【人の善意など、信じることはできぬ】

 だが、紋章は常に語りかけてくる。
 自分に紋章の力を解放させようとしてくる。
 自分の心が弱ければ、すぐに流されてしまうだろう。
 だが、自分は負けない。
 この戦いに必ず勝ち残ってみせる。

「僕は信じる。たとえ裏切られても、それは僕に人を見る目がなかっただけのことにすぎない。僕は決して信じることをやめない」

【その結果、多くの仲間が死してもか】
【お前の決断が】
【お前の弱さが】
【すべてを崩壊に導こうとも】

「黙れ。僕は、お前の言うとおりになんか、絶対にしない」










幻想水滸伝V





『The truth revealed by the lake』










 ベルクートが参加してからは、全く形勢が変わった。
 ルセリナを守る防御にラグとリオン、そして攻撃にはカイルとベルクート。それぞれが役割分担をすることで確実に敵を殲滅することができた。
「闘神祭、見てましたよ。たいした腕前でしたね!」
 カイルが敵を切り伏せながら相手に尋ねる。
「かたじけない。見苦しいものをお見せしました」
 ベルクートの動きにはまったく無駄がない。わずかな動きで確実に相手を葬る。それでいて力強い。よくこれほどの剣士がいるものだ。カイルと互角か、いやカイルより強いのかもしれない。ゲオルグと戦ってはたしてどちらが上か、というレベルだろう。
 そのベルクートの活躍で、やがてゴドウィンの半小隊は一班を残して完全に沈黙した。カイルもベルクートも、そしてラグやリオンも完全に息は上がっている。だが、たかが残り六人。四人が団結すれば勝てない相手ではない。
「ひ、ひくぞっ!」
 相手の小隊長があきらめて引き上げていく。ふう、とようやく息をついた。
「この場は目立ちます。できるだけすぐに移動する方がいいでしょう」
 ベルクートが言う。ラグは頷いて答えた。
「もちろんそうするけど、ベルクートも来てくれるんだよね?」
「無論、王子の望みとあらば」
 ただの一傭兵にすぎないベルクートが、しっかりと臣下の礼をする。
「私は王子からかけていただいた言葉を、一度も忘れたことはありません」
 もちろん何のことかはよく分かっている。決勝戦の前の日には『今度会うときは兄弟だ』と会話をしたし、別れのときには『自分の兄弟になってほしかった』と伝えている。それほどに、ラグはこのベルクートという人物を気に入っていた。
 立場上は自分が兄で、上ということになるのだが、自分にこんな頼れる兄がいてくれたらと本気で思ったものだった。
「とにかく、急ぎましょう。向こうにマリノさんも隠れています。しばらく進めば森に出ますから、そこでゆっくりと話し合いましょう」
「分かった。ルセリナ、急げるかい?」
「もちろんです」
「よし、行こうみんな」
 そうして五人は移動を始めた。ゴドウィン軍が戻ってくるより先にこの場を離れるために。






 その夜、森の中で焚き火を囲んだ六人は、ようやくお互いのことを話し合うことができるようになった。
 ベルクートはマリノの護衛をしているらしい。何でも自分で店を持つために、他の町を見てみようと考えたのだ。その途中、王子の噂を耳にした二人は、ロードレイクに立ち寄って何か力になることがあればと考えた。そこで二人でロードレイクへ向かっている途中、ゴドウィン軍の半小隊を見かけ、後をつけてきたところラグと合流したということだ。
「ロードレイクは今は一人でも多くの人手が必要だと思いました。王子の噂はよく聞こえましたから。バロウズ卿と別れて、ラフトフリートで単独行動をされると聞き、最初に向かうのはロードレイクではないかと思ったのです」
「評価されてますね、王子」
 リオンが嬉しそうに言う。
「王子の力になれればと思い、馳せ参じた次第です。こんなに都合よく合流できるとは思ってもいませんでしたが」
「わ、私も王子様のために、一緒に働かせていただけると嬉しいです!」
 マリノがまだ緊張しているのか、声が上ずっていた。まあ、マリノはベルクートの傍にいたいだけなのだということは分かっているのだが。
「じゃあ、ベルクートとマリノは、僕のために来てくれたの?」
「無論です。兄と呼ぼうと思っていた人が、今は窮地に立たされている。本当のことを言えば、何度レインウォールに行こうかと思ったほどでした。ですが、闘神祭でバロウズ卿にとっては敵の立場であった私が向かっても、王子に会わせてもいただけないかもしれないと思い、断念していたのです。袂を別ったと聞き、何としても王子に合流しようと思っていたのですが、ラフトフリートを足にされるとどこに向かったのかがまったく分かりませんでした」
「それでよくロードレイクだって思ったね」
「王子のこと、きっと弱い者を助けるために動くと思ったのです。それに、もし王子がいらっしゃらなくとも、今のロードレイクには人手が必要でしょう」
 本当に、自分を捨てて他人のために戦う人物だ。こういう高潔な人間だからこそ、ラグも気に入ったのだ。
「ありがとう」
 ラグはベルクートの手を握る。
「本当に嬉しい。ベルクートがいてくれたらこんなに心強いことはない」
「自分はただの剣にすぎません。ですが、その剣が必要というのなら、この剣は王子のためだけに使いましょう。私はあの闘神祭で、民と奴隷たちのために動く王子を見て、いつかは王子の部下に馳せ参じようとずっと思っていたのですから」
 こうして、ラグにとっては非常に頼りになる戦士が一人仲間になった。それも、損得勘定で旗色を変えるような人物ではない。女王騎士と同じだけの忠誠心と技量を持つ人物の参加。これほど嬉しいことがそうあるだろうか。
「それでは、王子はいったい何故このようなところに。それもこんな少人数で」
「そうですね。私たちもそろそろ教えてほしいです」
 リオンがふくれたように言う。
「さすがにここまで来たら、もう秘密にしておく必要もないんじゃないですか?」
 カイルも参加した。ラグも「そうだね」と頷く。一番怖いのは情報が洩れることであって、ここにいたってはもう問題はない。この六人でそのまま目的地まで行くだけなのだから。
「実はこの森が目的地だったんだけどね」
 ラグが地図を取り出す。カイルは見やすいように、たいまつを一つ持って上から照らした。全員が地図を覗き込む。
「ちょうど今がこの位置。こっちがセラス湖で、この先に一つの洞窟がある。そこが目的地」
「何があるのでしょうか」
 ベルクートが尋ねる。
「実は目的地しか教わってないから、僕もそこに何があるのか知らないんだ」
「目的地だけですか」
「ああ。そこにうちの軍師、ルクレティアの知り合いがいて、全部教えてくれる手はずになっている」
「なるほど。ではそこまで行かないと結局分からないということですね。ですがいったい、何をなさろうとしているのですか?」
「やることはたった一つ。ヘイトリッド城砦を壊す」
 ベルクートの目が丸くなった。
「壊すのですか? 制圧するのではなく?」
「壊す。あの砦がなくなれば、ロードレイクへ水が流れていくんだ。とにかく一番の問題は水がないこと。その原因を取り払う必要がある」
「その鍵が、洞窟にあるということですか」
「そうだと思う。何があるのかはまったく分からないんだけどね」
 とにかく秘密主義なのが軍師の悪いところだ。もっとも信頼しているからこそ、その通りに行動しているのだが。
「王子。この場所に先行して見てきましょうか」
 リオンが尋ねる。いや、とラグは首を振った。
「今日はさっきの戦いで疲れているから、今は休息をきちんととって、万全の体勢にしておこう。ルクレティアも『洞窟はシンダルの罠があって危険かもしれない』って言ってただろう」
「でも、場所を確認しておけば、明日は私が案内できます」
「駄目だ」
 だが、ここはラグが突っぱねた。
「体力の回復を優先する。これは僕が決めた。いいね、リオン」
 そこまで言われては、さすがにリオンも反対できなかった。分かりました、と答える。
「まあまあ、リオンちゃんふくれないふくれない。何しろ王子は、ゲオルグ様から言われてることを忠実に守ろうとしてるだけなんだからさ」
「ゲオルグ様?」
「ほら、仲間の身を案じろってやつ。ですよね、王子?」
 そんなことを面前で言われて素直に頷けるほど図太い性格はしていない。
「そうだったんですね。ありがとうございます、王子」
「リオンは限界まで無理するから。ブレーキが必要なんだよ」
「私、王子やフェリド様のためならブレーキなんて必要ありません」
 笑顔で言う。はあ、とラグがため息をつく。
「それじゃあ、せっかくですから何か食事でも作りましょうか」
 マリノが笑顔で言う。
「それはいいですね。ぜひお願いします」
 ベルクートが率先して頷く。そしてラグの方を向く。
「そうだね。お願いしようかな」
「あ、私も手伝います」
 ルセリナが立ち上がった。
「いえいえ! どうぞ座っててください! 今日は私だけ何にもしてませんから、やらせてください!」
「ルセリナも休んでいるといいよ。命の危険が一番あったのがルセリナなんだから、無理はしちゃ駄目だ」
「分かりました」
「というわけで、おいしい料理を頼むよ、マリノ」
「おまかせくださいっ!」
 マリノはこれ以上ないほど嬉しそうに準備を始めた。そのラグに近づいて、ベルクートが小声で言う。
「ありがとうございます」
「なに、その方がいいと思っただけだよ」
 ベルクートとラグが視線だけで会話したのは、何かマリノにも役割を与えてあげてほしい、ということだった。
 ルセリナはここから先、いくらでもやらなければいけないことがある。何よりラグを支えるという意味では、黎明の紋章を持つ彼女の力はこれから大切になってくる。だが、マリノには何もない。せいぜい料理を作るくらいなのだ。
 だからこそ、他の人間に手伝わせないようにして、マリノの居場所を作った。ここにいてもいいのだと、自分で自分を納得させられるように。
「王子は本当に、人の心を読むのが上手ですね」
「そんなことはないけど」
 と言いながらも、ベルクートよりは人の気持ちをつかむのは長けていると思った。ベルクートはまだマリノの気持ちに気づいていないのだ。いくらなんでも一緒に旅までしていて気づかないのはマリノに対して失礼だと思うのだが。
「それにマリノの料理を食べたいっていう気持ちも本当だよ。おいしかったからね」
「マリノさんもそれを聞いたら喜ぶでしょう」
 そうして、六人はマリノの料理に舌鼓を打ち、その夜は焚き火の前で眠りについた。






 明けて翌日、日が差し込んできた時間を見計らって六人は目的地へと移動した。
 森の中に入ればあとは数時間というところ。自分たちが成功したという知らせをロードレイクが待っている。
「この辺りから開けてくるはずですけど」
 地図を持って周りを確認しながら進むのはリオン。タカムほどではないにせよ、土地感覚は抜群のセンスを持っている。
「マリノさん、大丈夫ですか」
「はい。これくらいへっちゃらです」
 ベルクートとマリノ、それにラグとルセリナが真ん中を進み、一番後ろはカイルが位置した。ベルクートが裏切るなどということは万に一つもない。ただ、マリノを守るのはやはりベルクートでなければならないだろう。となると、非戦闘員の二人、ルセリナとマリノをラグとベルクートで守るなら、一番後ろを女王騎士が務めるのが一番いいだろう。
 やがて、少し開けたところに出てくる。開けたといっても大木がないだけで、そのかわりに切り立った崖が空に向けてそびえていた。
 その崖のあたりにいる一人の男。
「む」
 と、ラグたちが近づいてきたのに気づいて男が振り返る。
「失礼ですが」
「ラグ殿下だな。話はルクレティアから聞いている」
 眼鏡をかけた男は相手の地位などおかまいなしに話を始めた。
「ではあなたが」
「ツヴァイクという。あなたを待っていた、王子。それにルセリナ嬢」
「私もですか」
「そうだ。むしろ王子よりもあなただ。見るがいい、この場所を。ここに黎明の紋章をかたどったレリーフがある」
 示された場所を見ると、確かに崖の一部が浮き彫りになっていて、それが紋章の形とほとんど変わらなかった。
「ここにはシンダル族が、黎明の紋章のために作った遺跡が眠っているのだ」
 ツヴァイクと名乗った男が淡々と話す。
「黎明の紋章をこのレリーフにあてればおそらく遺跡の内部へ通じる道ができる。私はこの遺跡に入りたい。あなたたちはこの遺跡の力を使って城砦を崩したい。利害は一致している。言っていることは分かるな?」
 分かる。が、いくつか問題がある。
「遺跡の力とはどのようなものなんだい?」
「なんだ、そんなことも聞いていないのか」
 ツヴァイクは拍子抜けしたように言う。
「このセラス湖は人工的に作られた湖だ」
「人工的?」
「そうだ。フェイタス川の水をこの場所に引き込み、シンダル族の力で水をためたり、排水したりできるようにした。使われなくなって久しいので、そのうちにこの場所が湖となり、あふれ出た水がロードレイク方面へ流れるようになったのだ。だが、この水を一気に排水したらどうなると思う?」
「大量の水が、ロードレイク方面へ向かって押し出される」
「そうだ。結果、途中にあるヘイトリッド城砦にぶつかる」
 六人の顔色が変わった。つまり、ルクレティアの考えていることは。
「水で、あの城砦を壊そうとしているのか」
「本当に知らなかったようだな。まあ、それもあの女らしいといえばそうだが。何しろそれがばれた途端、ゴドウィン軍はこのあたりに軍を配置し、絶対に近づかせないようにするだろう。懸命な処置だな」
 とはいえ、もし本当に水で押し流すのならいくつも問題がある。まず、多すぎる水量が今度はロードレイクを飲み込んでしまわないかということ。それから城砦にいる兵士たちは徴兵で集められた者が多く、ゴドウィンと関係ない者まで犠牲にしてしまうこと。
「安心しろ。たとえ装置の仕組みがわかってもすぐに水を解放することはない。一度ルクレティアと連絡を取り、準備が終わってからになる。犠牲者を出すつもりはないそうだからな」
「やっぱり俺たちの軍師さんは、すごい人ですねー」
 カイルがとぼけたように言うが、それも驚きをごまかすためのものだということはよく分かる。
「理解できたのならば始めるぞ。ルセリナ嬢、紋章を頼む」
 ルセリナは一度ラグを見る。ラグが頷くのでルセリナも覚悟が決まった。
「黎明の紋章──」
 彼女はそっと、手をそのレリーフにかざす。
 途端、そのレリーフから青白い光が発せられた。






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