黎明の紋章。
 かつて、ロードレイクの民衆が暴動を起こし、東の離宮から持ち去ったとされる国の至宝。
 その行方は知れず、この二年間捜索の甲斐なく不在が続いていた。
 それが、このレインウォールに。
 しかも、このサルム・バロウズの屋敷に。
(もしも、それが事実だというのなら)
 僕は、覚悟を決める。
(たとえルセリナを悲しませても、サルムを許すことはできない──)










幻想水滸伝V





『The sky grayed and the dawn came』










 地下に降りたその先に、鎖に縛られた大きな箱があった。
「これ、でしょうか」
 リオンがおそるおそる言う。
「露骨に怪しいねえ」
「父が……ここに、隠して」
 サイアリーズもルセリナも、その箱を凝視して動けずにいる。
 無論、これは王族であり、女王の子である自分の役割だ。
「開けるよ」
 その鎖に手をかけようとした。
 そのときだった。
 鎖が飛び散る。そして、扉が勝手に開く。
 中からまばゆい光と、そして穏やかな流れ。
「なっ!」
「ま、まぶしいっ!」
「王子っ!」
 サイアリーズの、ルセリナの、リオンの、三人の声が聞こえる。いや、聞こえたような気がした。
 それが、やけに遠い。
 聞こえているのに、届くのにすごく時間がかかっている。
 それは、この目の前の──
(黎明の紋章)
 そう。その水色に輝く紋章はまさに、女王家に伝わる三つの紋章の一つ。
 その黎明の紋章が輝きを増す。
 その光に応じて。
 その音に共鳴して。
『もう一つ』の光が、この場に現れた。
「あ、あれはっ!」
 サイアリーズの声が遠くから聞こえる。
 それを表すのなら白。何者にも染まらず、ただ輝くだけの白。
「ま、まさか」
 リオンが震えた声を上げる。
 その、白い光が集中し、そして──
(くっ!)
 自分の『頭』にまとわりつく。
 そう。
 もう、分かっている。
 これは、この紋章は──



『太陽の紋章』



「うあああああああああああああああああああああっ!」
 叫び声が遠い。
 いや、叫んでいたのかすら怪しい。
 何しろ、この紋章が自分に宿った瞬間。

 おそろしいほどに流れこんでくる『悪意』が自分を縛る。
『滅ぼせ』
 背筋が震える。
『焼き尽くせ』
 その紋章の意思に逆らうことができない。
『お前の父を、母を殺した者たちに復讐を』
『黎明の紋章を奪った者に復讐を』
『お前の敵に、破滅を』
『滅ぼせ』
『滅ぼせ』
『滅ぼせ』
 その、声の導きのままに。
 自分の中にある全ての力が。
 紋章に集中し、そして──

『殿下!』

 だが、すぐ近くで声が響いた。
 もちろん、誰の声かなんてすぐに分かる。
「ルセ、リナ……」
「殿下! 王子殿下。大丈夫ですか、私が分かりますか」
「ルセリナ。僕は──」
 その、差し伸べられた、彼女の右手に、紋章が宿っていた。
「黎明の、紋章……」
 自分に言われて、ルセリナも気づいたらしい。自分の手に宿る紋章に。
「こ、これは」
「王子に太陽の紋章が、ルセリナさんに黎明の紋章が……?」
 リオンもパニックになっている。
「ラグ。あんた、意識は大丈夫かい?」
 サイアリーズの質問に小さく頷く。
「ああ。でも、今、何かすごく大きな悪意が僕を……」
 その言葉に、自分でも気づく。そしてリオンも、サイアリーズも。
「……太陽の紋章、だね」
 サイアリーズが口にした。
 そう。女王アルシュタートの性格が変わり、彼女を常にさいなんでいたのは、この額に輝く太陽の紋章のせい。それを自分たちは知っている。
「……なんてことだ」
 サイアリーズが抱きしめてくる。
「あんたが、女でもないあんたがこんな紋章を受け継ぐなんて!」
「伯母上……」
「あたしが肩代わりできれば! くそっ! なんで、こんな──!」
「紋章の意味など分かりもしないで闇雲に求め、奪う。愚劣にも程がありますね」
 その四人の背後で声がした。
「誰です!」
 リオンが剣を構えて言う。そこにいたのは──
「東の離宮にいた──」
「物覚えは良いようですね、王子」
 黒いフードを着た女性だった。
「ですが、まさかあなたのような男児が太陽の紋章を受け継ぎ、紋章の意味も分からぬ小娘が黎明の紋章を宿すとは」
 女性はまず自分を、そして次にルセリナを睨みつける。
「何故かは分かりませんが、紋章はあなたたちを選んだ。ならば、あなたたちは紋章に応える術を身につけなければなりません。さもなくば」
 女性は細い目をさらに細めた。
「私が殺します。そして、もっとふさわしいものにその紋章を授けます」
「勝手なことを!」
 リオンが斬りかかろうとするが、女性はその場から消え去ってしまう。
「な、なんだっていうんだい」
 サイアリーズが自分を抱きしめる力を強める。
「分からない。ただ──」
 そして自分は、額に宿った太陽の紋章に触れる。
「ただならないことが起きたのは分かった」
「ラグ」
「行こう。とにかくこの場に黎明の紋章があったのは分かった。それに、幸か不幸か、女王宮にあるはずの太陽の紋章も手に入った。あとは──」
 そう、あとは。
 サルム・バロウズを失脚させる。それで幕切れだ。






 さすがに、自分が太陽の紋章を、ルセリナが黎明の紋章を宿してきたときはその場にいた全員どころかルクレティアまで目を疑っていた。だが、事情を説明するとルクレティアは一つ頷いて納得してくれた。
 そしてオボロが連れてきたノルデンによって、かつてロードレイクで何が起こったのか、あらいざらい暴かれていった。
 かつて起こった暴動は、バロウズ家への単なる陳情であったこと。そのとき警備隊長をしていたユーラムが民衆に怯えて蹴散らせと命令し、逆に民衆の暴動につながってしまったこと。
 そのまま民衆は王宮にバロウズ家の問題を訴えに上がろうとしたが、それに応じてサルムが私兵を民衆にまぎれこませ、東の離宮を襲わせたということ。
 そのとき、黎明の紋章を奪ったということ。
「なんて軽率な」
 ルセリナは兄を侮蔑の目で見る。
「バロウズ卿、それがしは貴殿を見損ないましたぞ!」
 ボズもまた憤りを隠せずにいる。そして、ルクレティアがとどめをさした。
「黎明の紋章を、女王陛下やゴドウィン家との取引に使うつもりでしたか? それとも、アーメスへの手土産にするつもりでしたか? まあ、もう今さらどちらでもいいことですけれどね」
 完全に叩きのめされたサルムだったが、ここで逆に切れたのがユーラムだった。
「うるさい! うるさい! うるさい! これまで戦ってこられたのは誰のおかげだ! パパのおかげだろ! そんなに文句があるなら出ていけ! みんな出ていけよっ!」
 既に致命傷だったが、その上にまだ泥を被るのか。
 ルクレティアの策はもう完全に成っていた。バロウズ家の全ての悪事を暴き、バロウズ家に協力していた者を全てこちら側に引き入れる。だが、それでも今まで世話になった恩もある。すぐに出ていくというのは申し訳ない気持ちもあるだろう。
 それを、このユーラム坊ちゃんが全て可能にしてくれた。今までの恩も忘れて出ていっていいというのだ。この、沈みかけた船から。
 誰もがバロウズ家に見切りをつけるだろう。もはやこの屋敷に留まる理由は何一つ、ない。
「お父様。お兄様。それが本音ですか?」
 ルセリナの冷え切った瞳。
 たった一つ、後悔していることがあるとすれば、この寸劇を、全てルセリナに見せなければならなかったことだけだ。
 彼女がここまで苦しむ必要はなかった。
 自分の父が、兄が、償いきれないほどの悪事をしていたということを、目の前で暴かれていくのは、彼女にとってどれほど心の痛むことだったか。
 だが、彼女は逃げなかった。
 我が身を切り裂かれるほどの苦しみを覚えながらも、彼女はその事実を正面から向き合ったのだ!
「王子殿下、参りましょう! このような者たちと一緒では、殿下の志までが穢されてしまいます!」
 彼女は泣いていた。
 自分の肉親が、父が、兄が、自分にとってもっとも汚らわしい存在だったということに。
 そして自分の肉親が、自分の敬愛する王子を苦しめているということに。
 一人、また一人。
 その屋敷から人が消えていく。
 ルセリナは残された父と兄を蔑むように見て、言う。
「お父様、お兄様、ごきげんよう。ルセリナは王子殿下にお仕えします。この黎明の紋章にかけて、王子をずっとお守りいたします。もう、お会いすることはないでしょう」
「ま、待ちなさいルセリナ」
 手をのばしかけたサルム。だが──
「ルセリナに触るな」
 その間に割って入る。
「ルセリナが、どんな思いでいるのか分からないのか。どれほど今苦しんでいるのか分からないのか」
 三節昆をサルムの鼻先にあてる。
「僕が今、この場でお前を叩きのめさないのは、ルセリナの気持ちを尊重し、そしてルセリナを悲しませたくないからだ。それがなければ、この場で国賊を討つことになど何のためらいもない!」
「ひっ」
「でも、それでもお前は、ルセリナの父親なんだ」
 三節昆をおろす。
「僕にとってもルセリナは大切な人だ。お前が生きていられるのはルセリナのおかげだということを死ぬまで忘れるな」
 そして、彼女の肩を抱く。
「ごめん、ルセリナ」
 こんなことを言いたくなかった。
 ルセリナにこんな気持ちを味わってほしくなかった。
 それなのに。
「いいんです、殿下」
 ルセリナは、黎明の紋章の宿る手で触れる。
「私はもう、王子殿下のためだけにこの命をかけると決めましたから」
「ルセリナ──ありがとう」
 彼女を抱く手に力を込める。
「なら、僕も誓う。僕は絶対にこの手を離さない。ルセリナを守る。どんなことがあっても」
「私も誓います。王子殿下に仇なす者があるなら、私が王子殿下をお守りいたします。この黎明の紋章にかけて」
 そして、二人は歩き出す。
 額の太陽の紋章と、右手の黎明の紋章。



 二人の本当の戦いが始まった瞬間だった。






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