バフラム・ルーガーの率いる艦隊がラフトフリートに迫っている。
 王子たち一行がラフトフリートに戻り、ゲオルグやサイアリーズにルクレティアを紹介し、そしてラフトフリートに協力することが決まった。
 一度協力を断られていようが関係ない。ラージャは自分を孫と、キサラは自分を息子と言ってくれた。ログやランに協力もしてもらえた。
 ラージャにとって自分が孫ならば、自分にとってラージャは祖母だ。もはやリムとサイアリーズ以外に家族がいない自分にとって、ラージャを見捨てることなどできない。

 ただ。
 そんな状況でも、もう一人、会いたい人がいた。
(ルセリナ)
 まだしばらくはレインウォールに行くことはできなさそうだ。だが、無事に戻れば彼女はきっと笑顔で迎え、抱きしめてくれるだろう。
 早く戻る。そのためにも、バフラム艦隊は早く倒さなければならない。










幻想水滸伝V





『戦いと安らぎと』










「馬鹿な! こんなところに浅瀬などないはずだ!」
 ルクレティアの策で完全にバフラム艦隊は身動きが取れなくなった。先陣を切った突撃船は浅瀬に乗り上げて動けずにいる。白兵船も半分は動けないでいる。残りのほとんどは弓船。
「足の速い船で残った船に接近し、乗り移って船の主導権を奪います」
 ルクレティアの号令により、少人数の白兵船が近づき、次々に弓船に乗り移る。
 だが、ラグはそんなものを気になどしていない。彼の目的はただ一つ。
 敵将、バフラム・ルーガー。彼の首を取れば戦いは終わる。






「王子。戦いに勝つ一番簡単な方法は何かお分かりになりますか?」
「敵の兵糧を奪えば何もしないで勝てる」
「その通りです。よくお分かりです」
 あれはアゲイト監獄から戻ってくる最中。何もすることがなく、ルクレティアとひたすら問答を繰り返していたときだ。
「では、戦いが始まってからではどうでしょう。どうすれば一番早く、簡単に戦いを終わらせられますか」
「敵の戦意をなくすこと」
「具体的には」
「敵将を倒すのが一番じゃないかな」
「あらあら」
 ルクレティアは苦笑した。
「これでは私が教える意味がありませんね。王子は全てよく分かっておいでです」
「一度戦いを経験しているからかな。兵士っていうのは戦うためにいるんじゃなくて、たくさんの兵を持つことで相手を威嚇して、結局戦わないでいられるようにするために揃えるものじゃないかな」
「そうです。将軍の一番の罪は戦場で兵士を死なせることです。戦いでは一人も戦死者を出してはいけません。もちろんそれは理想ですけれど、その理想に近づけるのが軍師の仕事です」
「でも、こちらから仕掛ける戦いとなれば、そうも言っていられない。相手を倒さなければいけないのに、死者を出さずにすむことができるんだろうか」
「難しいですね。ただ、不可能ではありません。火攻め、水攻め。実際に剣や弓を交えない方が簡単に、効率よく相手を倒せます。相手が正面から攻め込んできてくれるのが、防衛線としては一番楽ですね。逆にこちらから攻め込むのであれば、正面から攻め込むことほど罪な戦術はありません」
「手厳しいな、ルクレティアは」
「それはもう。私のプライドにかけて、そんな無様な戦いを王子にはさせません」
「僕が間違ったことを言ったらいつでも指導してくれ。感情にかられて僕が誤った判断をしないように導いてくれるのはルクレティアしかいないと思う」
「王子にそこまでおっしゃっていただければ、私も腕の揮いがいがありますね」
 ルクレティアは答えて微笑んだ。






(そう。一番早く戦いを終わらせるには、敵将の首を取ることだ。仮にできなければ、敵将に撤退命令を出させればいい)
 ただ敵将が逃げてしまうと、いずれまた再戦することになる。
 バフラムといえばファレナきっての水軍将校だ。陸のディルバ、河のバフラム。ファレナ軍はこの二人の勇将によって支えられているといってもいい。
 それをたった水門一つで混乱させているのだから、ルクレティアの器量のどれほど高いことか。
(とんでもない人を味方につけたな。でも、彼女が味方なら僕の目的も達成できる)
 ゴドウィンを倒し、リムを助ける。今の自分の最大の願い。
「近づけるな、矢を放て!」
 旗艦から矢が放たれるが、ラグの船を中心とした白兵船三隻は全員が盾を構えたまま突撃し、そのまま旗艦に乗り移る。
「バフラム将軍!」
 船に乗り移ったラグが、敵将に向かって大きく声を上げる。
「な、ラグ殿下! まさか、あなたが直接乗り込んでくるとは、正気ですか!?」
「もちろん。バフラム将軍を倒せば水軍を制圧したも同然ですからね。大人しく武装放棄していただきます。それとも、実力でそうされるのがお好みですか」
「王子殿下にお尋ねする」
 バフラムは剣を抜いて尋ねる。
「ゴドウィン卿はこのファレナを強くするために決起された。あなたはこのファレナを強くしたいとはお思いにならないのですか」
「じゃあバフラム将軍にも同じことをしてあげるよ」
「同じ?」
「バフラム将軍の家族を残らず殺害する。その上で僕たちの陣営に来ませんかと誘ってあげるよ。そうしたら今の僕の気持ちが分かってもらえるはずだ」
 そう。
 バフラムに悪気はなかったのだろう。彼は善良な将軍だ。それはラグもよく分かっている。
 だが、もう少し時と場合を選ぶべきだった。ラグは今、父と母をなくしたばかりだ。それもゴドウィン卿が起こしたクーデターのせいでだ。しかも妹のリムは半分人質の状態で奪われたまま。
 これで協力ができるはずがない。ゴドウィンは敵。不倶戴天の敵だ。
「バフラム将軍を捕らえろ!」
「ちっ! 王子殿下を捕らえろ! 丁重にだ!」
 たとえ敵となったとしてもバフラムは王族への敬意を忘れない。実直な性格だ。
(惜しいな。ゴドウィンではなく僕の味方になってくれたらよかったのに)
 だが彼は根っからのゴドウィン派だ。間違っても転向はないだろう。
 だから徹底的に叩く。バフラムを捕まえればこの戦いは終わる。
「叔母上!」
 少し沖合いにいた小さな船に合図を送る。直後、風の魔法が船を直撃した。
「なっ、サイアリーズ様か!?」
「突撃!」
 ラフトフリートの民が一斉に襲いかかる。たとえ屈強なゴドウィン軍だとしても、魔法で混乱させられていては統一した行動は取れない。
「バフラム様! ここは我々が! どうか撤退を!」
 王子たちとバフラムの間に兵士たちが割って入ってくる。
「だが……」
「この状況では戦うこともままなりません!」
「……やむをえん。生存者の救出を最優先に、引き上げる!」
 バフラムは王子を残したまま旗艦から脱出していく。だがそれを追いかけることはできなかった。敵の部下たちが行く手を阻んだからだ。
「ここから先へ通しはせん!」
「やれるものなら」
 王子は三節棍を構える。バフラムは逃がすことになるが、やむをえない。
 この旗艦を完全に制圧すれば戦いは終わりだ。
「くらえ!」
 王子の棍が敵の喉を突き、悶絶した兵士が倒れた。
「投降するものは助けろ! 歯向かうものだけ相手にすればいい!」
 その一言が効いた。もはや戦っても意味はないと判断した兵士たちから武器を捨てていく。一人捨てれば連鎖して次々に降伏していく。
 開始からわずか二時間。バフラム艦隊の迎撃はほぼ完全な形で勝利した。






「ありがとう、王子。王子のおかげでラフトフリートは救われたよ」
 戦いが終わってラージャからお礼を言われるが、王子は首を振った。
「いや、これはルクレティアのおかげだよ。僕じゃない」
「何を言うかね。ルクレティアは王子が頷かない限りわしらに協力することはない。王子のおかげさ」
「そうですよ、王子」
 ルクレティアも自分を持ち上げてくれて嬉しくないはずがない。だが、全ての責任はリーダーが負うもの。ラフトフリートが勝利しても敗北しても、それは王子の決断の結果なのだ。
「それに、僕はルクレティアの言いつけを守らなかった」
「言いつけ?」
「将が前線に立つのは駄目だって言っただろう?」
「ああ、そのことですか」
 ルクレティアは白羽扇で口元を隠す。
 敵将を倒せば戦いは終わる。逆に、味方の将を失っても戦いは終わってしまうのだ。
 だから王子は戦争に参加しても安全な場所に待機していなければならない。戦いは信頼できる部下に任せるものなのだ。
「はい。そのことは王子にはペナルティを差し上げないといけないですね」
 ルクレティアが少し困った顔をする。
「それに、敵旗艦に乗り込んだのにバフラム将軍を逃がしてしまった」
「そうですね。バフラム将軍をおさえれば少し楽ができましたが、なかなかそううまくはいきません」
「それから、味方の死者は?」
 その言葉が出てルクレティアの顔に笑みが生まれた。
「今のところは出ていないみたいですね。浮き足立った敵が相手ならこうした完全勝利が可能ということです。お手柄ですね、王子」
「そうか。よかった」
 ようやく王子も安心した。
「とにかくバフラム艦隊は迎撃できたのです。これも王子が全力を尽くしたからですよ」
「僕は何もしていない。ただ、がむしゃらにやっただけだよ」
「それが大事なことです。王子はラージャを助けようと思った。そのために力を集めようとして、私を頼った。そうした人のつながりが、いつか大きな力となってこのファレナを導いていくでしょう」
 ラグは頷いてルクレティアの言外の意図を読み取る。
「僕はこれからさらに、もっとたくさんの人の協力を求めなければならない。とりわけ、ロードレイクを」
「そうです。ロードレイクをそのままにしていては王子のよって立つところがなくなります。王子は常に、ファレナの民と共にあらねばなりません」
「心得た。すぐに手を打とう」
「ラフトフリートも協力するよ」
 ラージャが笑って言う。
「ですが、よろしいのですか」
「何を言っているんだね。ラフトフリートでは受けた恩は倍返し。そう聞いておらんかね?」
 確かにそれは以前、ランが言っていた言葉だ。
「ラフトフリートの皆さんを危険な目にあわせるわけには」
「ですが王子、既にラフトフリートはゴドウィンの勢力からは敵とみなされています」
 ルクレティアが助言を行う。
「そういうことさ。ラフトフリートは王子に協力する。その方が自分たちが生き残る可能性が高い。それにかけるってことさ」
「分かりました。ありがとうございます、ラージャ提督」
「気にしなさんな。何度も言うようだが、可愛い孫のためだからね。正直、この間追い返したのも気がひけたのさ」
「本当ですよ。ラージャ様は、ずっとそのことばかり口にしていましたから」
 キサラも口ぞえをする。それは分かっている。ラージャが義に厚いことなど、少しでも観察すれば分かることだ。
「そうなると問題は、バロウズ家ですね」
 ルクレティアが白羽扇を翻す。
「そうさね。ロードレイクの件もそうだが、あいつはちと胡散臭すぎる。なんとかできればいいんだが」
「いずれにしても、このままでいるわけにはいかない」
 ラグは私情を切り捨てて、サルム・バロウズについて考える。
 サルムが味方でいて良いことはこの先どんどんなくなっていくだろう。いつ見切りをつけるか、それが問題だ。いざとなればラフトフリート単独で動けばいい。
 だが、その前にできるだけバロウズ家の力とゴドウィン家の力を競わせて、力を削いでおかなければならない。それこそ、バロウズに協力している諸卿が、バロウズを見限っても仕方がないと心から納得させられるような何か。
「鍵は、ロードレイクにありますね」
 ルクレティアが断言する。
「ロードレイクの事件について、調査を行いましょう」
「調査?」
「ええ。知り合いにプロがいますから、その人にお願いすることにしましょう。いずれにしてもレインウォールにはいかなければなりません。敵の懐に入り込まないと、何もできませんからね」
 ルクレティアはにっこりと笑った。






 そうして、ラグはレインウォールに凱旋する。
 以前と決定的に変わったことがあるとすれば、それは信頼のおける仲間がいるということ。
 ゲオルグ、リオン、サイアリーズをはじめ、ルクレティア、ラージャをはじめとするラフトフリートのメンバー。そして、
「お帰りなさいませ」
 自分に、微笑む少女。
 たとえ、彼女がサルムの娘だったとしても、自分はもう、彼女を捨てることはできない。
 自分はこれから、サルムを失脚させなければならない。彼女の実の父親を。
 それでも彼女に好きでいてもらいたいというのは、どれほど傲慢な考えか。
「ああ、ただいま、ルセリナ」
 だが、そんなことは今は考えたくない。ラグは近づく彼女を強く抱きしめた。






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