バロウズ家が王家と誼を通じ、勢力を拡大しようとしているのは自明の理というものだ。
 八年前にあった王家の内乱においても、ゴドウィン家、バロウズ家はやはり動いていた。そして幽世の門によって多くの貴族が死にいたった。
 女王家自体にもその牙が向けられた幽世の門は解散させられることになったが、その内乱の中でゴドウィン夫人、ロザリンドが死亡。さらにはバロウズ家の長男も亡くなった。
 バロウズはそれでもなお、王位に執着するというのか。
 いや、サルム・バロウズ本人が王位に就くことはできない。つまり、国王の父となることこそがサルムの狙い。
 だからリムスレーアの夫にユーラムをつけようとした。
 そして今は、自分の妻にルセリナをつけようとしている。

 だが、自分は国王にはなれない。
 だとしたら、バロウズの目的はいったい、何だというのだろう。










幻想水滸伝V





『大丈夫』










 サルム・バロウズはロードレイクを仲間にすることをことのほか嫌った。その裏には何か理由があるのかもしれないが、ラフトフリートを仲間に迎えるのは自分の考えとも一致する。
 ラージャ提督ならば、仮に仲間になってくれたらバロウズではなく自分自身の仲間になってくれるはずだ。
 そうしてリオンと共にラフトフリートまでやってきた王子だったが、そう簡単に事が運ぶわけではなかった。
「まあ、あんたに協力したいのは山々なんだけどね。あたしたちゃ、バロウズに協力するのはごめんなんだよ」
 相談事の内容が分かっていたのか、ラージャは自分から切り出す。
 とはいえ、それも自分の予想の範囲内だ。
「今は兵力が必要だからバロウズのところにいるけれど、いつまでも行動を共にするつもりはない。それに……」
「それに?」
「バロウズは何か隠している。特に、ロードレイクのことになると途端に話をそらそうとする」
「ロードレイクか」
 ラージャは胡坐を解いて右足を立てた。
「王子、あんたが大義を示そうっていうんなら、ロードレイクは避けて通れないよ。二年前の事件以来、あそこは全ての不幸を背負った土地になっちまった。ロードレイクを無視している限り、他の街の連中だって協力しない」
「ラフトフリートも、ということですね」
 ラージャは肩をすくめた。
「なに、あたしがあんたに協力するのはやぶさかじゃない。こう言っちゃなんだが、あたしから見りゃ、あんたたちは孫みたいなもんさ。可愛い孫の頼みを、はいそうですかって追い返すことはしないさ。なあ、キサラ」
「ええ」
 キサラは優しく頷く。
「大変僭越とは思いますが、もし私でも務まるなら、殿下の母親代わりになりとうございます」
 優しい人たちだ。
 自分にはこうやって、自分のために考えてくれる人がいる。
「ありがとうございます。お気持ち、受け取らせていただきます」
「ああ。うちのログとランを使いな。少なくともあんたらの足にはなるだろ。ロードレイクだってどこだって案内させてやんな」
「いいんですか?」
「あたしのできる限りってことさ。あたしが陣頭指揮を取るんじゃないならどうにでもなる」
 ははは、と豪快に笑うラージャに深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「堅苦しいのはなしだ、王子。まあ、ロードレイクに行ったからって簡単に話がまとまるなんてことはないだろうけどね」
「分かります。ロードレイクを味方にするのではなく、ロードレイクのために何ができるかを考えます」
「その調子だ」
 そして立ち上がる。決まったのなら行動するだけだ。






 ロードレイクでタルゲイユ代表と話をしたものの、何も収穫はなかった。
 ただ分かったのは、ロードレイクの問題はあの『太陽の紋章』のせいばかりではない。ゴドウィンが築いた堰、ヘイトリッド城塞のために水が戻ってこないせいだというのだ。
 だからロードレイクはゴドウィン家に協力することはない。それだけははっきりと約束をもらった。
(だとすると、城塞を崩すことができればいいってことか)
 とはいえ、崩すとすれば大変な作業になる。占拠するにしても大量の兵がいる。バロウズ家の兵士をどれほど使ったところで成功はしないだろう。ましてやサルムはロードレイクを味方にするのは反対の立場だ。
(……何故、サルムはロードレイクを嫌うんだ?)
 そこには何か理由があるはずだ。
 だが、今はそれを追及する余裕はない。バロウズ家をあてにできないのなら、自分だけでどうにかしなければならないのだ。
(城塞をまるごと抱き込むとか……無理だよな)
 ゴドウィンの直轄地とも言えるヘイトリッド城塞。これをどう攻略するか。
 知恵が足りない。
 どうすればいいのか。
 どうすることもできないのか。
 そんなことを考えながら、レインウォールへと戻ってきた。
 出迎えたサルムに協力要請が失敗だったことを伝えると相手は気にしなくていいと慰めてくる。
(なるほど、僕の名前で各地に檄を飛ばし、全部バロウズ家に取り込もうっていう腹か)
 先に訪れたセーブルのダインもそうだ。エストライズのボズもそう。サルムはとにかく仲間を集めようとしている。
 そういえばルナスでログとランが金を集めていたのも、もとはといえばサルムが傭兵を集めていたからではなかったか。
「ところで殿下。うちのルセリナですが、どのように思われますかな。あ、いや、あれは私に似合わず、よくできた娘でしてな。このバロウズ家の仕事もほとんどあれがやっておるようなものなのですよ」
「ルセリナさんは素敵な女性だと思いますよ」
 相手に合わせて答える。だが、それだけでもサルムがとても上機嫌で頷いた。
「いや、そうですかそうですか! ははは、あれも殿下のことをよく思っているようでしてな。よろしかったあれと仲良くしてやってください。ははははは!」
 そう笑って自分の部屋へと向かっていく。
(やれやれ)
 こう見え見えだと気分が悪い。
(ルセリナか)
 確かに素敵な女性だと思う。
 まず賢い。自分の立場をきちんと分かって自己主張しない。だが、悪いことには悪いとはっきり言うことができる度胸もある。それに、あの笑顔。今まで苦しんできたことも、彼女の笑顔を見ているだけで消えてなくなっていきそうだ。
 そして──
(僕を抱きしめてくれるのは、彼女だけなんだよな)
 それがサルムの意向でさえなければ、彼女と仲良くするのは全然構わないことなのだ。
「王子?」
 リオンが顔を覗き込んでくる。
「いや、なんでもないよ、リオン」
 笑顔を見せて自分も部屋に戻る。
 この場所はよくない。
 早く自分の仲間と、本拠地を手に入れなければいけない。






「軍師がいるな」
 夜半。リオンとゲオルグ、そしてサイアリーズが揃ったところで、ゲオルグが口を開いた」
「ラグ。お前のために知恵を絞る軍師がいる」
「僕もそれは感じていた」
 頷いて答える。
「ロードレイクの件は、僕では手が余る。僕たちでは思いつかないようなことを思いつくだけの知識のある人物が必要なんだ。そうでないとあのヘイトリッド城塞は落とせない」
「いっそのこと、あたしら四人でラフトフリートに移るっていう手もあるけどね」
 サイアリーズが言うが、彼女自身それが無謀だということは分かっている。そうしたが最後、自分たちはゴドウィン家、バロウズ家の両方と戦わなければならなくなるのだ。
 もしラフトフリートが戦乱を避けて自分たちをかくまってくれなかったら、もはや自分たちに行き場はなくなる。
「とりあえず、バロウズには当面兵隊を集めてもらう。僕の名前を使うのはかまわない。ただ、交渉が全部バロウズがやるんだったら、僕にも考えがある」
「考え?」
「ああ。バロウズを失脚させて、集まった兵隊を全部僕の仲間にする」
 すごいことを言っているのは自分でも分かる。だが、兵隊を集めるのに一番手っ取り早い方法でもある。
「そんなことができるっていうのかい?」
「今の僕には無理だ。だからそれをするためにも軍師が必要だ。僕の戦略を、戦術レベルで実行してくれる心強い軍師が──」
「いるにはいるけどさ」
 サイアリーズが不機嫌そうに言う。
「サイアリーズ様?」
 リオンがその様子をいぶかしんで尋ねる。
「メルセス卿、って知ってるかい」
「聞いたことがある。確か、八年前のアーメスの侵攻を食い止めた人物だな」
 ゲオルグが答える。ああ、とサイアリーズが頷く。
「その人は今、どうしているんだ?」
「さあね。二年前に姉上の不興をこうむってから、どこで何をしてるんだか」
 そう言ってサイアリーズは立ち上がる。
「どこにいるかも分からない。見つけたとして協力してくれるかも分からない。そんな奴を探すだけ時間の無駄ってことかね」
「おい、サイアリーズ」
「じゃあね、おやすみ〜」
 そう言って部屋から出ていく。
「……どうしたんだ、あいつ」
「分からない。でも、叔母上らしくないな。歯切れが悪い」
「ああ。あいつのあんな様子は初めて見る」
 三人で首をひねっていると、ノックの音が聞こえた。
「夜分すみません。ルセリナです」
 自分の体が震えたのが分かった。
「入っていいぞ」
「失礼します」
 ルセリナは仕事が終わったところなのか、いつもの服装でやってきていた。夜中だというのに熱心なことだった。
「こんな時間に、どうしたんですか?」
 リオンが優しく聞くと、ルセリナは困ったように尋ねた。
「あの、殿下……父が、妙なことを申し上げませんでしたか」
「変なこと?」
 何かあっただろうかと思い返す──と、すぐにその正体がわかった。
「君と仲良くしてほしいっていう件?」
 暗闇の中でもルセリナが顔を赤らめたのが分かった。
「は、はい。申し訳ありません。父が勝手なことを」
「俺はお似合いだと思うがな」
「ゲオルグ様!」
 ルセリナが困ったようにして声を荒げる。
「まあお前たち二人が本気だとしても、今は少し時期がまずい」
 ゲオルグの言葉にルセリナが顔をしかめる。
「……父のことですね」
「ああ。ラグ、お前はどう思う」
「どうって、何を」
「決まっている。バロウズ卿とルセリナ嬢のことだ」
 言われてから悩む。
 確かにバロウズはルセリナと自分をくっつけようとしている。その方が外聞がいいからだ。
 だが、ルセリナは?
 ルセリナの感情と意思はどちらを向いているのか。サルムと同じなのか、違うのか。
「ルセリナ」
「はい、殿下」
「君は、僕に信頼できる仲間を見つけろと言ったね」
「はい」
「それは、バロウズ卿は信頼できないという意味にとってかまわないのかな」
 ずばり、核心を突く。
 ルセリナにとっては実の父だ。だが、自分がこれからのことを考えた場合、サルムを自分の仲間にすることはできない。
 ゴドウィン家、バロウズ家の二大派閥の中で、女王家は身動きが取れずにいた。これからゴドウィンを倒したとき、バロウズがそのかわりに入ってくるのは困る。
「殿下は、お忘れでしょう」
 ルセリナは微笑む。
「私が最後に殿下にお会いしたのは八年前。私がまだ十歳のときでした。王子は覚えておられないみたいですが……」
「ごめん」
「いえ。ただ、私にとっては忘れられない思い出なんです。バロウズ家の娘というのは、他の貴族から見ても一種別格に扱われます。幼い私を取り込もうとする者、逆に暗殺しようとする者。さまざまです。あの頃の私は完全に人間嫌いでした」
 目を瞑って過去を思い返しながらルセリナは語る。
「そんなとき、私は毎日のパーティが嫌で、城を抜け出してソルファレナの街にいました。一人であちこち見て回って、帰ってくる途中のことでした。もう少しでお城というところで、私をさらおうとしていた男がいたんです。私は逃げました。でも、捕まってしまったんです」
 つらそうな表情で続ける。
「そのとき、私よりも小さい男の子が、近くにあった棒で思い切りその男の頭を、ごつん! って殴ったんです。そして大声で人を呼んでくださって。それで男は逃げていきました。その男の子は私に手を差し伸べてこう言ってくださったんです」
「『大丈夫?』……そうか、君が、あのときの女の子だったのか、ルセリナ」
「はい。思い出していただけましたか、殿下」



 確かに覚えている。自分も城を抜け出して街を彷徨い歩いていたころだ。
 妹のリムが生まれて二年。王宮の人たちは王位継承権がない自分を腫れ物のように扱っていて。
 だから、王宮が嫌だった。しかも内乱で血縁こそが信じられないときだった。
 自分は、何のために生まれてきたのだろうか?
 そんなことを考えながら城に戻ろうとしていたとき、目の前で女の子が襲われていた。
 無我夢中だった。近くに落ちていた棒切れを拾って、思い切り殴りつけた。
「誰かある!」
 すぐに大声で人を呼ぶと男が逃げていった。それと入れ替わりに警備の兵士たちが駆けつけてきた。
 女の子は震えていた。だから、自分は思った。
(別に、国のためなんかじゃなくてもいい)
 目の前の震えている女の子を、助けてあげたい。
(誰か、たった一人でもいい。自分の手の届く人を助けられるなら)
 自分はそのために生まれてきたのではないか、と。
『大丈夫?』
 笑顔で、彼女に語りかけたのだ。



「ラグ王子殿下だということはすぐに分かりました。家で肖像画を見ていましたから」
 苦笑したルセリナが言う。
「信じていただけないかもしれません。ですが、これが私の真実です。殿下」
 ルセリナは、笑顔で、そして泣きながら言った。
「あの頃からずっと、私は殿下をお慕い申し上げております」
 言ってから、ルセリナは顔を真っ赤に染めた。
「も、申し訳ございません! 父の件だったのに、私はまた余計なことを」
「いや。ルセリナは僕に大切なことを思い出させてくれたよ」
 自分も立ち上がって、ルセリナの肩に手を置く。
「あのときから僕は、誰かを助けたくて、誰かのために何かしたくて生きてきた。このところ色んなことがあって、それを見失っていた」
 そして真剣な目に変わる。
「僕は、ロードレイクを助けたい。ルセリナにも協力してもらえると、嬉しい」
「殿下……」
 感情が高ぶっていたせいか、ルセリナは涙を流している。
「はい、殿下。私でよければ、ずっとお仕えさせてください」
 俯く彼女を、今度は自分から抱きしめる。
「やれやれ。父親のことがあるにも関わらず、そうなるわけか」
 ゲオルグは肩を竦める。だがリオンは嬉しそうだ。
「おめでとうございます、王子。ルセリナさん」
 二人とも笑顔だ。そして腕の中にいるルセリナも。
 だが、自分だけが笑顔の裏で、まだ悩んでいた。
(もし、僕がサルムと袂を分かてば、ルセリナは……)
 父親と自分との間で揺れることになる。
 そんな苦しみを自分が彼女に与えていいものなのだろうか。



 ──だが、そんな決断の日は、さほど遠いわけでもなかったのだ。






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