脱した兵士はいない。二戦してまるで勢いが衰えていないのだ。戦意は否応なしに高まる。
「勇敢なる兵士たちよ! 僕らの信仰する太陽と大河のために、あと一度、力を貸してくれ!」
 王子が叫んで敵軍に先頭に立って突撃していく。さすがにその行動に五百名の兵士も度肝を抜かれた。王子一人を危険に晒すわけにはいかない。五百名の兵士たちは我先にと王子に追いすがった。
 そして最後の百名もことごとく倒す。

 軽傷者、三十五名。
 重傷者、死者、〇名。

 まさに王子の【完全勝利】だった。






『大河のごとき慈愛と、太陽のごとき威光を、あまねく示さんがために!』

 ──だが、そんな戦いも、全ての功績はサルム・バロウズが横取りをしていく。
 それ自体は大した気になるわけでもなかった。所詮はレインウォールの兵士たちを借りた戦。サイアリーズとゲオルグとリオン以外は一人も信頼できない味方たち。
 問題はそんなことではない。

「殿下」

 部屋に戻ってきた自分を出迎えたのは、バロウズ卿の娘、ルセリナだ。
「よく、ご無事で。戦いの間中、私は気が気ではありませんでした」
「ああ、心配をかけたみたいだね。ありがとう」
「いえ。王子殿下がご無事でしたら」

 彼女の微笑みは、本当に自分を助けてくれる。
 それが何のための笑みなのか。それを考えると苦しいのだが、今は騙されたいと思う。

 剣。
 戦いの中で振るい、敵の命をしとめる武器。
 自分はこの戦いで、二人の兵士の命を奪った。突撃中だったためとどめをさしてはいないが、二人とも致命傷に違いなかった。

「ルセリナ。率直な意見を聞かせてくれ」
 自分の手が血で汚れているような気がして尋ねた。
「ゴドウィンを倒すためには、何が必要だと思う?」
 すると彼女は微笑を消して真剣な表情になった。
「それは、仲間です」
「仲間?」
「そうです。サルム・バロウズの私設の兵士たちではなく、王子のために働き、王子のために戦う軍が必要です」
 その言葉の裏に潜んでいるものが何か。もちろん王子には分かった。
「ルセリナ。君は今、何を言ったのか、分かっているのかい?」
「もちろんです、殿下」
 するとルセリナは微笑んで、昨日のようにまた王子の頭を抱きしめていた。

「私は、殿下の味方ですから」

 暖かい。
 温もりを感じる。
 視察から帰ってきたとき、必ず誰かがこうやって自分を抱きしめてくれた。
 父が。母が、妹が。
 そして今、自分の周りにはもう誰もいない。
 いないはずだったのに。
(ルセリナ)
 ここに、戦いから帰ってきた自分を抱きしめてくれる人がいる。
 彼女は自分にとって敵となるだろう人物の、娘。
(信じてはいけない)
 彼女の甘い言葉に、流されてはいけない。

 それでも。
 それでも──この場所は、心地よい。






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