黎明の紋章に触れてから、太陽の紋章が黙り込んだ。
おそらくもう少ししたらまた話しかけてくるのだろうが、それでもしばしの間、苦痛から逃れられるのはありがたい。
いつから再びささやかれるのか、考えると怖くなってくる。
だが、今はそんなことを考えている暇はない。
(ロードレイクを救出する)
その算段は整った。だが、自分は一つ、いや二つだけ確認をしておかなければならないことがある。
自分は決して、目的のためにどんな悪逆なことでもするような真似をしたくはなかった。
幻想水滸伝V
『陰る太陽』
目を開けると、そこはラフトフリートだった。
突然現れた王子一行に、周りにいた人たちの方が驚きを隠せずにいる。
「おおっと、まっさか王子様が突然現れるなんて、さすがに思いもよらなかったぜ」
話しかけてきたのはシンロウ。ラフトフリートが協力してくれるようになった後、ぜひ王子たちの下で道具屋として、仕入れの仕事をしたいと言ってきた人物だった。
「僕も正直、驚いてるよ。まさか一瞬でここまで来られるとは思わなかった」
テレポートの魔法。なるほど、今行きたいところに送ってあげるとはこういうことか。
「無事について、よかったー」
そのビッキーは童顔を崩してえへへと笑った。
「きちんと全員いるようだな」
ツヴァイクが確認する。王子の他、ルセリナ、リオン、カイル、ベルクート、マリノ、ローレライ、そしてビッキー。シンダル遺跡に入ったメンバーは確かに全員戻ってきていた。
「しばらく見なかったですけど、どこまで行ってたんですかい?」
「ちょっと北の湖までね。ルクレティアは今、いるのかな」
「ええ、ここしばらく調べ物があるとかで、ずっとこもりっきりだって話でしたけど」
「分かった。何か変わったことはあったかい?」
「変わったことですかい? そうですねえ、ビーバーロッジとロードレイクからたくさん人がやってきたことくらいですかねえ」
目を見張った。ビーバーロッジは分かるが、なぜロードレイクから。
「なんでも、王子様が連れてきたロードレイクの男がいましたよね、そいつがロードレイクに戻って連れてきたってことですぜ」
「ゲッシュが」
カイルと顔を見合わせる。
「どうやら、王子の意に反して、ロードレイクは自分たちで立ち上がるつもりみたいですね」
「意に反するっていうほどじゃないけど、大丈夫なのかな」
「やっぱり自分たちの村は自分たちで取り戻したいってことですよ。王子が言ったことですよ、それは」
カイルの言う通りだ。自分の大切なものを守ろうとしない相手とは手を組めない。そう考えて自分はロードレイクに向かった。
「それじゃあまずはルクレティアに会いに行こう」
一行はラフトフリートの旗艦ダハーカへと向かう。
ラフトフリートは船と船とを桟橋でつないで、一隻だけがはぐれないようにしている。誰でもどの船にでも移動することが自由で、移動するときは離れ、一箇所にあつまるときはつなぐ。そうしたシステムがとられている。
ダハーカに戻った王子たちを待っていたのは眠そうな顔の叔母であった。
「戻ったかい、ラグ」
「はい。やることは全てやってきたつもりです」
「そいつは良かった。ルクレティアならラージャといつものところだよ」
「分かりました」
そうしてサイアリーズを加えたメンバーが提督の間へと入る。
「おお、ラグ!」
ラージャが嬉しそうに笑う。キサラもルクレティアも笑顔で王子を出迎えた。
「ツヴァイクもご苦労様です」
「ああ。遺跡の構造は分かった。思った通りだった」
そう伝えるだけでルクレティアは頷き「分かりました」と答えた。
「王子。準備は整いました。これでようやくヘイトリッド城砦を落とすことができます」
「そのことなんだけど、ルクレティア」
「はい、王子」
「僕は多分、ルクレティアがどうやってあの城砦を落とそうとしているか、分かったと思う。そうしたら二つ、どうしても許せないことがあるんだ」
ラグの真剣な表情にルクレティアが「分かりました」と頷く。
「まず、王子はどうやってあの城砦を落とすと思ったのですか?」
尋ねられて、ラグはゆっくりと、一語ずつ伝えた。
「人工的に溜められたセラス湖の水を城砦にぶつけて押し流す」
「正解です。セラス湖が人口の湖であったことはツヴァイクから?」
「ああ。水門が閉じられている状態だということも聞いた。水門を開けば、湖の水が一斉に城砦に襲い掛かる。おそらくあんな城砦なんてひとたまりもないはずだ」
「全くその通りです。それで、王子の許せないことというのは何ですか?」
「まず、大量の水はどこに行くのかということ。水はロードレイクを直撃するんじゃないのか?」
もっとも、これは確認程度にすぎない。まさかルクレティアがこんな穴のある作戦を立てるはずがないからだ。
「そこで、ビーバーの方とロードレイクの方を中心に、城砦の瓦礫が村に来ないように、また水の流れが村を直撃しないように工事をしてもらっています。計算では充分村が守れます」
なるほど、大量に人員がいるというのはその工事をするためだったのか。
「それじゃあもう一つの問題」
「はい」
「ヘイトリッド城砦は確かにゴドウィンの城だ。でも、そのほとんどは徴兵された民衆なんだ。ルクレティアは僕の旗印が民衆だと言った。そして僕もそうありたいと思っている。でも、この作戦では民衆そのものに被害が出てしまう。そんな作戦を認めるわけにはいかない」
するとルクレティアは心から嬉しそうに一礼した。
「王子が、自分のことだけではなく敵をも思いやることができる方と知り、ルクレティアは感激に堪えません」
「それじゃあ、ルクレティアには民衆を守る方法があるのかい?」
「大丈夫です。王子が思っているようなことには絶対になりません。ルクレティアをどうぞ信用ください」
自信にあふれた表情だった。ラグも「わかった」と答える。
「僕はルクレティアをいつだって信用しているよ。ただ、ルクレティアは分からないことがあったら聞いてほしいと言っていたよね」
「はい。そして疑心暗鬼にならず、今回もきちんと尋ねてくださって、ルクレティアは望外の喜びです」
「分かった。僕は何をすればいい?」
「そうですね。またシンダル遺跡に行ってもらわなければなりません」
「水門を開くんだね?」
「はい。ただ、早くても遅くても困ります。私が城砦から敵兵を追い出しますので、タイミングを計って水門を開いてください」
「そのタイミングは?」
「城砦を見ていてくだされば、必ず分かります。城砦に異変があったらすぐに水門を開いてください。それでうまくいきます。ただ──」
そこでルクレティアは机の前まで歩いてくる。それにしたがって全員が移動した。
「城砦には船団がいます。このままでは策が成立しません。一戦する必要があります」
全員の目が鋭く光る。
「王子たちが戻ってきたら、ラフトフリートで攻撃を仕掛けるつもりでした」
「なるほど、だから最近のルクレティアは忙しそうにしているっていうことだったのか」
「あら、随分私のことが噂になっているのですね」
ルクレティアが嬉しそうに言う。
「さて、どうなさいますか、王子。ラフトフリートはいつでも動ける態勢です。王子が決めていただければ今日にでも戦いをすることができますが」
「さすがに今日は無理だよ」
ラグは首を振って答える。
「戦いをするということは、万が一にも死者が出る可能性があるということだ。みんなにはその覚悟と準備をしてもらわないといけない」
戦いで死ぬことがあれば、その人とはもう二度と会えないのだ。当然だが最後に家族と会話をしておきたいのは当然のことだろう。
「わかりました。明日でいいですか」
「ああ。頼む、ルクレティア」
「承りました。みなさん、よろしいですね」
全員が頷く。ビッキーだけが「え、え?」と状況が飲み込めていない。
「それではかねてから進めていたとおり、準備に入ってください。何かありましたらすぐに私のところまで相談に来るようにお願いします」
そしていっせいに動きだす。なるほど、本当にいつでも戦争ができるように準備をしていたわけだ。
「さすがだね、ルクレティア」
「いいえ。王子にはかないません。王子がいてくださるからフェイタス軍は動くのです。私も別に王子以外の人のために何かしてあげようなんて思いませんし」
「ありがとう」
「どういたしまして。みんな王子のことが好きなんですよ」
「期待に応えられるように努力するよ」
ラグは笑顔で応える。
「それじゃあ、僕は何をしていたらいいのかな」
「一番ありがたいのは、見回りですね」
ルクレティアが白羽扇をゆらめかせて答える。
「仕事を任されるというのは、当人にとってはやりがいのあることですが、周りが見えなくなることがあります。助けが必要なのに自分ひとりで解決しようとするかもしれません。だから王子があちこちを見回って、人手が足りなくないか、困っている人はいないか、見てほしいのです」
「分かった」
ラグはルクレティアの意図していることを察して答えた。
「その役目を僕がすることで、フェイタス軍の士気も上がる。一石二鳥ということだね」
ルクレティアは目を丸めてから、再び微笑んだ。
「よく、お気づきになりましたね」
「ああ。その仕事は僕でなくてもできることだ。それなのに僕にわざわざ頼むということは何か意図があってのことだろうからね」
「王子には私が教えることなんて、何もないのかもしれませんね」
くすくすとルクレティアが笑う。
「そんなことはないよ。答のある問題なら考えれば解けるけど、ルクレティアはまだ答が見つかっていないときにその道を作る人だ。僕にはできない」
「あらあら。今度は私の方が期待に応えるよう努力しなければなりませんね」
ルクレティアが笑ってラグを送り出したので、ラグはリオンを伴って行動することにした。
ルセリナはルクレティアのところに残してきた。これはまだルセリナという人物に対する周りの評価の問題だ。何しろ今はビーバーやロードレイクの人たちもいるというのだ。ルセリナの顔をあちこちに広めるにはまだ早い。
ルクレティアや自分の傍で献身的に働き、みんなから認められるまでは耐える日々が続くだろう。それがルセリナに課せられた使命だ。たとえ彼女自身に何の罪がなくとも、他人はそう見てくれるわけではない。
カイルやサイアリーズも、それぞれ自分の船の準備に入っていった。王子が乗り込む船は旗艦ダハーカではなく、中型の白兵船。船名はミスラという。闇と戦う戦士・軍神になぞらえてつけられた名前だ。
まずは自分の船を見に行くことにした。この船には自分とリオン、そして船を操るのはランであった。
「王子様! ちょうどよかったぜ!」
ミスラを整備していたランが大きな声でラグを呼ぶ。
「何かあったのかい?」
「いやあ、王子様が来てるなら会いたいってヤツが、ちょうど来ててよ、紹介しようと思ってたんだ」
「うおおおおおおおおおお! モノホンの王子さんかよっ! うはーっ! テンションあがってきたぁっ!」
「……まあ、うるさい奴だから、あんまり紹介したくないんだけどよ」
ランが頭を抱えている隣で、元気の良い少年が威勢の良い声で叫んでいる。
「言っとくがオレは男じゃなくて女だからな!」
聞いてないが、自己申告はありがたいところだった。
「ランの友達?」
「友達っつーか、幼馴染っつーか、まあ腐れ縁ってヤツだな」
「スバルだ! 言っとくが、ランより船の扱いはうまいぜ! それに釣りの腕前もな! 王子さんも一緒にやるかい?」
「時間ができたらね。僕も釣りは好きだよ」
王子スマイルでスバルに応える。その動作にスバルが一歩たじろぐ。
「や、やべえ、こいつはやべえぜ、ラン。この王子さん、天然だ」
「まあ、天然には違いないけどな。でも、みんなに慕われているいい王子様だぜ」
「そいつは分かる。何てったって、ランが初めて気に入った男だからな」
うんうん、と頷く。が、それを聞いたランが激怒。
「な、何言ってやがんだテメーッ!」
「違うのか? ランがすっかり熱を上げてる男がいるって聞いたから来てみたってのに」
「ざけんじゃねえ! 王子様はそんなんじゃねえんだよ!」
「じゃ、オレがもらっちゃおっかなー」
瞬間、リオンの冷気がスバルを包む。
「……王子には、ルセリナさんがいらっしゃいますから、駄目ですよ?」
笑顔が怖い。
「そっかー、先約がいるんじゃ仕方ねーなー。残念だったな、ラン」
「だから違うっつってんだろ! 冗談は顔と胸だけにしとけよな!」
「てめえ、人が気にしてること平気で貫いてくんじゃねえよ!」
ぎゃーぎゃーと二人が喧嘩を始める。
「喧嘩するほど仲がいい?」
「たぶん、その親戚だと思います」
ラグが尋ねるとリオンが苦笑しながら答えた。
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